日々の気づき

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神の愛

遅くなりましたが、 第337弾のご感想と、4月15日感情解放ワークショップのご感想をホームページにアップしましたので、参考になさってみて下さい。

さて。23日の夜にレナードの清里リトリートから帰ってきて、じっくりと余韻を味わっています。毎回参加していても、その都度違った気づきと学び、そして宿題をもらって帰って来るのが、私にとってはかけがえのない機会となっています。

そして、そこに参加されている方々、新しい出会いはもちろんのこと、特に何年も前からともにレナードの教えを学んでいる方たちにお会いするのは、私の中では特別な意味合いを持っているのだな、ということを今回改めて感じました。

多分、他の方も同じように感じていらっしゃる方は多いのではないかと思います。というのは、決して楽なことばかりではないこの教えを真摯に実践されている方々は、教えの素晴らしさも道の険しさも良く分かっているので、互いに多くを語らなくても、プレゼンスという共通の認識の上で通じ合うものがあるような気がするからです。

私にはそうした皆さんが、それぞれのフィールドの上で勇敢に戦う戦士のように見えます。

そして今回のリトリートでは、私の中に埋もれていた胸をえぐられるような感情がたくさん浮上し、解放されました。

4日間のリトリート中、3日が終わった段階で、私は自身のプレゼンスがなかなか深まっていないことに焦りを感じていました。

とてもコミットして参加したはずだったのに、周囲の方々がとても深いプレゼンスを体験されている様子を見るにつけ、一体私はこれまで何をして来たんだろうと情けなく思えて仕方ありませんでした。

そうして迎えた最終日に、私はいかなるものをも受け止めることを心の中でコミットして、レナードにガイダンスを求めました。すると、彼は私の中に在る、彼と神への憎しみを浮上させました。これまでにも繰り返し取り組んできたテーマでしたが、まだ憎しみは深く私の心に残っていたのです。

振り返ってみれば、これまでのリトリートや、それ以前に行われていた週末ワークショップの時代から、彼は何度も私の中のこの憎しみを浮上させようとしてきていました。

みんなの前で極めて厳しい言葉を浴びせられたことも一度ならずあったし、他の人には容易に与えられるものが、私には決して与えられないと感じたことも多々ありました。

そのようにされても、私の中で、彼への信頼が揺らぐことは一度もありませんでしたが、彼もまた、その姿勢がブレたことは一度もありませんでした。

彼は自分が相手から好かれようが憎まれようが、そんなところには微塵も関心がなく、あるのはただその人の魂の目覚めのみです。

彼はリトリートで、「私を憎みなさい」と言いました。埋もれた憎しみは健全ではありません。だから浮上させ、表現されなければなりません。

たとえそうであったとしても、「私を憎みなさい」という言葉は、普通の人がそうやすやすと言える言葉ではないでしょう。全く動じることもなく、そう言えるレナードはやはりすごいな、とどこかで感心しながら、私は自分の中の憎しみを浮上させました。

その瞬間から、待っていたかのように胸をえぐるような痛みが深く、胸やみぞおちから下腹部へと降りて行くのが分かりました。と同時に体が震え、涙がとめどなく流れてきました。

特に神への憎しみを感じるとき、私の中でそれはすぐにどうしようもない虚しさに変化していきます。私がどんなに憎もうが嘆こうが叫ぼうが、神は何の痛みも感じない。そのことに深い虚しさと無力感を感じるのです。

これまでは、これが出てくると途中でそのストーリーを信じてしまって、途中で止めていましたが、このときはこれもそのまま感じれば良かったのか、と気づくことができたので、湧き上がるがままに虚しさを感じて行きました。

憎しみと虚しさと無力感、悲しみに打ちひしがれながら、心の中でずっと「痛い、痛い、痛い」とつぶやいていました。私の魂はこれを受け止めたくなくて、もう何百年、何千年も逃げ続けてきたのでしょう。

けれど、今の私はこれだけのものが出てきても、逃げることなく受け止めることができます。やっと、このタイミングで準備ができたのでした。

これまで私は、レナードから「あなたは準備ができていない」と言われたことが何度もあったのですが、その時私は、何をどう準備すればいいのかさっぱりわかりませんでした。自分なりに準備して参加しているはずなのに、その言葉は心外だったし、かと言ってその準備についてそれ以上語られることはありませんでした。

だから私は暗中模索するように、その時自分ができることをどうにかしてやる、ということをコツコツ積み重ねて来るしかなかったのです。けれどそれがようやくこのタイミングで実を結んだということのようです。

あるヨギの自叙伝」の中で、ヨガナンダがグルのシュリ・ユクテスワの余りにも厳しい指導を、麻酔無しで歯を抜かれるがごとく、というような表現をしていたと記憶していますが(正確な表現ではなかったかもしれません)、グルの指導は、時にエゴにとってはそれほどまでに熾烈なものになり得るのです。

けれど、それはグルのエゴから来るものではなく、完全に恩寵です。

今、こうして長年の彼の厳しい態度の意味を理解するにつけ、そこに計り知れない愛と恩寵を思わずにはいられません。

神の愛は、決して私たちが望むような形ばかりで表れるわけではないし、一見正反対と思えるような厳しい姿でやってくることもあります。その計らいに私たちが気づけるかどうかは、ひとえに私たちがどれだけ実践的な努力をしたか。そして、魂が成熟したかにかかっています。

今回のリトリートは、その最中よりも終わってからの方がジワジワとプレゼンスが深まっているように感じます。憎しみの解放はまだ続いていて、どこまで続くのかと思えるほどに後から後から湧き出してきます。

けれど、終わりを思うことなく、出るままに出させてあげようと思います。そして噴出する恨みの中でも、不思議と静寂のスペースが広がっているのがはっきりと感じられます。これは今までになかった感覚かもしれません。

