感情解放ワーク

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憎しみの解放

リトリートから帰ってきて以降、自分の中の憎しみの感情に向き合っていますが、結構なボリュームがあるので少しずつ取り組んでいます。

そのエネルギーにフォーカスすると、身体の奥底からねじれるようなエネルギーが動き、浮上しては抜けていきます。その度に自分のバイブレーションがよりクリアになって、すっと透き通って行くような感じになるので、濃密な憎しみのエネルギーとの対比が非常に興味深く感じます。

ずっとレナードに提示されてきたテーマに、5年越しに向き合えたことが感慨深くもあり、またこれだけの時間がかかってしまったことに対して、不可解な印象もあります。

というのは、私は「憎しみ」の感情をネガティブに捉えているつもりはなかったし、それは自分の中に在っても悪くはないと思っていると認識していたからです。

「本当にそうだろうか?」と今改めて自問していますが、私が憎しみを抑圧していたのは、単にそのエネルギーのボリュームが大きすぎて大変そうだったから、というだけではない何かがあるようにも感じます。

私はプレゼンスに在りたかったし、神に帰りたいという思いがあったのは確かです。だから神への憎しみを抑圧したのかというと、それもまた説明不足な気がします。なぜなら、私は神への怒りがあることには気づいていて、それに対しては既に取り組んでいたからです。

怒りは抑圧しなかったけれど、なぜ憎しみは抑圧していたのか?自分でも不思議です。

怒りと憎しみを比べてみると、憎しみの方がより対象への攻撃性が高い気がします。怒りは自己完結できそうな気がしますが、憎しみとなると、どうしても相手を積極的に害したいという思いのベクトルがあるので、エネルギーが対象に向かうことに、どこかで躊躇していたのかもしれません。

けれど、被害者になっているときは、加害者の側面も体験しないとバランスが取れません。二元性から抜けられずに巻き込まれてしまいます。これ故に、私は神の被害者というポジションから長い間、抜け出せなかったのでしょう。

そしてもうひとつ考えられる要因が、神への憎しみを感じる時に常に浮上していた「虚しさと絶望感」のエネルギーです。これらにしっかり対処できていなかったので、憎しみを受け止めるまで至らなかったのでしょう。

今回は虚しさと絶望感を丁寧に受け止めたので、その下にある憎しみをクリアに捉えることができるようになりました。そして起こることを起こるように起こさせることを徹底して、何が起こって来るのかをひたすら観察し続けました。

「神が憎い、神が憎い」と憎しみを浮上させ続けるにしたがって、叶えられなかった願いと、その痛みが浮上してきます。これが神への不信につながっているのですが、それらを感じ、見つめながら、「あぁ、私にはこのプロセスが必要だったのだな」としみじみ思いました。

うやむやにして「仕方がない」と飲み込んでしまっていた痛みを、明確に意識に浮上させることが、これを癒していくためには必要だったのです。

だからこそ、そのためにしっかりと神を憎まなければならなかったのだと、ようやく理解しました。

神を憎みながら、私の深いところから「妻を返せ、子供を返せ!」という叫びが湧き上がってきました。理不尽に妻子を殺された過去世の男性の叫びでした。本当はこう叫びたかったけれど、当時は言えずに飲み込んでいたのでしょう。

この過去世の悲しみは随分前にも取り組んだことがありましたが、憎しみを通して出てきた悲しみは、さらにそれよりも深いものでした。

「子供に何の罪がある?」と、小さな亡骸を抱えて嘆くとき、当時に私は身体に居ることができなかったようで、まったく身体の感覚がありませんでした。その時の悲しみを今、体と心に戻って受け止めるとき、私の心身は悲しみで押しつぶされそうに感じました。

憎しみは、耐え難い痛みの責任を取り切れない時、その痛みを外側の対象に向けた感情であると私は理解していましたが、まさにその通りでした。

憎しみを十分に浮上させた奥から現れたこの痛みを、深く受け止めるために、この男性のストーリーにさらに深く入って見ました。そうでないと、表面的なところだけをなぞって終わりにしてしまいそうな気がしたからです。

この男性にとって、妻子はどんな存在だったのか。過去にさかのぼって妻と出会ったとき、結婚したとき、子供が生まれたときの気持ちを辿ってみました。

その一つ一つの場面が本当に幸せで、妻に出会えたこと、結ばれたこと、特に子供が生まれて父親になった時、その時々に男性は神に感謝していました。

その幸せが深い分、それらが失われた時、絶望も深く、今までの幸せな時間のすべてがこの辛い悲しみにつながっていたのかと思うと、現実が底知れない悪意を持っているように感じられたのです。

神は全てを与え、全てを奪う。

もはや男性にとって神は信頼できる存在ではありませんでした。

解放のプロセスはまだまだ続きます。

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スケープゴート

感情解放ワークで自分自身に向き合っていると、しばしば被害者と加害者、責任の逃避と転嫁というテーマを見かけます。人生のあらゆる停滞と困難は、恐らくこのテーマと無関係ということはあり得ないだろうと思うほどに、ポピュラーなテーマです。

私たちは自分が関係ないところであれば、被害者も加害者もない方がいいとか思うのですが、いざ自分がその立場になってみると、途端にそのニュートラルで当たり前の見え方は失われ、苦しみに満ちたストーリーの中での役割にしっかりとしがみついてしまうのです。

苦しいのにしがみつく?と不思議に思われるかもしれませんが、深いレベルを読み解いていくと、被害者はある部分で加害者を必要とし、加害者は被害者を必要としているという、摩訶不思議な心理構造があるのです。

これは、表層意識では自覚は無いことが多いので、そう言われても気づかない方もあるでしょう。けれど両者はどちらも片方だけれは成り立たず、表裏の関係であることは確かです。

