霊性の種

どんなに努力しても、もがいても
流れにゆだねてみても、諦めても
どうにもならないこと、というのが
人生にはあると思います。

そう言ってしまうと、
ハッピーキラキラスピリチュアルの
「願えば叶う!」とか「無限の可能性」
などとは真逆で、お客さんも呼べなくなって
しまいますが(^^;

でも、私は自分がそういう体験しているので
やっぱりそういうことは厳然としてあるよね
って思うのです。

けれども、決して「無限の可能性」が
嘘だとは思っていません。

ただ、今のこの自分では、
どうやってもたどり着けない
境地があるとは思うのです。

私自身の挫折は、
師と仰いで自分なりにとても頑張って
取り組んできたレナードの教えに触れられない
自分に、限界を感じたことでした。

熱心に取り組んでもダメ、
ゆだねてもダメ、何もしなくてもダメ、
祈ってもダメ、諦めてもダメ、

考えられ得る何をしても、しなくても、
教えと、自分の間にある乖離、溝、壁は
どうにもなりませんでした。

今現在もこの挫折は絶賛継続中なのですが、
ただ、レナードの教えによって魂に
植えられた「霊性の種」は、私の中で
まだ生き続けているのは感じます。

教えを放り投げて、忘れたふりをしたり、
遠くから眺めていたりしながら、
意識のごく端っこの方にはある、
みたいな感じでしょうか。

もがき、苦闘し続けたこの間、
どうにかして自分と教えの間の溝を埋める試み
として取り組んできたことが、今皆さんに
お伝えしている感情解放ワークになりました。

そして、取り組みながら、
自分ではどうしようもなかった
神への深い恨み、憎しみの念も、
奇跡的な恩寵によって
癒えていく体験もありました。

恩寵は溢れんばかりに降り注いでいる
というのに、受け取れない自分に
悔しい思いもたくさんしました。

どんなに恩寵が周囲に溢れていても、
自分が開いていなければ、
受け取れないのです。

どうやって開けばいいのか、
受け取りたいのに受け取れない
葛藤もたくさん通り抜けて来ました。

取りててて、この体験で一気に
どうにかなった、というような奇跡は
ありませんでしたが、

日々、地道に積み重ねてきたことが
じわじわと、私の中で何かを変えてきた
のだろうと思います。

まだ、師の教えを受け取れたとまでは
全くもって至っていませんが、それでも
今私はとても幸せで、ありがたい恵みに
日々感謝をする日常を送れています。

どうあがいても、どうにもならないとき、
それは、その人にとって、
通過する必要があることなのだと思います。

誰かに助けてもらったり、
奇跡によって回避されたりするようなことは、
起こるときは簡単に起こります。

でも、そういうことが起こらない時は、
歯を食いしばって、自分でそこを
歩んでいくしかないのです。

その道のりを、どんな風に歩んでいくかは
人それぞれです。

グルや神仏などへの信仰がある方は
一歩一歩をその存在への祈りによって
支えられるものもあるでしょう。

信仰がない方はないなりに、
ダイレクトに自分自身の内なる神、
あるいは自分を導く何かの力を
意識なさってもいいでしょう。

また、そういうものに意識を向けることもなく、
ただ悪態をつき、不平不満と被害者意識一杯に
人生を呪いながら生きる人もあります。

人生には、選択肢がたくさんあるようでいて、
実はその時の自分に選択できる選択肢は
あまりないのかもしれません。

だからこそ、恩寵に触れる機会のあった方は、
それだけでものすごく恵まれているのだと
思います。

ただ、かすかに触れた恩寵を自分の中で
育て、生かしていくか、切り捨て、
粗末にして枯らしていくかは
今この瞬間の自分が毎瞬、選んでいます。

人生の苦難の時を、どう生きたか。

神を呪い、自分を呪い、世を呪った
その時でさえ、一瞬たりとも恩寵は
自分を去ったことはなかった、と知る瞬間が、
今生か、別の人生かのどこかで
ふとやってくるときがあります。

それは、誰にでも必ずやってくるということが
私には確信というよりも、「知っている」
という感覚に近い感覚で、あります。

今開かなかったとしても、
その人の魂の中に宿っている可能性の種が
人生の厳冬にあって、じっとその時に向けて
己の命を刻んでいるのを感じるのです。

種は、時がやってくれば
必ず芽吹きます。

そのタイミングが、人よりも遅いように見えても、
もう芽吹かないのではないか、と
死んでいるように見えても、

この体が生き続けている限り、
そして、肉体が滅んでもなお、
この魂を運んでいく力によって、
そのときに向かって運ばれていきます。

だから、それを信頼して、
自分を見捨てず、今できることを
精一杯やって、

荒波に揉まれるときは揉まれ、
何もかもが剥ぎ取られるときは
剥ぎ取られて、与えられたものを受け取り、
泣くときは泣き、怒るときは怒り、
愛されるときは愛され、愛するときは愛し、
寝る時は寝て、食べるときは食べて
生きていけばいいと思います。

そうやって生きて行ったときに、
ふと、あなたのそんな人生を見つめる
あの眼差しに気づく瞬間がやって来るでしょう。

恩寵は、片時も私を去ったことはなかった、と。

あなたの人生の、すべての歩みに祝福を。



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