2017年 2月 の投稿一覧

静まる意識とそのパワー

普段忙しく過ごしていると、なかなか自分のメンテナンスが疎かになりがちですが、そうなってしまうといい仕事もできないので、ここ最近は意識して力を入れるようにしています。

そろそろ春も近づいてきているので、身体のデトックスもやってみよう!ということで、ヘナを使ってみることにしました。ヘナってあの髪を染めるのに使う自然のハーブのことなのですが、肝臓の解毒にも良いそうで、足湯やパックなどをしてもいいのだそうです。

以前から興味はあったものの何となく面倒な気がして実行していなかったのですが、ここ最近の疲れもあって、早速ヘナを購入して足湯をやってみました。

ヘナは粉末にするとどんどん鮮度が落ちていくそうなので、鮮度が命。品質管理のできたものでないと、良い効果は出ないようです。ちなみに私はこちらで取り寄せてみました。

やってみると、足から毒が出るのか、終わるとヘナの入ったお湯の色が変わっています。見るからにデトックスされている感じ。

春は、冬の間に溜め込んだものをデトックスするのに良いタイミングなので、足湯だけでなく、頭にも使って少し続けてみようと思います。

今までサプリメントをよく使っていましたが、これも見直してみるタイミングなのかもしれません。日々変わっていく自分の心と体の声をよく聞いて、今必要なもの、もう必要なくなっているものをチェックするのは、人生の波に乗るためにも大切なことです。

今、自分の状況がこのように在るというのは故無くそうなっているわけではなく、ちゃんと意味があるのです。

暇であるならば、時間があるときだからこそできることを腰を据えてやっておくと、次にちゃんとそれを使う流れになっていたり、がむしゃらにとにかくやって来ていることをこなしていく中で、たくさんの気づきを得て成長していく時もあります。

そうした流れを、自分の思い描いたものと違うと言って嘆き、ずるずると受け身で過ごしていては、掴めるはずのチャンスも掴むことはできません。

「先に進むこと」ばかりを考えていると、先に進むために必要なのに、差し出されているものを見落としてしまうこともあるでしょう。ワークのプロセスでも、よくあるパターンですね。

先に進むことばかり考えている状態というのは、「ここではないもっと良いはずのどこか」に駆り立てられている状態と言えるかもしれません。これでは、「今ここ」で差し出されたものを受け取れないのも道理ですね。

私を含め、多くの方が「今ここ」に居ることが容易でないのは、ひとえに「今ここ」に居ることが心地よく感じられなかったり、しっくりこなかったりするからだろうと思います。

頭では、「今ここ」にこそ、この人生を生きるためのすべてがあることを知っていますが、実際に感じるのは居心地の悪さなので、無意識にも身をよじって逃げ出したくなってしまうのです。

では、どうして居心地が悪く感じてしまうのかというと、今この瞬間に居ると、未完了の抑圧された感情が浮上してきたり、見て見ぬふりをして来たことが明確に差し出され、取り組まざるを得なくなるからです。

私たちは多かれ少なかれ、そうしたものをスルーすることによって今の自分のバランスを保っているところがあるので、それを変えなければいけない流れというのは、どうしても心理的に慣性の法則が働いて、気が重かったりするのでしょう。

けれど、その気の重さを乗り越えてこれらに取り組み、クリアになっていくと、よりしっくりと今この瞬間に根付いていくことができるようになっていきます。

居心地の悪さに駆り立てられて動くのではなく、じっとこの瞬間に差し出されているものに適切に応答しながら、宇宙の調和とともに流れていくようになるのです。

前者は空回りして動きの割には大した成果はないでしょうが、後者は、一見静かな動きのように見えて、はるかに大きな力が動き、結果もくらべものにならないほどに素晴らしいものになります。

バタバタと動くことで何かしている実感を得て満足するのではなく、深く今この瞬間に居て感じられる静かだけれども底知れないパワーをこそ、求めて行きたいものです。

最近になってようやく、レナードの言う「静かなる巨人が目を覚ます」という言葉の意味を、実感とともに理解するようになってきました。

自身の意識が静まれば静まるほどに、内なる光は鮮烈さを増し、内側深いところからますますパワーが湧き上がってくるのが分かるからです。

私にとっては、あれこれ動き回るよりも、じっと静まる方が余程難しかったのですが、少しは「静まる意識」でいられる心の筋肉がついたのかな、と思います。

この静まることのパワーを感じられるようになると、今まで雲をつかむようだった探求の方向性が、しかと定まるようになります。この静寂に、さらに深く入って行けばいいのだと分かるので、最近、探求が加速しているような気がしています。

変化がやってくるスピードが格段に速くなっているのです。

いずれにせよ、それぞれの段階においてマスターすべきことがあるので、そこは丁寧にやって行こうと思います。

 

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第331弾 無料遠隔ヒーリング

毎週月曜日は恒例の無料遠隔ヒーリングのテーマの設定日です。 第329弾のご感想と2月15日と23日の感情解放ワークショップのご感想をホームページにアップしましたので、参考になさってみて下さい。

さて。2月も今日と明日を残すのみ。ついこの間、年賀状のやり取りをしたばかりだと思っていたのですけれど、早いものですね。おかげさまで2月はとても忙しかったのですが、出会う方を通して、私自身さらに深く自身を見つめ、学ばせていただいた実感があります。

サロンに見える方は多かれ少なかれ、表面的にはとてもそのようには見せなくても、深い絶望や痛みを抱えてやっていらっしゃいます。半ば人生を諦め、そこそこのところで何とか今を過ごせればいい。そう思ってもどうにも辛いので、何とかしたいと期待半分、疑い半分といった方が多いでしょうか。

セッションの中で、様々なメッセージをお伝えさせていただいたりやり取りをさせていただいて、どんなに表面的には諦めているように見せていても、その方の奥では決してそれで満足はしていない。本当の命を生きたいのだという叫びにも似た切なる願いを感じることがあります。

ご本人は自覚されていないことも多いですが、最近、この願いにしっかりと触れながらメッセージをお伝えすることができるようになってきたかな、という実感がありました。これまでの私には、その部分がまだできていなかったのですね。

