今この瞬間、プレゼンス

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光と闇の本質

今回のリトリートの考察はまだまだ続いているのですが、最終日に大きな解放の糸口をつかんだとは言え、なかなかプレゼンスに居られなかったことは大きな反省点です。

レナードや他の方にも指摘されたことではありますが、期待を抱いてしまったことが私をプレゼンスから遠ざけてしまった要因です。

エゴは、「もっともっと」と「今ここ」にはない何かを求めて最もそこに居なければならない場所から私たちを誘い出します。「今ここで満ち足りて在る」というのは、まだ私には難しいことでした。

私は何かを掴まねばならないと力んでいましたが、プレゼンスに在るには、レナードがいつも言うように「Just relax!」なのです。

けれど私はまだプレゼンスを本当に信頼できてはいません。頭では分かっているけれど、魂の奥深くにはいまだ神への憎しみや恨みが残っていて、容易にプレゼンスに委ねることができないのです。

レナードに、私が「神は私を見捨てる」と訴えたとき、彼はそれを否定することなくいともあっさりと「その通りだ」と答えました。そのことで私はさらなる絶望の淵に突き落とされるのですが、確かに神は私たち人間が都合よく解釈するような、愛と光と慈悲だけの存在ではありません。

巷に溢れる「スピリチュアル的なもの」の多くは、神を愛と光の存在だと捉えています。けれど、レナードはそれではバランスを欠いている。「神は光でもあり、また闇でもある」と言います。この言葉に私は深く同意します。

私が自分自身に向き合ってきた中で触れた神は、確かに光でもあり闇でもあったし、そうでありながらそれらも超えた圧倒的な愛そのものだったからです。

自身の闇に深く深く降りていくと、常にそこには想像だにしなかった鮮烈な光と愛がありました。だから私は闇を恐れません。闇もまた、愛であることを知っているからです。

神は、私たちが目覚めていくためには、敢えて地獄の底に突き落とすようなこともするし、見捨てたり、責めたてたりされたと私たちが感じるような状況に追い込むことさえ厭いません。

人間目線で言えば非情とも言えるような仕打ちを通過させることでその人が目覚めるのなら、神に一切の妥協はありません。たとえそれで魂がボロボロになって数千年の間、闇を彷徨うことになったとしても、です。

けれど、そうしたプロセスの中で私たちはもがき苦しみながらも、あるタイミングでそこに絶え間なく流れ続けている恩寵に触れる瞬間がやってきます。

最初は微かに。やがて抗いがたい力強さでもって、それは私たちを再び神の腕の中に引き戻していきます。自分でもその力が何なのか説明もできないままに、神の呼びかけは強く、深く私たちの魂の奥底に眠っていた何かをゆっくりと育てていきます。

そのとき初めて、私たちは自身の辿ってきた気の遠くなるような深い闇が、いかに恩寵そのものであったのか、否定のしようもなく真実を肌で知るのです。

今、私は神への積年の恨みと憎しみを吐き出しながら、同時にどこか自分の深いところで神の愛という基盤にしっかりと足を付けている自分を感じています。不思議なもので、神を憎めば憎むほどに、神の懐に帰っていくのを感じているのです。

これまで私は、レナードに憎しみを浮上させられそうになっても、ショックや悲しみ、戸惑いや絶望を感じても、憎しみを意識したことは無かったかもしれません。怒りは確かにあったと思いますが、「くっそ~、レナードめ!」と口では冗談めかして言ってはいても、憎しみには触れられていませんでした。

憎しみを否定していたつもりはありません。それは自分の中に在っても問題ではないと認識していましたが、あまりに憎しみのエネルギーのボリュームが大きすぎたので、これを生きてしまっては身体がもたない、と思った部分はあったかもしれません。

実際、解放に取り組んでいても、膨大なエネルギーに身体がへとへとになります。こんなものを抱えながら、長いこと生きてきたのですね。

理不尽に妻子を殺された男性、戦争で故国を失った男性、激しい拷問の末に磔になって干からびている干物のような物体。たまに、ワークをすると自身の奥底から、まるで地の底から響いてくるようなうめき声が出てくることがよくあったのですが、なるほどそれは彼らのものでした。

神が憎い。許せない。

そう呪った彼らの痛みを、少しずつ受け止めています。

最初の頃よりは、大分彼らのいるところが明るくなってきて、透明で清浄なエネルギーが満ちてきているような感じがします。

これほど深い憎しみと恨みの底にも、恩寵が満ちているというのは、何と言う救いでしょうか。これは、頭で分かっているだけではダメです。実際に自身の闇に触れ、そこに確かにそこに在る恩寵に触れるまでは、決して「神は光であり闇でもある」ということの真意を理解できないでしょう。

