2017年 3月 の投稿一覧

愛の楔

4月5日の感情解放ワークショップは満員になりましたので、お申し込みを締め切ります。4月15日と29日はまだ空きがございますので、どうぞご検討くださいませ。

さて。今日は昨日の続きで、吉田松陰という方と、それにまつわる私の気づきを綴っていきます。

私はあまり幕末史は詳しくないですし、正直、吉田松陰という人のことも学校で習った歴史の中でそんな名前もあったかな、というほどの認識でした。

ところが20年近く前に、まったく思いもかけないご縁で松陰先生の生誕地・萩に旅行に行くことになりました。このとき、せっかく行くのだったら少し萩の歴史でも調べて置こうと何となくネットで色々調べていたところ、萩と言えばこの方を避けて通ることはできない土地柄、ある旅行者のブログにたどり着きました。

その方は、宿の女将さんに「松陰神社に行ってきます」と告げたところ、女将さんは「松陰先生のところにいかれるんですね」と言ってその方を送り出されたというくだりを読んで、今でもなお、松陰先生の魂がこの土地の人々の中に深く根付いていることを感じました。

普通だったらさらりと流すところなのですが、この女将さんの言葉になぜかものすごく反応して、自分でも良く分からないままに号泣していました。

あまりの反応の仕方に自分でもびっくりしたのですが、どうやら私の魂は松陰先生を知っているようだということは分かりました。

武士の過去世は何度もありますが、はっきりと幕末の頃の記憶が出てきたことはありません。けれど、「松陰先生!」と言って涙するということは、この方の魂が吉田松陰として生きた時代に、その薫陶を受けた一人だったのだろうと思いました。

そして実際に萩の松陰神社に行ったとき、境内にはかなりの観光客がいましたが、その中で神社の宮司さんがなぜか私たち3人のところに来て、「どこから来たの?これ、少ないけれど差し上げます」と言って神社のパンフレットを私たちだけに下さいました。

なぜ私たちだけに?と不思議に思いながらも、お心遣いに感謝して、さらに見学を続けました。

松陰神社には「明治維新胎動之地」と刻まれた大きな碑があるのですが、その前に立ったとき、周りに人がいなかったら私は多分、また号泣していただろうと思うくらい、胸がいっぱいになっていました。

そのときは、過去世の記憶から反応しているだけなのだろうと思っていましたが、実はこのことがもっと深い意味を持っていたことに、つい先日気づいたのでした。

友人との話の中で「人を光の柱とする」というキーワードが出てきたときに、これまでの人生でバラバラに示されていたパズルのピースがピッタリとはまっていったのです。

そうか。松陰先生は、この日本という国に門下生たちを通して光の杭を打ち込まれたのだ、とはっきりと理解できたのです。

その光の杭というのは、まさに先生の愛でした。それはとても一言では言い表すことはできないのですが、先生は、寝食を共にし、触れ合った数多くの人たちの魂の奥深くに、しっかりと揺るぎない愛の楔を打ち込まれていたのです。

あの明治維新という大業を為し遂げさせるほどのエネルギーがどれほどの愛なのか、想像できるでしょうか。

松陰先生はしばしば、その常人離れした過激な言動から「狂人」と評されますが、狂うほどの圧倒的な愛なのです。その愛に触れたら、狂わずにはいられないでしょう。

松下村塾を巣立った志士たちがその後辿った末期を思えば、その壮絶さが分かります。

彼らの魂には、深く先生の刻んだ愛のコードが生きています。だから彼らの軌跡を辿るとき、人は魂を震わせるのです。

現代日本において、このコードはなお生きて稼動しています。人の魂を柱として、深くこの日本という国を深いレベルから支えているのです。

歴史はそれを見る領域や視点から様々に評価されるものですが、ただのロマンではなく、今この瞬間に実際に生きている生々しいものであり、確かにそれは私たちに自覚の有無を問わず、影響を与えているのです。

そうした理解と同時に、また別の気付きもありました。

私は戦乱の世を武士として生きた人生の経験から、今でも何となく刀剣や茶道にわだかまりがあるのですが、特に茶道に関して、ある記憶が鮮明によみがえってきたことがありました。

その時私は友人たちとカフェでお茶をしていたのですが、話題がお茶や茶道などの話になった時、突然、私が茶室で3人ほどの男たちに茶をたてている場面が見えました。和やかな場ではなく、彼らとの今生の別れの儀式でした。

私の前に居る3人は、この茶を飲んだら彼ら自身の使命を全うするために、二度と帰らぬ死地へと向かうのでした。3人も、私も、深く覚悟を肚に、共に在る今この瞬間を味わっていました。

茶釜から湧きたつ松風が、ただこの空間を満たしています。

無言で茶を飲み干すと、別れの言葉を短く述べた後、彼らは影のように静かに去っていきました。

死地へ向かう者も、それをを送り出す側の心情も、なかなかに言葉では言い表すことのできないものがあります。

松陰先生は若干29歳で多くの門下生たちより早く、この革命の先陣を切って命を絶たれましたが、若い命を死地へ送り出すような場面をもし経験されたとしたら、どんなお気持ちになられただろうと思わずにはいられません。

私には迫害される教えの伝道師のような人生もあるのですが、どうもこの辺りが、私が感情解放のワークをみなさんにお伝えするときにしばしば浮上する躊躇に影響しているのは以前から気づいていました。

かつての時代のようにワークをしても死んでしまうことはありませんが、ワークをされる方が苦しいプロセスを通過するとき、側に居ればまだしも、物理的に離れているときは特に、このプロセスに耐えて通り抜けていかれるだろうかと心配する思いは今でもあります。

革命の中で、倒れていった無数の名もなき人々がいるように、魂のミッションの中で挫折したように思えるときもあるでしょう。それでもなお道は続いていて、再び立ち上がることもできるのだと知り、立ち上がろうとする人々の側に寄り添って在ることが、私の役割の一つかな、と改めて思いました。