「結局はご本人が選ぶことだし」ということで少し距離を置いていたり、「まだ時期じゃないのかもしれない」などと思ってそこまで突っ込んでお話をしなかったことの方がはるかに多かったのです。

私自身がまだ準備ができていなかったということなのですね。

けれど、こうした命の願いは本当に熱いエネルギーを持っていて、それに触れたら表面的な誤魔化しなどどうでも良くなってしまうのです。「そんなところで小さく収めている場合じゃないでしょう!もっと大切なことを思い出して!」と、お伝えせずにはいられなくなってしまうのですね。

そんなとき、その方の熱い願いに私がパワーをいただいているのだな、とつくづく実感します。

本当にその方の願いに触れてお伝えさせていただいたメッセージは、やはり何か響くものを感じてくださるようで、その方の深いところでみるみる何かが変容されて行くのが分かります。そうした変化を拝見すると、私もとても嬉しくなります。まさに、このために私はこの仕事をしているのだと。

どんな方の中にもこのパワーが眠っていると、今では確信をもって私は言うことができます。少し前は、頭では言えたかもしれませんが、ここまで強く確信をもってはいなかったと思います。それを感じさせてくださった皆さんとの出会いに、本当に心から感謝します。(-人-)

翻って、私は今、どれだけ自分の命の願いにピッタリと意識を合わせているだろうかと改めて思います。これまでも意識し続けてきたことではありますが、まだうまく触れられていなかったり、ずれているところも多くあることを感じています。

今後の課題は、このズレや分離の軌道修正になりますね。

自分自身に向き合うこと、感情解放のワークをしていてもそうですが、「やっているつもり」でも実際はそっぽ向いていたり、やる気満々だと思っていても、相当な及び腰になっていたりという認識のズレはよくあります。

この辺りをどれだけ見ることができて、意識して修正できるかで、結果にものすごく大きな違いが出てくるのは間違いないところでしょう。

見るほどに、そして触れるほどに、人生に命のエネルギーがたっぷりと流れ、死に体だったあらゆる分野のことが息を吹き返していきます。

求めれば得られるというのは真実だと思いますが、得られるはずのものをしっかり受け取れる体勢を自分が整えていることが必須です。今までの私は、求めても体勢ができておらず、全く見当違いの方向を見ていたりしたので、人生は与えてくれていたのに、思うように受け取れていなかったのでしょう。

というわけで、今週のテーマはこちら。

自身の命の願いにしっかりと意識を向け、ズレを軌道修正するよう最高最善に働きかける

参加される方は、「無料遠隔ヒーリングの受け方」ご覧になり、 ご理解のうえ3月1日(水)17:00までにメールまたはメールフォームにてお申し込み下さい。 同日20:00より順次働きかけを行っていきます。

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掘り下げができるようになるために必要なこと

昨日は感情解放ワークショップでした。お集まりくださったみなさま、ありがとうございました。みなさんそれぞれに、これまで触れられなかった深い痛みの感情を受け止めていかれましたが、私自身も昨日は新たな気づきと課題を得た回となりました。

私がお伝えしている感情解放ワークでは、意識のポジションがとても重要なのですが、みなさんの質問にお答えしながら、これをその方に明確に伝わるように説明するにはまだまだ力不足だな、というのをつくづく感じました。

たとえば身体から意識が抜けていると一言で言っても、昨日参加された方々はその状態の質がそれぞれ違っていて、それをどう軌道修正するのか、どうすれば適切なポジションに意識を置けるのか、というのを説明するのがとても難しかったのです。

ということは、私がその方の状態を明確に把握しきれていないところがあるということなので、この辺り、この気づきを考察して、深く探求してみたいと思います。

実際のセッションでは、これまでそれを把握していなくてもそれなりに誘導できてしまっていたので、さほど不便を感じていなかったのですが、もっと明確に何かを知る必要があるということなのでしょう。

みなさんから寄せられる質問を探求することによって、私自身も新たな気付きや発見を得ることが多くあるので、本当に皆さんに育てていただいているな、とつくづく思います。感謝です。(-人-)

それから、このワークに取り組まれる方によく言われるのが、誘導してもらうとできるけれど、一人でこれをやろうと思ったら、どうやって問いかけて掘り下げていったらいいのかさっぱり分からないということです。

テクニック的には、問いかけ方の定石というものは確かにあります。けれど、それだけでは掘り下げられないのも確かです。なぜなら、掘り下げていくということは、「痛みの核心」に近づいて行くということなので、最も触れたくないものに自ら向かっているという恐怖や抵抗があるからです。

掘り下げが難しいのは、実はテクニックよりもこの抵抗や恐怖によるところの方がずっと大きいのです。

掘り下げれば見たくない自分の醜い真実を見てしまう。「それでもその先に進むというのか?」と問われているわけです。「どうしたらいいか分からない」というよりも、「分からないことにしておきたい」という方が真実に近いだろうと思います。

掘り下げができるようになるには、この問いに「自身の真実をもって」応えなければなりません。「進む」にせよ、「進まない」と言うにせよです。

「自身の真実をもって」と敢えてことわりを入れているのは、口先だけではなく、自分の存在の中心から出てくる応えでなくてはならないからです。口先だけなら何とでも取り繕うことはできるでしょうが、この問いの応えとして有効なのは、そういう声ではないからです。

いずれせよ、その結果をしかと引き受けたとき、その次に進む道が開けます。

「進む」を選んだら、見たくない真実を受け止める恐怖に直面するでしょう。その恐怖を受け止めるというのが次のステップになります。

「進まない」を選んだら、進まないことによって現状が変わらないという閉塞感などを味わうかもしれません。これを受け止めることが、この道の次のステップになります。

また第3の選択というのもあります。これは、「選択すること、問いに応えることを放棄する」という選択で、しばしば「分からない」という言葉で表現されます。この場合は自身のパワーを行使することを放棄し、被害者になることを選んでいるということになります。

