日々の気づき

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まごうことなき誠をもって、今ここに根を張る

昨日は感情解放ワークショップでした。お暑い中お集まりくださったみなさま、ありがとうございました。今回もみなさん、たくさんの解放と気づきを得ていかれたと思いますが、お帰りの際には本当にキラキラ輝いた笑顔をされていたのが印象的でした。

大きな解放が起こった後は、その方のエネルギーフィールドがクリアになるため、エネルギーが見えない方でも何となくその方がすっきり輝いているように見えたり、目の輝きが断然きれいになっていたりという目に見える変化が表れることがよくあります。

特に昨日は、数時間のワークショップでフェイスラインがとてもすっきりされた方がいらっしゃいました。その変化が他の参加者の方にもわかるほどで、みなさん驚かれていたのですが、エネルギー的な滞りが解消されると、実際、肉体にも変化が表れるのですね。

これまでにも、ワークを続けてこられたことでアトピーがいつの間にかほとんど出なくなったという方もいらっしゃいましたが、本当に感情のエネルギーと肉体はつながっているのだとつくづく思います。

自分に向き合う作業はきついことも多いですが、長年確執のあった人間関係が解放されて全く何のわだかまりもなくなったり、自分でも理由の分からないまま、突然訪れる気分の落ち込みが消えて行ったりなど、良いこともたくさんあります。

感情解放のワークで根本的に見つめているのは、その方の霊性の成長であり、在り方を正すということなのですが、在り方が整ってくると、自然と見た目も現実の様々な側面も、調和して整っていきます。そのご褒美も味わいながら、ワークを続けて行っていただけましたら幸いです。

ワークで掘り下げをしていくと、しばしばある感情に関係する人物が登場することがあります。誰かへの憎しみだったり怒りだったり満たされない思慕の念であったり、様々です。

その人との関係の中で自身の内に浮上した感情を受け止めるだけではなく、ワークでは相手の意識の中に視点を移動して、その人の感情もまた受け止めるということをしていきます。

ときにその人の感情がまた別の誰かによってわだかまっていることもあり、そうなるとその第三の人物の意識に入って見ることもあります。どこまで辿るかはケースバイケースですが、自分と相手とそのまた相手くらいまで辿るのは普通にあります。

というより、そのくらい辿らないと、絡み合った感情の全体像が見えてこないと言った方がいいかもしれません。

たとえば、自分が感じている淋しさが親に構ってもらえなかったが故のものだとするとき、まず自分の淋しさを受け止めた上で、親の視点に意識を移動して、なぜかまってあげなかったのか、その心情を受け止めます。

親も親なりに忙しくて一杯一杯だったのかもしれません。その一杯一杯の心情を受け止めていったときに、本当は親も誰かに助けてほしかったのかもしれません。そうした気持ちも吐き出して、助けてほしかった相手に飲み込んでいた言葉を伝えたりします。

そして、その相手がなぜ助けてくれなかったのか、その人の意識に移動してその心情を受け止めていくといった具合です。

絡み合った感情的なわだかまりは、根本的には自分の感情を自身で受け止め切れていないところからきていることがほとんどです。

自分の中の無力感や劣等感を感じたくなくて、誰かを見下したり優越感を感じられるように自分アピールをしてみたり、あるいは自分の子供に極度に干渉したりといったことが起こります。

そうした行動も、結局は自分の苦しい感情にうまく対処して受け止められれば、そんなことをする必要がそもそもなくなるので、その人も痛みを押し付けられていた人も自由になります。

調和していない関係というのは、詰まるところ、自分の感情の責任を取ることでほとんどが解消していくものだろうと思います。

実際、たくさんの方のワークを見てきて、夫婦関係や仕事の人間関係、友人、親子など、自分自身の責任を果たすことで良くならなかった例を、私はこれまでに見たことがありません。

逆に、私ではなく相手のせいだ、相手の問題なのだと言っている内は、絶対にこれらが良い方向に向かうことはないのです。

相手のその醜い理不尽な姿は私ではないと言い続けることは、苦しみを長びかせ、より深刻なものにしていきます。

自身の現実から何を受け取るのか。そして、自分はどう在ることを選ぶのか。聞く耳を持ってメッセージを受け取るとき、私たちは自身の本当のパワーを取り戻します。自分を哀れな被害者のままにしておくのではなく、本当に現実を創造して行く力があると思い出すのです。

そのような生き方をして行ってもいいのかどうか。頭でこの問いに答えるのではなく、ハートで感じて答えてみましょう。不安や躊躇があるのなら、正直にそれを認めます。そして、何が不安なのか、躊躇する原因は何なのかを見ていくのです。

頭だけで先に進みたい!と思うだけでは不十分です。本心と頭はしばしば逆の方向を向いています。ここをしっかりと整えるプロセスをおろそかにしないようにしましょう。

在り方を明確に、深いコミットメントを持って決めるほどに、私たちは根を深く張って生きるようになります。この根に、嘘は通用しません。自身のまごうことなき誠をもって、今ここに深く根を張っていきましょう。

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泥臭さの極みで差し出された在り方への問いかけ

それなりの期間、自分自身に向き合う内観と解放ワークを続けてきていても、日々色々なものが出てくるものだなぁとつくづく思うのですが、私自身、師であるレナードに出会って自分に向き合うことを本格的に始めて6年ほどになります。

何十年も何かの道に精進されている方から見ればたった6年ですが、至らぬところばかりの自分に、人間というのは本当に奥が深いものだと、可能性の大きさを感じるのと同時に、しばしば圧倒される思いに駆られるときがあります。

地球のバイブレーションは日増しに高まり、私たちは毎瞬、自身の在り方を選択することで自分の生きる世界を決めているのだと多くの方がメッセージを発しています。

自分はどんな世界に生きたいのか。それを思うと、理想とは真逆の自身の側面が噴き出してきて、焦ったり不安になったり、理性では抑えようもない感情のエネルギーが暴れては翻弄されます。

