言行一致の実践

他人のことは簡単に言えるけれど、その同じことを自分で実行するのは難しい、とつくづく思うことがありました。他の人の中に見る自身の姿をじっと見つめながら、私は一体何から逃げているだろうか、と今問うています。

先日、友人とランチをしたときに、共通の知人の話になりました。互いに見解は一致していて、「もっとこうすればいいのにね、でも本人が気づいて向き合わないと」というようなことを言っていました。

話は進んで、全く別の話の流れの中で、その友人にあるお誘いを持ちかけたのですが、あっさり拒否されました。そのお誘いというのは、まさに自分自身に深く向き合う必要のあるイベントだったので、「あらら、さっきまで人に向き合わなくちゃ!って言ってたのに!」と、私はちょっとからかい気味に言いました。

友人は、「うん、わかってるんだけどね、今はまだダメ!」とニヤニヤしながらとぼけています。

そう、人のことは何とでも言えるんです。けれど、自分はそう言うほどそれが実行できているでしょうか。これは、その友人に向けた言葉ではなく、私自身に向けた言葉です。

私の中には未だ、手を付けられていない課題があります。神への不信・恨みも随分軽くなったようだし、次はこれかな、と思っているところではあるのですが、未だフタの下から漏れてくるものの気配すら感じ取れずにいます。かなり厳重に密封された封印のようです。(^^;

今はじっとその方向に向かって意識をできるだけ深く向けつつ、「決して見捨てはしない。必ず迎えに行く」と呼び掛けているだけなのですが、そうするだけでも、少しずつ封印の向こう側の圧力が抜けてきているような感触はあります。

呼びかける自分の言葉にどれだけの真実味があるか、迷いや方向性のずれがないか、じっと対象を見つめることで、自分自身の今の在り方が鏡の様に映し出されます。

見つめなければ、そうしたものは見えません。見なければいけないし、自分自身に対して見る責任がある、と思っています。

仕事の中で、あるいはプライベートな人間関係の中で、「この人は逃げている。まだ自分に向き合うのは嫌なのだな」と思うことがしばしばあります。

そういう人を見るたびに、その人の選択を尊重する一方で、私はそうはありたくないし、私が深くかかわっていく人がもしそんなことだったら、決して私が望む関係性を構築することはできないだろうから、そういう人は絶対に嫌だ、論外であると一線を引いている自分がいます。

けれど、逃げているように見えるその人は私自身の「写し鏡」なのであり、その姿に一線を引いているのは、私の中で迎えを待っている気持ちのカケラたちの思いです。

だから「鏡」を見つめながら、私は何から、どのようにして逃げているだろうかと問うています。

彼らを見ていると、「何から」とその方向を見ることすら拒絶しているようです。ちょっとでもその方向に向けようとしようものなら、慌てて遠ざかっていくような感じでしょうか。でも、分かってはいるんですよね。向き合う必要性があるのは。

にもかかわらずなぜそんな態度なのか、と見ていくと、ただ強烈に反射が起こっているだけのようにも見えます。なので、注意深く意識的にその反射を制御しながら、命の呼吸をしつつ自身の向いている方向を修正してみました。

すると、確かに居心地は悪いけれど、居られないわけでもないし、見られないわけでもありませんでした。胸の奥が少しじりじりと傷むかな、と感じられたので、じっと受け止めていきました。

しばらくするとその感覚は、ハートチャクラの後ろ側から首の後ろ側にかけての部分からすっと抜けていきました。思いの外あっさりと抜けていったので拍子抜けするほどです。

そこまで来たら、もう一度「鏡」である友人たちを見てみます。すると、ビジョンの中の彼らは先ほどとは違って反射的に激しく拒絶することはありませんでしたが、まだもぞもぞとして逃げたい様子でした。

良く見てみると、「逃げたい対象」にしっかりと視点が定まっていませんでした。まぁ、逃げたいわけですから普通は視点を定めたりはしないんですけれどね、ワークでは「普通」の反対方向に進めて解放に導くのが定石です。

そこで、私自身の在り方を軌道修正します。すなわち、対象にしっかりと視点を定めて見て、触れるわけです。

それを実行していくと、深いところから嗚咽のエネルギーが噴き上がってきました。「戦争」というキーワードが上がって来て、遠くで黒煙と火の手が上がっているビジョンが見えました。きな臭いにおいが漂ってくるのを感じるのと同時に、もうあそこには帰れない、と思っている少年の自分がいました。

嗚咽と混乱、声にならない叫びを受け止めていくと、やっとその下から悲しみが出てきました。なぜこんなにも悲しいのか、その悲しみを感じていく内に、ストーリーが出てきました。

あの火の下には、母や幼い妹、叔母や祖母などの親族の女性たちがいたからでした。嘘であってほしくて、当時は現実を認められなかったのです。

胸が引き裂かれ、身体が壊れるかと思うくらい、痛い悲しみのエネルギーでした。でも、私は「ここにいるよ」とその悲しみに呼びかけながら、離れずにいました。

すると、やがてその痛みも悲しみも去って、穏やかさが戻ってきました。

何だか思いもしないものが出てきましたが、自身の在り方を軌道修正して丁寧にやって行けば、何ら問題なく受け止められるな、と実感したのと同時に、もっと注意深く意識を使っていく必要がある、と自身の課題を確認した出来事でした。

引き続き、実践していくことにします。



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