選択してもしなくても、それぞれの結果から逃れる術はないのです。

このような問いかけに応え、明確に自身の在り方を選択するたびに、少しずつ変容が起こっていきます。自分のパワーの中心につながり、頭で考えたのではない導きがやってくるようになります。

掘り下げというのは、実はこの導きによって進められるところが大きく、決してテクニックだけでどうにかなるものではありません。

これまで私はみなさんから、繰り返し「掘り下げができないんです。どうしたらできるようになりますか?」と聞かれてきましたが、多分このように問う方のほとんどは、何かテクニック的なものがあって、それを習得すればできるようになるのだと考えていらっしゃるのではないかと、今やっと気づきました。

けれど、実は掘り下げはそういうものではなく、自身の在り方を正していくことによって可能になるものなのだということを、どうぞ心に留めておいてください。

自身の真実がいかなるものであっても、受け止めると決意できなければ、どんなにテクニックを学んでもできるものではないし、逆にその決意があるならば、必ず道は示され、あなたにはそれが分かるでしょう。

それでもまだ分からないというのなら、自分が真実を恐れているということに気づけていないということを示しています。恐れを封印している自分を意識に引き上げ、まずその恐れを受け止めていく必要があります。

ですので、ご自宅で一人でワークをしていて行き詰った時は、常に「私は自身の真実を受け止めてもいいだろうか?」と問い、恐れを受け止めつつ自身の在り方を整えてみてください。

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言行一致の実践

他人のことは簡単に言えるけれど、その同じことを自分で実行するのは難しい、とつくづく思うことがありました。他の人の中に見る自身の姿をじっと見つめながら、私は一体何から逃げているだろうか、と今問うています。

先日、友人とランチをしたときに、共通の知人の話になりました。互いに見解は一致していて、「もっとこうすればいいのにね、でも本人が気づいて向き合わないと」というようなことを言っていました。

話は進んで、全く別の話の流れの中で、その友人にあるお誘いを持ちかけたのですが、あっさり拒否されました。そのお誘いというのは、まさに自分自身に深く向き合う必要のあるイベントだったので、「あらら、さっきまで人に向き合わなくちゃ!って言ってたのに!」と、私はちょっとからかい気味に言いました。

友人は、「うん、わかってるんだけどね、今はまだダメ!」とニヤニヤしながらとぼけています。

そう、人のことは何とでも言えるんです。けれど、自分はそう言うほどそれが実行できているでしょうか。これは、その友人に向けた言葉ではなく、私自身に向けた言葉です。

私の中には未だ、手を付けられていない課題があります。神への不信・恨みも随分軽くなったようだし、次はこれかな、と思っているところではあるのですが、未だフタの下から漏れてくるものの気配すら感じ取れずにいます。かなり厳重に密封された封印のようです。(^^;

今はじっとその方向に向かって意識をできるだけ深く向けつつ、「決して見捨てはしない。必ず迎えに行く」と呼び掛けているだけなのですが、そうするだけでも、少しずつ封印の向こう側の圧力が抜けてきているような感触はあります。

呼びかける自分の言葉にどれだけの真実味があるか、迷いや方向性のずれがないか、じっと対象を見つめることで、自分自身の今の在り方が鏡の様に映し出されます。

見つめなければ、そうしたものは見えません。見なければいけないし、自分自身に対して見る責任がある、と思っています。

仕事の中で、あるいはプライベートな人間関係の中で、「この人は逃げている。まだ自分に向き合うのは嫌なのだな」と思うことがしばしばあります。

そういう人を見るたびに、その人の選択を尊重する一方で、私はそうはありたくないし、私が深くかかわっていく人がもしそんなことだったら、決して私が望む関係性を構築することはできないだろうから、そういう人は絶対に嫌だ、論外であると一線を引いている自分がいます。

けれど、逃げているように見えるその人は私自身の「写し鏡」なのであり、その姿に一線を引いているのは、私の中で迎えを待っている気持ちのカケラたちの思いです。

だから「鏡」を見つめながら、私は何から、どのようにして逃げているだろうかと問うています。

彼らを見ていると、「何から」とその方向を見ることすら拒絶しているようです。ちょっとでもその方向に向けようとしようものなら、慌てて遠ざかっていくような感じでしょうか。でも、分かってはいるんですよね。向き合う必要性があるのは。

にもかかわらずなぜそんな態度なのか、と見ていくと、ただ強烈に反射が起こっているだけのようにも見えます。なので、注意深く意識的にその反射を制御しながら、命の呼吸をしつつ自身の向いている方向を修正してみました。

すると、確かに居心地は悪いけれど、居られないわけでもないし、見られないわけでもありませんでした。胸の奥が少しじりじりと傷むかな、と感じられたので、じっと受け止めていきました。

しばらくするとその感覚は、ハートチャクラの後ろ側から首の後ろ側にかけての部分からすっと抜けていきました。思いの外あっさりと抜けていったので拍子抜けするほどです。

そこまで来たら、もう一度「鏡」である友人たちを見てみます。すると、ビジョンの中の彼らは先ほどとは違って反射的に激しく拒絶することはありませんでしたが、まだもぞもぞとして逃げたい様子でした。

良く見てみると、「逃げたい対象」にしっかりと視点が定まっていませんでした。まぁ、逃げたいわけですから普通は視点を定めたりはしないんですけれどね、ワークでは「普通」の反対方向に進めて解放に導くのが定石です。

そこで、私自身の在り方を軌道修正します。すなわち、対象にしっかりと視点を定めて見て、触れるわけです。

それを実行していくと、深いところから嗚咽のエネルギーが噴き上がってきました。「戦争」というキーワードが上がって来て、遠くで黒煙と火の手が上がっているビジョンが見えました。きな臭いにおいが漂ってくるのを感じるのと同時に、もうあそこには帰れない、と思っている少年の自分がいました。

嗚咽と混乱、声にならない叫びを受け止めていくと、やっとその下から悲しみが出てきました。なぜこんなにも悲しいのか、その悲しみを感じていく内に、ストーリーが出てきました。