ふと、このブログのタイトル「しろいはね くろいはね」の由来となったビジョンのことを思い出しました。このビジョンは、私がヒーラーとしての勉強を始めたばかりのごく初期の頃、突然見えたものでしたが、この道を歩み初めてすぐに、神の本質が示されていたのだな、と思い至りました。

プレゼンスに深く根付くには、あらゆる無意識に沈んだものを浮上させねばならない、という原則を、今改めてしみじみと感じています。このことには、この言葉で表現された以上のことが含まれており、全てのプロセスは完全に恩寵とともに在ります。

それを実際に体験するほどに、私たちはプレゼンスを深く信頼し、委ねていくことができるのでしょう。

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神の愛

遅くなりましたが、 第337弾のご感想と、4月15日感情解放ワークショップのご感想をホームページにアップしましたので、参考になさってみて下さい。

さて。23日の夜にレナードの清里リトリートから帰ってきて、じっくりと余韻を味わっています。毎回参加していても、その都度違った気づきと学び、そして宿題をもらって帰って来るのが、私にとってはかけがえのない機会となっています。

そして、そこに参加されている方々、新しい出会いはもちろんのこと、特に何年も前からともにレナードの教えを学んでいる方たちにお会いするのは、私の中では特別な意味合いを持っているのだな、ということを今回改めて感じました。

多分、他の方も同じように感じていらっしゃる方は多いのではないかと思います。というのは、決して楽なことばかりではないこの教えを真摯に実践されている方々は、教えの素晴らしさも道の険しさも良く分かっているので、互いに多くを語らなくても、プレゼンスという共通の認識の上で通じ合うものがあるような気がするからです。

私にはそうした皆さんが、それぞれのフィールドの上で勇敢に戦う戦士のように見えます。

そして今回のリトリートでは、私の中に埋もれていた胸をえぐられるような感情がたくさん浮上し、解放されました。

4日間のリトリート中、3日が終わった段階で、私は自身のプレゼンスがなかなか深まっていないことに焦りを感じていました。

とてもコミットして参加したはずだったのに、周囲の方々がとても深いプレゼンスを体験されている様子を見るにつけ、一体私はこれまで何をして来たんだろうと情けなく思えて仕方ありませんでした。

そうして迎えた最終日に、私はいかなるものをも受け止めることを心の中でコミットして、レナードにガイダンスを求めました。すると、彼は私の中に在る、彼と神への憎しみを浮上させました。これまでにも繰り返し取り組んできたテーマでしたが、まだ憎しみは深く私の心に残っていたのです。

振り返ってみれば、これまでのリトリートや、それ以前に行われていた週末ワークショップの時代から、彼は何度も私の中のこの憎しみを浮上させようとしてきていました。

みんなの前で極めて厳しい言葉を浴びせられたことも一度ならずあったし、他の人には容易に与えられるものが、私には決して与えられないと感じたことも多々ありました。

そのようにされても、私の中で、彼への信頼が揺らぐことは一度もありませんでしたが、彼もまた、その姿勢がブレたことは一度もありませんでした。

彼は自分が相手から好かれようが憎まれようが、そんなところには微塵も関心がなく、あるのはただその人の魂の目覚めのみです。

彼はリトリートで、「私を憎みなさい」と言いました。埋もれた憎しみは健全ではありません。だから浮上させ、表現されなければなりません。

たとえそうであったとしても、「私を憎みなさい」という言葉は、普通の人がそうやすやすと言える言葉ではないでしょう。全く動じることもなく、そう言えるレナードはやはりすごいな、とどこかで感心しながら、私は自分の中の憎しみを浮上させました。

その瞬間から、待っていたかのように胸をえぐるような痛みが深く、胸やみぞおちから下腹部へと降りて行くのが分かりました。と同時に体が震え、涙がとめどなく流れてきました。

特に神への憎しみを感じるとき、私の中でそれはすぐにどうしようもない虚しさに変化していきます。私がどんなに憎もうが嘆こうが叫ぼうが、神は何の痛みも感じない。そのことに深い虚しさと無力感を感じるのです。

これまでは、これが出てくると途中でそのストーリーを信じてしまって、途中で止めていましたが、このときはこれもそのまま感じれば良かったのか、と気づくことができたので、湧き上がるがままに虚しさを感じて行きました。

憎しみと虚しさと無力感、悲しみに打ちひしがれながら、心の中でずっと「痛い、痛い、痛い」とつぶやいていました。私の魂はこれを受け止めたくなくて、もう何百年、何千年も逃げ続けてきたのでしょう。