なかなかこの暴れ馬は御し難く、未だ有能な乗り手とはなれていません。

自分に向き合い続けてきた6年の日々を振り返ってみると、最初の頃はとにかく抑圧された真っ黒なエネルギーに日々、血を吐くような思いで受け止め、解放し、その中で人生を導く恩寵に触れてきました。

ある程度それが落ち着いてくると、苦しみの感覚があるとき大きく変化して、どんな苦しい感情でも落ち着いて見ることができるようになっていました。

その状態が結構安定して続いていたのですが、去年からその安定を大きく揺るがすような波がやって来ていて、あれほど「もうどんな感情がやって来ても大丈夫!」と思っていたその自信があっさり崩されてしまいました。

本当にこのところ、ジェットコースターに乗っているようです。「大丈夫とか言っているけれど、ほら、まだこんなにあるじゃないか!」と皮肉たっぷりに試験官にいたぶられているみたいです。(^^;

揺さぶられていると言っても、6年前の様相とは全く違っていて、感じる感覚と洞察力、受け止める力が当時よりも育っている分、噴き出すものも容赦ないというか、ドッと一気に噴き出す感があります。

まぁ、こちらも抑圧しておくつもりはないので、出てくるなら出て来てくれた方が良いのですが、解放のプロセスには必ず、ただ解放だけではなく、「自身の在り方への問いかけ」が含まれています。その問いかけに向き合い、応えていくのにものすごくエネルギーが要ります。

またその問いかけの質が、今の自分のままでは容易に応えられないような、量子力学的な飛躍を促すようなものになっているような気がして、「マジっすか…!」と、未だまどろみの中に在る私は少々、否、大分たじろいでいたりします。

しかも、まどろみのままにその問いかけを受け取ってしまうと、問いかけの主旨を誤って受け取ってトンチンカンな応答をしてしまい、「そうじゃないだろ!見るところが違う!」と激しいツッコミとともに課題が差し戻されてくると言う感じです。

もう傾向は掴んだからバッチリ!と思っていた試験問題が、いつの間にやらとんでもなくレベルアップしていて、油断しまくっていた脳みそは面食らってアタフタしているようなものです。

この揺さぶりのおかげで、私の中に行儀よく収まっていた未完了のエネルギーの澱が舞い上げられ、「それも全部きれいにするのよ」とチェックを入れられております。

この徹底ぶり。ホント、容赦がありません。もうこのくらいで勘弁してやろう、ということは無いんですね。

この問いかけをどう受け取りどう応えるのか。師や神からの応答があったにもかかわらず、なまくらな頭にはなまくらな程度の応えしか出てこないのですが、近々何か、カンフル剤になりそうなものが来そうな気もしています。

うまく働くと良いのですけれど。。。

目覚めたいと望みつつ、まだ私は惰眠を貪りたいものなのだな、とつくづく思う今日この頃です。

惰眠を貪り悪夢にもがきつつ、嵐に揉まれてボコボコになっている。早く目を覚まして嵐から出れば良いものを、そのいかにも簡単な目覚め方が良くわからない、というループ。

まぁ、時期が来ればこれも落ちるのでしょう。目が覚めればもう戻ってくることは無いでしょうから、貴重な経験と、今の内にじっくり味わっておくことにします。

こういうところはスマートにすっと通り過ぎていくのが個人的には理想なのですが、実際はものすごく泥臭くて、人間臭さの極みみたいなところまで落とされるのですね。そういうのも、実は嫌いじゃなかったりしますけど。(笑)

その泥臭さの極みで、私は何を見て、どう在るのだろう。差し出された在り方への問いかけを、じっと見つめています。

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人生の目的に導く力

昨日は感情解放ワークショップでした。お集まりくださったみなさま、ありがとうございました。みなさん、これまで何度もワークショップに参加されている方たちでしたので、この日はワークに入る前に、まず何を意図してワークをしているかを確認するところから入って見ました。

ブロック解除系のヒーリングではよくあることなのですが、目の前のブロックが解除されれば、何もかもうまくいくはず!と思っていると、一つのブロックが解除されたらすぐにまた別のブロックが立ちはだかって、延々それが続くというパターンがあります。

目標を目の前のブロック解除に置いていれば、目標が達成された段階で宙ぶらりんになってしまいます。

このブログでもしばしばお伝えしていることではありますが、感情解放のワークでは、ただわだかまった感情のエネルギーを解放することが目的ではありません。

自分自身に深く向き合っていく中で自分を知り、この人生を生きる意図、魂の願いに気づいていくようになります。そうしてその願いを本当に体現していくようになっていくことが自分に向き合う目的であり、目先の感情解放が目標なのではありません。

この辺り、どうぞ漠然と捉えないでいただきたいのです。

本当に魂の願いを知って、そのように生きていきたいのか、面倒臭がらずに今、ハートと身体にじっと心を澄ませて問うてみてください。

頭でさらっと「考えて」しまったら、「当然じゃないか!」と「思う」でしょう。そうではなく、「感じて」みるのです。

自分は今、本当にそう望んでいるだろうか?と。

ハートのあたりを感じながらそれを思ったとき、迷いなく「Yes!」と感じられたでしょうか。良く分からないけれど多分そうだろうとか、ちょっと迷いがあるとか、気分が悪くなってきたとか、さっぱりよくわからないなど、人によってその答えは様々だと思います。

頭で考えたら、何とでも言えるのです。けれど、本当に今の自分を感じたら、そう単純でもないことに気づくかもしれません。

実際、魂の願いを生きることに恐れや無力感、諦めを感じて封印している人も少なくありません。どうせ不可能だと思うことについて、それを望もうとすることもないでしょうし、望んだとしても、とても不快な感覚が浮上するでしょう。