どちらも、本来自分で責任を取らなければいけない不快な感情や感覚の責任を、どうにか他者に転嫁して、自分が楽でありたい、というところで引き合っているのです。

そして、そうすることの後ろめたさから逃れるために、自分や周囲を納得させるための「正当な理由」を求めます。

実際のところ、そんなものは何の役にも立たないのですが、それがあると何となく自分のズルさが隠れるような気になるので、せっせとより強力な「正当性」をコレクションし、水戸光圀公の印籠のごとく、自分がまずい立場になった時にど~んと打ち出してきます。

周囲の人は、いくらそんなものがあろうとも、その人のずるい本質は筒抜けでしょう。バレていないと思うのは当事者だけで、この滑稽な喜劇の中で踊っているのです。

この辛さは自分のせいじゃない!と思うことで、一時、その辛さから逃れることができるように感じます。だから、誰かや何かのせいにできるように、私たちは「スケープゴート」が必要なのです。

スケープゴートの説明はこちら

自分がこんなに不幸なのは親のせいだ!パートナーが私のことを顧みてくれないからだ!学歴が無いせいだ!自分の身長が低いせいだ!あの時あの人がこんなことをしたから!だから私は今こんな思いをしている!

ありとあらゆるものがスケープゴートになり得ます。時にその対象が自分自身であることもあるので、なかなかわかりにくく複雑になっていることもあります。

けれど、「~のせいで」と思ったときは、間違いなく自分の受け止め難い気持ちの責任を、それに転嫁しています。

そのことを認めることができるかどうかが、この「苦しくも居心地のいい地獄」から脱出できるかどうかの分かれ目になります。

脱出したいのなら、今の居心地の良さを手放さなければなりません。つまり、誰かや何かに転嫁していた苦しみを、転嫁しないで自分で受け止めるということです。

この在り方が定着すると、転嫁している方がずっと居心地が悪く、とても居られなくなってしまうので、自然に自分で責任を取る在り方を選ぶようになっていくのですが、長く慣れ親しんだ「転嫁による逃避」の構造を改めるには、最初はかなり葛藤があるでしょう。

苦しい状況について、誰のせいにもできないし、どんなものも責められないという場面をイメージしてみてください。のしかかるような重苦しさや閉塞感、耐え難い不快感が一気にやってこないでしょうか。

それこそが転嫁によって逃れていた、本来自分が受け止めるべきエネルギーなのです。

誰かに責任転嫁をされるととても不快に感じるのは、これらが押し付けられていることを確かに心と体で感じるからです。

私のせいじゃないのに私のせいにされた!という経験をするとき、同じ構図のことを自分自身もどこかで必ずやっています。

だから、腹が立った時が気付きのチャンスと思って、自分が何をしているのか、よくよく相手という鏡を覗いてみてください。見る目、聞く耳を持って取り組めば、必ず気づきはやってきます。

ズルく醜い自分に直面することは、とても勇気のいることだと思います。

誰だって清く正しく美しい自分であってほしいものですから、それとは正反対の姿なんて、見たくはないのです。

責任転嫁をしているということは、自分も実は加害者であることを認めることになります。

人は、被害者の痛みを受け止めるよりも、加害者としての痛みを受け止める方が実は難しい傾向があるようで、「私はこんなことをコイツにされたんだ!」と嘆くことはほとんどの人は簡単にできますが、「私はこんなことを相手にしてしまった!」という動揺や罪悪感などを受け止めるのは、それほど簡単ではありません。

けれど、このことがしかとできる在り方が確立されて行くと、あなたは被害者と加害者の二元性を超えて、その葛藤を味わうことがなくなっていきます。

被害者と加害者しかいなかった世界が、もっと違うものになって見えてくるのです。

チャレンジしがいのあるテーマではありませんか?

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自分をうまく表現できないのはなぜか

自分の気持ちをうまく表現できないという方は結構いらっしゃるのではないかと思うのですが、なぜうまく表現できないのか、その原因について、今日は書いてみたいと思います。

まず、自分の気持ちを伝えることにもどかしい思いをしている方のほとんどに、おそらく当てはまるのは、素直な気持ちを伝えたときに、否定や拒絶されたり、責められたり、あるいは自分の思いを表現したことで誰かが辛い思いをしたなどの、心に痛みを感じた経験を持っているということです。

これらの体験は、幼少期に体験されていることが多いでしょう。ということは、つまり親との関係が深く影響していることがしばしばあります。

何をやっても、いつも親は私のことを否定した、決して認めてくれはしなかったし、褒めてもくれなかった。そんな経験があると、在るがままの自分を相手に見せることをためらうようになります。

そして、相手の様子を伺いながら、相手が気に入るような自分になるように、そういう側面だけしか出せなくなっていきます。

その傾向が激しくなると、どんな自分も出せなくなるので、自分が本当は何を感じているのか、何が好きで何がイヤなのかといった、自身の真実から切り離され、全く分からなくなっていってしまうのます。

そういう状態のまま、大人になっていざ自分の気持や考えを表現しなければいけない状況になった時、とても混乱します。それを何とかして収めるために、様々な外の情報など、指針となりそうなものを手当たり次第に求めるようになったりします。

本来は自分の内側からやってくるはずの自然なサインが、全く機能しないので、そうせざるを得なくなっているのですね。

こうなると、恋愛も結婚も仕事も夢も、自分の気持ちとつながれないまま、巷に溢れる「理想的なテンプレート」をかき集めて、世間体の良い自分の輪郭を作り上げるような作業に必死になります。

けれど、結局それも自分の真実からはかけ離れているので、何も響かないしどこかフィットしない違和感を感じて、生き生きとした現実を生きるパワーも湧いて来ないのです。

このように、在るがままの自分を表現できないことの苦しみは、一言では言い表せないものです。

本当は自分を表現したいという思いを熱く持っているにもかかわらず、表現しようとすると、かつて味わった心の痛みがその瞬間に意識、無意識的に浮上してきて、「どうせ言っても分かってもらえない」などといった諦めという苦痛回避の働きによって、蓋をされてしまうのです。