私の中に生きる先生の愛の楔について、今後さらに意識していきたいと思います。

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ミッション

4月5日(水)の感情解放ワークショップですが、午後のクラスは残席1名となりました。ご検討中の方はお早めにお申込みくださいませ。お申込みはこちらからどうぞ。

さて。東京ではこの寒気で桜はまだまだ1分も咲いていない感じで、満開のお花見が待ち遠しい今日この頃。

様々な気付きがあって、これまで大切な何かであることは分かるけれど、一体それがパズルのどのピースなのかさっぱり分からなかったものが、次々にピッタリとはまっていく流れがやって来ています。

個人的な備忘録として、またこの流れに共鳴する存在たちのために、今日は今私に見えているものとその経緯を記しておきたいと思います。

一つ目のパズルのピースは、もう16,7年以上前になりますからヒーラーになるずっと前ですが、ある晩の眠りに落ちる直前に、突然日本地図がビジョンで現れたことがありました。

まったく突然だったしそんな不思議な体験はほぼ初めてだったので、一体何だろうと思ってそれを見ていると、ある3つの場所から巨大な光の柱が噴き上がっているのが見えました。あまりにも鮮明で不思議なビジョンだったので、翌朝起きてからそれがどこなのか、地図で確かめてみました。

すると、明確にこの場所である、というポイントが分かりました。一か所は都内の自宅から近い場所だったので、行ってみたことはあります。

それはある神社だったのですが、後にある方のリーディングセッションを受けたら、そこの祭神さまに「またおいで」とメッセージをいただきました。行ったから特に何があったわけではないのですが、今思えばこれからつながっていく流れの最初だったような気がします。

3つのポイントの内、もう一か所も遠い場所でしたが友人と訪れることができました。村でお祭りしている小さな、けれども平安時代からある古い神社でした。

他にも光の柱は見えるだろうかと思って日本地図に目を凝らしてみると、至る所にそれが見えました。けれど、神社だから必ず光ってみるかというとそうでもなく、逆に何もない山中に確かにその場所であると確信を持って分かる場所もありました。

それが何であるか、私にはわかりませんでしたが、何らかの「痕跡」を読み取っているのだろうということだけは分かりました。

しばらくはその光のポイント巡りをあちこちしていましたが、それもいつしかやめてしまい、意味を追うこともしなくなりました。それから10年近くたってから私はヒーリングの世界に入ったわけですが、去年の2月~5月にかけて、また別の都内のある神社に継続して通っていた時期がありました。

色々経緯があったのですが、毎週ある仲間たちとそこに集って祈りを奉納していたのです。その仲間たちも不思議なご縁で、強烈な流れの中で出会い、意味も分からず集っていたのですが、その時期の瞑想では、膨大なビジョンやメッセージが降りてきていました。

都合7回の会合が終わった後、そのご縁はきれいに解消されてしまい、元々私につながっていた方たちを除けば、他の方とはもう全くつながりはなくなってしまったので、まさにそのために集められたメンバーだったのでしょう。

それらのパズルのピースは、私と「土地」に封じられたコードに関するもので、どうやら私はこの人生以外でも、色々と土地のグリッドに関わる仕事をしていたことが多くあるようです。

様々なヒーリングを学ぶなかでヒプノのセミナーを受けたとき、自身で見た最初の過去世は武士として戦乱の世を生きた人生でした。

けれどそれはただの武士ではなく、人間の次元では城を攻めたりということも実際にしていましたが、同時進行で別の次元では、肉体を持たない存在たちとの熾烈な戦いや駆け引きの中で、様々な任務をこなしていました。

そうした次元の動きが人間世界の動きとなって表れ、歴史になって行っているので、この国の歴史の裏には、別次元の歴史が密接に関連しているわけです。

去年の会合は、イントロはあったもののしばらく何の音沙汰もなかったミッションが突然復活したようなものでしたが、またぱったりと止まっていました。

そしてつい昨日、ある方と話をしていて、ある言葉をきっかけにバラバラだったパズルのピースがピッタリとはまって行ったのです。

詳細部分の正確な表現は忘れてしまったのですが、私が人と関わる方法は、土地と関わる方法に近い部分があるようで、土地に光の柱を立てるように、人を通して光の柱を立てているようなのです。

もちろん、瞑想会などでは確かにその通りなのですが、そうした限定的な意味ではなく、人を光の柱そのものにして個を超えたレベルの道を切り拓いていくようなイメージでしょうか。多分、これはレナードが「イエスの解放」の中で語ったものに近いミッションであるような気がします。

それを言われた時にハッと気づいたのが、歴史上の人物の吉田松陰先生とのつながりと、私の中で繰り返し表れるある思いの理由でした。

長くなるので続きはまた明日。

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混乱した気持ちを受け止める

感情解放ワークでは、意識が身体の中にしっかりいるようにして、感情を感じることが大切なのですが、これが案外難しいと感じる人が多いようです。

感情を感じるのに身体の中に居るってどういうこと?と思われるかもしれませんが、私たちはしばしば、ネガティブな感情、たとえば悲しみや怒り恐怖などを感じたときに、それがあまりに心地悪かったりするので、無意識の内に意識が身体から抜けてしまうことがあるのです。

そう聞くとびっくりされる方もあるでしょう。けれど、これは特別なことでも何でもなく、誰しもが普通に経験していることです。

とても緊張して頭が真っ白になって身体の感覚がなくなるような状態も、意識が身体から抜けていますし、先生や上司からこっぴどく叱られているときに上の空になるのも、意識が今ここにはいない状態です。