今の自分が、魂の本当の願いを知ってそれを生きることを、どれだけ自分に許しているかを確認していただきたいのです。

完全に許可している人も、強烈な抵抗がある方も、そんな状態をジャッジメントせずに、在るがままに受け止めてそこからスタートするのです。

それを飛び越えて願望実現ワークなどをすると、必ずどこかで自分を見失ってしまうでしょう。

最も深いレベルでは、確かに誰もが自身の魂の願いを生きるためにこの世界にやって来ています。それを諦めるために生まれてくる人など、一人もいません。みな自分自身のミッションを果たすことを、強く願ってここに来ているのです。

けれど、産まれ落ちてここに至るまで様々なことがあって、その情熱を失い、ミッションを忘れ、死んだように生きている方もあります。

それが良いとか悪いではなく、そんな状態にあってもその方の深いレベルでは確かに自分を癒す力があるのであり、願いを実現していく力が常に枯れることのない泉のようにあるのです。

ただ、そことのつながりが断ち切られてしまっているだけで、再びつながろうと思えば、ちゃんとつながることができます。

今、そのつながりが断ち切られていると感じている方は、再びつながることを求めるでしょうか。お腹の底から、「私は今、自分の本当の力を取り戻す」と宣言できるでしょうか。

自分で、自身を癒してもいいのでしょうか。もう誰も恨まなくて済むようになったり、常に怒りを人生の推進力にして生きなくてもいいでしょうか。被害者になって、加害者を生み出し続ける人生を終わらせても?

あなたを被害者したり常に邪魔して来るあの人物は、あなた自身が作り出している現実です。あなたの自作自演ドラマなのです。それを認められるでしょうか?

そんな力は私には無い、と思っていた方が落ち着きますか?

全ての問いかけは、心で感じて正直なところで答えてください。優等生の答えを出したところで、何の利益もありません。

がつっと抵抗を感じたり訳が分からなくなったり、問うこと自体が苦しいときは、魂の願いを生きることに抵抗があるのでしょう。その在るがままの自分をしっかりと受け止めて、ここからスタートしていきます。

まだ誰かを恨んでいたいのかもしれないし、できない自分でいた方が楽だと思ってるのかもしれません。その自分から、数か月後、数年後にどんな自分で在りたいですか?このまま行くのももちろんアリですよ。

ここを明確に、「自分で決める」のです。

これがあなたの人生の行き先になります。決めない方は、「決めないことの結果」が行き先になります。

決めようとするときに、諸々の何かが浮上してくることもよくあります。もうその時点から、自分と向き合うことは始まっているのです。ここから逃げるのか、勇気を出してその先に行くのか。

あなたはそれぞれの選択の結果を、深いレベルでは確かに知っているでしょう。そこに意識を合わせてみてください。そこから湧き出る力が、あなたを真の目的に導くでしょう。

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天命を知るために

最近、朝起きると「今日は愛と感謝と喜びで生きることを選択します」ということを意図して一日を始めています。日々色々なことがあり、そう選択してもなかなか実践できないものだよな~と以前は流されていたのですが、ここのところは明確に意図するようにしている、ということです。

結果、確かに平穏でいられないことが起こったとしても、以前のようにずるずるっと流されて終わるのではなく、ぐっと踏みとどまって、「この状況でも私は愛を選択する」と、再度選択することができているような気がしています。

先日の全くの誤解による感情のもつれも、最終的には本当に深い愛と感謝で収束しましたし、ネガティブと思えるような状況だからこそ、自分でどれだけ「意思の力」を使いこなせているのかが試されているのだろうと感じます。

一度それができるようになると、それが自信になり「できる」という確信になりますね。そうやって自分の可能性を拓いていっている今日この頃です。

自分の新たな可能性を拓くときというのは、簡単にできることで試されることはまずありません。かなり苦しい状況で、自分の持っている力を総動員してやっとこえられるかどうかというレベルの状況でないと、「新しい可能性」を拓いたことにはならないからです。

だから今ちょっとしんどいという方は、「もっと成長したい!」という魂のチャレンジの真っ最中なのだと思います。

私自身もこの数か月、自分がこんなにチキン(ビビリ)だったとは今まで全く知らなかった!というくらいに心情的にものすごく揺さぶられていて、結構ヘトヘトになってもいました。

でも、いったんそうした状況の中で「絶対に愛と光に転換する!」と決めてガッツリ取り組むと、必ずその通りになるのです。

もちろんそのプロセスの中では、自分の弱い部分や苦手だったりするところ、赦せなかったり隠してきたことなどに直面する意志と勇気が試されます。

「やる」と決めればできるし、「え~!そんなのムリ~!(><)」と思えばできないのです。

いずれにせよ、自分がどう在りたいのかをまず選択することで、道は拓けていきます。

ただ、選択するときに注意しなければならないのは、その在り方が本当に自分が望んでいることなのか、社会一般にそれが理想とされているから自分もそうだと何となく思っていることなのか、よくよく自分と対話することが大切です。

そうでないと、本当に自分の望んでいる在り方とはズレた選択をし、一生懸命頑張るけれど結局ものにならないということもありえます。

私たちは、本気で望むことだから懸命に努力できるし、やっていても努力と思わないくらいに夢中になれるのです。そうでないことになど、夢中になれるはずもありません。

よく、自分が本当に望んでいること、天命とか使命とかを知りたいという方があります。私自身も長いことそれが分からなくて彷徨っていましたから、そのお気持ちは良く分かります。

色々な方法はあると思いますが、どんな方法を使うにせよ、自分がそれを受け取る準備ができていないと、たとえこれがあなたの天命ですよ、と言われても、ピンと来なかったり否定してしまったりするでしょう。

では何をどう準備すればいいのでしょうか?