それを無数に繰り返してきて、失望はやがて絶望になり、悲しみや無力感、無価値感、閉塞感などが心を覆いつくすようになります。

このようにして、自分の気持ちをうまく表現できないという状態が形成されて行くのです。

これは、表面的にとても活発でおしゃべりな人であったとしても、起こりえます。どうでもいいことは良く表現できるけれど、こと自身の真実に関してはガッチリ壁を作ってガードしているというケースもあるからです。

こういう場合、自分が壁を作っているということに気づいていない人もないわけではありません。というのは、自己イメージは「活発で明るく、みんなと仲良くしている自分」だったりすると、「自分との関係」については全く意識が向かないので、気づけないのです。

というか、「気づきたくない」という方が真実に近いかもしれません。

気づいてしまったら辛すぎるので、触れたくないわけです。

こうした状況を変えていこうとするときには、どうしても自分を表現することで傷ついたその気持ちを受け止めていくプロセスを通り抜けていかなければなりません。

そのプロセスの前で逡巡している時は辛いですが、傷ついた自分の気持ちを本当に迎えに行けると、とても心は安らかで、ホッと安堵した感覚が生まれます。

それは、その側に求めていたどんなものからも得られなかった安堵感でしょう。

ここが癒されると、少しずつ自分の真実を取り戻し、それを表現できるようになっていきます。

長くかかって形成された心の構造は、一朝一夕には変わらないかもしれませんが、自分の真実を取り戻すこの素晴らしいプロセスを慈しむことができれば、変化していく自分をもっと大切にできるようになるし、同時に、周囲からも愛され、信頼される自分になっていくでしょう。

どうぞ、自身の真実に出合う旅を、焦りながらさっさと済ませようとするのではなく、瞬間瞬間を楽しんでみてください。

みなさまの歩みが、愛と気づきに満ちたものでありますように。

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対話と信頼

感情解放ワークなど、自分に向き合うという取り組みをしていて、なかなか思うように行かないもどかしさを感じる方は多いだろうと思います。

せっかく時間を取って向き合っているのに、いつの間にか雑念で一杯になって違うことを感じているとか、眠ってしまう、どうしても気が重くて先に進めないなど、誰しもが経験されることでしょう。

こうした状態になると、「またできなかった。自分は意志が弱いのだ」と考える方もあるようですが、こうした状態になってしまうのは、実は意志の弱さのせいではないのです。そうなるにはそうなってしまうだけの、必然の理由があります。それをしっかり理解しておきましょう。

上記のような状態は、いわゆる「抵抗」です。

頭では向き合う必要も理解していて、やろうとは思っているのですが、潜在意識レベルでは「向き合いたくない」と逃げ出したい思いを抱えています。

こうしたの時、それに逆らって意志の力で向き合おうとしても、潜在意識の力の方が桁違いの大きいので、負けるのは必ず意志の力です。だから、意志が弱い、と自分を責めることはありません。

まずは、心の深いレベルで、なぜこれほどまでに「向き合いたくない」と感じているのか、その事情に寄り添うようにしてみてください。

その理由を掘り下げていくと、突き詰めればそれは「辛いから」ということでしょう。「もうあんな辛い思いをするのはたくさん!絶対に嫌!」なのです。

こういう自分の声が出てきたときに、私たちはしばしばその声を、聞き分けのない駄々っ子のように思って強引に「いうことを聞きなさい!」と「正論」を自分に押し付けてしまうことがあります。

「向き合わなくちゃ、先に進めないでしょ!ずっとこんなところに居られないんだから、さっさとやって、さっさとこの状況から抜け出さなくちゃ!」というわけです。

そうなると、苦しいって言っている自分のカケラの声は有無を言わさず握りつぶされ、無かったことにされてしまいます。

ここまでを振り返ってみて、ご自身の現実をちょっと思って見てください。あなたの現実に、「私」の言うことには全く耳を貸さず、自分の考えを無理やり押し付けてくる人や、都合よく自分の責任を逃れて聞くべき声を聞かない人はいないでしょうか?

その人に対して、とても不快感を抱き、不信感を抱いたりしていないでしょうか?

それは、あなたが自分の気持ちに対してやっていることそのものであり、その人に対する気持ちは、自分の気持ちのカケラたちがあなた自身に対して感じている感情とイコールです。

とっても嫌なものですよね。

自身が自分に対して何をしているのかに気づいたら、どうすべきなのかは自ずと分かると思います。もっと自分の気持ちを尊重し、応えてあげるように在り方を軌道修正していきましょう。

抵抗が強い時ほど、自身が自分から分離し、自分と闘っているということです。どうぞ、自分とは戦わないでください。というか、絶対に闘ってはいけません。それはますます分離を深め、不信感を募らせていくだけです。

対話をする時は相手が何であれ、誰であれ、そうだと思いますが、まず「自分の軸」をしっかり持っていなくてはいけません。

ワークにおいて、この軸となるものは「自分の内側で感じていることすべて」です。つまり、体感覚や気持ちなどがこれに当たります。

気持ちのカケラとビジョンで対話しているときなども、対話によって様々な感情が呼び起こされます。常にそれらから離れずにいるということがとても大切です。

そして、相手の事情を汲んで、それに寄り添うことがこれに続きます。一方的に自分の要求を押し付けるだけでは対話になりません。相手がどんな状態にあって、どんな思いを抱えているのかに目を向け、耳を傾けるのです。

そうしようとしたときにしばしば浮上するのが、重い負担の感覚や、都合の悪いことから逃げ出したい気持ちなどです。

そんな事情をいちいち汲んでいたら身が持たない!とか、相手の声を聞いてしまったら、自分の狡さを直視しなければいけないことになる。そんなみっともない自分は見たくない!といった思いです。

こうしたものも、自分の身体から離れないようにして、それらの不快感も受け止めていきます。これができると、相手とちゃんと対話ができるようになり、より深い信頼関係を築くことができるようになるのです。