そうではあっても、普通に動けるしそれなりに受け答えもできるので、私たちは自分の意識が身体から抜けているなんてことは想像もしないでしょう。

けれど、感情解放のワークをする時に、自分の意識が今どのような状態にあるかということは、とても大事な要素になってきます。

なぜなら、意識が身体から抜けた状態でいくら感情表現をしたとしても、感情のエネルギーが完了することは無いからです。

ワークでは、心と体と魂がピッタリと一致した状態で感情を生きることでそのエネルギーが完了するので、我を忘れて悲しみの没頭したり、怒りの中に自分を見失うなどといった状態では、ワークとしては不完全なのです。

そんなこともあり、ワークショップやセッションなどでみなさんのワークを誘導するとき、私はみなさんの意識がどこにあるのか、常にチェックしながら進めています。

あまりに大きすぎる感情のエネルギーを前にしたときに、ふっと意識が飛んでしまうこともよくありますし、突然噴き出してきた混乱などのエネルギーに巻き込まれていつの間にか思考の中に逃げ込んでいることもあります。

特に混乱は慣れないと捉え難いエネルギーなので、自分でも気づかぬうちにこれを理性でどうにかしようとあれこれ考え始めて、「どうしたらいいか分からない」と途方に暮れていることが多くあります。

こんなとき、混乱は他の感情と同じように、あるがままに混乱した感じをそのまま受け止めていけばいいだけです。どうにかしようとする必要はありません。

とても居心地が悪いエネルギーですが、コツさえ掴んでしまえばさほど難しいことではなく、自分が混乱しているのだと気づいたら、それを身体のどこで感じているかを捉えてゆっくり命を呼吸で送ってあげるだけです。

しっかり捉えられていれば、混乱した気持ちはやがて落ち着いてきます。

混乱のエネルギーが厄介なのは、気づきにくいのでついうっかり飲み込まれてしまいがちであるということです。ワークをする時に、自分が混乱していないかどうか、特に意識するようにされるといいでしょう。

ショックも似たようなところがありますが、混乱よりは比較的受け止めやすいエネルギーではないかと思います。

誰しも、苦手とする感情はあります。混乱しては動けなくなってしまうので、動けなくならないように混乱を感じることを自分に禁じている方もよく見かけます。

混乱のエネルギーがあるのに絶対にそれに触れてはならないと自分に禁じているので、余計に気づきにくくなっているケースです。

また、弱みを見せてはならないと思っているので、自分に泣くことを禁じている方とか、怒りの凶暴なエネルギーで過去に失敗したことのある方は、絶対に怒ってはならないと、怒りを強烈に抑圧している方もあります。

感情のエネルギーは、抑圧すればするほどに凶暴さを増し、モンスターのように手が付けられなくなっていきます。そして、様々な形で自分をジワジワと痛めつけるようになります。

孤独を抑圧した結果、耐え難い孤独が心の奥底に永久凍土のようになって貼りついている方もありますし、狂おしい淋しさに耐えきれずに、だれかれ構わずしがみつかずにはいられなくなっている方もあります。

人生のあらゆる辛さの根底にあるのは、自分の感情に適切に対処できないことからくる、切り捨てられた感情のカケラたちの絶望であるような気がします。

自分自身と戦うのではなく、和解し、本当の信頼関係を築いていくことによってのみ、癒され、安堵して行けるものがあります。

いくらヒーリングやセラピーを受けてすっきりしたとしても、自身との関係が不健全なままであるならば、すぐにまた終わったはずの苦しみは復活するでしょう。

本当の癒しは、自身の在り方の方向転換を伴うものです。よくよく注意を払っていきましょう。

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人生への深い失望から立ち上がる力を取り戻す

ここのところ、自身の在り方の方向性を決めるというテーマがやって来ています。先日、家族と出かける予定になっていたので、何時に出発してどういう交通手段で行くのかということを聞いたら、逆に「あなたが決めてよ」と言い返されました。

もちろんその予定というのは相手から誘ってきたことだったので、多少カチンときて「何言ってるんだろう、この人」と思いました。

こちらの都合を聞いてくれるのであればいいのですが、そうではなく、何の計画性も自主性もなく、すべて「丸投げ」な態度に腹が立ちました。

あまりにも無責任なその態度に、根掘り葉掘り相手に「ではあなたはどうしたいと思っているのか?その日の都合はどうなっていて、何時であれば動けるようになるのか?どんな交通手段で行きたいと思っているのか?本当のところ、どうであればいいと思っているのか?」というのを根気強く聞き出さなければなりませんでした。

話しながら見えてきたのは、とにかく考えるのが面倒くさい。自分がどうしたいのか分からない。誰かに決めてもらえればそれでいい。考えたくない。という感じでした。

自分のことなのに自分で決めないでどうするんだよ。。。とかなり呆れてうんざりしてきましたが、そういえば相手はこれまでにも自分から誘っておいて、「で、場所はどこにあるの?どっちに行ったらいいのよ?」と私に聞いてきたことがあったことを思い出しました。

その時はさすがに激怒したのですが、「しようがないなぁ、調べてあげるよ」とはならなかったので、私の中の丸投げな要素がトリガーされていたということなのでしょう。もう十年以上も前の話です。

どうして自分の欲求に自分で耳を傾けることもしないで人に決めさせるのか、その怠慢さに怒りが浮上してきます。

そう言えば、とさらに相手に対してふと思い出したのは、また別の時に一緒に出掛ける約束をして、相手に聞いた出発予定時間に合わせて準備していたら、まだ20分も前なのに「なにをぐずぐずしているの!まったくお前のせいで2時間も待たされているのに、空気が読めない!」と怒鳴られたことがありました。

何と理不尽なもの言いかとその時も腹が立って、私は「じゃぁ本当はどうしたかったのよ?なぜ自分はこうしたいのだとはっきり言わなかったの?」と詰め寄りました。

相手は自分の筋が通らないこともどこかで分かっているのか、さらに逆切れをしてお茶を濁していましたが、今回のことにもつながっている何かがあるのだな、と思いました。

キーワードは「本当はどうしたかったのか?」というところです。

相手は、自分の思いはいつも叶わないと思ってこれまで生きてきたのを、私は良く知っています。常に我慢我慢の連続で、怒りや悲しみも通り越して失望や諦めの境地でいることを、しばしば口にしていました。

