霊性

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まごうことなき誠をもって、今ここに根を張る

昨日は感情解放ワークショップでした。お暑い中お集まりくださったみなさま、ありがとうございました。今回もみなさん、たくさんの解放と気づきを得ていかれたと思いますが、お帰りの際には本当にキラキラ輝いた笑顔をされていたのが印象的でした。

大きな解放が起こった後は、その方のエネルギーフィールドがクリアになるため、エネルギーが見えない方でも何となくその方がすっきり輝いているように見えたり、目の輝きが断然きれいになっていたりという目に見える変化が表れることがよくあります。

特に昨日は、数時間のワークショップでフェイスラインがとてもすっきりされた方がいらっしゃいました。その変化が他の参加者の方にもわかるほどで、みなさん驚かれていたのですが、エネルギー的な滞りが解消されると、実際、肉体にも変化が表れるのですね。

これまでにも、ワークを続けてこられたことでアトピーがいつの間にかほとんど出なくなったという方もいらっしゃいましたが、本当に感情のエネルギーと肉体はつながっているのだとつくづく思います。

自分に向き合う作業はきついことも多いですが、長年確執のあった人間関係が解放されて全く何のわだかまりもなくなったり、自分でも理由の分からないまま、突然訪れる気分の落ち込みが消えて行ったりなど、良いこともたくさんあります。

感情解放のワークで根本的に見つめているのは、その方の霊性の成長であり、在り方を正すということなのですが、在り方が整ってくると、自然と見た目も現実の様々な側面も、調和して整っていきます。そのご褒美も味わいながら、ワークを続けて行っていただけましたら幸いです。

ワークで掘り下げをしていくと、しばしばある感情に関係する人物が登場することがあります。誰かへの憎しみだったり怒りだったり満たされない思慕の念であったり、様々です。

その人との関係の中で自身の内に浮上した感情を受け止めるだけではなく、ワークでは相手の意識の中に視点を移動して、その人の感情もまた受け止めるということをしていきます。

ときにその人の感情がまた別の誰かによってわだかまっていることもあり、そうなるとその第三の人物の意識に入って見ることもあります。どこまで辿るかはケースバイケースですが、自分と相手とそのまた相手くらいまで辿るのは普通にあります。

というより、そのくらい辿らないと、絡み合った感情の全体像が見えてこないと言った方がいいかもしれません。

たとえば、自分が感じている淋しさが親に構ってもらえなかったが故のものだとするとき、まず自分の淋しさを受け止めた上で、親の視点に意識を移動して、なぜかまってあげなかったのか、その心情を受け止めます。

親も親なりに忙しくて一杯一杯だったのかもしれません。その一杯一杯の心情を受け止めていったときに、本当は親も誰かに助けてほしかったのかもしれません。そうした気持ちも吐き出して、助けてほしかった相手に飲み込んでいた言葉を伝えたりします。

そして、その相手がなぜ助けてくれなかったのか、その人の意識に移動してその心情を受け止めていくといった具合です。

絡み合った感情的なわだかまりは、根本的には自分の感情を自身で受け止め切れていないところからきていることがほとんどです。

自分の中の無力感や劣等感を感じたくなくて、誰かを見下したり優越感を感じられるように自分アピールをしてみたり、あるいは自分の子供に極度に干渉したりといったことが起こります。

そうした行動も、結局は自分の苦しい感情にうまく対処して受け止められれば、そんなことをする必要がそもそもなくなるので、その人も痛みを押し付けられていた人も自由になります。

調和していない関係というのは、詰まるところ、自分の感情の責任を取ることでほとんどが解消していくものだろうと思います。

実際、たくさんの方のワークを見てきて、夫婦関係や仕事の人間関係、友人、親子など、自分自身の責任を果たすことで良くならなかった例を、私はこれまでに見たことがありません。

逆に、私ではなく相手のせいだ、相手の問題なのだと言っている内は、絶対にこれらが良い方向に向かうことはないのです。

相手のその醜い理不尽な姿は私ではないと言い続けることは、苦しみを長びかせ、より深刻なものにしていきます。

自身の現実から何を受け取るのか。そして、自分はどう在ることを選ぶのか。聞く耳を持ってメッセージを受け取るとき、私たちは自身の本当のパワーを取り戻します。自分を哀れな被害者のままにしておくのではなく、本当に現実を創造して行く力があると思い出すのです。

そのような生き方をして行ってもいいのかどうか。頭でこの問いに答えるのではなく、ハートで感じて答えてみましょう。不安や躊躇があるのなら、正直にそれを認めます。そして、何が不安なのか、躊躇する原因は何なのかを見ていくのです。

頭だけで先に進みたい!と思うだけでは不十分です。本心と頭はしばしば逆の方向を向いています。ここをしっかりと整えるプロセスをおろそかにしないようにしましょう。

在り方を明確に、深いコミットメントを持って決めるほどに、私たちは根を深く張って生きるようになります。この根に、嘘は通用しません。自身のまごうことなき誠をもって、今ここに深く根を張っていきましょう。

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泥臭さの極みで差し出された在り方への問いかけ

それなりの期間、自分自身に向き合う内観と解放ワークを続けてきていても、日々色々なものが出てくるものだなぁとつくづく思うのですが、私自身、師であるレナードに出会って自分に向き合うことを本格的に始めて6年ほどになります。

何十年も何かの道に精進されている方から見ればたった6年ですが、至らぬところばかりの自分に、人間というのは本当に奥が深いものだと、可能性の大きさを感じるのと同時に、しばしば圧倒される思いに駆られるときがあります。

地球のバイブレーションは日増しに高まり、私たちは毎瞬、自身の在り方を選択することで自分の生きる世界を決めているのだと多くの方がメッセージを発しています。

自分はどんな世界に生きたいのか。それを思うと、理想とは真逆の自身の側面が噴き出してきて、焦ったり不安になったり、理性では抑えようもない感情のエネルギーが暴れては翻弄されます。