対話というのは、自分の不都合な側面をも引き受ける姿勢がないと、まともな対話にはなりえないものです。私たちも、本気で向き合ってくれてるんだな、と相手を信頼できるのは、そういう姿勢を持った人ではないでしょうか。ならば、自分がそういう人になってみましょう。

自身の身体とともに在って、深く命を呼吸しながらであれば、自身の内側に湧き起こるすべてをしかと引き受けて今ここに在ることができるようになっていきます。

焦らず、ゆっくりとでいいので、自分自身に対して、また向き合う相手に対して、最大限の誠実さを持って対話していきましょう。

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内なる声につながるために

今週20日から23日まで、リトリート参加のためにサロンはお休みをいただきます。お電話でのお問い合わせなどは対応できなくなりますので、メールなどでご連絡いただけますようお願いいたします。

さて。サロンには様々な方がいらっしゃいますが、みなさん、少しでも今をより良く生きようと、あらゆる模索を重ねているのだろうと思います。

そんな中で、しばしば人生の大きな転換期の真っただ中か、あるいはその少し前にいらっしゃる方が多いような気がするのですが、見るべきものをしかと見、行動すべき時に時を移さず行動できるかで、人生の荒波の時期を超えていく心情が随分違ってくると思います。

私たちは大抵、人生で大変な時期を迎える前には、何かしらのサインを事前にあらゆる方面からもらっているものです。

私たちを守り導いてくれる存在も、「気づきなさい。方向転換しなさい。備えなさい」というようなメッセージを一生懸命送ってくれているのですが、しばしばそうしたメッセージに私たちは意識、無意識的に耳を塞ぎます。

なぜなら、それを聞いてしまったら、自身のこれまでの在り方を大きく変えていくプロセスに踏み出さなければいけないということが分かってしまうので、それが恐くて仕方がないからです。

そのようにして逡巡している内に、準備すべき時間を無為に過ごし、荒波に突入していく方もいないわけではありません。

私たちはしばしば、自分がどうしたらいいか分からない、それを知りたいと言います。そういうとき私たちは、ほぼ自身の内なる声につながれていません。そして、その状態でいることに対するメリットがあるので、そうなっているわけです。

内なる声は、心地いいことばかりを伝えてくるわけではありません。心地良いこともそうでないことも同じように受け取って、応答していく姿勢に転換して行くということに、同意できるのかどうか。そこが内なる声につながっていくために、どうしても必要なポイントなのです。

どうしたらいいの知りたいと言いながら、それに応えるつもりが無いのなら、内なる声は決して聞くことはできません。

人生の転換期というのは、この辺りについて軌道修正を求められることが多いように思います。そしてそれはしばしば、私たちが最も苦手とするところなのです。

心にも慣性の法則というのはしっかり働いていて、私たちは慣れ親しんだところに居着きたいという傾向があるものです。けれど、そこが既に自分に取って賞味期限切れになっているのにしがみついてしまうと、人生のあらゆる部分に無理がきます。

人生の荒波は、そうした私たちの習性を見越して、否応なく私たちを次のステージへと押し流していきます。それは、ある種の恩寵であり、魂の抑え難い成長への欲求の表れといえるかもしれません。

大きな変動の時期だからこそ、私たちはしっかりと自身の拠るべき軸を見つけていくことが大切です。

今まで、自分の軸を持っていては人生を穏やかに過ごせなかった人もあるでしょう。自分を殺して、相手に合わせることでどうにか今まで生きてきた人は、自分の軸を持って生きていく在り方に転換して行くことになるわけですが、散々否定されてきたその軸を改めて建てようとしたときに、過去に受けた傷が浮上して来るのです。

それに向き合い、癒していくことで、自分が本当は何を感じ、どうしたかったのか、自身の尊厳を持って表現することができるようになっていきます。

頭だけの掛け声だけでできる部分ばかりではないので、こうした心の構造をしっかりと知った上で、いたずらに自分を責めることなく、使うべきエネルギーを効率的に創造的な方向へ向けられるように、取り組んでいかれるといいでしょう。

消し去っていた真実の自分に出会っていくプロセスは、決して苦しいことばかりではありません。とても深い安ど感や安らぎ、自信、在るべきところに在る調和した感覚などが戻ってきますし、現実も様々な変化を見せていくでしょう。

恐い、辛いという部分にばかり囚われていると、足はすくむばかりです。そうではなく、その先に広がる自身の可能性をしっかりと見て、プロセスを超えていく勇気を祈り求めましょう。

自身の可能性を深め、広げるチャンスを、存分に活かすことができるように。これ以上ない充実した期間だったと思えるように。

みなさまの歩みが、恩寵とともに在りますように。

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引き裂かれるハートと癒し

ここのところ、忙しさにかまけて浮上している感情にしばらく取り組んでいなかったのですが、もうそろそろ先延ばしにできないな~という「感情のカケラ君たち」からのプレッシャーを感じたので、少し時間を取って取り組んでみました。

最近取り入れたあるツールのせいか、奥深~くに沈んでいたものが一気に上がってきた感じで、感情解放を出産に例えると、赤ちゃんが産道をゆっくり降りてくるみたいな感覚があります。(今世では出産経験はありませんが、多分そんな感じでしょう)

要するに、カケラ君たちはもう出てくることを決めていて、後戻りはできない。さぁ、覚悟を決めなさい!という有無を言わせぬプレッシャーです。(^^;

そちらがそのつもりなら、覚悟を決めるしかありません。というわけで、慌てて出産体勢を整えたというわけです。

最初に出てきたのは、気が狂いそうなほどの閉塞感で、「ここから出してくれ!」とパニック状態になっている混乱した感情が出てきました。

「ここに居たくない!」という心身ともに耐え難い苦痛をゆっくりと呼吸をしながら、肉体からズレそうになる意識をしっかり肉体に留めながら、そこで起こっていることを起こるがままに起こさせていきました。