だから、いざ「自分は今どうしたいのか?」と問うても、あまりに抑圧と失望が強すぎてさっぱり分からないのだでしょう。逆に、それを問われることは非常に居心地が悪く、ザワザワとした落ち着かなさを感じさせるので、「何でもいいからあなたが決めてよ」となっているのだと思います。

そして、だからこそ「本当はこうしたい」という欲求があってもそれを表現することができず、相手の都合に合わせた結果、それがあまりに自分の思いとかけ離れていた時、強くストレスを感じ、不意にそれが噴き出してしまったのでしょう。

周囲に居る人間としては何とも扱いづらいことこの上ない人物ですが、この人も私自身の鏡なので、よくよく覗き込んで気づきの糧とさせていただきます。

このような場合、まずは丸投げしている責任を、自分自身に引き戻して果たさなければなりません。自身の欲求を、結果に執着なく表現する責任が、私たちにはあるのです。それは、自分に対する責任です。

けれどしばしば私たちはこの責任を、望まない結果が起こった時に浮上するであろう痛みを避けたいが故に、放り投げて逃げてしまいます。

望みが叶わない苦しみは、誰しも多かれ少なかれ持っているものでしょう。そこから逃げるのではなく、この身体に居てしっかりと受け止めてあげることで、その痛みを癒していくことができます。

ここがクリアになれば、自分の望みを結果を恐れることなく、表現することができるようになります。

私たちは、結果に執着し、痛みを恐れるが故にものごとをとても複雑にし、矛盾に満ちた奇怪なモンスターにしてしまっているのかもしれません。

自身の本音を表現するには、自分自身としっかりつながっていることが不可欠です。本当はどうしたかったのか?人生のあらゆる時点で飲み込んた望みを、一つ一つ吐き出していきましょう。

そのことが、人生に対する深い失望から立ち上がる力を取り戻させてくれます。

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第335弾 無料遠隔ヒーリング

毎週月曜日は恒例の無料遠隔ヒーリングのテーマの設定日です。 第333弾のご感想をホームページにアップしましたので、参考になさってみて下さい。また、5月のスケジュールもアップしました!

さて。最近、ずっと追い求めてきたはずなのに、心の奥底では背を向けていた神との関係について、やっと向き直ることができるようになってきて、色々な変化が起こってきたことを実感していました。

そして先日はさらに、ずっとずっと向き合ってきたと思っていた師との関係について、やはり背を向けている自分に気づいてしまいました。

私が師と慕っているのはレナードのことで、別に師弟関係を結んだわけでもなく、私が勝手にそう思っているだけなのですが、それでも彼の教えを実践し、彼の言葉を聞いてきたこれまでの年月の中で、師に対しては複雑な感情をかき立てられることがありました。

それでも私が彼を師と仰ぎ続けているのは、目覚めたマスターは決して意味のないことはしない、という確信があったからであり、その出来事は私が自分でクリアしなければならない課題なのだということは揺るぎなく自覚していた殻でした。

そう思いつつも、何年ももがき続けているテーマがあるのですが、そのこともあって、私は師を慕いつつも、どこか自分を彼に対してオープンにできない部分がありました。

それは、どこか彼自身やその教えに対して不信感があってそうなっているというのではなく、私の中で長いこと持ち越してきている課題ゆえのものです。

先日、瞑想中に師に対して背を向けている自分に気づいてしまったので、それに正面から向き合ってみました。

レナードを前にして、固く自分を閉じているその感覚をじっと感じながら、なぜ私はそうしているのか、と問うてみました。

「私は自分を閉じている。なぜなら…」その言葉に継いで出てきたのは、とても意外な言葉でした。

「なぜなら、自分を開いて師の愛を受け取ってしまったら、私はそれに耐えられない」というものでした。師の圧倒的な愛に、自分が消し飛んでしまいそうだと感じていたのでした。

「自分」を保つために、師の愛を拒絶していたのか、と気づいて自分でも驚いたのですが、それと同時に、師の愛が圧倒的であることを知っていた自分にも、どこかで驚いていました。

私はずっと、レナードに愛を感じたことはありませんでした。セミナーに参加した知人などがレナードに愛を感じると言っているのを聞いても、私には厳しく、冷たく、拒絶を突き付ける、どこかよそよそしさを感じていたのです。

ビジョンの中で、私は彼を取り巻く人たちから少し離れた遠くから、彼を眺めているだけでした。そして、招かれて彼の側に行っても、私はとても居心地が悪く、彼の目に射すくめられたように固まっていました。

その状態で、私は「自分を開いたら師の愛に耐えられない。自分が消えてしまう」と言っている自分に、「では、消し飛んでしまえばいい」と、自分を開くことを決めました。

いつぞやのワーク中に、あまりに苦しくて自分の内側から「自分が燃えてしまうように苦しい」という声が聞こえたときに、「では燃えてしまえ!」と、自分をそのエネルギーに委ね、燃やしたときと同じようにしたわけです。

そう決めた瞬間から、また身体の中で様々にエネルギー的な変化が後から後から起こってきました。がっちりと閉ざされていた扉がミシミシいいながら開いては、その動きが次の扉に連鎖していくような感じでした。

あれほど必死で保とうとしていた「自分」を手放して、そこに代わって師の愛が導く力が自分の中に流れ込んできて、エゴの底が抜けていくような感覚です。

その翌日の朝のジャパのときにもそれは続いて、段階的に何かが起こっているようでした。自分を燃やしたときは小一時間ほどで完了した変容でしたが、今回は割と長く続いています。それだけエゴが強烈にしがみついていたものを引きはがしているのかもしれません。