なかなかこの暴れ馬は御し難く、未だ有能な乗り手とはなれていません。

自分に向き合い続けてきた6年の日々を振り返ってみると、最初の頃はとにかく抑圧された真っ黒なエネルギーに日々、血を吐くような思いで受け止め、解放し、その中で人生を導く恩寵に触れてきました。

ある程度それが落ち着いてくると、苦しみの感覚があるとき大きく変化して、どんな苦しい感情でも落ち着いて見ることができるようになっていました。

その状態が結構安定して続いていたのですが、去年からその安定を大きく揺るがすような波がやって来ていて、あれほど「もうどんな感情がやって来ても大丈夫!」と思っていたその自信があっさり崩されてしまいました。

本当にこのところ、ジェットコースターに乗っているようです。「大丈夫とか言っているけれど、ほら、まだこんなにあるじゃないか!」と皮肉たっぷりに試験官にいたぶられているみたいです。(^^;

揺さぶられていると言っても、6年前の様相とは全く違っていて、感じる感覚と洞察力、受け止める力が当時よりも育っている分、噴き出すものも容赦ないというか、ドッと一気に噴き出す感があります。

まぁ、こちらも抑圧しておくつもりはないので、出てくるなら出て来てくれた方が良いのですが、解放のプロセスには必ず、ただ解放だけではなく、「自身の在り方への問いかけ」が含まれています。その問いかけに向き合い、応えていくのにものすごくエネルギーが要ります。

またその問いかけの質が、今の自分のままでは容易に応えられないような、量子力学的な飛躍を促すようなものになっているような気がして、「マジっすか…!」と、未だまどろみの中に在る私は少々、否、大分たじろいでいたりします。

しかも、まどろみのままにその問いかけを受け取ってしまうと、問いかけの主旨を誤って受け取ってトンチンカンな応答をしてしまい、「そうじゃないだろ!見るところが違う!」と激しいツッコミとともに課題が差し戻されてくると言う感じです。

もう傾向は掴んだからバッチリ!と思っていた試験問題が、いつの間にやらとんでもなくレベルアップしていて、油断しまくっていた脳みそは面食らってアタフタしているようなものです。

この揺さぶりのおかげで、私の中に行儀よく収まっていた未完了のエネルギーの澱が舞い上げられ、「それも全部きれいにするのよ」とチェックを入れられております。

この徹底ぶり。ホント、容赦がありません。もうこのくらいで勘弁してやろう、ということは無いんですね。

この問いかけをどう受け取りどう応えるのか。師や神からの応答があったにもかかわらず、なまくらな頭にはなまくらな程度の応えしか出てこないのですが、近々何か、カンフル剤になりそうなものが来そうな気もしています。

うまく働くと良いのですけれど。。。

目覚めたいと望みつつ、まだ私は惰眠を貪りたいものなのだな、とつくづく思う今日この頃です。

惰眠を貪り悪夢にもがきつつ、嵐に揉まれてボコボコになっている。早く目を覚まして嵐から出れば良いものを、そのいかにも簡単な目覚め方が良くわからない、というループ。

まぁ、時期が来ればこれも落ちるのでしょう。目が覚めればもう戻ってくることは無いでしょうから、貴重な経験と、今の内にじっくり味わっておくことにします。

こういうところはスマートにすっと通り過ぎていくのが個人的には理想なのですが、実際はものすごく泥臭くて、人間臭さの極みみたいなところまで落とされるのですね。そういうのも、実は嫌いじゃなかったりしますけど。(笑)

その泥臭さの極みで、私は何を見て、どう在るのだろう。差し出された在り方への問いかけを、じっと見つめています。

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「師の損失」の象意と祈りへの応答

今週土曜日24日の感情解放ワークショップですが、満席となりましたので、募集を締め切らせていただきます。次回開催は7月1日(土)になります。感情の仕組みと秘密を知りたい!という方は是非どうぞ。

さて。人間、自分一人の力ではいかんともしがたい状況になった時の方が、人生の真理や神を必死で求めたり、謙虚に自分の至らなさに目を向けるものだとつくづく思うのですが、神はそうした私たちの呼びかけを、本当に聞かれているのだな、と思う出来事がありました。

去年から今年にかけて、とても心揺さぶられることが多かった中で、様々な試行錯誤をしてみたものの、やったことが全くの裏目に出てしまうことが何度も続きました。

本当に一生懸命やったことが全く実にならなかったり、気を取り直してチャレンジしたことも出鼻をくじかれ頓挫してしまうなど、もがいた中でやったことのすべてが膠着状態になっていました。

そして肝心の探求の方も深まる気配もなく、ますます迷路に迷い込んだように感じて、まるで世界が八方ふさがりのように思えました。

師の教えも、素晴らしい師がこんなにも力を尽くして与えようとしているのに、私は全く受け取れない、精いっぱい努力をしているのにさっぱり分からない、触れられないと、ひどく悲しい思いで一杯でした。

他の人はもっとずっと簡単に受け取って、どんどん先に進んでいくように見えるので、これだけ努力してもダメなのなら、私にはきっと無理なのだろうとさえ、思うようになっていました。

探求とは別の方面でも同じ思いが噴き出していたので、これは私のテーマなのだろうと思いつつも、噴き上がる絶望と悲しみ、身心の痛みに耐えあぐねていたのです。

来年のリトリートも、もう行く意味はないかもしれないとか、これ以上、師の教えを実践していくことは無理かもしれないから、離れてみようかとも考えました。

霊性の師から離れるというのは、師をお持ちの方にはお分かりかと思いますが、習い事を辞めるとか会社を辞めるのとは全く違った意味を持ちます。ある教室や会社がダメだったら次を探せばいい、というものではないからです。

言葉ではなかなか言い表し難いものがありますが、魂が引き裂かれるとか、ある部分で霊性の死すら暗示するような感覚があって、とにかく辛いものでした。

そんな状況のある日、私は自身の在るがままの状態をイメージワークで師に訴え、助けを求めました。夢の中でもいいから導きが欲しいと。

けれどその一方で、私は師がそれに応えるとはあまり期待していませんでした。というのも、実際これまでに私は何度も師に拒絶や厳しい態度を取られたり、他の人には容易に与えられるガイダンスが、私には与えられないということが繰り返しあったからです。