けれど、今の私はこれだけのものが出てきても、逃げることなく受け止めることができます。やっと、このタイミングで準備ができたのでした。

これまで私は、レナードから「あなたは準備ができていない」と言われたことが何度もあったのですが、その時私は、何をどう準備すればいいのかさっぱりわかりませんでした。自分なりに準備して参加しているはずなのに、その言葉は心外だったし、かと言ってその準備についてそれ以上語られることはありませんでした。

だから私は暗中模索するように、その時自分ができることをどうにかしてやる、ということをコツコツ積み重ねて来るしかなかったのです。けれどそれがようやくこのタイミングで実を結んだということのようです。

あるヨギの自叙伝」の中で、ヨガナンダがグルのシュリ・ユクテスワの余りにも厳しい指導を、麻酔無しで歯を抜かれるがごとく、というような表現をしていたと記憶していますが(正確な表現ではなかったかもしれません)、グルの指導は、時にエゴにとってはそれほどまでに熾烈なものになり得るのです。

けれど、それはグルのエゴから来るものではなく、完全に恩寵です。

今、こうして長年の彼の厳しい態度の意味を理解するにつけ、そこに計り知れない愛と恩寵を思わずにはいられません。

神の愛は、決して私たちが望むような形ばかりで表れるわけではないし、一見正反対と思えるような厳しい姿でやってくることもあります。その計らいに私たちが気づけるかどうかは、ひとえに私たちがどれだけ実践的な努力をしたか。そして、魂が成熟したかにかかっています。

今回のリトリートは、その最中よりも終わってからの方がジワジワとプレゼンスが深まっているように感じます。憎しみの解放はまだ続いていて、どこまで続くのかと思えるほどに後から後から湧き出してきます。

けれど、終わりを思うことなく、出るままに出させてあげようと思います。そして噴出する恨みの中でも、不思議と静寂のスペースが広がっているのがはっきりと感じられます。これは今までになかった感覚かもしれません。

プレゼンスの種は、私の中でしっかりと育ってくれていた。そう感じた瞬間でした。

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今ここに踏みとどまる力

感情解放ワークで自分自身に深く向き合うということを続けていくと、「内なる自分」は、そのように自身に意識を向けてもらうのを待っていたかのように、次々と様々な秘密を打ち明けてくれるようになります。

過去世のこともそうですし、自分でもとうの昔に忘れ去っていた古い記憶、そこに埋もれた感情、そして自分がどれだけ自身を偽って生きていたかという真実、さらには、自分の果たしたかった夢やミッション、それに対して今何をしたらいいのか、どうやってそれをするのかまで、自身と対話するほどに明らかになって来るのです。

ワークを続けてきていらっしゃる方にはお馴染みのことかと思いますが、どれだけやっても、そのステージステージで真実を知ることへの恐れや痛みを味わうことへの恐怖感などが繰り返しやって来るでしょう。

けれど、取り組みが深まるほどに、感情や感覚は当初感じていたものからどんどん変化していきます。恐怖や悲しみ、怒り、絶望など、最初の頃はとても手に負えないモンスターのように感じていたそれらは、ただ自分が迎えに来てくれることをひたすら待っている傷ついた存在なのだと、分かるようになるのです。

頭でこれらのことを知ったとしても、すぐに生々しい痛みの感情に触れていくことは難しいでしょう。それができるようになるまでに、段階的に身に着けていくべきテクニックや心の筋肉があります。

ちょっとしたハイキングで登れる山に登るのと、富士山に登ること、エベレストに登ることは、同じ山登りと言っても相当なレベルの違いがあります。

それぞれに準備すべき装備や体力、技術、知識などがあるので、今の自分がどのくらいまでならできるのか、注意深く毎回チェックしていく意識は持っていた方が良いでしょう。

自分にできることと、まだできないでいることの境目が明確に捉えられると、次に何をすべきなのかがはっきりと分かります。内面のことは、何となく曖昧に捉えてしまいがちですが、そこを明確に見られるようになることも、技術の一つです。

また、集中力や持続力を付けていきたいと思ったときは、自分が苦痛に感じることにフォーカスすると良いでしょう。

たとえば私が最近トライしたのは、ジャパをしているときにたまに出てくる身体のだるさについてです。疲れがたまっているときなど、この身体的苦痛が集中力を妨げ、意識が散漫になってしまいます。

そこで、このときは敢えて逃げたいようなその体の苦痛にしっかりと意識を向けて、命の呼吸を送ってみるなどをしばらくしていました。そうするほどに苦痛のエネルギーは刻々と変化していき、随分と楽になっていました。