感情解放をする時は大抵、背骨の辺りがバキバキいいながらエネルギーが動いていくのを感じるのですが、今回はその感覚と同時に、「ハートが引き裂かれて行くような感覚」を刻々と体感していました。

このまま気が狂わずに身体の中にいたら、ハートが壊れてしまうというような状況の中で、身体の中に居て起こるように起こさせていくことにしました。

すると、まるで筋繊維が一本一本、順番に引き裂かれて行くかのような感覚がハートで起こって行きました。そんな様子も「本当にハートというのは引き裂かれるのだな」とどこかで見ている自分がいたのですが、それはかつてある人生で死の瞬間を体験した時と同じ意識の感覚でした。

冷静に見ているけれど、同時に激しい感情のエネルギーからも離れてはいません。

「ハートがそんな状態になって、ヤバいんじゃないか?」という不安も起こることもなく、起こるように起こって行くことに対する、不思議なほどの信頼感がありました。

ハートが引き裂かれて行くこのプロセスが一段落すると、それまでずっと重苦しかった胸の辺りはすっきりと透った感じがして、より深い響きが感じられるようになっていました。

「ここに居たくない!」と叫んでいた男性も消えて、今この瞬間にストン!と居られる感じです。

それから、少し休憩を挟んで第2ラウンドに入って行きました。再び胸から下腹部にかけて重苦しい反応があって、フォーカスしていくと深い悲しみでした。私は白髪に豊かな髭を蓄えたレオナルドダヴィンチのような老人で、幼い孫娘を失った悲しみに打ちひしがれていました。

私にも孫がいた人生があったんだ、とどこかで感心する自分がいましたが、その老人の悲しみにフォーカスすると、身体の中心から混乱した悲しみが噴き上がってきました。

孫は3歳くらいの本当に可愛らしい女の子で、彼女はこのお祖父さんと大の仲良しでした。年老いたこの男性にとって、彼女は生きる希望のすべてのような、自身の愛を注ぐかけがえのない存在でした。その大切な孫が、はやり病であっけなく死んでしまったのでした。

世界が終わってしまったかのような深い悲しみの闇の中で、老人は激しく混乱し、自身の悲しみを持て余していました。

神はなぜこの老いさらばえた老体を召さずに、まだこれから花開いていこうとするまだ幼い命を召されたのかと、神を責めたり自分を責めてみても、耐え難い苦しみから逃れることもできず、老人は孫娘の死を受け入れることができていませんでした。

その内に、老人は孫娘がいたということ自体を消し去ろうとさえしましたが、それをすることは大切な彼女との思い出までをも手放すことになるという葛藤の中で、心身ともに疲弊しきっていました。

多分、この人生では悲しみの内に人生を終えているような気がします。

ゆっくり、深く呼吸をしながらその混乱と悲しみを受け止めていきましたが、そのボリュームはあまりに大きく、後から後から体の奥深くから新たな悲しみが湧き上がってきました。

しばらくただただ湧き上がって来るものを受け止めていたら、やがて、孫娘の死を否定することは、彼女の人生そのものを否定することだ。誰にそんな権利があるだろう。私は彼女が精一杯生きた人生のすべてを受け入れよう、と思うようになりました。

死を否定することでその事実によって浮上する悲しみから逃れていたものを、死を受容することでやってくる悲しみを受容する選択をしたのです。

孫娘のためにも、一人の立派な人間でいたいという思いが強くありました。臆病者の祖父ではなく、大切な存在に、勇敢な姿をみせてやろう。そう思ったのです。

どこまでも魂の奥深くまで続く悲しみのエネルギーを、身体でしっかりと受け止めていくと、やがてビジョンの中で老人は亡くなった孫娘のエネルギー体を、微笑んで見るようになっていました。

彼女は悲しみに暮れる自分の祖父を心配してずっとそこに居たのですが、悲しみの中にすっぽりと包まれていた老人には彼女が側に居ることが分からなかったのです。

こうしてこの悲しみが一段落すると、さらに深く、軸が透った感じがしました。

起こることを起こるように起こさせずにそれに抵抗すると、長く苦しみを引きずることになるのだなぁと改めて感じました。

ちゃんと今この瞬間に居て、その体験を生き切るのなら、ハートが引き裂かれても、「大丈夫」なんですね。

表現としてはちょっとエグイというか、できれば体験したくないことだと思いますが、存在の可能性として、記しておくことにします。

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感情解放ワークと霊性の旅

感情解放のワークで、みなさんがしばしばつまづく場面があります。それは、感情に向き合ったときに、新たに別の感情が浮上したことに気づかず、それに飲み込まれてマインドに入ってしまっているケースと、どうしても受け入れられない選択を前に、ガッチリとはまってしまっているケースです。

前者は、ワークをしていると非常によくあるパターンで、たとえば、深い悲しみを受け止めようと向かっているときに、それに触れてしまうことを恐れる気持ちが出てくることがあります。

本当にあの悲しみを生きてしまったら、自分は泣き崩れてしまう、立っていられない、日常生活が送れなくなってしまう、それは困るし、そんなことになるのは恐ろし過ぎる、という具合です。

こういう場合、さらに掘り下げていきます。

泣き崩れ、立っていられなくなって日常生活が送れなくなってしまったとしたら、それから自分はどうなるだろうか?と問うて行くのです。すると、廃人のようになって、抜け殻のような人生を送るとか、悲しみのあまり死んでしまうなどといった答えが返ってくることがあります。

人によって様々なストーリーが出てくるのですが、実はこの「きっとこうなってしまうだろう」とイメージで出てきたストーリーというのは、過去世で体験していることだったりするのです。

つまり、その人は過去世でとても悲しい体験をして、それに耐えきれずに抜け殻のように生きた人生や、死んでしまった人生を既に体験しているということなのです。

実際にここまで掘り下げると、確かにそういうことがあったような気がする、という感覚を多かれ少なかれ身体と心で確信する方が多いです。

魂の記憶にそういうものがあるので、その人は深く悲しむことを恐れているのです。また廃人のようになったり、死んでしまってはいけないと、無意識にもブレーキをきつく踏んでいるわけですね。