それでも求めずにはいられない程、私は限界に来ていました。

案の定、その日の夜の夢にガイダンスは現れませんでした。やっぱりそうだよね、と思うのと同時に、また思った通りを実現してしまったかと、さも当然のような妙な納得感で朝をスタートしたのですが、思いもかけず、祈りは届いていたことをこの後、知ることとなります。

お昼過ぎに覚えのない郵便物が届き、送り主を見ると、師にかかわりのある知人からでした。はて?と思って中身を確認すると、可愛い素焼きのクロスのオブジェが入っていました。

とても心のこもった品物だと一目でわかりました。同封のメッセージからも、温かなその方のお心遣いが感じられ、それだけでもうれしかったのですが、何より、今の私にとってそれは師であり神からの応答そのものでした。

本当にただただありがたく、覚えず溢れてくる涙を止めることができませんでした。

そのクロスの中心部分にハートのモチーフが描かれていたのですが、私にはそれが師の愛そのもののように感じられ、「くじけず歩み続けなさい」という励ましのように思えました。

何とも絶妙なタイミングでのこのしるしに、神は全てをお見通しなのだと思わずにはいられませんでした。

師に対して複雑な感情を抱いてきて、今年のリトリートで私の中に埋もれていた憎しみを浮上させてくれたことには感謝の気持ちもありますが、それでも未だ師は私にとって非常に厳しい導き手であることに変わりはありません。

師に対するそうした感情の苦しみの中、ふとしたきっかけからたどり着いたブログで、インド占星術における「8室の効能」という記事を見つけました。そこに描かれていたことがまさに今の私にピッタリとあてはまっていて、星がそうなっているなら仕方ない、と思った記憶があります。

8室というのは、インド占星術の8番目のハウスを指し、筆者はこれを「グル(師匠)を損失するハウス」すなわち、「師に対する甘えが許されず、満たされない」という象意を説明しています。こうした状況の中で磨かれるものこそ、このハウスの効果なのだということでした。

「師を損失する」というこのテーマ、実は何度も過去世でクリアに失敗しているようで、これまでのワークでも師を去ったり自殺したりというストーリーが出てきたことがあります。

こうして改めてみると、石臼で身体を挽かれるがごとくのこの苦しみも、必ず越えていかねばならぬものなのでしょう。

心身を石臼で挽いた後には、果たしてどんな私が現れるのでしょうか。まったく想像もできませんが、神の愛は本当に生半可なものではない、とつくづく思う今日この頃でした。

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人生の目的に導く力

昨日は感情解放ワークショップでした。お集まりくださったみなさま、ありがとうございました。みなさん、これまで何度もワークショップに参加されている方たちでしたので、この日はワークに入る前に、まず何を意図してワークをしているかを確認するところから入って見ました。

ブロック解除系のヒーリングではよくあることなのですが、目の前のブロックが解除されれば、何もかもうまくいくはず!と思っていると、一つのブロックが解除されたらすぐにまた別のブロックが立ちはだかって、延々それが続くというパターンがあります。

目標を目の前のブロック解除に置いていれば、目標が達成された段階で宙ぶらりんになってしまいます。

このブログでもしばしばお伝えしていることではありますが、感情解放のワークでは、ただわだかまった感情のエネルギーを解放することが目的ではありません。

自分自身に深く向き合っていく中で自分を知り、この人生を生きる意図、魂の願いに気づいていくようになります。そうしてその願いを本当に体現していくようになっていくことが自分に向き合う目的であり、目先の感情解放が目標なのではありません。

この辺り、どうぞ漠然と捉えないでいただきたいのです。

本当に魂の願いを知って、そのように生きていきたいのか、面倒臭がらずに今、ハートと身体にじっと心を澄ませて問うてみてください。

頭でさらっと「考えて」しまったら、「当然じゃないか!」と「思う」でしょう。そうではなく、「感じて」みるのです。

自分は今、本当にそう望んでいるだろうか?と。

ハートのあたりを感じながらそれを思ったとき、迷いなく「Yes!」と感じられたでしょうか。良く分からないけれど多分そうだろうとか、ちょっと迷いがあるとか、気分が悪くなってきたとか、さっぱりよくわからないなど、人によってその答えは様々だと思います。

頭で考えたら、何とでも言えるのです。けれど、本当に今の自分を感じたら、そう単純でもないことに気づくかもしれません。

実際、魂の願いを生きることに恐れや無力感、諦めを感じて封印している人も少なくありません。どうせ不可能だと思うことについて、それを望もうとすることもないでしょうし、望んだとしても、とても不快な感覚が浮上するでしょう。

今の自分が、魂の本当の願いを知ってそれを生きることを、どれだけ自分に許しているかを確認していただきたいのです。

完全に許可している人も、強烈な抵抗がある方も、そんな状態をジャッジメントせずに、在るがままに受け止めてそこからスタートするのです。

それを飛び越えて願望実現ワークなどをすると、必ずどこかで自分を見失ってしまうでしょう。

最も深いレベルでは、確かに誰もが自身の魂の願いを生きるためにこの世界にやって来ています。それを諦めるために生まれてくる人など、一人もいません。みな自分自身のミッションを果たすことを、強く願ってここに来ているのです。

けれど、産まれ落ちてここに至るまで様々なことがあって、その情熱を失い、ミッションを忘れ、死んだように生きている方もあります。

それが良いとか悪いではなく、そんな状態にあってもその方の深いレベルでは確かに自分を癒す力があるのであり、願いを実現していく力が常に枯れることのない泉のようにあるのです。

ただ、そことのつながりが断ち切られてしまっているだけで、再びつながろうと思えば、ちゃんとつながることができます。

今、そのつながりが断ち切られていると感じている方は、再びつながることを求めるでしょうか。お腹の底から、「私は今、自分の本当の力を取り戻す」と宣言できるでしょうか。

自分で、自身を癒してもいいのでしょうか。もう誰も恨まなくて済むようになったり、常に怒りを人生の推進力にして生きなくてもいいでしょうか。被害者になって、加害者を生み出し続ける人生を終わらせても?