私が思うのは、自分を偽ったり在るがままの自分を否定していると、なかなか自分の天命を受け入れることはできないだろうということです。

どれだけ自分についた嘘を拭い去れるか、どれだけ理想とは程遠い自分を在るがままに見てこれが自分だと許せるか。

もちろん、いっぺんに100%できなくてはいけないというわけではないでしょうが、こうしたことを意識して行くほどに、天命は自ずから私たちに語り掛けてくるような気がします。

それは、誰かに教えられることもあるでしょうが、本当にそれが自身の天命となるのは、自分でそれを確かに感じたときです。自分の命に確かにそれが刻まれているのが、誰に言われなくてもはっきりと分かるのです。

それが分かるくらいに、自分の中の濁りや歪みがクリアであれば、もう何も説明はいらないでしょう。

精進というのは、そのためにするものだと思います。

今まで、自分はたくさんものもを否定してきたな、とつくづく思うのですが、それがここにきて一つずつ受け入れられるようになった途端、今まで閉ざされていた扉が一気に開いていっています。

たとえば、私は両親の愛をずっと拒絶してきたのですが、頭では分かっているものの、身心がアレルギー反応を起こしてしまってどうしてもそれが受け取れなかったのです。

それが、繰り返しワークしてきたことである日突然、自分の中から両親への愛がどっと噴き出してきたということがありました。それを境に、私は両親から愛されていたということも受け入れられるようになり、さらには先祖からの愛も、この身体に巨大な滝が流れるような勢いで流れ込んでくるようになりました。

これほどの愛を、私は今まで拒絶し続けてきたんだと、そのときやっとわかったのです。

この世界で感じる成長というのは、何かを付け足すことなのではなく、自分が否定し続けてきたものをただ認めることで起こることなのかもしれません。

これから、どれだけ否定や拒絶を転換して行けるのか。まだまだ否定しているものがある私には、それだけ可能性があるということなので、これを楽しみに取り組んでいきたいと思います。

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自身の在り方をどう選択するのか

以前、読者の方からブログ内検索を利用しようとするとホームページのトップに遷移してしまい使えないというお声をいただいていました。方々問い合わせてもなかなか原因がつかめず、復旧できずにいましたが、昨日から使えるようになっています!

(実はこのブログはアメブロ、gooブログでも同じ記事を投稿したミラーサイトがあります。サイト内検索が使えなかったのは、本サイトの方のブログです)

長い間ご不便をおかけしました。ワークのやり方などを検索されていらっしゃる方が多いようですが、参考になればと思います。

さて、そんなこんなでこの復旧作業の中で色々と面白い気づきや体験があったので、これをシェアしてみたいと思います。

アメブロ、gooブログと違って本サイトのブログは自分でwordpressというブログシステムを使って構築しているので、システム的なエラーが出たときに自分で対処しなければなりません。

そういう関係に疎いもので、今回も「さて、どこに問い合わせたらいいだろう?」と、テーマの提供元に問い合わせてみたものの結局そこでは原因が分からず、ボランティアによって運営されているサポートフォーラムに問い合わせました。

そこで色々ヒントをいただいたり調べてくださったりして、やっと原因を突き止めて修正することができました。最後に復旧した旨の報告とお礼を投稿して「解決済み」としたのですが、何とその投稿だけが表示されず、「解決済み」の表示のみが反映されてしまいました。

ここまでとても親身になってサポートしてくださった方々にとっては、いきなり何の連絡もお礼もないままに「解決済み」になってしまったことになります。

システムの不具合によるものとはいえ、私がこんなことされてもとても傷つくだろうな、というような状況で、とても慌てました。何をどうやっても投稿は反映されなかったので、サポーターの1人にどうにかして連絡を取ることにしました。

夜遅かったにもかかわらず、すぐに返信をいただき対処法を教えていただいたのですが、本当に丁寧にお答えくださって、とても有り難かったです。

その後も丸一日、お礼の投稿は反映されないままだったのですが、タグの関係からなのか、なぜか投稿の反映を依頼する投稿だけは表示されることから、気分を害されていたサポーターさんにも気づいていただき、ようやく誤解が解けました。

この時は本当にホッとしたというか、やっと誤解が解けた、感謝していることが少しでも伝わった!と嬉しかったです。このトラブルも、必ず調和の光で満たす!との決意が実った瞬間でした。

お世話になって心から感謝しているのに完全に誤解されて、相手の方を傷つけてしまった、というこの状況の中で、ひょっとして私自身も、感謝されているのに誤解して気分を害していることがあるのかも?と思いました。

そういう視点で振り返ってみると、確かに受け取り下手でよく勘違いをする私のこと、あるかもな~と思えたのと同時に、そういった類の体験によって固く心を閉ざしている部分があることに気づきました。

こんなに親身になって尽くしたのに、用が済んだら「はい、さようならなのか!」と深く傷ついている過去世と思われる男性のビジョンが見えました。

最初はあまりに封印が厳重過ぎて、体感覚を取ろうとすると「無関心」になってしまうという状態でした。けれど決してその痛みを放置しない!と強くコミットメントして傷ついた感情のカケラ君を迎えに行くと、その痛みはかなり深く広範囲にありました。

ハートやみぞおちのあたりに深く裂けたような感覚があったり、腰のあたりに独特の冷たい感じがあったり。とてもショックで悲しかったのでしょう。

心を尽くしてやったことでこんな思いをするなら、もうたくさんだ!と、以来どこかそういう状況になっても相手との交流で、特に受け取るという部分に関して機能不全を起こしていたようです。

今回の出来事で、気分を害された方の気持ちをワークしてみましたが、最初、それに触れるのが少し恐く感じました。最近は感情に対してそういう恐さというものをほとんど感じなかったので、それほど自分が反応していることに多少の驚きがありました。

その恐さも受け止めながら、相手の方の怒りや悲しみなどに少しずつ近づいて行きましたが、やはりいつものワークよりも大分進み具合が違いました。

それでもどうにかしてその感情を受け止めていくと、最終的にはビジョンに見える相手の方の様子は大分落ち着いていました。

この姿が見えたので、この件は必ず調和の内に収束するという確信が持てました。現実は、自身の内側の反映ですからね。

何かトラブルが起きたとき、私たちは外側の現状をどうにか収束させることばかりを見てしまいがちです。けれど、本当はそこから何に気づくのか、どう自身の在り方を選択するのか、ということの方が、本質的には重要だと思います。