そうしてその日は一日、朝に感じていた疲れも気にせずにすっきりと過ごすことができたのですが、苦しい感覚は感情だけでなく、身体的なレベルでも、無視して抑圧するのではなく、意識を向けてケアする方が良いようです。

このワークでは、抑圧されていた苦痛の感覚が解放できたというだけではなく、苦痛の中でも意識を向け続けることのできる心の筋力が鍛えられたわけです。

ワークではこのようにして、より深い苦しみの中でも意識を途切れさせずに向け続けていることのできる力が養われて行きます。

今週の無料ヒーリングのテーマにも通じることですので、意識なさってみてください。苦しい状況の中で自身の在り方を問うには、苦痛に耐えて意識をコントロールする力がどうしても必要です。

いきなり高度なものをイメージする必要はありませんが、「ちょっと嫌だな」と感じた時や「もう逃げ出したい」と思ったときこそがチャンスです。その嫌な感覚の中でしっかりと身体とともにいて、深く呼吸をしながら踏みとどまる練習をしてみましょう。

これができるのとできないのとでは、格段に胆力のようなものが違ってきます。

世界のより深いレベルを意識で捉えていこうとするとき、「それとともに在る」ということがとても大切です。これはいわゆるプレゼンスの状態なのですが、プレゼンスに在るには、今この瞬間に踏みとどまる力も必要なのです。

私たちはややもすると今この瞬間から飛び出して、過去や未来のマインドの世界を彷徨ってしまいがちです。それは、「今ここ」に居ると感じたくない様々なものを体験しなくてはいけなくなってしまうので、逃げ出したいわけです。

私たちは、プレゼンスに深く根付いて自然にその状態に居られるようになるまで、繰り返し「今ここに踏みとどまる力」を試されるでしょう。

焦らず、遊離することなく、今この瞬間の自分自身とともに在りましょう。

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自分の気持ちのカケラとケンカしてしまうとき

感情解放ワークをされている方の中で、自分の気持ちのカケラ君とケンカしてしまうというケースを見かけることがあります。こじれてしまうと自身と和解していくはずのワークが、却って溝を深めることになってしまいますので、そうならないようにポイントを見ていくことにしましょう。

感情解放のワークでは、自身の内に湧き上がってきた感情に気づいたら、それが身体のどこに一番強く感じるかをまず特定します。これが第一ステップでしたね。

体感覚のあるところに、感情のエネルギー、つまり気持ちのカケラ君がいるというわけなのですが、これに命のエネルギーを送ってあげたり、対話したりしてカケラ君が本当にして欲しいことを満たしていくことで、解放と癒しに導いてあげます。

ですので、どれだけ誠実にカケラ君の声を聞き、それに応えられるかがワークの成否を握ることになります。

ところが、私たちは長いことこの感情のカケラ君を隔離し、封印してきたのでなかなか彼らと対話することが上手くできなかったりするんですね。

さっぱり声が聞こえないので、「こちらは誠実に聞こうとしているのに、カケラたちと来たら何も話そうとしない。黙りこくって、私を無視しているみたいだ」とか思ってしまうのです。

けれど、基本的に彼らが何も言ってこないはずはないのです。苦しいところに何十年、何百年も閉じ込められてきていて、一刻も早く助けてほしいと、声を上げ続けてきたのが彼らなのですから。

ではなぜ彼らの声が聞こえないのでしょう?それは、彼らの声を受け止めようとする私たちの側の準備ができていないからです。ほぼ100%、間違いなく私たちの側の問題です。

このように言うと、「どうして?こんなに聞こうとしているのに私が悪いの?」と不愉快な気持ちになる方もあるかもしれません。(ここで、自分の中にまた新たな感情が浮上してきているのに気づいているでしょうか?これについては後で解説します)

自分では聞く気マンマンのつもりでいても、チェックしてみると、実際には尻込みしていたり、あらぬ方に意識が飛んでいたりしているということがほとんどです。

そのチェックのやり方ですが、カケラ君の側に意識を移動させ、その視点から、カケラ君に向き合おうとしている自分を見る、ということをします。

すると、カケラ君から見て、自分はまるで声が届かないはるか遠くで恐る恐る様子を窺っているとか、目を合わせようとしていない、話しかけても聞いているのか居ないのか、親身に受け止めてもらえる感じがしないなど、自分の側から見たのでは気づかなかった自身の真実の姿が、実に良く見えるのです。