あなたを被害者したり常に邪魔して来るあの人物は、あなた自身が作り出している現実です。あなたの自作自演ドラマなのです。それを認められるでしょうか?

そんな力は私には無い、と思っていた方が落ち着きますか?

全ての問いかけは、心で感じて正直なところで答えてください。優等生の答えを出したところで、何の利益もありません。

がつっと抵抗を感じたり訳が分からなくなったり、問うこと自体が苦しいときは、魂の願いを生きることに抵抗があるのでしょう。その在るがままの自分をしっかりと受け止めて、ここからスタートしていきます。

まだ誰かを恨んでいたいのかもしれないし、できない自分でいた方が楽だと思ってるのかもしれません。その自分から、数か月後、数年後にどんな自分で在りたいですか?このまま行くのももちろんアリですよ。

ここを明確に、「自分で決める」のです。

これがあなたの人生の行き先になります。決めない方は、「決めないことの結果」が行き先になります。

決めようとするときに、諸々の何かが浮上してくることもよくあります。もうその時点から、自分と向き合うことは始まっているのです。ここから逃げるのか、勇気を出してその先に行くのか。

あなたはそれぞれの選択の結果を、深いレベルでは確かに知っているでしょう。そこに意識を合わせてみてください。そこから湧き出る力が、あなたを真の目的に導くでしょう。

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壁にぶつかる特権

明後日6月3日の感情解放ワークショップですが、まだお席がございますので、自分を愛し受け入れるってどういうこと?と知りたい、体験したい方はどうぞご参加くださいませ。月後半のワークショップよりも、月初の方がゆったり受けられると思います。お申込みはこちらからどうぞ。

さて。私がお伝えしている感情解放のワークですが、長くブログを読んでくださっている方でも、一人だとなかなか解放に至るまでのプロセスが掴みにくいという方が多いようです。

できる限り、このブログでもポイントを詳細にお伝えしているつもりではあるのですが、実際にワークに入ってみると、自分でちゃんと身体の感覚を捉えられているかとか、思考と感情の区別はついているか、感情のエネルギーに触れているか、といったところは一人ではチェックしきれない部分ではあろうと思います。

そういった部分は、実際にワークショップやセッションなどをぜひ体験してみていただきたいと思うのですが、ブログでは私の日々の気づきや実際のワークのプロセスなどを書き綴っていますので、何かみなさんの歩みの気づきのヒントになればと思っています。

私は元々が結構なネガティブ思考な人間なので、余りキラキラハッピーな内容は書けないのですが、不器用な歩みの中でも時折、本当に素晴らしいな~と深く心打たれるような導きや体験がこれまでにもたくさんありました。

現代社会では、何でも早く手軽に劇的な変化が起こってほしいというニーズが多いことも承知していますが、そればかりを求めていると、見えてこないものがあるよな~と思います。

プロセスというのは単なる通過点でゴールにたどり着くことが一番重要なのだと思っていると、ゴールにたどり着いても、何も得ていない自分、まだまだ満足できない自分を延々と繰り返すことになるでしょう。

感情解放のワークでも最終的に意識しているところは、今この瞬間に深く根付いていくということです。

ゴールばかりを見ている在り方というのは未来に意識があり、今ここにはいません。ワークでも、抑圧された感情のエネルギーを解放すればいいんだ!とばかりにがむしゃらに解放を進めようとする方は多いですが、ワークは解放が目的ではないのです。

自分に向き合うプロセスの中で、どれだけ自分自身のこれまで目をそらしてきた側面に直面できたか。自分が本当に感じていたことに耳を傾け、そのニーズに応えたか。それらを重ねていった先に、どれだけ自分を信頼し、大切に思えるようになったか。

そうしたひとつひとつを着実に自身の在り方として行くことが、結果的に解放につながるわけで、解放を焦るあまりにそれらをおろそかにするのは本末転倒な話です。

これらを一気に、お手軽にささっとすませることなど、できるでしょうか。それはとても不可能なことのように私には思えます。

「さっさと済ませたい」という考えも分からなくもありません。今この状態が辛いからこそ、早く通過して楽になりたいと思うのでしょうが、あなたがもし、大切な誰かに声を聞いてほしいときに、その人が「さっさと済ませて次に行きたい」と思っていたとしたら、どんな気持ちになるでしょうか。

あなたの「さっさと済ませたい」という思いは、内なる自分からしてみたら、とても淋しく悲しい気持ちにさせる態度だと言えるのではないでしょうか。

翻って、あなたはこうした態度を誰かから取られたことがないでしょうか。幼い頃に、両親から。或いはパートナーから、職場の人から。彼らの態度は、あなたがあなた自身にしている態度の写し鏡です。

「私はちゃんと話を聞いてほしかったし、あなたにここに居て欲しかったのに、あなたはいてくれず、話も聞いてはくれなかった」というその辛い気持ちが、あなたに向き合ってもらえない、内なる自分の気持ちに符合するのです。

あなたは自分にこんな態度を取っているよ、と周囲の人たちが教えてくれているわけです。

このことに気づき、自分の在り方を転換すると、あなたの現実はとても優しいものになります。あなたが放っているバイブレーションが変化するので、かつて彼らの無関心や無責任さといった引き出しをあなた自身が引いていたのですがが、それをしなくなるからです。

言い方を変えれば、彼らにそのような言動をさせていたのは、あなただということです。

同じ人でも、ある人にはとても優しいけれど、別の人には非常に厳しく当たるというケースがありますが、それは、その人の中に様々な引出しがある中で、接する人がどの引き出しを引いているのか、ということなのです。