プレゼンスの種は、私の中でしっかりと育ってくれていた。そう感じた瞬間でした。

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真理の法

仕事柄、色々な方から様々なご相談を受けることは多いのですが、最近、私の中ではかなり古いパターンのテーマをトリガーする出来事が立て続けに起こったので、これはまた注意して取り組まなければ、と思って見ています。

ヒーラーになりたての頃、様々なヒーリングのエネルギーやテクニックを使ってできることがたくさんあることに、なんでもできるんだ!ととても安易に考えていたことを覚えています。

そんな風に思えたのは最初だけで、やっていく内にとてもそんな簡単なものではないのだな、ということはすぐに分かったのですが、それでもできることはまだまだあったので、おこがましくも、色々な人を「救ってあげたい」と思っていたことは確かです。

ヒーラーにとって、こうした思いは色々な意味で、非常に注意を要する思考になります。

なぜかというと、「救ってあげたい」と思うと「救ってほしい人」が引き寄せられてくるからです。けれど、本当のところ、ヒーラーが他者を救うなど、できることではないのです。

クライアントさんが良くなっていくのは、ヒーラーの力なのではなく、その方自身の内からやってくる力によってそうなるのであって、そこを取り違えてしまうと、エゴのパワーの押しつけて、その人が内なる力につながっていく機会を奪った上に、グロテスクな共依存関係を構築してしまいます。

そのようなことはクライアントさんにとって真の救いにならないばかりか、「百害あって一利なし」だし、自分もボロボロになっていきます。

幸いにして私はレナードに出会うことでそうした勘違いから脱する機会を得ましたが、今でも、その人が本来引き受ける学びの機会を奪っていないか、私のサポートはその人自身の内なる力につながっていくために働いているのかと、日々問うています。

そんな中で起こったある二つの出来事は、私がまだクリアできていない要素を見事に突いてきていると感じました。

仕事の上では、私もかなりその辺りの境界線は引けるようになってきたのではないかと思うのですが、友人など、よりプライベートな関係において、曖昧になっている部分があるようなのです。ワキが甘いんですね。

ヒーラーという仕事は、私にとって単なる仕事ではなく、私というアイデンティティと不可分に結びついている「在り方」そのものです。故に、ここから先は仕事で、ここまではプライベートね!という線を引くことはなかなかに難しいのです。

その状態で人と関わっていくと、無意識なのですが、気が付くとみんなの心のケアやサポートをするような状況になっていたり、こちらから何か水を向けているわけではないのですが、相談を持ち掛けられるということがよくあります。

簡単にお話を聞いて、一言二言アドバイスを差し上げることでその方が「そっか~♪」と気づきを得るというくらいだったら何の問題もないのですが、聞いている内にどんどん深いところに引き込まれて行くケースもあって、そうなると、「ここから先は仕事になるよ」というのを言うタイミングを逃してしまうこともあります。

相手の方も、その辺り分かっていてあえて曖昧にしているのか、夢中になりすぎていて一線を越えてくるのか、そのどちらなのかもしれませんが、なかなかに切り分けるのは難しいことがあります。

まぁそれは私の隙ゆえの言い訳なのですが、エネルギー交換のないこうした関わり合いは、終わった途端にひどく消耗する感じと、モヤモヤした感情が残ります。

決してその方を責めているつもりはないこと、あくまでこれは私のストーリーであることをお断りしたうえで、私の中のどんな在り方がこの状況を引き寄せているのか、今一度しっかりと向き合っていかなければならないと思っています。

というのは、これは私だけではなく、相手の方にとっても健康的な状況ではないからです。

ずるずるとこのような状態を引きずってしまった結果、その人が真に自身の内なるパワーにつながっていく機会を奪っていたのかもしれない、と思うこともありました。これは、私が最も嫌う在り方の一つです。

なぜ、私はバウンダリー(境界線)を保つことができなかったのか。

やはり、「助けてあげたい、役に立つことがあるのなら」と、表面的なところだけを見て引きずられてしまったということなのでしょう。そしてまたそこには、「良い人でありたい、悪く思われたくない」という、打算もあったことは確かです。

つまり、私は取引をしていたことになります。いわゆる、パワーゲームですね。「あなたの欲しいものをあげるから、私を大事に思ってね」という取引です。

レナードがすごいな~と思うのは、相手がどう思うかなんてことにはまったくお構いなしで、意識の一片もそんなところには無いというところです。彼が全幅の信頼を寄せ、コミットメントしているのはプレゼンスのみ。

何かの本で、「覚者は人の法には従わない。ただ真理の法にのみ従う」という言葉があったのですが、まさにその通りです。

相手は困っているし可哀想だから、というのはあくまでエゴの見たストーリーであって、私はもっと深いところに流れる「真理の法」を見て、それに従えるようにならなければいけないのでしょう。

もっと、根本的に「真理の法」に溶け込んでいけるように。そんなことを思った出来事でした。

 

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ミッションとコミットメント、そしてパワー

最近は、とても真剣にご自身に向き合っていこうとされている方々がたくさんサロンに来て下さって、本当に有り難いことだな、と出会いに感謝する日々です。

そうした方々が求めて来てくださるような場に、このサロンがやっと少しは応えられる位になれたのかな、と変化していかれるみなさんのお顔を拝見しながら、感慨深く思います。

これまで様々なところで逃げたり自分を偽ったりして息苦しさを感じてきた方々が、そんな生き方を止めて本当の自分を生きていこうと思ったとき、たくさんの恐れなどの試練にぶつかることがあります。