あの火の下には、母や幼い妹、叔母や祖母などの親族の女性たちがいたからでした。嘘であってほしくて、当時は現実を認められなかったのです。

胸が引き裂かれ、身体が壊れるかと思うくらい、痛い悲しみのエネルギーでした。でも、私は「ここにいるよ」とその悲しみに呼びかけながら、離れずにいました。

すると、やがてその痛みも悲しみも去って、穏やかさが戻ってきました。

何だか思いもしないものが出てきましたが、自身の在り方を軌道修正して丁寧にやって行けば、何ら問題なく受け止められるな、と実感したのと同時に、もっと注意深く意識を使っていく必要がある、と自身の課題を確認した出来事でした。

引き続き、実践していくことにします。

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自分が逃げてきたものに向き直る勇気

昨日は急きょ臨時開催した感情解放ワークショップでした。告知が急だったにもかかわらず、お集まりくださったみなさま、ありがとうございます。みなさんそれぞれに、気づきや解放、癒しがあったことと思います。

感情解放ワークをするに当たって、繰り返し強調させていただいているのは、感情のエネルギーを受け止めるときだけではなく、掘り下げの時も、体感覚を感じながら、そこから離れないようにして行うことです。

なぜそうするかというと、そうしないと頭で考えてしまい、感じることからやって来る心や体のメッセージから分離して、マインドの思考で内なる声をねつ造してしまうからです。

起こった出来事からメッセージを読み解くとき、相手をじっと「感じる」ことで、「鏡」の中に映った自分の心の奥底に隠された気持ちを見つけていくのですが、感じないでこれをやろうとすると、「分からない」とか、心情ではない状況説明の言葉が延々と続くようになり、「核心」に至ることができません。

私がワークショップやセッションなどでみなさんの掘り下げをさせていただくとき、観察していると、頭でより下げている方の特徴として、意識が身体になく、頭のマインドの中に入っているときの、独特の感覚があるのですぐに分かります。

この感覚、たとえばみなさんも、誰かと話をしているときに「あ、この人、いま人の話を聞いてないで、別のこと考えてるな」と分かるという経験をされたことがあるかもしれませんが、この時の感覚に近いかもしれません。

また、「え~っと」という言葉もよく出てきますね。エゴがストーリーを一生懸命ねつ造しているのです。

逆に、ちゃんと感じながら掘り下げできている方の場合は、意識がしっかり身体とともに在るのが分かります。そして、頭よりも低いところ、たとえば胸の辺りに相手のイメージを「置いて」それを感じているような感触があるような気がします。

全ての人がそうなのではなく、ひょっとしたらこの例に当てはまらない方もあるかもしれませんが、私の経験上では大体この辺りを見ていくと、間違いないようです。

みなさんも、ご自身のワークで掘り下げをする時、「え~っと」と言っていないか、身体の感覚を感じているか、確認してみてください。

身体の感覚を感じていると、不思議と何をどう掘り下げたら良いのか、その感覚が導いてくれることがよくあります。掘り下げをする時に多くの方が戸惑うのは、次にどんな風に問いかけたら核心に近づくのか、さっぱり分からないということではないかと思います。

私自身、昔々に習ったとあるヒーリングでも掘り下げというのがあって、とても苦手だった覚えがあるのですが、今では直感的に核心の在り処やそこに至るためにどのような問いかけをしたらいいのかが分かるようになりました。

じっと感じていると、その方が発する言葉に違和感を感じることがあります。するとその奥に何かがあるということなので、そこに注目していきます。

よくやるのは裏読みで、たとえば「幸せになりたいんです」とその方が言ったとしたら、「では今は幸せだとは感じられていないのですね?一体何が辛いのでしょうか?」となりますし、

「ここから出たいんです」と言ったら、「では、出たいけれどまだ出られていないということですね?なぜ出られないでいるのでしょうか?誰かが邪魔していますか?自分で出ないようにしているのでしょうか?もし出てしまったとしたら、あなたはどうなりますか?」と聞いていきます。

私が感じる違和感というのは、「よく分からない感じ」と言い換えてもいいかもしれません。分からないから、明らかにしていくような質問を繰り返すわけです。

なぜ幸せになりたいのか?なぜここから出たいのか?

今どんな状況に在って、いかにしてそのような状況に至ったのか?そこにはどんな人たちが関わっていて、彼らはどんな気持ちからそのように行動したのか?そして「私」は今、その状況の中でどんな気持ちでいるのか?

これらを明確にしていけば、大抵の埋もれた感情のチャージの在り処はほぼ出尽くします。後は出てきたものをその都度、受け止めていけばいいだけです。

私たちは日々様々な欲求を持っていますが、その多くは「現状の否定」の意味合いを含みます。今ここが嫌だから、何か違う状況の、違う場所へ行きたい、そうなりたいと思うのです。

そんなとき、「では、ずっとこの状況に居たとしたら、どんな気持ちになるか?」と問うて行くと、大抵そこには受け止め難い感情があります。

普段はそこから遠ざかることに一生懸命になっているので、いつの間にか自分が何から逃げているのか、それさえも分からなくなっています。見たくないし感じたくもないから、後ろを振り返ってみることをしないからです。

楽になるには、自分が何から逃げているのかを明確にすることが大きなカギになります。

ちょっと勇気のいることではありますが、逃げ続ける労力を考えたら、向き合って統合する方がよほど割に合う以上のおつりがくる選択だと思います。

ぜひ、自分が逃げてきたものに向き直る勇気を求めてみてください。

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映画「沈黙」に見た裏切りと罪悪感のテーマ

以前から気になっていた映画「沈黙」に、やっと行ってきました。ここのところ忙しくて時間が無かったのと、何となく色々なものがトリガーされそうで勇気が要ったのとで、ずるずると遅くなってこのタイミングとなりました。

けれど勇気を出して観てみれば、思いの外気持がかき乱されることもなく、割と冷静に見られた自分が不思議でもありました。感情のチャージの解放が大分進んだとみるべきか、抑圧が強くてガッチリと感じないようにしているものがあるとみるべきか、自分でも図りかねるところではあります。