カケラ君たちは、私たちが気づきたくなかった言葉、知りたくなかった真実を私たちに受け取って欲しがっています。けれど私たちは、しばしばそれをとても恐れています。

そんなものを受け取ってしまったら気が狂ってしまう、とても耐えられない、潰れてしまうと信じているので、無意識の内にも蓋をして、逃げていたい、聞きたくないわけです。

聞きたくないから聞こえないというのが、この状況の真相です。

ワークでは、聞いてしまったら訪れるであろう状況の痛みを受け止めることで、恐れを解き、聞こえるスタンスに調整していきますが、ここが整えば、必ず聞こえるようになります。カケラ君の問題なのではなく、自分自身の問題なのですね。

それから、またこんなケースもあります。

カケラ君の声を聞き、応えなければならないというところで、「私だって辛いのに、どうして私を苦しめているこんなヤツの要望を聞かなければいけないのか」と、やりきれなさを感じて「絶対に嫌」となってしまうケースです。

これは、感情のカケラ君に向き合うことで、さらにトリガーされた感情に飲み込まれた状態になっています。

ちょっとわかりにくいかもしれませんが、感情がトリガーされるのは何も外側の出来事に限ったことではなく、自分に向き合っていること自体でトリガーされることもあるのです。

先に上げた例で、感情のカケラの声を聞く時に浮上する恐れなどはその代表的なものです。

カケラ君の声を聞き応えていく場面で、この人の心の中には「やりきれなさ」が浮上しています。このことに気づかずにどっぷりとそれに飲み込まれ、感情を受け止める主体のポジションを失って、対象であるはずの感情と一緒くたになってしまっています。

そしてそのまま外の人とケンカするように、統合していくはずのカケラ君とケンカし、溝を深めているのです。

このような状況では、やはり浮上している感情にいかに気づき、対象を見て主体の意識のポジションを維持できるかがカギになります。

つまり、苦しい状況の中でさらに自分に責任を負わされ、私は誰にも助けてもらえないというストーリーの中で生じる怒りや悲しみ、絶望、やりきれなさを受け止めていくわけです。

ワークでは、常に自身の内に浮上しているものに気づけるような意識の使い方を訓練していくと、どっぷりとストーリーに足元からすくわれるということがなくなっていきます。

パターンもありますから、頭に入れておくと、気付きが早くなるかもしれません。参考までに。

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自身の在り方の責任と解脱について

スピリチュアルの世界でも、「意識の目覚め」「悟り」「解脱」「今ここ」「プレゼンス」などといったキーワードがごく普通に語られるようになって久しいですが、私自身もレナード・ジェイコブソンを人生の師と仰いで意識の目覚めについて取り組んできました。

こうした意識の目覚めに取り組む人たちがどんな動機からそれを求めているかは人それぞれだと思いますが、よく聞かれるのが「もう二度と生まれ変わりたくないから解脱したい」という声です。

そのように言う方は、人生がとても辛く、この世に生きていることがどうにも耐え難いと感じているのでしょう。

私が意識の目覚めを探求するようになったのは、悟りを目指していたからではなく、単により効果のあるヒーリング手法を求めたところが始まりです。それ以前は悟りとか目覚めとか、全く興味はありませんでしたし、そういうものは仏教臭くて哲学的な、自分とは無縁のものだと思っていました。

けれど、当時新しいヒーリングの手法を探求していたヒーラー仲間の一人が意識の探求に注目したところからレナードにたどり着き、みんなでセミナーに参加したのがレナードとの出会いとなりました。

そしてレナードの深いプレゼンスのフィールドに触れたとき、私にはそれが何であったのかは到底理解できませんでしたが、何か間違いなくすごいことが起こっているのだということだけは分かりました。

それから6年。自分なりにどうしたらプレゼンスに根付くことができるのか、もがき苦しみながら探求してきました。

そこから生まれたのが今私がお伝えしている感情解放のワークですが、これらをしながら思うのは、プレゼンスや今この瞬間に居ること、意識の目覚め、悟りは、苦しみからの逃避の手段にはなりえないということです。

これはレナード自身も言っていることですが、探求すればするほど、そのことの意味が良く分かります。

ここから言えるのは、「今の現実、この世界に生きることが苦しいから解脱したい」と思う限りは、悟りや解脱、プレゼンスを体現することはできないだろうということです。

悟りとは「今この瞬間に居ること」であり、これが目覚めた意識の状態です。けれど、今ここに居ることが苦しい人は、そこに居たくはないわけです。一刻もどこか違うところ、もっと楽で心地よいところに行きたいと思っています。そしてそれは、「今ここではないどこか」なのです。