どうやってそれらの試練を乗り越えていくのか、一人ではやり方も分からないし道なき道を行くような不安も絶えず付きまとうでしょう。

そんな方たちのために、サロンがひととき、心細さを癒し、心を休める場であったり、自身が行くべき道に指針を得られるような、そんな場で在れたらと思います。

私が自身に向き合い始めたとき、物理的にサポートを得られるような場所を見つけることはできませんでした。

それは、私自身が人に相談することがあまり得意でなかったというのもありますが、誰に相談したとしても、納得いくものは得られないだろうとどこかで思っていたからでもあります。

そして何より、自身との対話に誰かが介在することを良しと感じられなかったのです。

だから、私が感情解放のワークを始めたとき、私はそれまで付き合いのあった様々なヒーラー仲間たちとの交流を、自然と避けるようになりました。

誰かに何かを言われて迷うのが嫌だったし、余計に混乱したからです。

もし私と同じようなプロセスを別の人が辿ったなら、もっとオープンに人の助けを借りて上手に乗り越えていく人もあるかもしれませんが、私は他に選択肢はありませんでした。

指針となるものはレナードの教えと、インドの覚者をはじめとする本だけで、日々自分自身の内から浮上して来るものと格闘していました。

それまでそこそこ積み重ねてきたヒーリングのやり方も全部捨てた上で新たに始めたので、本当に自分の歩んでいる道がこれでいいのか、この先どうなるのかも全く確信は持てなかったし、日々湧き上がってくる不安と焦りに苛まれていました。

けれど、それでも今自分の目の前に差し出されてる道を行くしかないような、これを避けてはならないという確信のようなものはありました。

とても心細かったし、孤独でしたが、この道のりを行くことができたのは、ひとえにインドの覚者の言葉からやってくる恩寵の故でした。

それらの言葉は、翻訳のフィルターを通ってもなお、恩寵の本質を失うことなく、私に命を与え続けてくれました。その意味を正確に捉えているとは言い難い認識でさえ、ダイレクトに行間からやって来る恩寵に、何度涙したか分かりません。

だから、私の孤独だった歩みは、常に恩寵とともに在ったことを私は確かに知っています。

このようにして、幸いにも私は恩寵を感じながら新たな道の生みの苦しみを乗り越えることができました。けれど、新たな自分に出会っていく旅において、私のようにダイレクトに恩寵を感じることができない方もあるでしょう。

そんな方たちのために、少しでも私に与えられた恩寵が、何かしら分かりやすい形で伝わって行けばいいな、と思っています。

あの時与えられたギフトは、私のためだけではなく、後に出会う方たちのためでもあることを、当時もどこかで感じていました。自分のためにやっていることに違いはないけれど、これは決して自分だけの歩みではないと、確信があったのです。

かと言って、それがどのような形で役立つのかは、想像もできませんでしたが。

今、感情解放ワークショップの開催も100回を超えています。これまで、参加されたみなさんから様々な気付きをいただきながら、試行錯誤を繰り返し、未熟な私とこのワークショップを育てていただきました。

本当に感謝です。(-人-)

私自身のコミットメントも深くなってくるとともに、揺るぎなく、自身のミッションというものも体感覚を通して奥深くから湧き上がるパワーとともに感じるようになってきました。

私は、自分に真摯に向き合おうとするその方自身が諦めない限り、その人の側に在って、その方が自身の真実に触れていく歩みをともに歩みます。

これは、私自身のコミットメントです。

けれどこの言葉は、私個人が言っているというよりも、もっと大きな何かが言わせているような気がします。なぜなら、私が自身のミッションにコミットメントするほどに、その存在からのパワーと強烈な願いのようなものを感じるからです。

私はまだ、「その方が諦めない限り」という条件付きですが、「その人がいかなる状態にあろうとも、全ての人とともに歩む」というのがその存在の純粋な望みのようです。

かなりハードルが高いですが、今自分にできることを地道にやっていくことにします。

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内なる声につながるために

今週20日から23日まで、リトリート参加のためにサロンはお休みをいただきます。お電話でのお問い合わせなどは対応できなくなりますので、メールなどでご連絡いただけますようお願いいたします。

さて。サロンには様々な方がいらっしゃいますが、みなさん、少しでも今をより良く生きようと、あらゆる模索を重ねているのだろうと思います。

そんな中で、しばしば人生の大きな転換期の真っただ中か、あるいはその少し前にいらっしゃる方が多いような気がするのですが、見るべきものをしかと見、行動すべき時に時を移さず行動できるかで、人生の荒波の時期を超えていく心情が随分違ってくると思います。

私たちは大抵、人生で大変な時期を迎える前には、何かしらのサインを事前にあらゆる方面からもらっているものです。

私たちを守り導いてくれる存在も、「気づきなさい。方向転換しなさい。備えなさい」というようなメッセージを一生懸命送ってくれているのですが、しばしばそうしたメッセージに私たちは意識、無意識的に耳を塞ぎます。

なぜなら、それを聞いてしまったら、自身のこれまでの在り方を大きく変えていくプロセスに踏み出さなければいけないということが分かってしまうので、それが恐くて仕方がないからです。

そのようにして逡巡している内に、準備すべき時間を無為に過ごし、荒波に突入していく方もいないわけではありません。

私たちはしばしば、自分がどうしたらいいか分からない、それを知りたいと言います。そういうとき私たちは、ほぼ自身の内なる声につながれていません。そして、その状態でいることに対するメリットがあるので、そうなっているわけです。

内なる声は、心地いいことばかりを伝えてくるわけではありません。心地良いこともそうでないことも同じように受け取って、応答していく姿勢に転換して行くということに、同意できるのかどうか。そこが内なる声につながっていくために、どうしても必要なポイントなのです。

どうしたらいいの知りたいと言いながら、それに応えるつもりが無いのなら、内なる声は決して聞くことはできません。

人生の転換期というのは、この辺りについて軌道修正を求められることが多いように思います。そしてそれはしばしば、私たちが最も苦手とするところなのです。

心にも慣性の法則というのはしっかり働いていて、私たちは慣れ親しんだところに居着きたいという傾向があるものです。けれど、そこが既に自分に取って賞味期限切れになっているのにしがみついてしまうと、人生のあらゆる部分に無理がきます。

