最近は、以前よりずっと内なる神を意識するようになっています。レナードは「神はリアルだ」と言いますが、以前彼のセミナーで誘導瞑想を行ったとき、本当に自分の中の神に触れる体験をして以来、私にとって神は概念ではなくなりました。

それはほんの一瞬の出来事だったけれども、人生を大きく変えるには十分な体験でした。

彼は、神を信じる必要はない。あなたがそれを体験すれば、それは紛れもなく真実なのだから。と言います。信じるという行為は、まだそれを体験していない時や、真実かどうかわからない時にするものでしょうから、確かにそれはその通りです。

あの衝撃的な体験から何年も経ちますが、あの時ほどの鮮烈さはないものの、最近は日常の中でもそれに意識を向けることで、確かに神がそこに居ることが分かるし、そこを基準として自身のポジションを整えることができるようになってきました。

朝起きて一日を始めるとき、セッションやワークショップの前、散歩で歩いているとき、何か決断をする時、不安に駆られた時など、日常のあらゆる瞬間に神と自身とのポジションを確認しています。

まだまだ入り口なのでしょうが、これをすると、あちこちにずれていた自身の存在のレイヤーがピタッと一直線に合い、軸が定まる感じがするので、これが本当のセンタリングということなのだろうとやっと気づいた感じです。

今までやっていたのは、上下左右前後に肉体とエネルギーボディがズレていないかを確認する程度だったので、今のようにぴったりはまるような感じではありませんでした。けれど、概念として今分かっていることを理解していたとしても、以前の私にはできなかったでしょう。

存在のポジションとコミットメントはとても深い関係があると思うのですが、私たちは普段、意識、無意識の内に、自分の存在を微妙に歪めてバランスを取っているところがあります。

なぜそうするのかというと、ある種の苦痛回避のためです。つまり、あまりにも苦し過ぎる感覚や感情に耐えられないと思うと、それを和らげようとするために、ダイレクトにそれらを体験しなくても済むように、真正のポジションから少し歪めて、感覚を鈍くすることでその体験をやり過ごそうとするのです。

よく身体などに痛みがある時に、身をよじるようにすることがあると思いますが、イメージで言えばそんな感じです。

ワークでは、内面的にそのように歪めて回避している苦しみを、少しずつ感じ、生きていくことでそのエネルギーを解放するのですが、そうすると、歪みの原因となっていたものが抜けていくので、歪ませなくても居られるようになっていくのです。

その結果、ポジションの調整が起こります。

ワークの中ではたびたび自身の在り方を選択することを迫られます。とりわけ根源的で大きな選択をする時は、自分がどう在るのか、明確な宣言を持ってしかとコミットメントすることがあるのですが、そのときはギアが大きな音を立ててガチン!と入るような感じがします。

こういうときは、エネルギー的にも大きな変容が起こり、しばらくその余韻が続きます。

そのようにして大小の変容、コミットメントを繰り返していく内に、だんだんとあちこちにズレまくっていた存在のレイヤーが真正の位置に戻ってくるようになるのです。

そうなると、それまでどうやっても深まることのなかった意識が、存在の垂直方向へとストーン!と深まって行きます。私の場合は、この段階で一気にグラウンディングが強くなった気がします。

プレゼンスの深さも、多分数年前よりは格段に、今ここに在るものとともに居られていると思います。まだまだ細切れの意識とは言え、一瞬たりとも居られなかった時代に比べれば、大きな進歩です。

このことについて、実はレナードも正確な表現は思い出せないのですが言及していたことがありました。さらっと話していたので、注意深く聞いていないと聞き逃してしまいそうなくらいの表現だったのですが、私はなぜかそのことを覚えていて、後にそれはこういうことだったのだと腑に落ちたのでした。

いずれにせよ、深まったとは言え、まだまだ浅いレベルをウロウロしている程度なので、ことあるごとに「内なる神とともに在る」選択を繰り返しています。

その中で、どうしようもない程不完全な自分を神に委ねるということを繰り返ししていて、不安が湧き上がるたび、自分を裁きそうになるとき、踏みとどまってその苦しみも、不完全な自分も神にお返しするようにしています。

どれだけワークをしても、ある一線を越えたところは、恩寵にしかどうにもできないところがあるのだろうな、と思います。アジャシャンティも、自身の目覚めのプロセスを記した「あなたの世界の終わり―「目覚め」とその“あと”のプロセス―の中でそれについて書いていました。

けれど、だからと言って本人の努力が全く無駄であるとか必要がないとは、私は思いません。

内なる神に回帰しようとするとき、恩寵とともに在るのは確かですが、神とともに在ろうと志向し続けるのは、やはり努力なくしては無しえないことでしょう。

目覚めるために、山のような努力をしなければならないというのも真実だし、それは完全に神の手の内にあるので私たちにできることは無いという言葉も、どちらも真実なのだと思います。

今私は、ひたすら「神の手の内にある自分を深く思い出していく」プロセスにあるようなので、その両方の言葉を同時に実践しているような気がします。

いずれにせよ、このプロセスにおいても、自身の「内なる神とともに在る」というコミットメントをひたすら実行していくのみです。

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