苦しみから逃れる手段として解脱を求める人の、どれだけがこのことに気づいているでしょうか。

では、「今ここに居る苦しみ」にあえぐ人がいかにして、今ここに根付くことができるようになるというのでしょうか。

エネルギー的に、苦しみの感情や感覚は、確かに今この瞬間に根付くことを妨げます。それはたとえるなら、入れ歯と歯茎の間に挟まった異物のような感じで、すっきりと収まるはずのところに痛みと居心地の悪さ、違和感を感じさせます。

レナードが、プレゼンスに根付いていくためのツーステップの中で、取り組むべき項目の一つに抑圧された感情に対処することを挙げているのは、このためでしょう。

そして、私が自身の感情解放に取り組んできたプロセスで感じたのは、これらを通して自分という存在を深く知ると同時に、深まっていく意識レベルに対応できる心身の状態を整えているのだということです。

私の感情解放のワークでは、常に体感覚で体内のエネルギーを意識し続けます。このことで、エネルギーを制御するコツや、実際に大きなエネルギーに耐えるだけの意識と体の状態を少しずつトレーニングしている側面があります。

そのプロセスで、大なり小なりの変容を繰り返していく結果、苦しみの中でもある程度今ここに意識を置いていられるようになっていきます。

また、見たくない自身の側面や受け入れ難いものと対話し、受容・統合していく道のりは、ツーステップの別の項目、エゴとの適切な関係を構築すること、すなわちマスターレッスンにも通じていると私は理解しています。

私はレナードから教えてもらったプレゼンスを実現するために、一瞬も今ここに居られない意識からどうしたらそこに至れるのか、彼の教えからのヒントをもとに探求してきましたが、これらのプロセスをすっ飛ばしてそれが実現できるとは、未熟な私には到底思えませんでした。

最も見たくないものに目を向け、受け入れ難いものを受容する方法を学び、実践することで、確実に今ここに居られるようになっていきますし、現実もどんどん優しいものになっていきます。

レナードは、「私にとって今ここは天国だ」と言います。それが目覚めた意識に在る人の世界なのです。

一方で私たちは、彼と同じ空間、同じ時間に居るようでありながら、どうしてこんなにも世界の感じ方が違うのでしょうか。

言い方を変えれば、なぜ私たちはここまで自身の生きる世界を苦しみで一杯にしているのでしょうか。それは間違いなく自分でそのようにしています。

その在り方を変えていく中で起こって来るのが解放であり癒し、変容です。自分で自分の在り方の責任を取っていく学びを瞬間瞬間、重ねていった先にあるのが、意識の目覚めなのだと私は理解しています。

であるならば、自身の在り方の責任を取らないために起こっている苦しみから逃れたくて解脱を求めるのは、永遠に実現不可能な命題だと私は思うのです。

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行住坐臥

今週土曜日4日の感情解放ワークショップはまだお席がございますので、じっくりと自分に向き合いたい!という方はこちらのフォームから是非どうぞ。

さて。昨日のブログで、意識が深まっていくにつれてエネルギーの圧のようなものを感じることがあると書いたのですが、今この圧をしっかりと受け止められるように意識の筋力みたいなものをトレーニングすることに取り組んでいます。

この取り組みは、筋肉をトレーニングするときと同じように、結構疲労を感じます。エネルギーを使うヒーリングも、ある意味肉体労働的なところはありますね。

私たちは、多かれ少なかれ様々なことを「直視すること」を避けて、負荷を軽くしようとするものですが、それが悪いわけではなく、何でもかんでも直視していたら身がもたないので、適当なところで自分が耐えられるくらいの焦点の合わせ方をして日常を過ごしているわけです。

が、たまに「直視する」トレーニングを日常に組み入れてみると、色々な意味でものすごく鍛えられ、世界が変わるんじゃないかと私は思っています。

たとえば、私のサロンでは「人々の罪を浄める者」という意味の名前を持つ「バラジ」というインドの神様をお祭りしているのですが、この神様はその目があまりに美し過ぎて、私たちが直接見るには強すぎるということで、お顔を布で覆って隠している姿で表されています。

最初に見たときは、顔を隠しているなんて不思議な神様だな~と思ったのですが、あまりに強すぎるパワーにじかに触れてしまったら、確かに耐えられないのだろう、お顔を隠したこのくらいでちょうど良いのだと思うになりました。

毎朝の日課でしているジャパ(マントラを繰り返し唱える修法)でも、このバラジをはじめシヴァ神など様々な神様の名を唱えていますが、ボンヤリ唱えていてもエネルギーは流れてきます。けれどさらに神様をしっかり意識してやると、そのエネルギーを受け止めるのが結構大変だと感じることもあります。