なぜ自分がそこまで悲しむことを恐れているのかという理由が分かると、迎えに行くべき自分自身のカケラが明確になります。すると、大抵はその打ちひしがれている自分を迎えに行けるようになります。

原因を知るということは、そういう意味でも大切なことなのですね。

私たちは、過去世の記憶をしばしば今世に引き継いで、その課題を無意識の内に受け取ってもがいていることがよくあります。

無念さや悲しみ、怒りや恨み、惨めさや絶望の中で亡くなった場合、死の瞬間に抱いていた感情を種として魂の中に持って行きます。そして、その種を持った魂が、次の人生を始めるのです。

肉体は新しくなり、すっかり境遇の違った人生が始まりますが、魂の中に在る未完了の感情の種は、それを味わった人生の記憶とともに、時間を止めてそれが癒されるまで、ずっとそこにあります。

どれだけそれを否定し、拒絶しようとも、その未完了のエネルギーは完了を求めて私たちの人生に表れ続けるだろうと思います。

バーナテッド・ロバーツアジャシャンティジム・ドリーヴァーなど様々な目覚めを体験した人たちの本を読んでみると、目覚めた後もなお、離婚や病気、財産の喪失、裏切りなど様々な厳しい状況を経験している生々しい記述を目にすることがあるのですが、それはきっと、未完了のエネルギーが完了に至る動きの表れなのでしょう。

ワークの中で、どうしても受け入れられない選択を前にガッチリとブレーキを踏んでしまうときも、過去世での体験と無縁ではないと思います。

なぜなら、過去に何も痛みを伴う体験が無いのだとしたら、そこまで拒絶する理由はないからです。私たちは、全く未経験の、知らない体験をそこまで恐れることはあり得ません。ラマナ・マハルシが「恐れは過去の痛みの体験の記憶」という通りです。

そういう状態の時、ある程度はそれに対する恐れを和らげるテクニックを使ってより受け入れやすい状態にもっていくことはできますが、最終的なところは、その方自身の選択になります。

魂が何度も同じようなテーマを繰り返すのも、きっとその人生では未完了のエネルギーが完了に至る選択をすることができなかったのでしょう。

この「どうしても越えられない壁」を越えていくときに、人生や世界をより深いレベルで見ていく霊性が、深く成熟していることが大切なカギになっているような気がします。

どうしても表面的なレベルや人間目線の善悪のジャッジメントに縛られていては、見えてこないものがあり、私たちの魂は、そうした自身を縛る様々な制約を超えて自由になることを望んでいるような気がします。

その願いを実現していくプロセスで、私たちは必ず、自ら神に触れていく体験をするでしょう。それなくして、本当に人生を宇宙に委ねることはできないし、本当に自身の命を生き切ることはできないと思うからです。

私がお伝えする感情解放のワークは、まさにその流れのプロセスを意識しています。

だから、単に抑圧された感情を解放して終わりなのではなく、その先に始まる広大深遠な霊性の旅の準備でもあるのです。

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2017年
 4月29日(土祝)
 5月6日(土)、17日(水)、27日(土)
基礎 10:00~12:00 アドバンス 13:30~16:00
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今この瞬間を深く読む

明後日15日の感情解放ワークショップですが、まだお席はございますので、浮上しているものがあってきついな~という状態の方や、新年度とともに新たなスタートを切りたい!という方など、ご自身と深く対話していきたい!という方はぜひどうぞ。お申込みはこちらからどうぞ。

さて。普段セッションなどで他の方のハイヤーセルフさんなどからメッセージをいただくこともやっているのですが、その割には自分自身のことについてはあまりメッセージをもらいに行ったりしないな~とふと思ったので、今の自分の方向性などを確認するために、久しぶりにメッセージをもらってみました。

こうしたメッセージの受け取り方は、人によって様々で、これが正解!という形はないと思うのですが、よくクライアントさんなどから、どんな風に見えたり聞こえたりしているのですか?と聞かれることも多いです。

私は元々勘は強い子供でしたが、いわゆる霊感というやつはほとんどなく、小学生の頃に自分のドッペルゲンガーを見た以外は幽霊とかも見たことがありませんでした。

けれど、母は普通に「見える」人だったり天然ヒーラーだったりするので、「お腹痛~い」とか言うと、まじないのようなものだったり手当だったりで治してもらうことが多かったです。

そんな家系的なものもあるのか、ヒーリングの勉強を始めてからは一緒に学んだ人たちに比べて、比較的よく見えたりエネルギーの感覚が掴めていたような気がします。

ビジョンなども最初からかなりはっきり見えていて内的視覚が優勢だったのですが、見えているものに引きずられる弊害に気づいたり、感情解放ワークに取り組み始めてからは、視覚よりも体感覚などその他の感覚の方が優勢になりました。

今はあまり「はっきりと形などを見る」ことにはこだわっていません。

よく、ヒーリングなどを学ぶ方の中で、「はっきり見えない、もっとクリアに見えるようになりたい」という方がいらっしゃいますが、見えることにこだわらなくても、もっと自分の得意な感覚を磨いていく方がいいのにな、と思うことがあります。

実際、そうアドバイスすることもあるのですが、やっぱり見える方がいい!という思いは、そう簡単には諦められない方が多いようです。

私がリーディングをするとき、はっきりとビジョンが示されることもありますし、文字として見えたり、温かさ、冷たさ、重さ、軽さ、淀み、クリアな感じ、光や暗さ、たまにですがにおいなどを感じることもあります。

形をはっきり見なくても、なぜかポイントとなる特徴などは示されて、語り掛けてくる存在の身に着けている衣装の糸の色や模様の形などがはっきりと見えることもあります。

そうした存在の言葉が聞こえることもありますが、多くは、その存在の思いや感情にフォーカスして読み取っています。

たとえば、はじめは何となく武士の存在が語りかけているようだと感じたり見えたりすると、さらにその武士が何を語りかけているのか、その心情などに意識をフォーカスさせます。

