内なる声につながるために

今週20日から23日まで、リトリート参加のためにサロンはお休みをいただきます。お電話でのお問い合わせなどは対応できなくなりますので、メールなどでご連絡いただけますようお願いいたします。

さて。サロンには様々な方がいらっしゃいますが、みなさん、少しでも今をより良く生きようと、あらゆる模索を重ねているのだろうと思います。

そんな中で、しばしば人生の大きな転換期の真っただ中か、あるいはその少し前にいらっしゃる方が多いような気がするのですが、見るべきものをしかと見、行動すべき時に時を移さず行動できるかで、人生の荒波の時期を超えていく心情が随分違ってくると思います。

私たちは大抵、人生で大変な時期を迎える前には、何かしらのサインを事前にあらゆる方面からもらっているものです。

私たちを守り導いてくれる存在も、「気づきなさい。方向転換しなさい。備えなさい」というようなメッセージを一生懸命送ってくれているのですが、しばしばそうしたメッセージに私たちは意識、無意識的に耳を塞ぎます。

なぜなら、それを聞いてしまったら、自身のこれまでの在り方を大きく変えていくプロセスに踏み出さなければいけないということが分かってしまうので、それが恐くて仕方がないからです。

そのようにして逡巡している内に、準備すべき時間を無為に過ごし、荒波に突入していく方もいないわけではありません。

私たちはしばしば、自分がどうしたらいいか分からない、それを知りたいと言います。そういうとき私たちは、ほぼ自身の内なる声につながれていません。そして、その状態でいることに対するメリットがあるので、そうなっているわけです。

内なる声は、心地いいことばかりを伝えてくるわけではありません。心地良いこともそうでないことも同じように受け取って、応答していく姿勢に転換して行くということに、同意できるのかどうか。そこが内なる声につながっていくために、どうしても必要なポイントなのです。

どうしたらいいの知りたいと言いながら、それに応えるつもりが無いのなら、内なる声は決して聞くことはできません。

人生の転換期というのは、この辺りについて軌道修正を求められることが多いように思います。そしてそれはしばしば、私たちが最も苦手とするところなのです。

心にも慣性の法則というのはしっかり働いていて、私たちは慣れ親しんだところに居着きたいという傾向があるものです。けれど、そこが既に自分に取って賞味期限切れになっているのにしがみついてしまうと、人生のあらゆる部分に無理がきます。

人生の荒波は、そうした私たちの習性を見越して、否応なく私たちを次のステージへと押し流していきます。それは、ある種の恩寵であり、魂の抑え難い成長への欲求の表れといえるかもしれません。

大きな変動の時期だからこそ、私たちはしっかりと自身の拠るべき軸を見つけていくことが大切です。

今まで、自分の軸を持っていては人生を穏やかに過ごせなかった人もあるでしょう。自分を殺して、相手に合わせることでどうにか今まで生きてきた人は、自分の軸を持って生きていく在り方に転換して行くことになるわけですが、散々否定されてきたその軸を改めて建てようとしたときに、過去に受けた傷が浮上して来るのです。

それに向き合い、癒していくことで、自分が本当は何を感じ、どうしたかったのか、自身の尊厳を持って表現することができるようになっていきます。

頭だけの掛け声だけでできる部分ばかりではないので、こうした心の構造をしっかりと知った上で、いたずらに自分を責めることなく、使うべきエネルギーを効率的に創造的な方向へ向けられるように、取り組んでいかれるといいでしょう。

消し去っていた真実の自分に出会っていくプロセスは、決して苦しいことばかりではありません。とても深い安ど感や安らぎ、自信、在るべきところに在る調和した感覚などが戻ってきますし、現実も様々な変化を見せていくでしょう。

恐い、辛いという部分にばかり囚われていると、足はすくむばかりです。そうではなく、その先に広がる自身の可能性をしっかりと見て、プロセスを超えていく勇気を祈り求めましょう。

自身の可能性を深め、広げるチャンスを、存分に活かすことができるように。これ以上ない充実した期間だったと思えるように。

みなさまの歩みが、恩寵とともに在りますように。

良かったらポチッとおしていただけると喜びます♡

↓ ↓ ↓


人気ブログランキング

【イベント情報】*********
●満月の瞑想会
2017年 5月11日(木)19:00~22:00
●感情解放ワークショップ
2017年
 4月29日(土祝)
 5月6日(土)、17日(水)、27日(土)
基礎 10:00~12:00 アドバンス 13:30~16:00
詳細はホームページをご覧ください
過去記事の目次へ

第338弾 無料遠隔ヒーリング

毎週月曜日は恒例の無料遠隔ヒーリングのテーマの設定日です。 第336弾のご感想と、4月11日満月の瞑想、4月10日オリジナルヒーリングセッションのご感想をホームページにアップしましたので、参考になさってみて下さい。

さて。感情解放ワークに限らず、様々なヒーリングやセラピーについても癒えることなのですが、それに取り組む人は例外なく、現在の自分自身に何らかの生き辛さを感じている方々だと思います。