そんなことが起こって、そう言えば先週の遠隔ヒーリングのテーマは「導きが体現されて行くことを許す」だったなと思い出し、なるほどこれがそうなのか、と思い至りました。

導きが体現されて行くには、エゴがしがみついているものを手放していかなければいけないわけで、それにはその手前で、自分が何にしがみついているかに気づき、選択するプロセスがあります。

今回の私のケースでは、「師の愛を受け入れる」でしたが、人によってしばしばその選択は、耐え難いと思っていることであったりするでしょう。それはある意味、「自分の崩壊」を意味することさえあります。

それでもなお、その最も耐え難いものを受け入れたとき、本当にそれまでの自分の延長線の自分ではなく、まったく別の自分に生まれ変わるのです。

自分でなくなってしまう。その恐れを越えていくかどうか。今週はこれをテーマにしてみます。

というわけで、今週のテーマはこちら。

最も受け入れ難い選択にしかと直面し、自身の在り方を決めるよう最高最善に働きかける

参加される方は、「無料遠隔ヒーリングの受け方」ご覧になり、 ご理解のうえ3月29日(水)17:00までにメールまたはメールフォームにてお申し込み下さい。 同日20:00より順次働きかけを行っていきます。

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自由への決断と結果を引き受ける勇気

昨日は感情解放ワークショップでした。お集まりくださったみなさま、ありがとうございます。それぞれに、カケラ君との出会いや統合、自身に対する気づきがあったのではないかと思います。

セッションやワークショップを通じてみなさんのワークを誘導させていただく中で、いつも注目しているのは、それまでずっといないことにされてきたカケラ君が、自分に意識を向けられ、その存在を認めてもらったときの希望と不安の入り混じった反応に、みなさんがどう応答していかれるのか、というところです。

カケラ君たちの気持ちもすごく良く分かるし、彼らの願いを受けながら、それでも恐かったり荷が重すぎるように感じたりしながら、尻込みしてしまうみなさんの気持ちも良く分かります。

そういう恐れや気の重さも、あるところまではテクニックで解消していくことはできるので、そこはサポートさせていただく部分ではあるのですが、最も根本的なところで、テクニックの及ばない自分の意思だけが決められる「聖域」があります。

たとえば、自分の気持ちを受け止めるのだという意志を持つのも、誰かにそれを持たせてもらうわけではありません。どんなに気持ちを受け止めても大丈夫であり、その方法もちゃんとあるのだと教えられても、それを実行しようと決めるのは自分しかいません。

根本的なところでその意志が無ければ、どんなにサポートを受けても、分離させた気持ちのカケラを統合まで持って行くことはできません。

そしてまた、この人生を生きるのだという意志も、そうですね。辛いから何とか楽にして欲しいと願っていたとしても、それが人生から逃げているが故に起こっている辛さだとしたらどうでしょう?

逃げずにこの人生を生きるしか楽になる方法はないのに、そもそも自分の人生を生きるのが嫌なのだとしたら、楽になるためにその人が自身の人生に戻って来られるように為されるどんなサポートも、無意味になってしまいます。

自分に深く深く向き合っていく中で、誰しも一度や二度は、「絶対に嫌だ」と思っているこうしたことに対して、自身の在り方を再度選択し直すようにと促される場面があるだろうと思います。

ワークのテクニックや解放の流れの定石をどれだけ忠実にやってもどうにもならない時は、多分こうした根本的な選択をしなければならない時なのです。

今のその在り方ではこの先はないよ、どうするの?と、真正面から問われているのですね。

それに対して、口惜しさや悲しみ、絶望ややりきれない思いが一杯になって固まって動けなくなることもあるでしょう。そして、その度にそこから逃げ出して、何か気を紛らわせて済ませているのかもしれませんが、それで消えるようなものではありません。

また再び同じところに戻って来てしまっている自分に気づくでしょう。

そんなとき、私たちがすべきことは、どうにもならない絶望や悲しみ、口惜しさが一杯になったその状態にしっかりといて、自身が否定してきた状況を受容することです。

状況を受け入れずに拒絶しているから、全てが硬直して苦しいのです。まずここができるかどうかがカギになるでしょう。

繰り返しますが、この部分はサポートすることはできても、誰かに「受け入れさせてもらう」ということはできません。自分で決めなければならないのです。

サポートはあくまでその人の意思のあるところに働くものであって、意志の代用にはなり得ません。

私は、毎回セッションなどでその方の意識がしっかりとその場に留まれるように、浮上する不安などを収めるようなサポートさせていただきながら、その方が決断される瞬間に立ち会わせていただいています。

確かに、決断の場には寄り添いますが、私は「聖域」には入れないのです。私は、今まさに差し出されている問いかけを整理してその方にお伝えし、ただ「聖域」の外からその方が決断されるのをじっと見守っています。

そもそも、その決断の場に立つこと自体を避ける方もいらっしゃいますし、そこに立つことはしても、自身がしている選択自体を受け入れずにそのまま固まってしまう方もあります。そして、勇気ある選択をして、力強く人生を歩み始める方もあり、様々です。

もちろん、それらの選択に善悪があるわけではありませんが、それぞれにそれぞれの結果がついてきます。この結果から逃れる術はありません。

そこから逃げている限り、勇気ある決断はどうやってもできないだろうと思います。その決断は、結果を引き受けたときにだけ、できる唯一の道だからです。

故に、決断をする時は、結果から逃げずに引き受けることが最上の策だろうと私は思います。ここが決まると、道は自ずから開けてきます。

結果を引き受けることに対して、多くの人は重圧などネガティブなイメージを持っていますが、本当はそれによって自身のパワーを発揮し、自由を得るのです。

その人生を切り拓く心地良さや喜びを、ぜひ知ってほしいと思います。

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自殺をした過去世を持つ人の傾向と復活への指針

感情解放ワークで今この瞬間に湧き上がる感情を辿って行くと、誰しも過去世の記憶が出てくることがあるということは繰り返しお伝えしてきました。その中で、ある傾向に気づくことがあったので、今日はそれについて書いてみます。