今回の出来事は、とても良い気付きをもたらしてくれました。感謝。(-人-)

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恩寵の海

9日は満月の瞑想会でした。お久しぶりの方、初めての方など楽しんでいただけましたら幸いです。今回の満月はとても節目感のある星回りだったこともあり、誘導している間もみなさん、様々な体験をされていたようです。

それはきっと、これからのみなさんの人生を大きく開いていく大切なカギになっていくと思います。受け取られたサインやメッセージを、今後も意識を向けて読み解いていってみてください。

また、お盆時の瞑想会ではよくご先祖様関連のヒーリングを誘導したりすることもあったのですが、今回、まだお盆には早いもののご先祖様からの熱烈ラブコール(!?)があったので、これも誘導してみました。

私たちは自身の魂の歴史とともに、肉体における血統の記憶をDNAの中に宿しています。ですから、自身の過去世を癒すのと同時に、DNAの記憶も癒されると、今この瞬間の自分がとても楽になります。ご先祖様たちもとても喜ばれるので、良いことだらけです。(^^)

うちはそういう家系だから、と諦めなくても、サインを適切に読んで対処すればいいだけですから、そこで自分の可能性を閉ざす必要はありません。

今回の瞑想での誘導では、癒しを必要とされる有縁無縁の御魂をここにお迎えし、彼らの最も深い痛みのレベルに寄り添い、命を導いていきました。

誘導しながら、暗く淀み、あるいは途切れ、機能していなかった無数のネットワークが光り輝きながら復活していくのが見えていました。それは本当にきれいで、そのエネルギーが私自身の身体でもビリビリするほど感じられました。

誰からも弔われず、孤立してしまっている御魂も、私たちと同じようにかつては様々な気持ちを抱きながら人生を生きていました。

彼らの人生に敬意を表しながら、「あなたがそこに居ることに気づいています。そして今、私はあなたとともに居ます」と寄り添って在るだけで、浮かばれることもあるのです。

そうして次々と断ち切られていたネットワークが復活していくと、もう視界は光の祭典のようでした。誘導させていただいて、本当に有り難く感じましたし、素晴らしいものを見せていただいたと嬉しくも感じました。

先祖の因縁とか、浮かばれない魂とか聞くと、どうしてもおどろおどろしくて恐いもの、触れてはいけないものというイメージが先行しがちです。もちろん、安易に触れない方が良いケースもあるでしょうが、本当はそこに、今を生きる私たち自身が幸せになっていくカギがあることも多いのです。

瞑想会では、大体20~40分位の瞑想を3回に分けて誘導して行くことが多いのですが、その中でふと、「私はこの私のままでいいんだな」と素直に感じられた瞬間がありました。今までは頭で分かっていても、どうしてもストン!とそれが入って行かなかったのですが、そのときは自然に肚に落ちた感じです。

これまでは、自分以上の何かになろうとして無理を重ねたり、理想の状態になっていない自分に罪悪感を感じていたりしました。けれど、そうであっても実際は様々に助けられていたり与えられていたりしていて、守られ、支えてもらっています。

私はただ、宇宙から与えられるものを素直に受け取って、喜んでいればよかったんだ。そんな自分を責める必要などどこにもなかったんだ、とやっと気づくことができました。

今の私に必要なものは、既に与えられていたんですね。ラマナ・マハルシが「恩寵の海の中を泳いでいて喉が渇いたという魚の様だ」といった言葉が思い出されました。

そうしてその翌日、とある場所で行われたサットサンに参加してきたのですが、会の最後に小さな赤ちゃんのお食い初めの儀式がありました。赤ちゃんが初めて離乳食を食べる儀式で、聖者やグル(師)などから祝福を受けるのですが、それを見ていてふと、私自身の過去世が浮かんできました。

「あ、私も昔、両親に連れられてこれをやってもらったことがある」そんな確信とともに、「この子が生涯、食べることに困らないように」というグルや両親の深い愛が伝わってきました。

そして、確かに口に含ませられた食べ物とともに、霊の命が身体の中に入って行ったのを感じたのです。その愛に、心震わせられるものがありました。

祝福してくださったグルとのご縁と、祝福を受けに行ってくれた両親のもとに生まれた幸福に、感謝の思いが溢れてきました。

私は以前から、様々なタイミングで別々の方から「あなたは食べるのには困らないよ」と言われたことがあったのですが、自分ではあまり実感していませんでした。けれど、確かに今のところ食べるには困っていません。(金運は別ですけれど(^^;)

ただ今回、その理由がここにあったのだと分かりました。グルの恩寵と両親の愛が、人生を越えて私の中で生きていたのですね。

これまで随分と愛を受け取ることに取り組んできてもなかなか開かなかった部分が、ここにきて大きく開いていっているのを感じます。

エネルギーが変わったせいか、物がなくなったり壊れたりということが立て続けに起こっていますが、新しい自分にふさわしいものへの衣替えということなのかもしれません。

そんなこんなで節目感満載の満月でした。

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タイミングを掴んで導きに乗る在り方

ものごとには「為すべき時」があると最近つくづく思うのですが、時を逃さず為すべきことを為すべき時にやれば、最小の労力でスムーズに進めることができます。けれど、タイミングでない時にそれをやろうとすると、同じことをするのにもずっと多くの労力を使った割には、結果はさほどでもなかったりします。

これは小さなことから大きなことにまで言えることですが、たとえば、日常の流れの中でふと「あ、そうだあれもやっておかなくちゃ!」と思ってすぐにそれを実行するのと、「今は忙しいから後で!」とやってしまったとき、結果から見れば前者の方が後者よりも、ささっと簡単スムーズに済ませられるはずです。