人生の荒波は、そうした私たちの習性を見越して、否応なく私たちを次のステージへと押し流していきます。それは、ある種の恩寵であり、魂の抑え難い成長への欲求の表れといえるかもしれません。

大きな変動の時期だからこそ、私たちはしっかりと自身の拠るべき軸を見つけていくことが大切です。

今まで、自分の軸を持っていては人生を穏やかに過ごせなかった人もあるでしょう。自分を殺して、相手に合わせることでどうにか今まで生きてきた人は、自分の軸を持って生きていく在り方に転換して行くことになるわけですが、散々否定されてきたその軸を改めて建てようとしたときに、過去に受けた傷が浮上して来るのです。

それに向き合い、癒していくことで、自分が本当は何を感じ、どうしたかったのか、自身の尊厳を持って表現することができるようになっていきます。

頭だけの掛け声だけでできる部分ばかりではないので、こうした心の構造をしっかりと知った上で、いたずらに自分を責めることなく、使うべきエネルギーを効率的に創造的な方向へ向けられるように、取り組んでいかれるといいでしょう。

消し去っていた真実の自分に出会っていくプロセスは、決して苦しいことばかりではありません。とても深い安ど感や安らぎ、自信、在るべきところに在る調和した感覚などが戻ってきますし、現実も様々な変化を見せていくでしょう。

恐い、辛いという部分にばかり囚われていると、足はすくむばかりです。そうではなく、その先に広がる自身の可能性をしっかりと見て、プロセスを超えていく勇気を祈り求めましょう。

自身の可能性を深め、広げるチャンスを、存分に活かすことができるように。これ以上ない充実した期間だったと思えるように。

みなさまの歩みが、恩寵とともに在りますように。

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秘密の扉

先日の瞑想会の時に、話の流れの中で、同じ言葉を使っていても指している内容が全く違うことがある、というような話をしたのですが、これは具体的な対象物に限らず、抽象的な概念についても言えます。

たとえば、最近はあまり読まなくなっているのですが、以前は私もスピリチュアルな分野の本を色々と読んでいました。同じようなテーマを扱った本だと、使っている言葉も同じようなものがあちこちで出て来て、ぱっと見、同じことを言っているのかと錯覚することがあります。

けれど注意深く読んでいくと、ある人の書いた本はしっくり馴染んで、行間に表現されている宇宙観のようなものが垣間見えるようなときもある一方、別の人の書いた本は、同じ単語を使っていながら、そこに何の響きも感じられないということもしばしばあります。

あるいは、同じ単語を並べているのに、その言葉で表現しようとしているものがそもそも違うものだったり、領域の広さや深さが全く違うということもあります。

私たちは、意識・無意識の内にそうした「言葉という記号」で表された著者の見えない意識も読み取っているので、明確に「ここが違うのかな」と認識できなくても、何となく違和感を感じたりして、自分の在り方との相性などを見極めたりしているのかもしれません。

こうしたことは、言葉の表現だけに留まらず、音楽や芸術分野ではさらに如実に表れるものなのでしょう。同じ歌を歌っていても、どうしてこれほどまでに人によって心を揺さぶる歌になったり、単なるBGMになったりするのか、そこには技術以上のものがあるのは確かです。

特に日本には、「型」の奥に極限まで研ぎ澄まされた精神性を込めるという伝統的な文化があるような気がするのですが、たとえば俳句などはその良い例です。

5・7・5の文字の中に、その場の状況や人物の心情、過去や未来といった時空間の広がりまでをも繊細に表現しようとする文化は、世界にも例がないのではないでしょうか。

そうした技術が文化としてあるということは、翻って言えば、私たち日本人の共通意識として、それが認識できる能力があるという前提があります。

一部の人にしかそのわずかな言葉の奥に表現されたものが読み取れないのだとしたら、それが文化として長く定着するはずがないからです。

日本画が極めて二次元的な表現であったり、日本の伝統的な音楽が西洋の音楽とは全く違った理論の上に成り立っているのも、音や空間、時間の「間」に確かに表現されているものを私たちが読み取っているということなのだと思います。

だから、明らかに分かっていることについて敢えてさらに説明する必要はない、ということでそこを省く。省くけれど、それが分かりにくくなるかというとそうではなく、逆に表現する側、受け取る側双方が、三次元世界の表現の制限をはるかに超えたものを自在にやり取りできるという自由を獲得しているのです。

「日本人は非常にテレパシックな会話をする民族である」ということを、在る存在が言っていたのが印象に残っているのですが、主語を省略するとか察して動く、空気を読むなどはまさにそういうことなのでしょう。

近年では、そうした日本独特のコミュニケーション文化が「面倒臭い」とか言われて弊害の面が強調されることが多いのかもしれませんが、実はこうした繊細なレベルを認識する意識の特性が、自分たちが生きている世界に対して向けられたとき、そこには全く違った次元の世界が広がって見えるのではないかと思うのです。

昔の人は、確かに現代人のように行動範囲は広くはなかったかもしれませんが、今の私たちが認識するよりもずっと、「水平方向に深く」この世界を認識していたのではないだろうか、とそんなことを思うわけです。

そんな意識で改めてこの世界を見てみたとき、どうしてこれがこんなところにあるのかとか、なぜ昔の人はそんな行動をしたのかとかいったことの理由も、何かわかってくることがあるかもしれません。

今の私たちには見えないものが、彼らには明らかに見えていたのです。見る人だけが見ることのできる、秘密の扉のようなものが、今この瞬間、私たちが生きている世界には、たくさんあるのだろうと思います。

ただ、それを見るにはほんの少し意識の使い方を変えるだけで、その扉を開けるカギは、ただ私たちの意識の在り方のみであるというような。

もちろん、そうした仕掛けを作った人たちには、どんな人がその扉をくぐるのかも、明確に分かっていたでしょう。

何だかロマンですね!