私たちの魂には、一人の人の中に何十回、何百回も転生した人生の記憶があることが普通です。よくリーディングセッションなどで、「私にはどんな過去世があるんでしょうか?」と聞かれることも多いのですが、何百もの人生があるのですから、一言でお伝えできるようなものではありません。

ただ、こうしたご質問には、誰しもたくさんの過去世を持っていることをお伝えしたうえで、今世に強く影響している人生について、いくつかお伝えしていくことになります。

それだけたくさんの人生の経験があるのですから、様々な時代や場所によって、人を殺したことがあるかもしれませんし、殺されたこともあるでしょう。また、騙したり騙されたり、人を傷つけたり傷つけられたりという体験を星の数ほどしているわけです。

以上を踏まえた上で、あまり深刻に受け止めずにそんなこともあるかな、と思って読んでいただきたいのですが、私自身の過去世を含め、セッションをしていて時折、自殺をした人生というものが出てくることがあります。

自殺と言っても様々な状況がありますが、人生に絶望して自殺することもあれば、状況によってやむなく自ら命を絶つこともあるでしょう。

みなさんも様々なところで自殺は良くないと聞くことがあると思いますが、何故良くないのか、長い魂の旅路という一連の流れの中でこれを見ていくと、その理由が少しわかってきます。

人生が苦しくて自ら命を絶つような場合、その人は生きているより死んだ方がマシだと思ってそうするのだと思います。死ねばこの苦しみから逃れられると思うのですね。けれど、実は死んでもそれで終わりではありません。その先もなお、魂の旅路は続いていくのです。

「え?そうなの?こんなはずじゃなかった!」と自殺してから後悔しないように、そして、今死ぬほど苦しいと思っている方は、改めて今をどう生きるのかを問う機会にしていただければと思います。

色々なケースがあるので一言でまとめることはできないのですが、私が実際に見てきた経験から思うのは、人生を諦めて自ら死を選んだ過去世が今世に強く影響している人に共通する特徴として、この人生を生きていてもどこか意識が遊離していて、現実感がないことと、今ここを生きていないので踏ん張りがきかないということがあるような気がします。

あくまでこれは、かつて自殺した過去世の影響を強く受けている人というただし書きがついたうえでの話で、自殺した人生があるから必ずしもこうなるというわけではありません。

そしてまた、こういう人生があって、上記のような傾向を確かに持っていたとしても、ずっとその傾向を今世も引きずって生きなければいけないというものでもなく、ちゃんとクリアにしていくことも可能です。だからどうぞショックを受けて諦めたりはしないでください。

むしろ、そういう要素がある方は、しっかり向き合ってクリアにしていくチャンスを今まさに、与えられているわけです。ここがしっかり対処できると、人生は劇的に力強く情熱に満ちたものになっていきます。生きている喜びと実感を取り戻すこともできるでしょう。

私たちは、人生の体験を次の人生に確実に持っていって、次の人生を始めています。ワークをしているとこのことが本当に実感できるのですが、今世でも、前の人生の続きをやっているのですね。

辛くてつらくて逃げてきたそのことが、今世でもまた差し出されているのです。

特に自殺をした人生がある方は、この人生を生きているように見えて、一部どこか意識が違うところに彷徨っているようなところがあって、今まさにテーマが差し出されていても、それにうまく対処できずにいるケースが多いような気がします。

こういう場合は、まず彷徨っている意識の一部を再び「今ここ」に呼び戻すところから始めます。ただ、彷徨う意識は「今ここ」が辛いと思っているので、逃げ出してきた辛さに向き合うプロセスを経ることになるでしょう。

どうしてもそれは嫌だと思う方も多いですが、タイミングは確かにあるものの、いずれどこかの時点で必ずそれはやることになります。そのとき、人によって様々な恩寵やサポートが働いたりもします。

その時その人は、もう一度自らの在り方を選択し直します。本当の願いを吐き出して、そしてそれを実行する選択をするのです。

ここはものすごく大事なところなのですが、これによりギアがはずれて空回りしていた命の力が、しっかりと人生に伝わるようになります。

基本的に、癒しのプロセスは選択をやり直すことで起こるのは共通ですが、自ら死を選んだ選択からの回復においては、特に強くこの「根本的な在り方の選択」を迫られる場面が必ずあると思います。

まぁ、こんなケースもあるのだと、あまり深刻にならずに何かの参考にしていただければと思います。

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顔を背けたものの中に在る気づき

明日の感情解放ワークショップですが、まだお席はございますので、わだかまっている感情を解放したい!どうして今こんなことが起こっているのか知りたい!という方は是非どうぞ。お申込みはこちらからどうぞ。

さて。感情解放のワークをされている方からたまにご質問をいただくことがあるのですが、ご自身でワークをされた時、きちんと解放されているのかどうか、これでいいのか分からないと思う方も多いようです。

解放の目安として推奨しているのは、ワークが一段落した時に、ワークの入り口となった場面にもう一度戻ってみて、それをどう感じるか確かめてみるというのがあります。

たとえば、大嫌いな人に言われたひどい出来事にイライラしていることからワークをされたとします。色々展開があって解放が一段落したら、その大嫌いな人にひどいことを言われたその場面に戻って、自分がどんな風に感じるかを確かめるのです。

ワークがきちんと完了していれば、その人を見てももうイライラすることは無いでしょう。ワークの前ほどではないけれど、まだ何か残っているものを感じるのであれば、さらに掘り下げてみていくべきものが残っているということになります。

そして、基本的にワークは感情のカケラ君がして欲しいことをしてあげることでカケラ君が安心・納得し、統合されて行くものなので、カケラ君との対話が絶対に必要です。

自分の頭で「こうするのがいいのだろう」と勝手に考えてワークを進めてしまうと、カケラ君の方では「本当はそんなことをして欲しいんじゃないのに!もっと私の話を聞いてよ!」ともどかしい思いをすることになるでしょう。

自分自身に対してこういうことをしているということは、その在り方が外側にも反映されているはずです。

周りの人が私の気持ちを無視して勝手に良かれと思ってことを進めてしまって、とても悲しい思いをしているとか、あるいは、自分が誰かに対して良かれと思ってやったことが有難迷惑だと言われて傷ついたとか。

お心当たりはありませんか?