最初の頃は、流れてくるエネルギーの通り道が狭かったり詰まったりしているところが多かったので、体中のエネルギーラインがミシミシいいながら流れていっていました。

今は大分こなれてきたのか、そこまではならなくなりましたが、意識のフォーカスの当て方が深くなってくると、今度は別のレベルでグッとくるものがあり、適当にボンヤリ流して唱えたり、意識を凝らしてしっかりやったりと、調整しています。

本当に神々に対する自身の向き合い方一つで、現れるものが全然違うのだな、ということをしみじみ感じます。

意識の使い方も筋肉を鍛えるのと一緒で、ややもすれば彷徨いがちになる意識を、はずれては戻し、また外れては戻しし、しっかり定めておける時間を少しずつ長くしていくように、最近は少し真面目にやろうとしているところです。

意識し始めると、普段自分がいかにいい加減に意識を暴走させているのか、ということが痛感されます。

よく、修行で行住坐臥(ぎょうじゅうざが)と言われますが、人間の日常生活における基本的な行動の、歩く、立止まる、すわる、横たわることのすべてにおいて意識を絶やさぬこと、すなわちプレゼンスでいることは、シンプルでありながら、究極の人間の在り方なのだろうと思います。

以前、レナードがセミナーの時に、「私を見ていなさい。一瞬でもプレゼンスから外れることがあるかどうか」と言ったことがありました。

もう何年も彼が来日するたびにセミナーに参加していますが、確かに彼が立つ瞬間、座る瞬間、話しているとき、食べるとき、歩くときなど、彼はいつもプレゼンスに居て、彼が無意識でいるところ、マインドの中に入っているところは見たことがありません。

ややもすればすぐにマインドの中に迷い込んでいる私とは大違いです。彼のプレゼンスの深さ、その安定感は、本当に桁違いです。良かったら動画を見てみてください。

彼以外に日常の中でプレゼンスに居る人を見る機会というのはほぼないに等しいのですが、唯一、サロンのある門前仲町の深川不動尊のお護摩に参加した時に、一人だけものすごくプレゼンスなお坊さんがいらっしゃいました。

このお不動様では一日に5回お護摩が焚かれるのですが、毎回数人のお坊さんが出て来て儀式を執り行います。その中で、たまに出てくる方なのですが、一人だけ、最初から最後まで途切れることのないプレゼンスでいる方があるのです。

この方の出ている回に当たると、個人的には何となく嬉しかったりしたものです。本当に修行されていて、本質をご存知の方だと感じるからです。

ただ日々の修行や様々な作業を「こなす」意識でやっているのと、どんな瞬間も「プレゼンスを体現する機会」だと捉えてこれを行うのとでは雲泥の差です。

わざわざ修行や取り組みの時間を取って深く集中的にすることも大切ですが、一方で日常の何気ない瞬間にどれだけ深く日頃の積み重ねを活かせるかというのも、欠かせないことだと思います。

レナードは、「何をするかではなく、どう在るかが重要だ」と言います。とかく、私たちは「すること」の方に重きを置きがちですが、「在ること」によって「目覚めた巨人」のパワーを体現することの方が、実はよほど人生の真理に近づくことなのでしょう。

すべての瞬間が、神の恩寵とともに在りますように。

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意識のエッジを取る

自分が恐れているものに直面するというのは、ある部分、究極の自己鍛錬かなと思うのですが、古今東西の修行者たちが厳しい環境に身を置いて、敢えて極限状態を体験しようとするのも、自らの「意識のエッジ」を取る訓練なのでしょう。

自分がどこまで何をどう認識しているのか、漠然とやっているとなかなか繊細な意識の使い方は上達しないのですが、今現在このように捉えている。けれどまだ何かありそうだ、と思ってさらに意識を凝らしていくと、その先がどんどん見えてきます。

そしてそのプロセスにおいて、「その先を見るための必要条件」というのも、必然的に分かってきます。

たとえば、あるレベルの意識の視野で見えているものにじっと意識をフォーカスしていると、それが自然に深まって行くにつれて、身体全体のエネルギーが変化していくということがあったりします。

そうなると、それ以前のレベルでは引っかからなかったものが引っかかってあぶり出されてきて、対処することが必要だったりしてくるわけです。つまり、その先に行くにはこれをクリアすることが必要条件となるのですね。

ただ漠然と自分に向き合っていれば進めるかというとそういうものではなく、どんな分野でもそうですが、繊細なレベルになるほど、厳密に「見て取る能力」と、状況に適切に「応答する能力」というものが備わらなければ、抜きんでていけない部分があると思います。