本当に真剣に、深く自分と対峙していったなら、理想とは程遠い自分を嫌というほど見ると思います。

けれど、それらに直面し、忍耐強く対話を重ねていった先に、あなたが求めてやまなかった信頼や安らぎ、真実だけが持つ明晰さ、個を超えた素晴らしい何かを見出すでしょう。

特に壁にぶつかった時、真摯に、強く、人生を導く大いなる力に祈り求めてみてください。このことが、実は私たちの深い霊性の成長には、とても大切な意味を持つのです。

自分の限界を知り、それを受け入れたとき、それを超えていく扉が開きます。謙虚であれとはよく言われますが、本当の謙虚さとは、このことの真意を知ることから始まるのです。

壁にぶつかるのは、真摯にこの道を歩んでいる証拠です。避けて通る人には決して与えられない特権であると覚えておきましょう。

あなたの歩みに、明確な導きと恩寵がありますように。

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恐れにより奪う在り方から惜しみなく与える愛へ

昨日は東京渋谷で行われているインドの聖者・アンマのダルシャンに行ってきました。一昨年、去年い続いて3回目です。私はアンマの信奉者ではありませんが、初めてアンマの抱擁を受けてから、この方は本当にすごい方だと感じて、以来友人知人を誘って毎回参加するようになっています。

25日まで開催されているので、興味のある方はぜひ行ってごらんになるといいと思います。

参加するたびに様々な気付きをいただくのですが、今回は自分自身の在り方を根本的に問われているタイミングでもあり、本当にこの人生で、魂の願いを体現するような愛からの選択をする勇気をいただけるようにとの願いの下、抱擁を受けました。

去年はただ前年の続きの感じで受けただけだったので、あまり深い感動は無かったのですが、今回は抱擁の時にアンマが耳元でささやいてくださる言葉が、意味は分からないものの、深いところに入っていくような感覚がありました。

そして抱擁が終わった後、アンマのお顔を見たら、とてもニコニコされていたので、何か選択の後押しをしてくださっているような気がしました。アンマはいつもにこやかにされているイメージはありますが、去年はそんなことは無かったので、余計にそう感じます。

レナードもそうですが、人生では霊性における特別な出会いというものがあります。グルに出会えることの幸運、聖者にまみえることの幸運がどれほどのものかを思うとき、その計り知れない恩寵に感謝せずにはいられません。

霊性を導く師に出会えなかった人生も無数にあったでしょうに、こうして本物の師の臨在に触れるところにまで導かれてきた裏には、私一人ではない膨大な積み重ねがあったことを感じます。

だから今回ダルシャンを受けたときには、私をここまで導いてくれたすべての存在と意識をつなげて、ともに抱擁を受けてきました。

今、根本的に自身の在り方を問われている中でのダルシャンは、私にとってはとても深い意味があります。

恐れから行動を起こしてしまう思考体型を根本的に転換し、本当に愛から行動する在り方をこの人生で体現していくのかどうか。

そのためには、片足だけ元の理論体系に重心を残したまま、新しい在り方に転換することはできないので、完全に逃げ道を断って進まなければなりません。

そのことに、今だに不安と恐れを抱えて逡巡しています。進むべき方向は分かっているけれど、まだ踏ん切りがつかない状態なのです。

そんな私には、スピリットの導きが必要でした。

恐れは他者から奪い、自分の取り分を主張し、また奪われることに気を揉みながら、際限なくもっともっとと求めて決して満たされることのない在り様に私たちを導きます。

一方で、愛は無条件に与え、批判なくひたすら受容し、与えるほどに豊かさを増していく在り様です。

口では無条件の愛を唱えながら、実際のところどれだけそれを体現できているのかが、今私が問われていることです。

私の魂は、何をしにここに居るのだろう?と問うたとき、今死んだとしたら、きっと何かしらやり残した感じがするだろうなと思います。

では一体何をやり残しているのか、今の自分は、本当に魂が全身全霊でやりたかったことをやっているだろうか?とさらに問うてみたとき、私が本当にやりたかったのは、愛そのものとして在ることの体現でした。

恐れから奪おうとする今の在り方ではなく、無限の愛から惜しみなく与える在り方です。

そんなものはとても自分の手の届くようなものではないと、夢物語のようにこれまでは考えていましたが、そうではないという感覚がどこか深いところで確信のようなものとして感じられたのです。

与えるのは、有り余るほど持っているから与えるのではなく、与えるから無限にあふれてくるのだという、既に頭では知っていることを、自分で体現して証明しなければ、愛について語ることはできないと思いました。

与えたら無くなってしまうというエゴの恐れを転換して行けるのか。ここに、人生の流れを大きく変えていくカギがあるような気がしているのです。

大それた願いを挫けずに持ち続ける勇気を祈り求めて行こうと思います。

そうでないと、こんな願いなど気が狂ったのかもしれない、魔が差したに違いない、勘違いもいい加減にしよう、等と言って、すぐに怯んで後戻りしてしまいそうです。

何が人生の真実なのか、今死んでも悔いはないのか、迷ったときはこの問いに戻ってくることにしましょう。

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魂の錬金術

感情解放ワークをやっていると、善悪というものへの概念が本当に変わってきます。もちろん、人間社会に生きていれば厳然とそういうものはあるのは当然ですが、そういう枠組みを大きく超えた深遠な意図が隠されているのをまざまざと見せられたりするので、一概に人間目線の善悪でものごとを決めつけて見られなくなってしまうのです。

たとえば今、誰かがとても困難だと見える状況に置かれているとします。本人も、とても苦しんでいるように見えて、可哀想に、気の毒だ、大変だろう、何て不幸な人なんだと思うかもしれません。

こんな状況にあるとき、実はそれが魂のレベルでは、待ちに待った状態であり、その中でしか為し遂げることのできない学びを得ようとしている祝福の時間だったりします。

本人の顕在意識レベルでは絶望のどん底であったとしても、魂としてはどうしてもそれを通過して、変容していきたかったのですね。

よく、スポーツでもアートでも、自分をギリギリのところまで追い込んで限界を突破していくという例があると思いますが、誰にでも、人生でそういうテーマがあるのではないでしょうか。