タイミングを逃すと、そのことを忘れてしまって結局別の労力がかかってしまうこともあるでしょう。今この瞬間にふと思い浮かぶことというのは、それなりに意味のあることなのだと思います。

ただ、「これをやろう!」と思ったことでも、「ふと思い浮かんだ」というのと、頭でいろいろ考えたところから「これをすべきだからやらなくちゃ」と思うことでは全く意味合いが違います。

後者の場合は、ものごとの自然な流れとは違ったところが行動の動機になっているので、よくよく注意して識別する必要があるでしょう。

とは言え、「感じる」よりも「考える」癖のついている私たちは、自分の行動の動機が思考から来ているのか、インスピレーションなど、人生を導く大きな力からやってきているのか、なかなか区別がつきにくいものかもしれません。

自分では「やりたいからやっているのだ」と思っていたとしても、それは自分の気持ちが本当にやりたいからやっているのではなく、様々な条件から考えてそうすべきだと思うから、やりたいのだと「思っている」こともあります。

それが当たり前になっていて、自分でも何の疑いもなくそうだと信じていると、「それは本心から来ているものではない」と指摘されたとしても、ピンと来ないでしょう。

そんな状態は、かなり感情的にもあらゆる面で抑圧が強くかかっているだろうと思います。この状態から本当に自分が「感じていること」を取り戻していくには、それなりのプロセスがあるだろうと思います。

というのは、自分の頭で考えた「こうすればこうなるはず。だから私はこうするべきなんだ」という信念から外れるような気持ちが出てきて、これまでとは違った世界観に触れたとき、その人の心の中には多かれ少なかれ、混乱が起きます。

これを受け止めながら、これまで自分が強固に作り上げてきた信念が少しずつ崩れていくプロセスを通過していくことによって、自身の本心がやっと息を吹き返していくのですが、これに恐怖を感じることもあるでしょう。

これを越えていくには、やはりその人の中で「それでも私はこれ以上この状態でいるわけにはいかない!」という強い必然性があるかどうかがカギになってきます。それが弱いと、「そこまでしてこんな恐ろしい道を行かなくてもいいじゃないか。今だってそれほど悪くはないし」と来た道を引き返していくことになるでしょう。

ここでも、私たちには「見知らぬ天国よりも慣れ親しんだ地獄を選ぶ」慣性の法則が働いているのです。

いずれにせよ、ものごとにはタイミングがあり、道を引き返す時もあれば勇気をもって一歩を踏み出す時もあるわけです。どちらであっても選択自体にに良し悪しはなく、ただ何らかの結果があるのみ。自身の選択の結果を引き受けて、歩みは続いていきます。

けれど、その結果を引き受けることができないとき、私たちは後悔や罪悪感、失望に苛まれ、あるいはそもそも選択ができないまま、動けずにずるずると時を逃し続けていくこともあります。

こうした状態の処方箋は、結果を引き受ける恐れや痛みを受け止めていくことです。

これをすることで、混乱と痛みに満ち、地に足が着いておらず我を見失った状態から、地に足を付けて自分の居るべきところに戻ってくることができます。

ここから、自身の本心・真実に触れていくことができるようになっていくのですが、そうなると次第に深いレベルからやって来る導きに気づき、応答するようになっていくので、為すべき時に為すべきことを、在るべき場所で為せるようになっていくのです。

私たちは普段、どれほど頭で考えたスケジュールをこなすことに必死になって、深いところからやって来る導きをスルーしているでしょうか。

リラックスして今この瞬間に居て、ふと「やろう!」と思ったことを素直に実行していくことで、人生の流れは生き生きと心地よいものになっていきます。

そうは言ってもなかなか。。。との言い分も良く分かりますが、この在り方を実践するには、「なかなかできない」と言っているその在り方の、何かを捨てていかなくてはならないのかもしれません。

それはちょっとした心がけで済むものなのか、ものすごく勇気の要る決断をしなければならないのか、人それぞれでしょうが、あなたにとってその選択は、長い目で見てプラスなのかマイナスなのか。

しばしの間、考えてみてもいいのではないでしょうか。

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それでも私は愛したい

昨日、お昼頃から夕方6時くらいまで、ブログが見られない状態になっていました。wordpressに入れていたプラグインを色々といじっていたら重大なバグを起こしてしまったようで、みなさまにはご心配、ご迷惑をおかけし、すみませんでした。

一瞬、去年10月のブログ消失事件がよぎりましたが、今回は記事のデータは飛ばなくて済みました。何分、こうした分野のことにはド素人なもので、去年お世話になったところにお願いしてどうにか復旧してもらいました。

ブログ内の検索機能がいつからか使えなくなっていて、そこに文字を入力するとホームページに飛んでしまうという不具合が出ているようなのですが、これについては原因が特定できず、大変申し訳ありませんが、今のところ復旧のめどが立っていません。

もしワークなどのご質問などございましたら、直接メールやメールフォームなどからご連絡いただければ、いつでもお答えいたしますので、遠慮なくお問い合わせいただければと思います。

さて。ここしばらくの揺さぶりの中で、自分の人生の中で本当に愛を体現していくことを選択したのですが、いま私の現実には、これまでにない程、たくさんの愛を感じる場面がやって来ています。

出会うクライアントさんたちや、家族、友人たち、自然など、言葉や態度でそれを感じるときもあれば、その人にじっと向き合っているときに、その方の魂の底から、湧き出ようとしている愛の力強い息吹を感じるときもあります。

そうしたものを感じるにつけ、表面的にはたとえ憎しみに我を見失っていようとも、本当はみな愛されたい以上に愛したいのだと、深く深く感じるのです。なぜなら、私たちはみな愛そのものだから。愛さずにはいられないのです。

けれども私たちのその自然な在り方が何らかの原因で制限されてしまうと、とても苦しい状態になってしまいます。本当は溢れんばかりの愛を放出し続けるはずなのに、自分には愛がないと思い、誰かから愛されなければ死んでしまうと信じ、際限なく自分の虚無を埋めるために愛を求め、貪るようになったりもします。