取り留めないですが、今日はこんな感じで。

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今この瞬間を深く読む

明後日15日の感情解放ワークショップですが、まだお席はございますので、浮上しているものがあってきついな~という状態の方や、新年度とともに新たなスタートを切りたい!という方など、ご自身と深く対話していきたい!という方はぜひどうぞ。お申込みはこちらからどうぞ。

さて。普段セッションなどで他の方のハイヤーセルフさんなどからメッセージをいただくこともやっているのですが、その割には自分自身のことについてはあまりメッセージをもらいに行ったりしないな~とふと思ったので、今の自分の方向性などを確認するために、久しぶりにメッセージをもらってみました。

こうしたメッセージの受け取り方は、人によって様々で、これが正解!という形はないと思うのですが、よくクライアントさんなどから、どんな風に見えたり聞こえたりしているのですか?と聞かれることも多いです。

私は元々勘は強い子供でしたが、いわゆる霊感というやつはほとんどなく、小学生の頃に自分のドッペルゲンガーを見た以外は幽霊とかも見たことがありませんでした。

けれど、母は普通に「見える」人だったり天然ヒーラーだったりするので、「お腹痛~い」とか言うと、まじないのようなものだったり手当だったりで治してもらうことが多かったです。

そんな家系的なものもあるのか、ヒーリングの勉強を始めてからは一緒に学んだ人たちに比べて、比較的よく見えたりエネルギーの感覚が掴めていたような気がします。

ビジョンなども最初からかなりはっきり見えていて内的視覚が優勢だったのですが、見えているものに引きずられる弊害に気づいたり、感情解放ワークに取り組み始めてからは、視覚よりも体感覚などその他の感覚の方が優勢になりました。

今はあまり「はっきりと形などを見る」ことにはこだわっていません。

よく、ヒーリングなどを学ぶ方の中で、「はっきり見えない、もっとクリアに見えるようになりたい」という方がいらっしゃいますが、見えることにこだわらなくても、もっと自分の得意な感覚を磨いていく方がいいのにな、と思うことがあります。

実際、そうアドバイスすることもあるのですが、やっぱり見える方がいい!という思いは、そう簡単には諦められない方が多いようです。

私がリーディングをするとき、はっきりとビジョンが示されることもありますし、文字として見えたり、温かさ、冷たさ、重さ、軽さ、淀み、クリアな感じ、光や暗さ、たまにですがにおいなどを感じることもあります。

形をはっきり見なくても、なぜかポイントとなる特徴などは示されて、語り掛けてくる存在の身に着けている衣装の糸の色や模様の形などがはっきりと見えることもあります。

そうした存在の言葉が聞こえることもありますが、多くは、その存在の思いや感情にフォーカスして読み取っています。

たとえば、はじめは何となく武士の存在が語りかけているようだと感じたり見えたりすると、さらにその武士が何を語りかけているのか、その心情などに意識をフォーカスさせます。

重苦しいバイブレーションなどが捉えられると、そこから深い悲しみ、無念さ、孤独などが出て来て、その感情の理由に意識を向けると、その方が体験された様々な人間模様が時代の背景を伴って見えてくると言った具合です。

そのように読んでいくと、その方が生きた時代の周辺の登場人物が何を感じてどんな行動をとったのかも、かなり詳細に明らかになってきます。

こうした感情を軸にした読み取り方は、視覚優勢だったころには多分あまりできなかったと思います。自分がドロドロした感情を受け止めることができなかったので、まず意識を向けることにブレーキがかかっただろうし、見えたとしても、深く読み込むことはしなかったでしょう。

感情解放のワークショップでは、よく「その人の表面的に見えている言動の奥にある、動機となった心情に意識を向けてください」と繰り返しお伝えしているのですが、まさにこのスタンスが私のリーディングにも活かされています。

人のあらゆる言動には、必ず理由があります。そうせざるを得なかったし、それを言わずにはいられなかったのです。それはなぜなのか。その人の中に入って、実際にその意識で感情や感覚を辿ると、明確な理由が見えてきます。

他にも可能性はあったはずなのに、と人はよく言いますが、その時その状況でのその人にとっては、他の可能性などはあり得ず、必然をもってそれが為されているわけです。

だから、自分の何かを変えたいと思うとき、今の自分を作っている必然性の積み重ねに取り組む必要があるのです。

私たちの魂には、無数の人生を生きた記憶が確かに眠っていると私は感じます。

その一つ一つの人生で、誰かを愛し、傷つけ、励まされ、見捨て、助けられという体験をしています。今この人生を振り返ってみても、私たちはどれだけの思いをしながら生きてきたでしょうか。

そして今世でも、時代や場所、登場人物や状況を変えながら、かつて生きた人生と全く同じ感情を味わっているのを見ることが多くあります。

なぜ繰り返しているのか、どうやったらその無限ループから脱出できるのか、そのカギが、今この瞬間い浮上する感情や感覚の中に在るのです。

知りたいことの答えはすべて、今この瞬間を深く読んでいく中で明らかにされます。

それは、リーディングなどができなくては分からないというものではなくて、その意志があるのなら、どんな人にも必ずその扉は開かれるでしょう。

あなたは、その扉を開けていくことを望むでしょうか?