そういう状態にある人が側にいるとき、私たちはどんなスタンスでいることが良いでしょうか。

たとえば、どんなアドバイスも受け入れず、自分の殻にこもってしまったような人とか、大きく道を外れてしまったように見える人、周囲のだれかれ構わずに迷惑をかけまくっている人などなど。

あまりに迷惑を周囲にかけまくっている人に対しては、社会常識的なレベルの対処はもちろん必要だろうと思います。

ただ、それ以外のところでは、まずはその人を見たときに自分が「どんな気持ちになっているか」というところをしっかり自覚しながら行動していかないと、その人に対して良かれと思ってしたことでも、あまり良い結果にはつながりません。

というのは、その人を見たときにトリガーされた自身の痛みによって行動に駆り立てられるということは、純粋に相手の人のための行動ではなく、自分の中の落ち着かない気持ちを収めるための代償行為になっているからです。こうなると、その行為はいわゆる「偽善」と呼ばれる類のものになります。

つまり、「相手のため」と言いながら、実は「自分自身のための行為」だからです。偽善は、本当に相手のためになる行為とは違って、受け取った相手に押しつけがましさや重さを感じさせたり、本当にその人が必要としたものとはかけ離れたちぐはぐなものになってしまったりしまうのです。

だから、まずは相手を見たときに、自分の心の中に何らかの痛みの感情が浮上していないか、注意深く見て浮上しているのなら、しっかりとワークして受け止めておくことが第一です。

これができた上で、改めて相手を見たときに、その人が本当に必要としているサポートをすることができたり、相手に失望して見捨てたりすることなく、その人の可能性を見てじっと見守ることができるようになるのです。

こうした在り方でとても良い見本だな、と私が思うのは、天皇皇后両陛下です。

両陛下は、よく被災地の方々に対して「心を寄せていきたいと思います」という言葉を使われることがあります。ここには「同情」というようなものは一切なく、あるのはただ、その方々の深い心の痛みに寄り添いつつ、共に在るという慈しみの心だと私は感じます。

「同情」はどちらかと言うと、自分の中にトリガーされた落ち着かない気持ちに巻き込まれ、駆り立てられた心の在り様です。この状態では本当に他者の心の痛みに寄り添うことはできないのです。

巻き込まれる「同情」と寄り添う「共感」の違いをよく認識し、本当に寄り添える在り方ができたら、と思います。

その上で、自分や他者の人生に色々起こる眉根を寄せるような出来事や誰もがうらやむような事象の数々を思うとき、人間目線の善悪を見るのではなく、魂がそこから何を得ようとしているのか、魂のチャレンジ、あるいは神の意図をこそ見たいと思うのです。

もちろん神の意図など、到底私たちに計り知れるようなものではありません。であるならなおさら、私は自らの視野を善悪の二元性で固定させたくはないのです。

神は、「悪の極み」と見えるものさえも、ご自身の計画の手段に使います。(私は神を人格を持った存在として認識してはいませんが、便宜上このような表現を使います)

そうしたものに関わった人が、悲劇の中から「真の神の意図」を汲み取った時、その「悪の極み」と見えたものは、確かに「神の御手」だったことに気づきます。そして「悪」を演じた存在もまた、その瞬間同時に昇華されるのです。

これが魂の錬金術・アルケミーです。

とてもとても、高度な学びですね。ときに、これを解くのに何生もかかるかもしれません。それでも、魂は超えていきたいのです。自らの無限の可能性を証明するために。

鮮烈な光の中に絶望的なまでの闇を見、耐え難い闇の中に想像をはるかに超えた神聖な光を見たとき、あなたは真の神を知りつつあるのかもしれません。

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最も深い痛みの感情を内なる静寂で支える

一筋縄でいかないことの多い人生、多かれ少なかれ失望や不安を抱えながら日々を過ごした経験がある、あるいは今まさにそうであるという方は少なくないと思います。

起こっている出来事の深刻さのいかんにかかわらず、何もなくてもあっても、私たちは失望したり不安になったりすることがあります。

そうした感情が浮上しているときはどうにも落ち着かないもので、何とかしてこれを収めようと話を聞いてくれそうな人を捕まえては吐き出したり、何か全く別のことをやって気を紛らわせたり、原因と思われるものごとを収めるために良いと思われることを手あたり次第にやって見たりと、とにかく駆り立てられるように行動します。

落ち着かないエネルギーに逆らって、その中で落ち着いて自身の静寂に向かうというのは、なかなかに至難の業でしょう。

駆り立てられるエゴは、とにかく費用対効果、コスパ、それをやったらどうなるのか?を知りたがり、それが分からないと無意味なものだとみなしますし、明確にそれを示してくれるものに対して、むやみやたらに飛びついてしまうこともよくあります。

自身の内なる静寂に向かうことは、そうしたエゴの衝動的な在り方とは真逆のことで、明確にコスパや未来像をしてしてくれることはありません。

確かに、そうした在り方のメリットを説明してくれるものはあるかもしれませんが、エゴの頭で理解できるような形で原因と結果、こうだからこうなるというような説明ではないでしょう。

内なる静寂は、そうした直線的な因果律で説明できる働きをはるかに超えた働きとパワーを持っているので、エゴの理解の仕方にはそぐわないのです。

ここが私たちを内なる静寂に向かわせる弱点でもあり、一方でそのことは私たち自身の在り方を試す関門と言えるかもしれません。

つまり、エゴの理解を超えた在り方に根本的に移行していくことに同意するのかどうか?と言う問いかけです。

在り方への問いかけは、頭で答えることはできません。自身の存在のあらゆるレベルをかけた実践によって、応答していくものです。

落ち着かない感情のエネルギーが浮上する中で、自身の静寂に向かうという通常あり得ない在り方を実現するには、それなりのプロセスがあることと思います。

私自身も、日々数えきれない失敗と挫折を繰り返しつつ、ただ諦めないことだけで何とか歩みをつないでいます。

最近は特に「ダメな自分」に向き合うことが多いのですが、「ダメだなぁ」という失望感などが浮上するときは決まって頭の中に思考があれこれ駆け巡っているので、その中で何度も何度も、内なる静寂に意識を向けるということをしています。