自分が愛そのものであるということを知るために、私たちは愛がないという幻想を自ら作り出し、体験することで愛がいかなるものなのかを知る学びをしているのかもしれません。

学びとは言え、血を吐くような思いをして日々を生きているときは、本当に死んでしまう!と感じるときもあるでしょう。それでもあなたは、愛そのものなのです。

レナードはよくセミナーでも「私はあなたが何であるかを知っている」と言います。彼の著書「今この瞬間への旅」の冒頭ではそれを、こんな風に書いています。

あなたは不滅の大いなる存在です。愛、受容、思いやりそのもの。強靭さ、明晰さ、真実そのもの。あなたは形態と中身を越えた純粋意識です。自分で創造する以上にあなたは力強い。あなたはこの地上における神の意志の道具。あなたは神の戦士であり、あなたの究極の運命は一体性に目覚めること。あなたは自身の魂の戦士。今回の人生での目覚めを通して、あなたの魂はその永遠性に帰還するでしょう。

初めてのセミナーで、初対面でよくも知らない私たちに向かって、彼ははっきりとこう宣言したのです。なぜここまではっきりと断言できるのか、目覚めたマスターとはいったい何者なのかと、その時私は思ったものです。

けれど今、様々な方の魂の深いところからの叫びにも似た「それでも私は愛したい!」という願いに触れるたび、彼の言葉は真実だと感じられるようになってきました。

人間のどんな醜さの奥にも、信じられないような純粋な愛が息づいているのを自分で体験しなければ、とてもそうは思えなかったでしょう。「この人は何を言ってるんだろう?勘違いじゃないの?この私のどこを見てそんなこと言えるのさ?」と、全然ピンと来ないでしょうし、引っ掛かりもしないでしょう。

でも、最も忌み嫌うその醜さをじ~~~~~っと深く深く覗き込んでいくと、あらゆる闇を通り抜けた先に、本当に見えるんですよ。光が。愛が。

けれど、それを直視するまでがとても苦しい。そして、直視し続けることもまた、苦しいのです。何をどう見たらいいのか迷いに迷い、複雑になりすぎたストーリーの中で身動きが取れなくなってしまうこともままあります。

その苦しみの中で、祈り求めてみてください。自分自身の真実を。本当のところ、私は何なのかと。

それに触れたら、あらゆる矛盾は吹き飛んでしまいます。

愛することを恐れる人たちへ。自分の中の愛をはぐらかさないで、それを真実として生きてみてください。宇宙はそれを応援しているし、その選択は、あなたの人生のあらゆるレベルを愛と調和に導いていくでしょう。

あなたの人生に、愛と光が溢れますように。

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共感と信頼の対話

日々仕事や家事など、忙しく追われていると、自分自身の心身のケアがおろそかになりがちですね。目の前のやらなければいけないことを優先して、気が付いたら心も体も一杯一杯という方も多いですが、少しでも自分の心と体に優しくありたい!というとき、意識しておくと良いポイントを書いてみます。

先日、あまり体力的に丈夫ではない私にしては珍しく徹夜イベントに参加して、心身ともにへとへとになりました。肩や腰、脚もパンパンで体内時計も狂ってしまって気持ち悪くなるほどでしたが、睡眠時間が少ないのがダメな方なので、結構きつかったです。

で、そういう状態から体調を回復させていく時に意識したのは、「体の疲れや不調を感じることをブロックしないこと」でした。

普通、こういう状態になってしまうと、何とか持ちこたえなければいけない!と心身の辛さをガッチリブロックして固めてしまうことが多いと思います。

身体の苦痛や不快感を感じるのが恐いということもあるでしょう。感じてしまったら、そこからなし崩し的に体調が悪くなって、仕事ができなくなってしまう!とか思ってしまうのです。

こういう状態が続くと、芯までコチコチになってしまって、整体などに行ってもちょっとやそっとじゃ解れない!ということになりがちです。

弛めなければいけないことは分かっているし、弛めたいのですが、なかなか弛んでくれなのですよね。

このとき、心と体は分離していて、身体の声が聞こえないように、私たちは心の耳を塞いでいます。この状態から、聞く耳持たなかった身体の声を、心を開いてじっと聞くようにするのです。

ぐ~っと固くしている身体に意識を向け、深く呼吸をしながら、そうすることでブロックしているエネルギーをブロックしないで流していくようにするのです。

多分その流れは、普段の自分の意識では無意識にも流れてほしくないような、流れ方をすると思います。ゆっくりとでいいので、それが流れたいように流れることを許して呼吸とともに感じてあげると、ブロックしていた緊張はす~っと弛んでいきます。

エネルギーは重層的に固められていることが多いので、その下からどんどん別の層が出てくることもあるでしょうが、時間の許す限りこれをしてあげると、芯の方で固まっていた緊張まで弛んでいきます。

これをしてあげると、そこからなし崩し的に体調が悪くなっていくということは無く、回復力も上がって思ったよりも悪くならずに済むことが多いです。

疲れを認め、感じてしまったら動けなくなってしまう!と私たちは恐がっていることが多いのだろうと思うのですが、実際には逆なのですね。

自身の身体と心の声を聞かずにシャットアウトするから、余計に心身が固くなって辛くなるのです。

自分自身と対話する姿勢を常に持ち続けることは、心身の健康の上でも、充実した人生のためにも、とても大切なことです。状況がきつい時ほど私たちはこうしたことをおろそかにしがちですが、調子の出ない時ほどこの基本をしっかりと整えてあげると、自分を取り戻すきっかけになっていきます。

自分自身との対話というと、思考で「内なる自分は一体何を言ってくるだろうか?」と考えてしまう方がよくあるのですが、思考で答えを出そうとするのではなく、基本はじっと感じとるというイメージです。