ダンスでも、この動きをするためには筋力の他にバランス感覚や表現をするための引き出しの多さがないとできないとか、色々ありますね。

その動きをするために、どれだけの要素を積み上げていかなければならないのか、その集大成としてその表現があることを見て取ることのできる人には、一見何気ないその動きの奥に、何千時間、何万時間の修練を見るので、それがどれだけすごいことなのかが肌で分かるのです。

昔、ある人がお寿司のことを「ネタを切ってシャリに乗せただけのもの」と言った人がいてびっくりしたことがありました。確かにただそれだけのことではありますが、その中にどれだけの奥深さがあり、その技術を習得するために職人さんがどれだけ修行するのか、その人は「見て取る力」が無かったのだろうと思います。

私自身を振り返ってみても、まだまだだなぁと日々思うところではあるのですが、それでも毎日の地道な歩みの中で、たまにこれまで見えていなかったもの、無意識に見ることを拒絶しているものに気づいて軌道修正できた時、大きく前進できたような感覚になることがあります。

一つある感覚を習得すると、それが他の様々なところに応用できる技術だったりするので、新しいおもちゃを手にした子供のように、嬉しくてあれこれ試してみて、遊び場が広がったような気持ちになるのです。

最初は家の近所数ブロックがせいぜいのテリトリーだったのが、足が強くなって隣町の公園で遊ぶようになり、自転車を手に入れてからは何駅も先の街までテリトリーが広がったような子供の気持ちでしょうか。

意識の領域が広がるのとまた同時に、一方で意識の深さという方向への進展もありますね。

こちらは深海に臨むときのように、横方向への広がりには無い、ある種の圧を感じることが、個人的には多いような気がしています。その圧に耐えてポジションを保つ技術、力量が必要になってきます。

海に深く潜るといった時、1mくらい潜れるレベルと5m潜れることの間には、肉体的、精神的にも大きな違いがあるでしょうし、これが50m潜ると言ったら、そもそも装備の問題が出てきます。

意識の深まりに伴って起こることも、何となくこれと似たようなところがあるような気がしています。つまり、それなりの深さの意識レベルに居られるようになるということは、エネルギー的にそもそも構造が違ってきているということです。

レナードもその著書の中で何度も起こった目覚めの体験について記していますが、そうした体験の中で、大きな変容を繰り返し通過してきたのでしょう。

そう考えると、逆に私たちの多くがここまで意識が混沌とし、今この瞬間に根付いていられない状態になるまで、一体どれだけの逆方向の変容が起こったのだろうと思うのです。

ある意識レベルでは一目見ただけで理解できてしまうようなことが、混沌とした意識では全くと言っていいほど鈍く、分からなくなってしまう。このような変容が地球レベルで起こったというのは、とてつもないできごとだったのですね。地球が、エネルギーレベルで堕ちていったわけです。

それはちょうど、レナードのDVD「イエスの解放」の中で語られた、イエスの死の瞬間に起こった意識の崩壊に似たことの、より大規模なものだったのでしょう。

今ようやく、人類は戻りつつあるようです。イエスが死後無数に転生を繰り返し、プレゼンスを取り戻したように、人類も彼の歩みをたどるのでしょう。

私たちは、自分自身に深く向き合うことで、概念的に変化するのではなく、実際にエネルギー構造的に変化していきます。それに伴って現実や感じ方も変化していくのですが、この変容のプロセスを通過するとき、バランスをとっていく方法を身に着けるまでは、誰しもそれなりに揺さぶられるのだろうな、と思います。

デリケートな時期なので、注意深く丁寧に過ごし、サポートを受けられるのなら、それを使うのも一法です。今この期間にある方は、どうぞ大切になさって過ごしてください。

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意識の静寂と状態の移行

明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。m(__)m みなさま、健やかな新年をお迎えになられていらっしゃるでしょうか。今年も、みなさまにとりまして、素晴らしい1年となりますように。

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今この瞬間、内なる神に出会う

今ここに在るということは、身心が在るべき場所に在る感じがして心が安らぐと同時に、今この瞬間を生きるパワーの源につながります。私たちは多くの時間、こうした状態からは外れていて、いつも心は未来や過去の中に彷徨い、今ここには居ません。そんな私たちだからこそ、今この瞬間を生きることにもっと意識を向けていくことが大切です。

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抑圧した感情を解放する意義

私たちは日々の出来事の中で、知らない内に感情に飲み込まれてしまって、その中で右往左往しながら我を見失ってしまうことがよくあると思います。かく言う私も先日のブログ消失事件で、心身がバラバラになってしまったようにかみ合わない状態になってしまいました。

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