重苦しいバイブレーションなどが捉えられると、そこから深い悲しみ、無念さ、孤独などが出て来て、その感情の理由に意識を向けると、その方が体験された様々な人間模様が時代の背景を伴って見えてくると言った具合です。

そのように読んでいくと、その方が生きた時代の周辺の登場人物が何を感じてどんな行動をとったのかも、かなり詳細に明らかになってきます。

こうした感情を軸にした読み取り方は、視覚優勢だったころには多分あまりできなかったと思います。自分がドロドロした感情を受け止めることができなかったので、まず意識を向けることにブレーキがかかっただろうし、見えたとしても、深く読み込むことはしなかったでしょう。

感情解放のワークショップでは、よく「その人の表面的に見えている言動の奥にある、動機となった心情に意識を向けてください」と繰り返しお伝えしているのですが、まさにこのスタンスが私のリーディングにも活かされています。

人のあらゆる言動には、必ず理由があります。そうせざるを得なかったし、それを言わずにはいられなかったのです。それはなぜなのか。その人の中に入って、実際にその意識で感情や感覚を辿ると、明確な理由が見えてきます。

他にも可能性はあったはずなのに、と人はよく言いますが、その時その状況でのその人にとっては、他の可能性などはあり得ず、必然をもってそれが為されているわけです。

だから、自分の何かを変えたいと思うとき、今の自分を作っている必然性の積み重ねに取り組む必要があるのです。

私たちの魂には、無数の人生を生きた記憶が確かに眠っていると私は感じます。

その一つ一つの人生で、誰かを愛し、傷つけ、励まされ、見捨て、助けられという体験をしています。今この人生を振り返ってみても、私たちはどれだけの思いをしながら生きてきたでしょうか。

そして今世でも、時代や場所、登場人物や状況を変えながら、かつて生きた人生と全く同じ感情を味わっているのを見ることが多くあります。

なぜ繰り返しているのか、どうやったらその無限ループから脱出できるのか、そのカギが、今この瞬間い浮上する感情や感覚の中に在るのです。

知りたいことの答えはすべて、今この瞬間を深く読んでいく中で明らかにされます。

それは、リーディングなどができなくては分からないというものではなくて、その意志があるのなら、どんな人にも必ずその扉は開かれるでしょう。

あなたは、その扉を開けていくことを望むでしょうか?

準備のできた方は、ぜひ扉の向こうを旅してみてください。

 

 

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今ここに踏みとどまる力

感情解放ワークで自分自身に深く向き合うということを続けていくと、「内なる自分」は、そのように自身に意識を向けてもらうのを待っていたかのように、次々と様々な秘密を打ち明けてくれるようになります。

過去世のこともそうですし、自分でもとうの昔に忘れ去っていた古い記憶、そこに埋もれた感情、そして自分がどれだけ自身を偽って生きていたかという真実、さらには、自分の果たしたかった夢やミッション、それに対して今何をしたらいいのか、どうやってそれをするのかまで、自身と対話するほどに明らかになって来るのです。

ワークを続けてきていらっしゃる方にはお馴染みのことかと思いますが、どれだけやっても、そのステージステージで真実を知ることへの恐れや痛みを味わうことへの恐怖感などが繰り返しやって来るでしょう。

けれど、取り組みが深まるほどに、感情や感覚は当初感じていたものからどんどん変化していきます。恐怖や悲しみ、怒り、絶望など、最初の頃はとても手に負えないモンスターのように感じていたそれらは、ただ自分が迎えに来てくれることをひたすら待っている傷ついた存在なのだと、分かるようになるのです。

頭でこれらのことを知ったとしても、すぐに生々しい痛みの感情に触れていくことは難しいでしょう。それができるようになるまでに、段階的に身に着けていくべきテクニックや心の筋肉があります。

ちょっとしたハイキングで登れる山に登るのと、富士山に登ること、エベレストに登ることは、同じ山登りと言っても相当なレベルの違いがあります。

それぞれに準備すべき装備や体力、技術、知識などがあるので、今の自分がどのくらいまでならできるのか、注意深く毎回チェックしていく意識は持っていた方が良いでしょう。

自分にできることと、まだできないでいることの境目が明確に捉えられると、次に何をすべきなのかがはっきりと分かります。内面のことは、何となく曖昧に捉えてしまいがちですが、そこを明確に見られるようになることも、技術の一つです。

また、集中力や持続力を付けていきたいと思ったときは、自分が苦痛に感じることにフォーカスすると良いでしょう。

たとえば私が最近トライしたのは、ジャパをしているときにたまに出てくる身体のだるさについてです。疲れがたまっているときなど、この身体的苦痛が集中力を妨げ、意識が散漫になってしまいます。

そこで、このときは敢えて逃げたいようなその体の苦痛にしっかりと意識を向けて、命の呼吸を送ってみるなどをしばらくしていました。そうするほどに苦痛のエネルギーは刻々と変化していき、随分と楽になっていました。

そうしてその日は一日、朝に感じていた疲れも気にせずにすっきりと過ごすことができたのですが、苦しい感覚は感情だけでなく、身体的なレベルでも、無視して抑圧するのではなく、意識を向けてケアする方が良いようです。

このワークでは、抑圧されていた苦痛の感覚が解放できたというだけではなく、苦痛の中でも意識を向け続けることのできる心の筋力が鍛えられたわけです。

ワークではこのようにして、より深い苦しみの中でも意識を途切れさせずに向け続けていることのできる力が養われて行きます。

今週の無料ヒーリングのテーマにも通じることですので、意識なさってみてください。苦しい状況の中で自身の在り方を問うには、苦痛に耐えて意識をコントロールする力がどうしても必要です。