こちらからあーでもない、こーでもないと考えを押し付けるのではなく、それとともに在って察し、汲み取ってあげるようにします。

私たちだって、思いを胸に一杯抱えているとき、何も言わなくても気持ちに寄り添ってくれる人があったら、重い心の蓋がスルッと開いて、気づいたら胸の内を打ち明けていたということがあるでしょう。

抱えているものを開いていけるのは、指図し、決めつける相手ではなく、黙って心を寄せ、開いていくスペースを提供してくれる人に対してなのです。

翻って、自分がその聞き役に回る場合、自分の利害と相反する相手に対してそれをするのはなかなかに葛藤があるでしょう。この葛藤がありつつニュートラルに相手に開いていくには、自分の中に湧き上がる様々な気持ちをしっかり受け止める段階が不可欠です。

自分が被るであろう不利益の痛みを引き受けた上で、相手の気持ちに意識を向けると、自分と同じように、相手もまた痛みがあることが理解できます。ここに、共感と慈愛の余地が生じるのです。

一方的に「それじゃ困る!」と自分の意見をぶつけるだけでは、永遠に平行線です。自分の痛みも、相手の痛みもちゃんと受け止めた上で、互いの痛みから離れずに対話することで、反発ではなく、どこか親しみと信頼が生まれます。

対話は、全く違ったレベルの質のものになっていくでしょう。

長い目で見て、一方を押さえつけて得た結論と、共感と信頼の対話から生まれた結論と、どちらが安定した調和を生むでしょうか。

信頼を生む対話には、自分自身の痛みと恐怖に対処できる意識の在り方を身につけることです。これは、どこに行っても通用する生涯の財産になるでしょう。

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プレゼンスでいられないドツボから抜け出す方法

プレゼンスって、ドツボにはまると私はなかなか入れなくなってしまうときがあるのですが、もがけばもがくほど訳が分からなくなって「私には無理なんだ~~~!」とかってなるんですよね。その状態からようやく戻って来られたので、戻れたきっかけを書いておこうと思います。

私の傾向として、何でも根詰めて考え、頑張りすぎるというのがあるのですが、これが良い方に働く時もあれば、その反対に働くときもあります。

多くの人はこういう状態になった時の自分のリセット方法を持ってたりするのですが、私はそういうのが下手で、今だにこれといった方法に出会っていませんでした。やっても、すぐに戻っちゃうんですよね。

だからいつも張りつめてることが多いです。

自分でも気づいてはいるのですが、どうしてそうなってしまうのか、ちょっとだけ分かったことがありました。それは、私の行動の選択基準から来ているようでした。

それは、「これは自分のこれからに役に立つのかどうか?」という基準で行動しているということでした。ビジネスなんかではこういう考え方が普通だし必要なものかもしれませんが、人生のほとんどのことをこれで決めていくとなると、大切なものが抜け落ちていきます。

深いところから「これがやりたい!」と湧き出てくるような情熱も、様々な瞬間をただ楽しむという感覚もなくなっていくのです。

以前、ワークショップの参加者の方とお話をしていて、周囲から期待されている自分になるために必要なことが自分のやりたいことだと信じ込んでいる姿を拝見することがりました。

必要なことと、深いところからのニーズは違うということに気づいていくことも拒絶されているのかな、と感じたのですが、さまにそれは、私自身だったのだなとやっと気づきました。

何を学ぶにも、何をするにも「今後のためになるのか?自分に得か?」とどこかで計算しながら決めるパターンは、食べるものや洗剤や身につけるもの、瞑想などにも及んでいて、自分では無意識だったので、結構衝撃を受けました。

特に食べるものなどは身体の声を聞きながら決めていた「つもり」だったので、そうでない時もある、というか、そうでないことがかなりあるという気付きは、いかに自分が無意識に生きているかをまざまざと見せられました。

マインドで自分の人生をコントロールして改善して行こうとしていたわけですね。そこに気づいたので、「改善して行こう」とすることをまず止めました。

「改善しなくちゃいけない」という思考は焦りと不安をかき立て、「今ここ」から意識を追い立ててしまいます。だから、どんなに今この瞬間が気に入らなくても、「これでいいのだ」といったん受け入れてみる。

ザワザワする気持ちも湧き上がってくるでしょうが、それもそのまま感じています。必要だからと自分にやらせていたこと、やりたくないことをやめてこうしていると、ザワザワ感とは違った意識の層で、プレゼンスのあの懐かしいような感覚がジワジワと滲み出てきました。

後はゆっくりプレゼンスの層の方に意識をシフトさせていくと、混乱していた気持ちが落ち着いていきました。

以前は、感情を受け止めても根本的に「これでいいのだ」とは思っておらず、相変わらず自分にやりたくないことをさせ続けていたので、プレゼンスに戻って来られなかったのかも、と思いました。

赤塚不二夫先生の「天才バカボン」って、あまり好きなマンガじゃなかったのですが、人生の神髄を言い表したすごいフレーズだったんですね。(若い世代の方はご存じないかもしれませんね)

私には、プレゼンスの感覚は子供の頃に感じていた懐かしい感じがあって、それに触れるととても安心し、生き返ったような感じがします。本当に自分の中に息づく命を感じられて、正気に返ったとさえ思います。

人生は今この瞬間しかない、ということの、何と言う身軽さ。神聖さ。美しさ。

で、これが何になるの?ここからどうするの?と問うた途端にプレゼンスから外れてしまうのがいつものパターンで、プレゼンスすらも「どう役に立てるのか?」という枠組みの中でしか見られなかったから、これまでうまくいかなかったのですね。

プレゼンスは、利用することはできません。神を利用することができないように。

確かにプレゼンスに在れば、結果的に人生は導かれて行くでしょうけれど、それをツールやメソッドにすることはできないんですね。

この辺り、何度も聞いてきた言葉だけれど、やっと腑に落ちた気がしました。

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