ここまでこの映画に対して私が構えているのは、以前、「神への不信」というテーマが浮上していた時に、まさに磔になって神を恨みながら死んでいった過去世のビジョンを見たからでした。

それを見たときに、天から白い光が降りて来て、その恨みが本当に不思議なくらいにす~っと晴れて楽になったので、きっとそのときに癒えていたのでしょう。

映画の中で信者たちが拷問されて死んでいくシーンを見ても、胸の奥に微かな痛みは感じたものの、想像していたほど反応はせずに見られていました。

今回私の意識が向いたのは、そうした残虐なシーンよりも、裏切りと罪悪感のテーマでした。

窪塚洋介演じるキチジローは、何度も「転ぶ」、つまり踏み絵を踏んで切支丹であることを否定し、神父を売ったり、仲間を裏切ったりする役どころです。(内容にちょっと触れるので、知りたくない!という方はこの先は読まないでください)

転ぶたびに彼は告解をするわけですが、深い罪悪感が完全に拭われることは無いのでしょう。自尊心を持てずに心も容姿も、どんどん卑屈さ、醜さを増していきます。

この人間の弱さの象徴とも言うべきキチジローと、何度も彼の告解を聞くロドリゴ神父との関係性が、とても興味深く見えました。

最初は人間の弱さを突き付けてくるキチジローに苦悩したロドリゴ神父ですが、神父自身が信者たちの壮絶な拷問に耐えきれずに転んだとき、キチジローの存在は彼にとって別のものに変容するのです。

私たちの多くは、キチジローに象徴される人間の弱さ、醜さをひどく軽蔑し、時に激しくそれを迫害します。

多分、キチジローは誰よりも自身のそうした部分を嫌い、どうにかして善良で、勇気ある人間になろうと努力したことでしょう。

けれど、「拒絶したものは受容されるまで何度でも差し戻される」という法則がありますから、彼が自身の弱さを拒絶すればするほど、強烈に「弱い自分」が突き付けられてきます。

だから彼は何度も大切な人たちを裏切り、深い罪悪感に苛まれたのです。それは、「そうならないようにしよう」と努力しても無駄なことです。法則はそれ以上の圧倒的な力によって、拒絶したものを差し戻してきます。

キチジローはこうした法則など知りもしなかったでしょう。一生懸命努力しようとしているのに、結局自分はそれができないと、自分自身に絶望したかもしれません。どうして自分はこんなにも惨めで卑しいのかと、深く悲しんだだろうと思います。

感情解放ワークのセオリーで行けば、まず彼は自身のしたことによって生じた心の痛みの責任を取る必要がありました。つまり、自分を責め、事実から逃げるのではなく、自身の内で起こっている動揺やショック、悲しみなどの感情を、自分の身体とともに受け止めることです。

加害者としての痛みを受け止めた後、初めて自分が迷惑をかけた人たちを直視することができるようになります。そして、彼らの痛みを受け止められるのです。

それができたら、やっと本当の謝罪ができるでしょう。このようにして、罪悪感という病魔に自身の心を蝕ませず、安らぎと自尊心を取り戻すことができます。

ロドリゴ神父も、最初はキチジローの弱さに苛立ちや嫌悪感を抱いていたかもしれません。これは、自分の中に彼のような弱さがあることに気づかず、それを彼に投影して反応していたと見ることができます。

けれど、神父が転んだ後、自分の中にもキチジローと同じものが間違いなくあったことを否定できなかったでしょう。そのとき、相手を軽蔑する上から目線ではなく、対等の目線で彼を見ただろうと思うのです。

ここに、同じ傷を持つ者同士が傷をなめ合うという以上の関係性の変容があったのではないかと、私には見えました。

なぜ人はこんなにも弱くなり得るのでしょうか。自分が助かりたいが故に仲間を裏切ったり騙したり、陥れたり濡れ衣を着せたり、そして罪を逃れたくて逃避する。こうした醜さはつまるところ、自身の内に生じる恐れの感情を受け止められないが故に起こっているような気がします。

あまりにも恐すぎて、まず意識が自分から抜けてしまいます。すると今この瞬間の状況を乗り切るためのパワーともつながれなくなってしまい、自分自身にも責任が取れなくなってしまうのです。

死ぬのが恐い、何かを失うのが恐い、辛い目に遭うのが恐い、絶望を味わうのが恐いなどなど。

最も避けたいものを避けるために、最も醜い行為をし、それによって皮肉にも、最も避けたかったものに苛まれるのです。

この映画を見て、そんなことを思いました。

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不可解な出来事からサインを読み解く

突然ですが、明日23日(木)に、臨時で感情解放ワークショップを追加開催することにしました。時間は通常と同じで、基礎クラス10時開始、アドバンス13時半開始になります。これまでご都合の合わなかった方で、興味のある方は、ぜひご検討ください。お申込はフォームよりどうぞ。

さて。今週の無料遠隔ヒーリングで、「鏡」となる相手の動機、心情を読んでいくというテーマを設定した途端に、何だか強烈な出来事がやってきました。ヒーリングは、テーマを設定したところから既に始まっているんですよね。

みなさんの場合は、テーマを見て参加するのかしないのかを決める段階からがスタートです。

今回私に起こったのは、近年、私の現実に久しくこんな人は登場しなかったなぁと言うくらいの強烈さだったので、しばらく「いったいこれは何なのだろう?」と呆然としていたほどです。けれど、今週のテーマを読み返したときにハッとして、この理解不能な相手の動機を読むことが差し出されているのだと気づきました。

それにしても、やっぱり「いくらなんでも、私はあんな人のようなことはしないのになぁ」と思ってしまいます。(^^;

そんな思いを脇に置いて、出来事を振り返ってみました。今回も、あくまでこれは私自身の感情に責任を取るためのワークとして行ったものであり、相手の方の真実とはまったく関係が無いことと、その方を責める意図はないことを宣言しておきます。

その出来事は、普段あまり連絡を取ることのない知人から突然やってきたメッセージから始まりました。たった一言だけのそのメッセージの意味を図りかねて、その意味を聞き返したら、今度は、分からないのか?と言わんばかりの返事が返ってきました。