準備のできた方は、ぜひ扉の向こうを旅してみてください。

 

 

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承認欲求と心の飢餓感

最近、たまに会うご近所のある方にイラッと来る感情があることに気づいて考察してみたところ、面白い気づきがあったので今日はこれについて書いてみます。

その方はちょくちょく私の実家の店に買い物に来る、私の親世代の男性です。

その方が買い物に来るとき、私が店の奥でウロウロしていることもあるので、顔を見れば「よう、○○ちゃん(私の本名の下の名前)、元気?」と声をかけてくださるのですが、なぜかそのことにイラッと来るのです。

普通だったら全然そういうことは無いと思うのですが、何かが癇に障るのですね。別にその方に悪意があるわけではありませんし、誹謗中傷の意図はありません。

さらに、あまり良くないことではありますが、その方を軽んじる思いなどがムクムクと湧いてきて、悪いことにその思いを助長するように、周囲の人がその人を軽んじる言動をするのです。

「あぁ、あの人はあんな感じだから、このくらいの扱いでちょうどいいんだよ」といった具合に。なぜかその人にはいい加減な扱いをしても、大抵の人は笑ってそれに同調してしまうような雰囲気があります。

最初にその人に対する「ウザさ」を感じたとき、それが、私が父に対して感じていた感覚とまったく一緒だと気づきました。世の中の父親というのはどうしてあんなにウザイものなんだろうかと、私の個人的な偏見であることを自覚しつつも、思ったものです。

亡き父も、よく私たち兄弟に対して大した用もないのにちょっかいを出してきてはウザがられていました。(父よ、ごめんなさいm(__)m)

なぜあんなにも不快な感覚が生じるのだろうと、不思議なくらいに「不快感のツボを突く達人」であったと今にしてみれば思うのですが、その理由が全く違ったあることを考察していた時に分かりました。

私はセッションやワークショップなどで、色々な方のお話を聞く機会も多いのですが、なぜかザワザワっとした不快な感覚が浮上するケースが稀にですがあるのです。

それは一体何なのだろうと振り返っていた時、相手の方と私自身の中のある構図が見えてきました。

私はセッションなどでは特に、相手の方のお話を、感情を中心に見ながらお聞きしています。

その方がどんな体験をされ、どのようにそれを捉えていらっしゃるのか、どこがこのセッションのフォーカスポイントなのか、受け止められなかった感情のエネルギーがどの辺りに埋もれているのかを見ているわけです。

ザワザワしたものがかき立てられる方は、とにかく息をつかせず一方的にストーリーをまくし立てるように話し、「対話」をしないという共通点があります。

私はじっとその方を感じながらお話を伺っていますが、その感覚が、その人にとっては「聞いてもらえている、自分に注意を向けてもらえている」という安心感や心地良さにつながるので、ますますまくしたてるような話し方に拍車がかかるようです。

そしてそういう方のもう一つのポイントは、そのように話している自分自身の体験と分離しているということです。つまり、自身の体験を感じ、受け止めないままにツラ~っと思考で表面をなぞっている感じなので、ギアがかみ合っておらず、空回りしている感覚があるのです。

私はその感覚を感じて、とても居心地が悪くなってしまうのでした。

そこまでわかったところで、そう言えば、と思い出したある人の顔がありました。その人も何回かお会いしたことがあるという程度の方でしたが、とても饒舌な方で、みんなを自分の話で楽しくさせたいという思いを強く持っている方でした。

気さくな方なので最初は興味を持ってお話を聞いているのですが、その方がご自身の体験を生きることからくる生き生きとした何かがすっぽりと欠けていることに気づくと、だんだんと聞いているのが辛くなってきます。

そうして少し退屈したような雰囲気になると、その方もそれを察し、注意を自分に引き戻そうとしてさらに饒舌さを増していきます。すると余計に白けていくという悪循環が展開されるのでした。

これら3人に対して私が感じた同じ感覚は、同じ心理的パターンから来ています。つまりそれは承認欲求ということなのですが、他者の注意をどうにかして自分に向けさせたいという行動パターンなのです。

なぜそれらの人がそうするのかというと、自分の内側に耐え難い孤独や無価値感、無力感などの感情・感覚を抱えているので、それを他者から注目されることで埋めたいわけです。

それは代償行為であり、他者のエネルギーを奪って自身の虚無を埋めようとする行為です。いくらこれをしても、自分でその虚無を満たせない限り、その心の飢餓感は止むことは無いでしょう。

言ってみれば、その人は「餓鬼」の世界でもがいているようなものです。

そして、その人の側にいて注意を向けさせられる人は、エネルギーをその人に奪われているので不快に感じるのです。

今ようやく、私が彼らに対して感じていた不快感の理由が判明しました。

彼らが私の現実に現れたということは、「鏡の法則」を通して私の中にも彼らと同じ心の飢餓感があるということなので、この不快感を辿ってしかとそれを満たしていきたいと思います。

思わぬところに貴重な気付きが転がっていました。

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コミットメントと意識のポジション

最近は、以前よりずっと内なる神を意識するようになっています。レナードは「神はリアルだ」と言いますが、以前彼のセミナーで誘導瞑想を行ったとき、本当に自分の中の神に触れる体験をして以来、私にとって神は概念ではなくなりました。

それはほんの一瞬の出来事だったけれども、人生を大きく変えるには十分な体験でした。

彼は、神を信じる必要はない。あなたがそれを体験すれば、それは紛れもなく真実なのだから。と言います。信じるという行為は、まだそれを体験していない時や、真実かどうかわからない時にするものでしょうから、確かにそれはその通りです。

あの衝撃的な体験から何年も経ちますが、あの時ほどの鮮烈さはないものの、最近は日常の中でもそれに意識を向けることで、確かに神がそこに居ることが分かるし、そこを基準として自身のポジションを整えることができるようになってきました。

朝起きて一日を始めるとき、セッションやワークショップの前、散歩で歩いているとき、何か決断をする時、不安に駆られた時など、日常のあらゆる瞬間に神と自身とのポジションを確認しています。

