情に流されることと罪悪感について

最近、「情に流される」というテーマがやって来ていて、私にとってはなかなかに難しい課題だな、と思っています。

つい、「気の毒だから」とか「助けてあげないと可哀想だから」などと思って求められるままに、あるいは求められる前に世話を焼いてしまうことがあるので、そんな動機から行った行為が結果的に本当に相手のためになるのかという視点からしっかり見極めなければいけない、と自分に言い聞かせています。

こんな風に情に流されてしまうのは「心の隙」なのだと思うのですが、流されそうになるときに私の中に起こっている独特の心の動きがあるので、それについて考察してみます。

相手のことを「気の毒だ」「可哀想だ」と思うとき、それに対して何もしないでいる自分に罪悪感を感じています。そして、かすかに相手に私のエネルギーが漏れ流れていくような感覚が感じられます。

やってあげることがあるのにしないで傍観している自分は、何だか「悪い人」「責められるべき無責任な人」のような気がしてしまうのです。

この時点で既に自分の軸がズレているので、こんな状態で人に接したら、相手は簡単に私のエネルギーを奪うことができるでしょう。

「悪い人」だったり「無責任な人」だったりしたときに、私は何とも落ち着かない気持ちになります。この状態から相手にしてあげる行為は、その人のためなのではなく、実は私自身のための自己本位な行為です。

なぜなら、その行為は自分が「悪い人」「無責任な人」になって味わう不快な感覚を収めるためにしているわけなので、どこにも相手への愛などありません。ただ自分が落ち着きたいからやっているだけのことです。

でも、結果的に相手がそれで助かるのならいいじゃないかと思われる方もあるかもしれません。けれど、実際はその行為は決して相手のためにはならないのです。一時的に助かったように思えて、本当はそこから受け取るはずだった学びを受け取れなくさせていることだってあり得ます。

それに、そうした動機からの行為は、純粋な愛から発した行為よりもどこか重さがあって、受け取った側も心地よくは感じられないものです。

ただし、すがりつきたくて必死で、様々人からそういうエネルギーをもらって生きることが常態化している人は、その感覚は鈍くなっているかもしれません。

そういうエネルギーは、見た目に大きく見えようともカスカスのものなので、受け取った効果も勢いがなく、すぐにヘタってしまうのです。

エネルギーをあげた(奪い取られた)側も、互いに高め合ったときのプラスの充実感よりは、ただ自分の中でざわつくエネルギーが収まったというだけのプラスマイナスゼロ、あるいはマイナスの消耗感だけが残ります。

この辺り、頭で「私はやることをやって義務を果たした。良いことをやって充実している!」と頭で「考えて」いて、実際には心や体はそうではないという状態に気づかないこともあるので、よくよく注意深く感覚を拾っていく感性は必要だろうと思います。

世の中には、意識、無意識的に罪悪感を呼び起こして相手のエネルギーを奪っていくということをやっている人もいます。

けれど、先にも指摘したようにそのようにして得たエネルギーはカスカスの勢いのないものなので、そうしたエネルギーを得て生きている人は、どんなに人からエネルギーを奪っても、エネルギー不足の状態を脱することはありません。

私が「情に流されて」行動してしまいそうになったとき、本当にその行為が必要なのかどうかと、自身や相手のハイヤーセルフさんに聞いてみると、きっぱりと「必要ない」と言われることがほとんどです。

そうした答えを聞くたび、「あぁこれは私の心の隙に対処して、自分の軸をしっかり立てる訓練をしなさいということのだな」と思うのです。

人間目線の正義と、宇宙の真理の法が示す正義は、その表現がしばしば正反対に見えることも多いです。けれど、最後に本当に生きてくるのは後者なので、それに照らして自身がどうなのかを見極め、行動できることが重要だろうと思います。

ただ自分本位な弱さゆえの行動をするのではなく、真理の法を実践するには、ものごとのもっと深いレベル、本質的なところをしっかりと見て取る力を付けなければなりません。

情に流されているときや打算や惰性で動くとき、ものごとを見て取る力が曇るのが分かります。相手をクリアに見られず、自分の中の淀み歪んだ世界の中で、妄想のストーリーを見ているのです。しっかりと見る力を付けていきたいと思います。

同時に、自身の在り方でもう一つ、与えることについても思うことがありました。

最近ある人が、アウトプットを前提としたインプットはみな意識しているけれど、インプットを前提としたアウトプットを意識している人は少ない、ということを言っていました。

なるほど、と思いましたがすぐにピンと来たわけではなく、しばらくしてから、そのことを愛というテーマで見たときに、ふと閃くことがありました。

愛は与えるほどに受け取るものだとよく言われますが、愛を与えることを出し惜しみしないようにというメッセージも、そういう文脈で見ると良く分かるな、と思いました。

この辺り、実践と考察を続けてみることにします。



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