私はさらに訳が分からなくなり、その時の気持ちは、まるで分からない自分に何か落ち度があるかのような、困惑や不安が湧き上がってきました。

一体どんな返事をしたらいいのかも分からず、困惑した表情の顔文字だけ送ったら、今度は罵声が返ってきました。

私は唖然として、それ以上コミュニケーションを取るのは無理だと判断してやり取りを打ち切ったのですが、リアルで何度か会ったときのその人は、確かに変わったところはあったものの、面と向かってそれほどかかわりもない相手にこんな罵声を浴びせるような人だったとは想像もしなかったので、とにかくびっくりしました。

その時の気持ちは、あなたにそこまで言われる覚えはない!という怒りで、変に上から目線の態度にイライラしていました。

確かに、常識に照らし合わせてみたらあり得ないことでしたし、相手の意図も全く理解不能だったので、しばらく感情に駆り立てられた思考が駆け巡っていました。けれど、差し出されているテーマに気づいたので、「鏡」としての相手の動機を探っていくことにしました。

なぜ私にそのメッセージを送ってきたのか。その人の中では、それが確かにとても重要なことで、私も同じようにそれをキャッチしているはずだと思っていたのでしょう。だから、あまりに温度差のある私の返答にとても苛立っていたようでした。

それは、苛立ちを通り越して怒りに近く、裏切られたような気持ちもあったかもしれません。瞬間的に、その痛みの気持ちは相手(私)を蔑んで気持ちを収めようとする防御パターンへと移行していきます。

そして、あまりに伝わらない上、その人から見たらとんちんかんな返答をしてくる私に、馬鹿にされたような気持ちになったようです。それがその人の中の傷ついた気持ちのチャージを刺激したのか、さらなる蔑みの言葉で罵倒するという反応パターンとなって表れたように見えました。

こうして見てみると、一連の流れの中で見える核心の感情は、多少なりとも信じていた存在から裏切られた(分かってもらえなかった)心の痛みと、せっかくの自分の行為を馬鹿にされた惨めさや悲しみ、虚しさといったものでしょうか。

改めて、ハートに向かってこう問うてみました。「私の中に、信じていた人に裏切られ、馬鹿にされた経験があっただろうか?」と。

すると、胸の辺りにえぐれ、捻じれたような黒いエネルギーがあるのが感じられました。確かにそうした経験があったようです。けれど、頭で見ると全く実感がなく、まるで他人事のように思えます。分離している証拠ですね。

そこに意識を向けようとすると、気が重くてそれてしまいがちになります。けれど、絶対にこの気持ちのカケラを見捨てない。必ず迎えに行く、とコミットメントし、向き直ることを繰り返して命の呼吸を続けていくと、かなりその部分のエネルギーが軽く、明るくなっていきました。

感じて行くと、奥の方から、自分の存在というのはその程度のものだったのかという深い落胆と惨めさが湧き上がってきました。胸の奥がとても痛くなりましたが、それが胸からみぞおち、丹田、第一チャクラへ抜け、さらに胸から喉、頭の方へ抜けていきました。

まだ残っているものはありますが、徐々にやっていくことにします。今回の訳の分からない出来事も、やっぱり重要な気付きのサインであることを改めて実感した出来事でした。

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●満月の瞑想会
2017年 7月9日(日)17:00~20:00
●感情解放ワークショップ
2017年
 7月1日(土)、12日(水)、22日(土)
基礎 10:00~12:00 アドバンス 13:30~17:00
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生きながらに死んでいる心の構図と変容への道筋

今週末25日(土)の感情解放ワークショップですが、内容の質を維持するため、定員を少し絞ることにしたので、残席1となりました。ご検討中の方はお早めにお申込みくださいますよう、お願いいたします。

人生に、辛いこと苦しいこと痛いことなんてなければいいのに!と誰しもが思うものだろうと思います。みなそれらを感じたくなくて、どうにか感じないで済むように、あらゆることをしてそれを避けているのですが、実はそのような生き方をしていると、人生はとてつもなくつまらなくて味気ないものになります。

何より、自分自身の持って生まれたパワーを制限し、生き生きと発揮できないので、いつしか自分にそんな素晴らしいパワーがあるのだということさえ忘れさって、しぼんでいきます。実際、かつての私自身を含め、そんな状態になっている方をとてもよく見かけます。

人は、どんな風に自身のパワーと切り離され、人生に絶望し、生きながらに死んでいるような状態になるのか、例を挙げてみていきましょう。

たとえば、ある人がある人生で、とても信頼していた人からひどい裏切りを受け、心に深い傷を負ったとします。この人はその心の痛みが耐え難く、とても受け止めることができませんでした。

その傷をいやすことのできないまま、何年も、何十年も、心は痛み続けています。常に痛いので、その人はその痛みを感じないように、「感じる感覚」を閉ざして、自分を守ることにしました。

こうして痛みは完全に消えることは無いものの、かなり鈍くなり、なんとか日常を送れるようになりました。けれど同時に、この人はとても大切なものを失ってしまいました。

それは、喜びや楽しさを感じる感覚と、自身の深奥からやって来る、人生を導いていくはずの声を聞く力です。

「感じる感覚」は、実は導きを聞く感覚と同じものなので、これを閉ざせば、自分がいつ何をどうすればいいのかということが全く分からなくなってしまいます。

そうなるととても困るので、これを補うためにその人はあらゆる情報を集めて「考えて判断する」ようになりました。けれど、思考はしばしば間違いを犯します。宇宙の深い調和のリズムともつながっていないので、まるでオーケストラの中で一人調子はずれの音を出すような行動をしてしまうこともしょっちゅうです。

だから、頑張っている割にはうまく成果があがらないという状態になるのです。

また、思考はマインドの領域で起こっていますから、思考するほどに意識は「今この瞬間」には居なくなります。今この瞬間には、マインドの領域は無いからです。

私たちの多くは、自分が「今この瞬間」に居ないことに気づいていません。そして、そのことが存在としてどれだけ重大なことなのかも、全くと言っていいほど分からずにいるのです。