まだまだ入り口なのでしょうが、これをすると、あちこちにずれていた自身の存在のレイヤーがピタッと一直線に合い、軸が定まる感じがするので、これが本当のセンタリングということなのだろうとやっと気づいた感じです。

今までやっていたのは、上下左右前後に肉体とエネルギーボディがズレていないかを確認する程度だったので、今のようにぴったりはまるような感じではありませんでした。けれど、概念として今分かっていることを理解していたとしても、以前の私にはできなかったでしょう。

存在のポジションとコミットメントはとても深い関係があると思うのですが、私たちは普段、意識、無意識の内に、自分の存在を微妙に歪めてバランスを取っているところがあります。

なぜそうするのかというと、ある種の苦痛回避のためです。つまり、あまりにも苦し過ぎる感覚や感情に耐えられないと思うと、それを和らげようとするために、ダイレクトにそれらを体験しなくても済むように、真正のポジションから少し歪めて、感覚を鈍くすることでその体験をやり過ごそうとするのです。

よく身体などに痛みがある時に、身をよじるようにすることがあると思いますが、イメージで言えばそんな感じです。

ワークでは、内面的にそのように歪めて回避している苦しみを、少しずつ感じ、生きていくことでそのエネルギーを解放するのですが、そうすると、歪みの原因となっていたものが抜けていくので、歪ませなくても居られるようになっていくのです。

その結果、ポジションの調整が起こります。

ワークの中ではたびたび自身の在り方を選択することを迫られます。とりわけ根源的で大きな選択をする時は、自分がどう在るのか、明確な宣言を持ってしかとコミットメントすることがあるのですが、そのときはギアが大きな音を立ててガチン!と入るような感じがします。

こういうときは、エネルギー的にも大きな変容が起こり、しばらくその余韻が続きます。

そのようにして大小の変容、コミットメントを繰り返していく内に、だんだんとあちこちにズレまくっていた存在のレイヤーが真正の位置に戻ってくるようになるのです。

そうなると、それまでどうやっても深まることのなかった意識が、存在の垂直方向へとストーン!と深まって行きます。私の場合は、この段階で一気にグラウンディングが強くなった気がします。

プレゼンスの深さも、多分数年前よりは格段に、今ここに在るものとともに居られていると思います。まだまだ細切れの意識とは言え、一瞬たりとも居られなかった時代に比べれば、大きな進歩です。

このことについて、実はレナードも正確な表現は思い出せないのですが言及していたことがありました。さらっと話していたので、注意深く聞いていないと聞き逃してしまいそうなくらいの表現だったのですが、私はなぜかそのことを覚えていて、後にそれはこういうことだったのだと腑に落ちたのでした。

いずれにせよ、深まったとは言え、まだまだ浅いレベルをウロウロしている程度なので、ことあるごとに「内なる神とともに在る」選択を繰り返しています。

その中で、どうしようもない程不完全な自分を神に委ねるということを繰り返ししていて、不安が湧き上がるたび、自分を裁きそうになるとき、踏みとどまってその苦しみも、不完全な自分も神にお返しするようにしています。

どれだけワークをしても、ある一線を越えたところは、恩寵にしかどうにもできないところがあるのだろうな、と思います。アジャシャンティも、自身の目覚めのプロセスを記した「あなたの世界の終わり―「目覚め」とその“あと”のプロセス―の中でそれについて書いていました。

けれど、だからと言って本人の努力が全く無駄であるとか必要がないとは、私は思いません。

内なる神に回帰しようとするとき、恩寵とともに在るのは確かですが、神とともに在ろうと志向し続けるのは、やはり努力なくしては無しえないことでしょう。

目覚めるために、山のような努力をしなければならないというのも真実だし、それは完全に神の手の内にあるので私たちにできることは無いという言葉も、どちらも真実なのだと思います。

今私は、ひたすら「神の手の内にある自分を深く思い出していく」プロセスにあるようなので、その両方の言葉を同時に実践しているような気がします。

いずれにせよ、このプロセスにおいても、自身の「内なる神とともに在る」というコミットメントをひたすら実行していくのみです。

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プレゼンスとミッション

今週の無料遠隔ヒーリングのテーマは自身のミッションに関するものですが、使命というと、人によってはそれによってとても気持ちが高揚し、自分が特別な存在になったかのような感覚になったりするのかもしれません。

そして、何か具体的な行動を生き生きとしているといったイメージもあるでしょうか。

自身のミッションに従った結果として、そのようになる場合もあるでしょうし、そういう目に見える形にはならないこともあるかもしれません。

人それぞれにミッションの形は違いますが、今回のヒーリングで意図しているのは、ただ使命という言葉で湧き起こる、表面的な高揚感によって駆り立てられるようなものではなく、本当に自身がこの世界に生まれてくるときに神と交わした契約を、今この時にスイッチを押すというイメージです。

だから、表面的に焚きつけられて燃え上ってはすぐに消えてしまうような、そういう使命感ではありません。自身の魂の奥深くにしっかりと持っているものが、今芽吹いていく。そういうタイミングに来ていて、そしてこのヒーリングにご縁を感じる方たちのためのものです。

私自身のミッションについて、先日自宅にある火鉢に火を入れながら、思うことがありました。

私の自宅とサロンでは、趣味と実用を兼ねて冬になると火鉢に炭を入れて暖を取っています。(もちろん、エアコンも併用ですが)その火鉢に入れる炭に火を熾すとき、よく火が熾ってから火鉢に移さないと、消えてしまうことがあります。