「当事者の話を聞く」ことは、対話の絶対条件です。世間一般に良いと言われることをするのではなく、今この瞬間、相手が本当に必要としていることを適切にしてあげるには、相手をよく見て、知らなければなりません。

ところが、私たちはしばしばこれをおろそかにしてしまいます。なぜでしょうか?

相手に向き合うのが恐かったり、どうせ分かってもらえない、通じない、どうやっても理解できないと思っていたりすると、相手に意識を向けることさえ気が重くなってしまいますね。

これが、私たちが相手に向き合うことを嫌厭する一つの理由でしょう。つまり、理解し合うということに対して、深い失望の痛みを抱えている、と言えるかもしれません。

こういうとき、ワークではまず自身の内に眠っている、その失望の痛みに対処するようにします。これまで、誰かと分かり合えなくて辛い思いをしたことがあったでしょうか?

パッと思い浮かぶ出来事があれば、そこからワークをしていきます。

両親に分かってもらえなかったのでしょうか。それとも、恋人と分かり合えなかったのでしょうか。先生に分かってもらえなくて、辛い思いをしたことがあったのでしょうか。

失望を感じたその場面に戻って、浮上した感情のエネルギーを身体で受け止め、ゆっくり呼吸していきます。そして、自分がその時どう感じていたのか、本当はどうしてほしかったのかを伝えるのです。

当時のみ込んだ言葉を吐き出すことは、それだけでも解放につながります。けれど、それだけでは解放しきれない時もあって、そのときはさらに相手の意識の中に移動して、相手の中で浮上している感情を受け止めていくということをやります。

ただ言いっ放し、やりっ放しではなくて、アクションを起こしたら、フィードバックをしっかり受け取るようにするのがポイントです。

伝わらない痛みをある程度受け止められると、感情のカケラ君をはじめ誰かと向き合ったときに、「どうせ言ってもつたわらないんだろうな」という端から諦めるような気持ちになることは少なくなっていきます。

誰かや何かと向き合うとき、私たちは多かれ少なかれ何かしらの気持ちを抱くものです。それが心地よいものであればもっと向き合いたいと思うのですが、そうでないことも多く、そうなるとつい、顔をそむけてしまうのですね。

けれど実はそむけたものの方向に、気づくべき大切なことがあるのです。

その方向に向き直って、じっくりと自身の中に湧き起こるものを観察してみましょう。ゆっくり、深く呼吸をしながら。

ちゃんと見ていないところをしっかりと見て、それとともに在ることをしてみてください。すると、自分の中で何かが変化していくのが分かるでしょう。

本当に深くこれができると、自身についての色々なことが見えてきます。

静かに、深く起こる大きな変化を、ぜひ感じてみてください。

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内なる神との対話

プレゼンスでいるためには、「今この瞬間」を何よりも優先するという選択が不可欠です。けれど、これがなかなかできないのですよね。「今この瞬間」に居たからって、目の前に山積する問題が今すぐ解決するわけじゃないのだから、とにかく動かなくっちゃ!と思ってしまうのです。

が、ここをこらえて「今この瞬間」を優先できたとき、人生の中で何かが変わって行って、不思議と色々な導きがやってきたりするのです。

頭でこのことがどれだけ分かっていても、ついついジタバタしてしまうのが私たちの性というもの。だから丁寧で注意深い実践が必要になってきます。

今日も、内なる神に呼びかけながら、できるだけ神とともに在ることを意識し続けていました。

もちろん、色々仕事をしているときは必ずしもそうできているわけではないのですが、これまで一日に5分とできていなかったものが10分になれば、それだけでも2倍ですから、レベルの低い話と侮らずに意識を向け続けることをひたすら実践しています。

実際、内なる神とともに在ることは、とても心地よい状態になることもありますが、そういう状態というばかりでもないので、私にとっては「それでも神とともに在ることを選ぶのか」と常に問われているような気がします。

そんなことを感じていると、プレゼンスに在るというのは、何かメリットがあるからそうするという類のものではないのだろうな、と改めて思います。

多くの人は悟りや目覚めを、苦しみからの解放として捉えています。けれど、目覚めを経験した様々な人の著作などを見ると、確かに人生は劇的にその意味合いを変えますが、目覚めても相変わらず様々な喪失や病気、離婚などが起こっていたりします。

ただ、その体験の仕方が変わるというのはみな口をそろえて証言しているところではありますが、私たちの多くが想像している、目覚めればすべてがばら色になって苦しいことは起こらなくなるというようなものではないようです。

きっとそれは、また別のレベルでの話なのでしょう。

となると、「それでもなぜプレゼンスを選択するのか」という命題に戻ってきます。メリットがあるから選択するのではないとすると、なぜなのでしょう?

