神なるものの冷酷さと愛

ここのところ、「自分を知る」
というキーワードがあちこちから
飛び込んできています。

これは、なかなかに捉えがたい
ところのあるテーマですね。

普段から、自分に向き合うことを意識
されている方でも、「自分を知る」
ということを明確に意識されている方は
どれだけいらっしゃるでしょうか。

「自分」の内外に起こることを
観察することと、それを観察している
主体を知る、ということはまた
別のことなのだということを、最近
改めて考えさせられています。

自分の中に怒りや悲しみ、悔しさなどの
感情が浮上している、という事実と、

そういうものをどんな風に「自分」が
受け取って体験しているのかは、
実はイコールではないんですね。

ややこしい話になってしまいそうですが、

たとえば、パートナーと喧嘩して
悲しかったり悔しかったり怒っていたり、
色々な感情が噴き出しているとします。

あなたは相手を批判したり自分を責めたり
あぁすればよかった、こうしなければ
よかったなどと様々な思考が
駆け巡っています。

こういう状況で、あなた自身が
自分の感情や思考に対して、どれだけ
意識的な認識があるか、というと、
多分起こっていることのほんの一部しか
認識できていないだろうと思います。

自分の狡さを否定する人は、
やり取りの中で微妙に相手をコントロール
しようとした自分を、自身の意識から
巧妙に消し去っているかもしれないし、

弱い自分を否定する人は、
酷く悲しんだり傷ついたりしている
自分を認めないかもしれません。

つまり、そういう自分は厳然として
存在しているにもかかわらず、
認識できない、という状態です。

在るけれど、無いことになっている。
このことが、色々と難しい問題を
引き起こす原因になっているわけです。

これ以外にも、感情を思考にすり替えたり、
とても苦しいのに、何でもないことだと
言い聞かせることで生々しい痛みを
避けようとしたり。

このように、私たちは多かれ少なかれ、
事実に様々なフィルターをかけたり
ゆがめたりしながら体験しているんですね。

「自分を知る」ということは、こうした
独自のフィルターや歪みにどれだけ気づけるか
という部分と、そうしたものをクリアにしながら、

語弊を恐れずに言えば、さらにどれだけ深く
存在の神秘に迫れるか、という部分が
あるような気がしています。

後者は私がしばしば言う「内なる神に触れる」
ということであり、これは前者をしていく中で、
どこかの段階でおのずと現れてくる流れ
だろうと思います。

自分を痛みから守るために着けてきた歪んだ
心の鎧を脱ぎ去ったときにしみじみと感じるのは、
この世界に満ちている圧倒的な愛です。

それに魂を否応なく鷲掴みにされたなら、
ちっぽけな自分を超えた大きな存在(神)に
触れざるを得ません。

誰しも、自分を本当に追究していったなら、
私たちは必ず、この大きな存在に避けようもなく
触れてしまうのです。

私たちはしばしばそれを求めてあちこちを
彷徨いますが、一方で喉から手が出るほどに
求め続けているその恩寵を、なぜか
遠回しに避けていることがあります。

私自身もかつてそうだったように、
神へのどうしようもない怒りや憎しみが
あるとき、天邪鬼になってしまうのですね。

神は私がどんなに苦しんでいても、
なにも助けてくれない。

辛い試練を次々によこしては
私をこれでもかと苛んできた。
とても許すことができない。

そんな思いを魂の奥深くに仕舞込んでいる人は
少なくありません。

その思いはとても深く深く隠されて
いたりもするので、表面的には神様大好き!
という風に見えたりもします。

でも、ある部分から先に深まろうとするとき、
隠れていた思いがブレーキとなって
先に進めなくなるのです。

そうして苦しんでいる人も、
たくさんいます。

確かに神は、容易く私を見捨てます。

巷には、神は愛だ、世界は無条件の愛に
満ちている、という人があふれています。

ある部分でそれは真実だけれど、
多分それは片面の真実でしかないだろう
と私は思うのです。

神は私たちを死から蘇生させるような
深い愛を見せるけれど、同時に
絶望の淵に追いやるような冷酷さも
また持ち合わせています。

その両方を受け取らなければ、本当に
神は愛である
とは言えないのではないか。

と、そんなことを思いました。

今、苦しみの中でもがいている方は、
そんな神の厳しい側面を体験されている
最中なのかもしれません。

神は、私たち人間の善悪の基準に
収まるような存在ではないでしょう。

それを、人間の基準でとらえようとするから、
神に背を向けるようになってしまうのかも
しれません。

自身の人生のあらゆる側面を受け取らねば、
自分自身にも、本質なる神にも近づくことは
ないのでしょう。

正直に言えば、私などはまだ身震いするほど、
恐いです!

けれど、私たちは自身の人生にやって来る
様々な体験を通して、心の鎧を引きはがされ、
より深い愛の本質に溶け込んでいくもの
なのかもしれません。



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