感情解放ワークでもよくお伝えしているのですが、私たちは生々しい心の痛みを感じることを避けようとして、しばしば「感じる」替わりに「考える」ということをします。

深い悲しみをダイレクトに感じるのは辛いので、「悲しいという概念」に置き換えて、それを体験しているのです。けれど、感情と思考は別のものですから、いくら悲しみの概念について考えたりしても、悲しみを受け止めたことにも表現したことにもなりません。だからいつまでも悲しみが続くのです。

深奥からやってくる導きの替わりに思考を使うように、ここでも感情を感じる替わりに思考を使って、私たちはオリジナルを生きなくなってしまっています。

この部分に気づいて、どうにかして体験を在るがままに受け止め、生きることができるようになることが、宇宙の調和とともに生きたり、深い喜びを感じたりするようになるためには、とても大切なことなのです。

それには、喜びを生きるのと同じように、悲しみや怒り、苦しみや嫉妬、憎しみなども「責任を持った方法で」受け止め、生きられるようになることを避けて通ることはできないでしょう。

先の例に挙げた人のケースで言えば、信頼していた人に裏切られたショックや悲しみ、怒りや憎しみ、無力感、絶望感など、あらゆる痛みを受け止めていくことがテーマになってきます。

もうこんな人生なんか嫌だ!と、「今ここではない別のどこか遠いところ」を求めて彷徨い続けていても、本当に求めているものに出会うことは絶対にないでしょう。なぜなら、それは一番最初に「ここには無い」と去って行った、まさに「今ここ」にあるからです。

今ここに居るのが嫌なのは、そこが辛く苦しいところだからでしょう。けれど、それを引き受けたときに初めて、その人の中で大きな変容が起こります。そのことが、現実の感じ方を変え、在り方を変えます。

その変容した在り方で現実を生きたとき、求めてやまなかったものが今ここに在ることが分かるのです。

今この瞬間に在るものが何であれ、差し出されたものに丁寧に応答していくと、今この瞬間を生きるために必要なものが現れてきます。

なぜ自分の人生にこんなことが起こったのかという気付きもやってくるでしょうし、深い癒しも、導きも、みんなやってきます。

だから、自身に起こったあらゆることを受け止めて生きる方法をしっかりと身に着けていきましょう。

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第330弾 無料遠隔ヒーリング

毎週月曜日は恒例の無料遠隔ヒーリングのテーマの設定日です。 第328弾のご感想と2月11日満月の瞑想会のご感想をホームページにアップしましたので、参考になさってみて下さい。また、4月のスケジュールもアップしました!

さて。先週は自分自身との約束を守ることがテーマでしたが、意識して実践してみたら、ものごとの流れがとてもスムーズになって、なかなかいい感じです。何より、約束を守れる自分への信頼感が増したような気がします。

今まで、やればできるはずだったのに、やらなかったのですね。そこには約束を守った時に何か恐れとなる要因があったからで、この恐れを対処するようにしたら、ちゃんと約束を守れるようになっていました。

何ごとにおいてもそうですが、何かをやろうとしてグズグズとできないでいる場合、そこには必ずブレーキをかけている要因があります。ただ自分が「だらしない性格だから」とか「意志が弱いから」などと考えて、「ダメな自分」のお尻を叩くようなことをしても、動けるようにはなりません。

頭で納得させて気持ちにフタをする習慣がついていると、このようなことは考えもつかないことかもしれません。けれど、できないでいるのなら、できるように何かを整えてあげれば進めるようになるのですから、意識してみてください。

「なぜ?」という問いを正しく使うと、状況打開の突破口を見つけることができます。

「正しく使う」とわざわざ念押ししているのは、この言葉はしばしば、感じたくない気持ちを頭で納得させるための理由を探す時に出てくる言葉でもあるからです。

そういうフタとして使うのではなく、ものごとを深く掘り下げていくためのフォーカスポイントとして使うと、強力な武器になります。

たとえばこんな風に。

あるひどい状況があったとして、あなたはただ腹を立てたり怒りに任せて相手をなじったり、時には激しい実力行使に出たりしたとします。これではただ、状況によってトリガーされた怒りに反応しているだけです。

けれど、そのひどい状況に対して「なぜこんな風になったのだろう?」と問う視点を持った時に、そこには想像もしなかったような光景と、別の行動の選択肢が見えてくるのです。

そんな状況も、故無くそうなっているわけではありません。無数の「やむにやまれぬ事情」が積み重なって、必然的にそうなっているのであって、表面だけ見て「こんなものは最低だ!」とか「ダメだ!」などと言っていても、それだけで変われるようなものではないのです。

なぜあの人はあんな行動をとったのでしょうか?それは、なぜあんな姿をしているのでしょうか?どうしてこれはここにあるのでしょうか?なぜこの時だったのでしょうか?

このように問うて行ったとき、表面に見えているものの奥にある、「必然の流れ」が見えてきます。すると、自分がどこにどう働きかければ良いのかが自ずと分かってくるでしょう。

注意すべきは、問いの答えを頭で考えるのではなく、その人の「感情を感じ取りながら読み進める」ことです。これは非常に需要なポイントですが、私たちの多くは感情を感じることが苦手であるため、問いに答えようとすると、すぐに頭で考えてしまうのです。

その人はどんな気持ちでそれをしたのか。妬み、怒り、憎しみ、淋しさなどなど。自分の中でこれらを感じることを拒絶していると、なかなか相手の中にこうしたものを見つけるのは難しい側面はありますが、逆に相手の中に見ることで、自身の内に持っているものへの気づきに導かれるケースも確かにあります。

「あの人はズルいからあんなことをするんだ」で終わるのではなく、なぜその人はそんなにもズルいのかを問いましょう。ズルくいないとその人の中ではどんな気持ちが湧き上がるのでしょうか?