表面だけカッカと火がついたように見えて、その火が持続するまでりっかり中まで火が熾っていないので、少ししてから見るとせっかくの火が落ちているのです。

そうなる前に、ちょっと火が弱かったときは息を吹き込んで、消えそうになっている火がしっかりと定着するように、面倒を見ます。

その作業をしていて、私の中のミッションの火はしっかり熾っているだろうかと、ふとそんな思いがよぎりました。

火が消えてしまった炭も、もう一度火を入れれば全く新しい炭よりは火の付き方も早いのですが、きっと私はこれまでの魂の旅路の中で、何度も消し炭になったことがあったのだろうな、と思いました。

それでも、今回は何度目かは分からないですが、これまでよりはきっと深く火が熾っているのではないかと何となく感じます。

力みすぎて力尽きてしまうことが無いように、余分な力を抜いて、そして常に自身の内なる神に意識を向け、それと一体になって流れるように。

自分でないものになろうと必死になるのではなく、ただ今ここに在るということから生まれてくるものを、起こるように起こさせていくことに対して、クリアであるように。

突き詰めていけば、自身のミッションというのは、究極の「自分で在る」ということなのかもしれません。

レナードは、「何をするかよりも、どう在るかが重要だ」と言います。

まず「在ること」が先にあって、そこから行為が起こっていくのですが、私たちはしばしば「すること」「為すこと」の方が重要で、「在る」ことはおざなりにしたまま、質の伴わない空回りしたような行為をバタバタとしています。

私たちが自身のミッションを果たそうとするとき、まず「今ここに在る」というこプレゼンスがベースになるでしょう。

私は魂のミッションというのは、神との契約だと思っているのですが、人によってそれをどうイメージするかは様々だと思います。

契約という言葉にネガティブなイメージを持っている人は、それを自分を縛る窮屈な制限だと感じるかもしれませんし、ポジティブなイメージを持っている方は、自身の存在のよりどころ、根っこのようなものに感じているかもしれません。

いずれにせよ、それは私たちの魂の中に組み込まれた、この人生を意味づける重要なカギです。自身のミッションが何か分からないという方は、よくよく自分と向き合い、自分を知ることが大切です。

自分自身の存在の響きに、じっと意識を傾けてみてください。

自身の響きの最もクリアなところに意識を合わせたときに、自分がいるべきときにいるべきところに居る安らぎと、パワーが湧き上がってきます。その時あなたは、光の柱となっているでしょう。

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コードの響きとともに在る

昨日の「虎嘯風生」の気づきに関して、今日たまたま目にしたある本の中で、「風は命である」という一節を目にしました。なるほど、松陰先生は呼ばれた者の中に、命を吹き込まれるのか、となんだか遠隔ヒーリングが楽しみになりました。(みなさんに働きかける前に、私自身にも働きかけるので)

以前、私自身のワークをしていた時に、「師の圧倒的な愛に触れたら、耐えられない」という言葉が浮上してきたのですが、今回、「虎の嘯き」に自分がどれだけ制限を外して行けるのか、じっくりと向き合って見たいと思います。

私はそれを恐れていますが、顕在意識の奥ではすでに始まっているようで、自分の奥から生まれ出ようとしている何かを感じています。ハートの奥で、地響きのような低い振動がしていて、熱くなっているのです。

自分が思うと思わざるにかかわらず、何かが進行していて、この流れは多分、自分でどうこうできるようなものではないのでしょう。せめて、生まれようとしているものを妨げないように、見守っていくとしましょう。

この日のために、太古の昔に準備されたコードが開かれようとしている。

ふとそんな言葉が浮かびました。

愛のコードを持つ私たちは、鍵です。鍵穴は、それぞれのコードを持つ私たちが、自身の内なるコードの響きを感じる中で、自ずとそれと分かるでしょう。私たちはただそこで、響けばいい。

ということのようです。分かる方には分かるでしょうか。

とても大切なことなので、今度の遠隔ヒーリングをお受けになる方は、どうぞご自身の内なる響きに注意深く在ってください。

私自身のコードの響きに深く意識を澄ませていくと、もう既に稼動しているそれが繋がっている先が見えてきました。それは、去年仲間とともに集っていた、そして今回の気づきをもらったきっかけとなったあの神社の地下につながるある領域でした。

去年のあの強烈な流れは、これから始まる流れの準備でもあったのだな、とはっきりと分かりました。

それは断続的に起こり、今も同じ流れの中にあるのでした。

不思議と、このコードを読んでいくともう一つ別の場所(領域)のエネルギーも強く感じて、それは去年の動きの時にも同時進行でかかわっていたのですが、今のところこれらがどうつながっているのか、私にはまだよくわかりません。

けれど、地面のプレートが動く時は、触れ合うプレート同士が同時に動くというのと同じようなことで、愛のコードとセットで、必要になって来るものなのかもしれません。

その別の領域に意識を向けると、とても鮮烈な光が身体の中に入ってきます。と同時に、重い波動の闇も感じて、それらが身体の中で様々な反応を起こしています。

その中で、かつてあちこちに見えていた光のポイントを巡っていた時に訪れた、いくつかの場所の記憶がよみがえってきました。

光のポイントは、とても気持ちのいい場所もある一方で、あまり心地よくない場だったときもあって、それでも確かにそこが光って見えるので、なぜだろうと当時も不思議に思っていました。

今回、記憶がよみがえってきた場所というのが、そうした重たい波動の場所で、先ほどの鮮烈な光と同時に感じた重たい闇によって、記憶が呼び覚まされたのです。

それらが関係あるのかないのか、興味のあるところではありますが、これ以上読み込むとストーリーに飲み込まれて行きそうなので、今はとりあえず一旦この辺りで収めておくことにします。

「複雑な流れをするので、気を付けるように」

ふと、8年前にうけたヒプノのセミナーで初めて見た侍の過去世で、最後に貰ったメッセージがよみがえりました。

取り敢えず、今はただコードの響きとともに在りましょう。

また気付きがやってきたら、その都度追記していきます。

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