なかなかできないものですけれどね。最も深い痛みの感情を、内なる静寂で支えるというようなイメージになるでしょうか。

これは、今までたくさん感情を受け止めることをやってきたから、できないなりにも、たぶんここまでできるようになったのだろうと思うのですが、しっかり静寂に留まれると、さざ波立つ感情の不快感がす~っと落ち着いていくのが分かります。

この原理、場の浄化にも使えそうだなと、直感的に思いました。あるいは、時空を超えた癒しにも。

古今東西のマスターたちは、きっとこうして世界に尊いバイブレーションを送り続けてきたのでしょう。

よく、聖者は行動することによってではなく、ただ静かに座すことによって、偉大なる働きをしているのだということが言われます。

それに対して、いつの時代も「そんなのあり得ない!聖者も行動すべきだ!」という意見があったりして、一体聖者が何をしているというのか?と理解できない人も少なくはありませんでした。

けれど、確かに静寂のパワーは人の行為よりもはるかに凄まじい、桁違いの働きをしていました。

自身の内なる静寂が自分を超えて広がっていくのを感じながら、何だか変容が起こっているようです。まぁ、起こることとともに居るとしましょう。

内なる静寂のブラックホールに引き込まれそうな感じがしていますが、しっかりそれを実況中継する左脳が働いているところがまた私らしいと言えば私らしいのかも。(^^;

エネルギーが落ち着くまで、ちょっとかかりそうなので今日はこのくらいにしておきます。

満月を前に、色々始まっているようです。

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覚えていることの恩寵

明後日は満月ですね。特に今月の満月は「ウエサク満月」と呼ばれ、特別な意味を持っています。このウエサクの起源はインドにあり、お釈迦様の誕生と悟りを開いた日、入滅の日が全てヴァイシェーカ月(インド暦の第2月)の第一満月だったという伝承から来ているそうです。

ウエサクという聞きなれない言葉は、このヴァイシェーカがなまったものと言われています。ウエサク満月を祝う習慣はタイやミャンマー、チベット、タイなどアジア各地に広がって、日本でもこれに合わせたお祭りをするお寺などありますね。京都の鞍馬山のウエサク祭は有名です。

そんな特別な満月の日に、サロンでも瞑想会を行います。ここのところ、夜空に浮かぶ満ちつつある月を見ていると、とてもパワーが強いな~と言う印象があるのですが、満月の日はパワーマックスになりますね。まだお席はございますので、興味のある方は是非お越しください。お申込みはこちらからどうぞ。

さて。今週の無料遠隔ヒーリングは「人生を導く大きな力(神)」がテーマなので、神について色々と思うことが多くなっています。

私たちは日々、様々な出来事の中で揺れ動く心情を体験します。今日はとても幸せだった!と思う日もあれば、次の日には人生最悪の日だったということもあるでしょう。

一喜一憂する気持ちに振り回される中で、変わらず神に意識を向け続けることはなかなかのことだと思ます。

私自身、今は在る意識状態になればいつでもプレゼンスの神に触れることはできるようになっているのですが、日常の心乱される出来事の中で、神へ意識を向けることを容易く忘れ去ってしまいます。

本当は、普通にしている状態でいつでもそれを感じられているのが良いのでしょうが、まだまだですね。

できる限り細切れの時間を見つけては自身の内側に居るこの神に触れるようにして、少しずつの積み重ねで、自分の存在のあらゆるレベルに神が体現できればいいな、と思っています。

大胆な願いかもしれないと思う一方で、それは本来の人間の自然な在り方であり、全ての人が当然そうであるべきだとも思うのです。

神と人間とのつながりを言うとき、少なからぬ人が、神に自分の意思をねじ伏せられて支配されてしまう!と感じるようです。私自身もかつてそのように思っていたことがあるのですが、実際神に触れてみれば、それはそういう類のものではないことが分かります。

そのような人は、恐らく魂の記憶の中で、神の名のもとで耐え難い苦しみを味わってきたのだと思います。私自身もそうだったので、今でこそかなり癒えてきていますが、かつては「神アレルギー」でした。どんなに頭で違うと分かっていても、それとは関係なく苦しいアレルギー反応は勝手に出て来てしまうのです。

そのアレルギーを癒せたのは、神に関するたくさんのネガティブなストーリーに絡みついていた未完了の感情を解放してきたからです。ある程度の時間をかけて段階的に癒えてきたのですが、神に本当に向き直る覚悟ができたのは、つい最近のことです。

神との関係がこじれているということは、すなわち自分や世界、他者とのあらゆる関係がこじれていることになります。だから、自分は無神論者だから関係ないとかいうことではないのです。

概念ではない、リアルな神は、今この瞬間にも全ての人の中に存在しています。そしてそれは、一部の特別な人だけが触れることのできるというものでもありません。おそらく、ここに触れずに意義ある人生を歩むことはできないのではないかと私は思っています。

私たちは、概念の神にすら、自分が苦しい状況に突き落とされると、途端に「見捨てられた。助けてもらえない。神は当てにならない。神なんていない!」と自ら神から離れていくことがよくあります。

けれど本当は、辛い状況になったときほどしっかり神に意識を向けていることが大切です。とは言えそれは、なかなか一筋縄ではいかない難しさがあります。

じりじりと不安に身を焦がすときや、荒れ狂う感情の嵐に我を見失いそうになるときでも、神を思い出し、そこに意識をじっと向けられることは、聖者の言葉の通り、まさに恩寵であると思います。