やらなければ自分がやられる、損をするだけだと思っているのかもしれません。もしそのように見えるのなら、その人の中には自分がやられたり損をしたときの失望感やショック、敗北感や悲しみ、惨めさ、口惜しさなどがあるでしょうか。

その人は、こうしたことを感じたくない!と拒絶しているが故に、そういう態度を取っているのだと分かります。そして、このように掘り下げたあなた自身の奥深くにも、全く同じ構図があることでしょう。

気づいたら、ここで終わりにしないでしっかりとそれらの感情を身体の中で受け止めて行ってください。

ワークをやっているつもりでいつまでも同じことを繰り返している方は、大抵頭でワークを進めて核心を掘り当てておらず、分かったつもりになって納得して収めて終わりにしている人です。実践とは、あらゆる感情や感覚を生きて初めて言えることです。

この辺りは、自分に向き合うというのなら、シビアに見極めなければなりません。

というわけで、今週は「必然性を読み取る」ことをテーマにしてみます。

必然性に意識を向けて、その状況に至った動機となる気持ちを読み取るよう最高最善に働きかける

参加される方は、「無料遠隔ヒーリングの受け方」ご覧になり、 ご理解のうえ2月22日(水)17:00までにメールまたはメールフォームにてお申し込み下さい。 同日20:00より順次働きかけを行っていきます。

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癒しの本質

一部、携帯でこのブログをご覧になっていらっしゃる読者の方から、「続きを読む」をクリックするとプロフィールにつながってブログが読めないというご連絡をいただきました。私のスマホやPCからは通常通り見られるのですが、他にももしそういう方がありましたら、お手数ですがお知らせいただけますと幸いです。取り敢えずしばらくはmoreタグは使わずにおくことにします。

さて。ヒーラー稼業を始めて7年余り、ヒーリングを通じて自分自身を探求し、またセッションなどで色々な方を見てきましたが、どんどん癒えていく人と、どんなに働きかけをしても癒えていくのが難しい人という違いは、確かにあります。

ヒーラーをやってながらこう言うのも何ですが、私自身は癒えていくのが難しい人の部類に入ると思います。何をやっても、本当にすっきりと癒えた!という実感がなかったので、結局自分自身を探求するしかなかったわけです。

同じ人が同じ手法、エネルギーを同じように使っていても結果が大きく違うのは、受ける人の背景が全く違うからです。その人その人個別の事情に適切に応答していかなければ、癒えていく道筋は拓けては行きません。

私自身、たくさんのクライアントさんたちに学ばせていただきながら、まだまだ未熟ながらもここまで来たのですが、ヒーリングにおいて、ヒーラーの側の力量の問題も厳然と存在しますし、また、ヒーリングを受ける方の側にも、確かに癒えていくことを妨げる要素はあるだろうと思います。

私がまだヒーリングを始めたばかりの頃に学んだヒプノの先生は、よくこうおっしゃっていました。「人を癒したいと思うのなら、まず自分が癒えていなければならない」と。当時はその言葉の表面しかわかりませんでしたが、今では深くこの意味を実感します。

と言うのは、もしヒーラー自身の中に癒えていない要素があり、それと同じ要素をクライアントさんの中に見てしまったとき、そのヒーラーはそれに対処することができません。

それ以前に、その要素を見つけることすらできない可能性もあります。癒えていないということは、自分でそれについて触れることが苦しいわけで、苦しいものには触れたくないというのが私たちの常です。

触れないようにするには「臭いものには蓋」「無かったことにする」「ジャッジメントし、拒絶する」のが常套手段で、これによって見ないよう、触れないようにして素通りしていくのです。

自分の中でこれをやっているわけですから、当然、他者についても、このパターンで行動するでしょう。ということは、「そもそも痛くて見たくないものは見えないし、触れたくないものには触れられない」ということになります。

あるいは、運よく見えたとしても、対処できない恐ろしさで固まってしまうか、もう少しテクニックのある人なら、表面だけ上手いこと処置をしてどうにか収めるところまではできるかもしれません。

ヒーラーも様々ですから、どんな方にどんなタイミングで出会うかで体験する癒しもかなり違ってくるでしょう。

これまで様々なヒーリングを受けてきた方の中には、癒されに行ったはずなのに、ひどく「傷つけられて」帰ってきたという経験をされた方もあるかもしれません。

確かに、ヒーリングは人のとてもデリケートな部分を扱うものなので、とても素晴らしい体験もある一方で、その反対に深い傷を受けることもあると思います。

けれど、もしそうした体験をされた時は、どうぞその体験に「失敗」という烙印を押して切り捨てるのではなく、「なぜそのような体験をするに至ったのか?」という部分について、深く振り返ってみてください。

現実は、自分自身が創造しています。その体験も、まぎれもなく自身が引き寄せ、創造したものです。その人には偶然出会ったのではなく、必然で出会っています。ここにも「鏡の法則」が働いています。

そしてもし、とても素晴らしいと思えるメンターに出会えたとしたら、あなた自身が積み重ねてきた歩みを祝福してあげてください。たとえそれがボロボロの歩みに思えたとしても、ここまで来た自分を無条件で労い、褒めてあげてください。

癒しが起こるには、ジャッジメントのないフィールドが必要です。自分の中のどんなに深い闇を開いて見せても、判断、拒絶されることがないのだと安心できないと、そうした部分を容易に広げて見せようとは思わないでしょう。癒しには、隠してきたものを広げて光の下に明らかにすることが必要なのです。

他者をジャッジメントしてしまうのは、ジャッジする人の中に同じ要素があり、それによる痛みを抱えているからです。ヒーラー自身が癒されていなければならない理由の一つです。

そして癒しにおいて最も重要なのが、「自分の命を生きるという決意」と「自身の現実に起こっていることの責任を取るという決意」です。

いずれが欠けても、真の癒しは起こらないだろうと私は思います。

あなたは無力な人生の「被害者」ではありません。自身の真のパワーを取り戻してください。自分を「被害者」だと認識されている方はほぼ、何らかの理由でこのパワーを使うことを拒絶されています。

自分で「被害者」でいることを「選んでいる」のですね。

癒されたいのであれば、ここを方向転換することが必須です。

ヒーリングを受ける方、される方の双方に、何かしら気づきのヒントとしていただければ幸いです。

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