いきなり高度なものをイメージする必要はありませんが、「ちょっと嫌だな」と感じた時や「もう逃げ出したい」と思ったときこそがチャンスです。その嫌な感覚の中でしっかりと身体とともにいて、深く呼吸をしながら踏みとどまる練習をしてみましょう。

これができるのとできないのとでは、格段に胆力のようなものが違ってきます。

世界のより深いレベルを意識で捉えていこうとするとき、「それとともに在る」ということがとても大切です。これはいわゆるプレゼンスの状態なのですが、プレゼンスに在るには、今この瞬間に踏みとどまる力も必要なのです。

私たちはややもすると今この瞬間から飛び出して、過去や未来のマインドの世界を彷徨ってしまいがちです。それは、「今ここ」に居ると感じたくない様々なものを体験しなくてはいけなくなってしまうので、逃げ出したいわけです。

私たちは、プレゼンスに深く根付いて自然にその状態に居られるようになるまで、繰り返し「今ここに踏みとどまる力」を試されるでしょう。

焦らず、遊離することなく、今この瞬間の自分自身とともに在りましょう。

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承認欲求と心の飢餓感

最近、たまに会うご近所のある方にイラッと来る感情があることに気づいて考察してみたところ、面白い気づきがあったので今日はこれについて書いてみます。

その方はちょくちょく私の実家の店に買い物に来る、私の親世代の男性です。

その方が買い物に来るとき、私が店の奥でウロウロしていることもあるので、顔を見れば「よう、○○ちゃん(私の本名の下の名前)、元気?」と声をかけてくださるのですが、なぜかそのことにイラッと来るのです。

普通だったら全然そういうことは無いと思うのですが、何かが癇に障るのですね。別にその方に悪意があるわけではありませんし、誹謗中傷の意図はありません。

さらに、あまり良くないことではありますが、その方を軽んじる思いなどがムクムクと湧いてきて、悪いことにその思いを助長するように、周囲の人がその人を軽んじる言動をするのです。

「あぁ、あの人はあんな感じだから、このくらいの扱いでちょうどいいんだよ」といった具合に。なぜかその人にはいい加減な扱いをしても、大抵の人は笑ってそれに同調してしまうような雰囲気があります。

最初にその人に対する「ウザさ」を感じたとき、それが、私が父に対して感じていた感覚とまったく一緒だと気づきました。世の中の父親というのはどうしてあんなにウザイものなんだろうかと、私の個人的な偏見であることを自覚しつつも、思ったものです。

亡き父も、よく私たち兄弟に対して大した用もないのにちょっかいを出してきてはウザがられていました。(父よ、ごめんなさいm(__)m)

なぜあんなにも不快な感覚が生じるのだろうと、不思議なくらいに「不快感のツボを突く達人」であったと今にしてみれば思うのですが、その理由が全く違ったあることを考察していた時に分かりました。

私はセッションやワークショップなどで、色々な方のお話を聞く機会も多いのですが、なぜかザワザワっとした不快な感覚が浮上するケースが稀にですがあるのです。

それは一体何なのだろうと振り返っていた時、相手の方と私自身の中のある構図が見えてきました。

私はセッションなどでは特に、相手の方のお話を、感情を中心に見ながらお聞きしています。

その方がどんな体験をされ、どのようにそれを捉えていらっしゃるのか、どこがこのセッションのフォーカスポイントなのか、受け止められなかった感情のエネルギーがどの辺りに埋もれているのかを見ているわけです。

ザワザワしたものがかき立てられる方は、とにかく息をつかせず一方的にストーリーをまくし立てるように話し、「対話」をしないという共通点があります。

私はじっとその方を感じながらお話を伺っていますが、その感覚が、その人にとっては「聞いてもらえている、自分に注意を向けてもらえている」という安心感や心地良さにつながるので、ますますまくしたてるような話し方に拍車がかかるようです。

そしてそういう方のもう一つのポイントは、そのように話している自分自身の体験と分離しているということです。つまり、自身の体験を感じ、受け止めないままにツラ~っと思考で表面をなぞっている感じなので、ギアがかみ合っておらず、空回りしている感覚があるのです。

私はその感覚を感じて、とても居心地が悪くなってしまうのでした。

そこまでわかったところで、そう言えば、と思い出したある人の顔がありました。その人も何回かお会いしたことがあるという程度の方でしたが、とても饒舌な方で、みんなを自分の話で楽しくさせたいという思いを強く持っている方でした。

気さくな方なので最初は興味を持ってお話を聞いているのですが、その方がご自身の体験を生きることからくる生き生きとした何かがすっぽりと欠けていることに気づくと、だんだんと聞いているのが辛くなってきます。

そうして少し退屈したような雰囲気になると、その方もそれを察し、注意を自分に引き戻そうとしてさらに饒舌さを増していきます。すると余計に白けていくという悪循環が展開されるのでした。

これら3人に対して私が感じた同じ感覚は、同じ心理的パターンから来ています。つまりそれは承認欲求ということなのですが、他者の注意をどうにかして自分に向けさせたいという行動パターンなのです。

なぜそれらの人がそうするのかというと、自分の内側に耐え難い孤独や無価値感、無力感などの感情・感覚を抱えているので、それを他者から注目されることで埋めたいわけです。

それは代償行為であり、他者のエネルギーを奪って自身の虚無を埋めようとする行為です。いくらこれをしても、自分でその虚無を満たせない限り、その心の飢餓感は止むことは無いでしょう。

言ってみれば、その人は「餓鬼」の世界でもがいているようなものです。

そして、その人の側にいて注意を向けさせられる人は、エネルギーをその人に奪われているので不快に感じるのです。

今ようやく、私が彼らに対して感じていた不快感の理由が判明しました。

彼らが私の現実に現れたということは、「鏡の法則」を通して私の中にも彼らと同じ心の飢餓感があるということなので、この不快感を辿ってしかとそれを満たしていきたいと思います。

思わぬところに貴重な気付きが転がっていました。

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