ここで、「え?メリットがないならいらないや」となる人は、プレゼンスを人生の最優先事項にすることはないでしょう。

レナードは、そこに人生の真実があるからだと言いますが、私は言葉ではその理由をうまく言い表すことができません。正直、私には人生の真実なんてよくわかりませんから。

ただ、自分でもよくは分からないけれど、抗いがたく私の意識はその方向へと向けられ、こんなにもできないことの連続であるにもかかわらず、違う方向へ逃げてしまうことができないのです。

それを求める人それぞれにプレゼンスを求める動機は無数にあるでしょうが、最終的には言葉ではないところで何か強烈に吸引される力を感じているものなのではないかと思います。

これまで自分と向き合い続けて来て思うのは、自分と向き合うことは、すなわち内なる神と対話することとイコールであったということです。

自身と適切なコミュニケーションが取れていなければ、内なる神との対話はできません。

しばしば、私は神と向き合うことが非常に辛くなるときがあるのですが、そういう時は必ず自分自身とも分離しています。とても自身の気持ちに触れることができていない状態になっているのですね。

昨日は、神と対話しながら「あなたとともに在ることはとても苦しいです。けれど、私はあなたと在ることを選びます」と言いながら、その苦しみを受け止めていました。

しばらくそうしていると、何かが自分の中で変化していくのが分かりました。少しずつ、少しずつですね。

古来、古今東西の多くの聖職者たちは、「神学」などで神を理論的に知ろうとして試みてきました。私は全くの門外漢ですが、神を学問的に知ることは、不可能な試みだろうとは思います。

神学という学問は神という概念についての定義づけの試みであって、神の直接体験とは全く別のものでしょう。求めるべきものは、神の概念についての知識なのではなく、神に触れる実体験です。

私たちは誰しもそれが可能であり、そして導きはあるにせよ、それは個人的な体験だろうと思います。一人一人が直接、神に触れるのが当然であり、間に何者も挟む必要はないし、挟むのは本来の形ではありません。

自分自身で神の声を聞けるように。そのためには、自身との真摯な対話を怠らないことは、最低条件だろうと思います。

ここまで自身と分離し、神と断絶してしまうまでに深くなった溝や厚い壁を取り払うときに、自分で作り上げたそれらを解体する作業は人それぞれの道のりがあるでしょう。

隣を見て誰のやり方が良いとか悪いとかではなく、唯一無二の自身の歩みを慈しみながら進めばいいと思います。

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凡事徹底

最近、日課でやっている朝のジャパ(マントラを繰り返し唱える修法)とヨガのいくつかのポーズ、そして呼吸法のときに、「内なる神」とともに在ることを意識するようにしています。

いつもはマントラを唱えていてもポーズをとっていても、どこか意識が散漫で違うことを考えていたりすることも多いので、基本的なところを大事にする原点に戻ってみようと思ったのでした。

マントラは基本的に神様の名を唱えているわけなので、これまではそれぞれのマントラの神様の姿をイメージして見たり、そのエネルギーに意識の波長を合わせるようにして見たりしていたのですが、今度はただ自身の深奥にいます神にのみ意識するようにしたのです。

この「内なる神」は、以前セミナーでレナードが誘導する瞑想の中で出会った神で、本当に自分の中にリアルな神がいたのだということを感じた体験でした。

その神が、今この瞬間も私の中に居ることを確かめるようにして、マントラの一つ一つ、ポーズのあらゆる瞬間に、そして一呼吸一呼吸、それとともに在るようにしていきます。

たまに、あまりに意識しすぎて特定の状態を探してしまうときもありますが、神とともに在るときは、世界の次元関わるような感じがします。

頭で分かっているけれど雑にしてしまってできていないことを、丁寧にやって行く瞬間を、日常の中で増やして行こうと思いました。

そんなことを思っていたら、ふとたまに行くあるお店のトイレに書かれているある標語を思い出しました。そのトイレは従業員さんも共同で使うので、社員に向けて書かれた標語でもあるのですが、「凡事徹底」というものです。

「当たり前のことを当たり前にする」というのは、結構当たり前ではないのですよね。

多くの人はたまにできる派手なスタンドプレーの方に目を奪われがちですが、平凡なことを間違いなく必ずできることの方が、実は何倍も大事だったりします。

それが極まれると、常人にはとても真似できない技術をいとも簡単に当たり前のようにできるようになっていたりするのです。たとえば、職人さんの仕事なんかはまさにそれですよね。

凡事を侮らずに確実にできるように、というのは、本当におろそかにしていることだな、と思いました。

「内なる神とともに在る」と意識しても、すぐにはまだピタッと定まらないし、数秒で意識がぼやけたり、違うところに行ってしまったりしているし。まだまだだな、と思うのと同時にそれが伸びしろ!と思うようにしています。(^^)

日々やることがたくさんあって、追われるように過ごしていると、こうして本当は大切なはずのものにしっかり意識を合わせて生きるということがなかなかに難しくなってしまいます。

特に朝は、日課が終わればばたばたと一日が流れていくので、マントラを唱えながらも早く早くと流してしまうことも多くありました。これでは一体何のためにやっているのだかわかりません。

本当に大切なものとともに在る、というのは、実はとても贅沢な過ごし方でもあるのですね。

神とともに在る時間でなくても、人によってそれは幼い子供とともに過ごす時間かもしれませんし、大好きなパートナーとともに在る時間かもしれません。

けれど、身体はここに居ても、心がどこかを彷徨ってここに居ないのであれば、それはともに過ごしているとは言えないでしょう。

ここに、すれ違いや心の断絶が生まれます。自分自身との関係においてもそれは言えますし、もちろん神に対しても誰に対しても同じです。

誰かとの関係性において、伝わらない、かみ合わない、分かり合えない、ともに居ない淋しさや虚しさを感じるのなら、まず自分が自身とともに在ることを実践するのが先決です。

最近、ある習い事の先生に対して私が感じていたのはまさにこの部分でもあり、先生は私の現状を全く理解しようとせずに私には不可能とも思える要求を突き付けてくる、と思っていたので、私が自身の状態を全く理解していないということなのでしょう。

いつの間にか、私は理想ばかりを追い求めるようになっていたのかもしれません。今一度、自分自身の原点に返ろうと思います。

焦らず、先を急ぐよりも大切にするべきはずのことを、きちんと大切にする実践を優先すること。これまで、なかなかこれができていなかったのですね。

ふと思ったのですが、これが「時間に追われる生き方」から、「時間を自ら創造して行く生き方」へのシフトなのかもしれません。

何を人生の優先事項にするのか。瞬間瞬間、問うて行きます。

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