インドの聖者ラマナ・マハルシは、「私を覚えていることが恩寵である」と言いました。

出会っても、すぐに忘れていく人もいたり、さっぱり覚えない人、そもそも出会わないという人もいます。そんな中で、出会い、今日覚えている。翌日も朝目が覚めたらまだ覚えている。1週間後、1か月、1年、5年後にまだ覚えているということ自体、確かに恩寵以外の何物でもありません。

そういう意味で、私も師であるレナードの存在をまず知ったことが最初の恩寵であり、実際に会えたこと、その後今に至るまで離れずにその教えを実践し続けてこられたことが、どれだけの恩寵なのか、思わずにはいられません。

苦しいことがあるとき、自身の内なる神を思い出せる恩寵、そこに深く意識を向け、導きに触れられる恩寵、それを繰り返し、継続し深めて行ける恩寵。そうした恩寵を、祈り求めて行きたいものです。

人生は、とかく迷いやすいものです。意識を定めるものがなければ、容易く自身の居場所を見失い、混乱してしまいます。どうぞ自身の深奥に深く根を下ろして、「否定のしようのない真実」に触れていかれますように。

私たちが、人生に満ちている恩寵の数々に気づくことができますように。

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人生を導く大きな力とパラダイムシフト

昨日は感情解放ワークショップでした。ゴールデンウィーク中にもかかわらず、お集まりくださったみなさま、ありがとうございました。

継続してご参加くださっている方々でしたので、最近浮上しているテーマや、取り組みの進捗などをお伺いしながら質疑応答など進めていきましたが、実践部分では、みなさんそれぞれに深いものを受け止めていらっしゃったと思います。

私自身にもあることですが、深く抑圧された感情でよく出てくるものの一つに、「見捨てられた絶望」があります。誰しも、こんなものは味わいたくないものだと思いますが、どんなに抑圧しても、これを持っている限りは日常の様々な場面でこれがトリガーされて、自身の言動に影響を与えてしまいます。

たとえば、見捨てられたくないが故に、相手の望むような自分になろうと過剰に頑張ってしまったり、認めてほしいとあらゆる方法で相手の気を惹くような行動をしてしまったり、といった具合です。

相手に見捨てられることの痛みは、人によって様々ですが、ものすごくショックを受けて凍り付いているとか、生きていけない、死んでしまうほどの恐怖を感じる。守ってもらう人がいない心細さ、途方に暮れる感じ、存在する価値がないという無価値感などが浮上したりします。

単に「見捨てられた絶望」といっても、このように人によって微妙に異なった感覚や感情があるので、漠然としているよりは、できるだけ詳細にその感覚や感情を見ていった方が、解放はよりスムーズに深くなります。

そのために、その「見捨てられた絶望」を感じた具体的な場面をイメージしてみるのはとても有効です。

そうするとより生々しい痛みが浮上して来るので、まだ辛い感情を受け止める心の筋肉がついていない人はすぐに眠くなってしまったり集中できなかったりして難しいかもしれませんが、ゆっくりと少しずつでいいので、命の呼吸をしながら身体の感覚とともに、受け止めていかれると、随分楽になると思います。

心の古傷にふれるのは、なかなかに辛いものです。けれど、蓋をして忘れればそれで終わるかと言えば、けっしてそういうことはありません。

きちんと対処されなければ、いつまでも傷はじくじくと痛んで膿み腫れて、触れるたびに痛みを発します。心は見えないので、外傷ほど丁寧に対処されないことが多いですが、それ故に、自身が気づいて対処が必要であると認識できることが重要です。

自身の現実に、なぜ繰り返し傷口に塩を塗るような出来事が起こるのか、不思議に思う経験がある方も少なくないでしょう。それはすなわち、痛みを忘れて傷を放置しないように、きちんと対処するようにというメッセージなのです。

傷ついた自分を大切に慈しんで、ケアしてあげる気持ちを、どうぞ自身の中に育ててください。

傷ついているほど、自分を大切に思えなくて、価値の無い存在だという風に自身を扱ってしまいがちです。また、そんな自分を憎んで、自分を汚したり、余計に傷つくようなことをしてしまう、いわゆる自傷行為のような行動に駆り立てられる衝動を抑えられない時もあるかもしれません。

とても苦しい状態だと思いますが、どんな地獄であろうと、私たちは永遠にそこにいるわけではありません。必ずそこから脱出していく時がやってきます。

空っぽになった自分のエネルギーが少しずつ少しずつ溜まって、あるとき、再び立ち上がって歩き出そうと自然に思えるように成るタイミングが来るのです。

人生は、辛抱強くあなたが再び立ち上がる日を待ち続け、そしてそこに向かって導いていくでしょう。

けれど、しばしば私たちはそんな人生の導きにどうしても背を向けずにはいられない心境のときもあります。差し出されている救いの手を振り払って、「もう歩きたくない!」と再び死んだように彷徨うことを選んでしまうのです。

私自身もそういうことがあったし、サロンに見える方の中にも、少なからず意識・無意識的にそういう選択をしていて苦しんでいる方があります。

そういう選択を方向転換するときは、なかなかに苦しいものです。口惜しさ、怒り、悲しみ、どうしようもない閉塞感、神への憎しみなどといったものを受け止めながら、自身の在り方を再選択していかなければなりません。

こじれてしまった人生との関係を、再び健全な形で結び直すには、今の在り方をいったん、崩さなければならないのです。この作業が、なかなかに苦しかったりするのですよね。

ただ、このプロセスを経る中で、私たちは以前よりもぐっと深く人生を導く大きな力を感じたり、様々なものに感謝したり、霊的な成長を経験したりします。

「私が私が」という「我」で生きていたこれまでの在り方が、大きくシフトチェンジしていくのはそういうときなのです。また、このシフトは私たちがより大きなパラダイムで生きていくようになるには、不可欠なものです。

人生のあらゆる側面で行き詰まりを感じているときは、まさにこのシフトを経験していくタイミングに来ているということなのかもしれません。

自分に正直に、埋もれていたあらゆるわだかまりを吐き出して、人生を導くこの大きな力に、「ガチで」相対してみてください。必ず、何かがあなたの中で変化していくでしょう。

 

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