だから早く楽になりたいと思うあまり、様々な不都合な現実や苦しい感情や感覚などを、一刻も早く消し去りたいと思っています。

誰だって、苦しいのは嫌ですから苦しみを失くしたいと思うのは当然だと思いますが、けれどもその思いが実は、消し去りたいはずの苦痛を長引かせ、存続させている要因になっていることに気づく人は多くはありません。

気づいたとしても、どうしても「なくなってほしい」という思いを手放すことができずに、葛藤することも多くあります。

感情解放のワークでも、苦痛を発し続ける感情のカケラ君に対して、「お前なんか消えてしまえ!消えてくれるなら何だってしよう。愛していると言ってもいいし、抱きしめてやってもいい。だけど、ずっとそこに居てもらっては困る。ある程度満足したら、とっとと消えて二度と出てこないでくれ!」みたいな態度でワークをしている人も見かけます。

当然、これでは感情のカケラ君の信頼を得ることはできませんし、益々苦しみは深くなるばかりで、不都合な現実もなくならないどころか、あなたの態度を映した現実がそのまま返ってくるような出来事がやってくるかもしれません。

ワークでは、受け止め難い感情を色々なテクニックも使いながら本当に受容していって、最終的には、自身の内側にそのカケラ君のための居場所を作ってあげます。

たとえば、憎しみや怒り、嫉妬や悲しみなど、できればなくなってほしいようなカケラ君についても、というかそういうカケラ君ほど、迫害されて居場所を失っているので、自分の中に彼らが安心していられるようなスペースを整えてあげるのです。

そして、彼らをそのスペースに誘導し、命のエネルギーをたっぷり導いて統合します。

「え、憎しみや怒りなんかに居場所を与えちゃって大丈夫なの?そんなことしたら大手を奮ってそれらが好き放題にしちゃうんじゃない?危なくないの?」と思う方もあるかもしれません。

結論から言うと、そうしてあげた方が、却って暴発したり悪さをすることがなくなるのです。

彼らが凶暴でコントロール不能な理不尽な存在になっているのは、ひとえに私たち自身の間違った扱いのためです。私たちの扱いがいかにも理不尽でひどすぎるので、彼らが凶暴化しているだけのこと、彼らにも存在する権利を認め、適切に接していれば、ひどい状態になることは無いのです。

この辺りが世間一般に思われているところとは真逆なので、すぐにピンと来なかったり躊躇したりされるのでしょう。

よくよく考えると、私たちは自分がされたらひどく傷つくようなことを、自分自身に対しては平気でやっていて、それに気づきもしないということが、日常茶飯事だということなのでしょう。

けれど、自分の自身に対する態度は、「鏡の法則」を通して自分に返ってきます。自分の都合の悪い側面を問答無用で抑圧し、閉じ込めようとするなら、誰かからあなたがそうされるのです。

世にはしばしば他者からのコントロールを恐れ、嫌って強烈に反発する人があります。けれど、そういう人ほど実は、自分自身に対して有無を言わせぬコントロールで不都合と思える側面をねじ伏せ、外面的な体裁を整えている傾向があります。

自分が自身にどんなことをしているのか、見せられているうえに、あなたはこんな感情や感覚を抑圧しているよ。気づいて軌道修正しなさい、ということなのです。

ワークにおいては、そうした「不都合な側面」を、どれだけ受容し、歩行転換できるのかが、癒しの成果を決めます。

「消えてくれるなら何でもしよう」という下心付きの取引ではなく、本当にその存在を敬って大切にするが故に受容する、という無条件の愛で受け止められるのか。

自身の在り方を深く問われます。これは頭で理解しただけではなく、それを体現しなければ決して癒しのプロセスが始まることはありません。

今一度、下心付きで自分と取引していないか、ご自身のワークを振り返ってみてください。

というわけで今週のテーマはこちら。

消えてほしいと思う自身の側面を、下心なく受容するよう最高最善に働きかける

参加される方は、「無料遠隔ヒーリングの受け方」ご覧になり、 ご理解のうえ4月19日(水)17:00までにメールまたはメールフォームにてお申し込み下さい。 同日20:00より順次働きかけを行っていきます。

良かったらポチッとおしていただけると喜びます♡

↓ ↓ ↓


人気ブログランキング

【イベント情報】*********
●満月の瞑想会
2017年 5月11日(木)19:00~22:00
●感情解放ワークショップ
2017年
 4月29日(土祝)
 5月6日(土)、17日(水)、27日(土)
基礎 10:00~12:00 アドバンス 13:30~16:00
詳細はホームページをご覧ください
過去記事の目次へ

引き裂かれるハートと癒し

ここのところ、忙しさにかまけて浮上している感情にしばらく取り組んでいなかったのですが、もうそろそろ先延ばしにできないな~という「感情のカケラ君たち」からのプレッシャーを感じたので、少し時間を取って取り組んでみました。

最近取り入れたあるツールのせいか、奥深~くに沈んでいたものが一気に上がってきた感じで、感情解放を出産に例えると、赤ちゃんが産道をゆっくり降りてくるみたいな感覚があります。(今世では出産経験はありませんが、多分そんな感じでしょう)

要するに、カケラ君たちはもう出てくることを決めていて、後戻りはできない。さぁ、覚悟を決めなさい!という有無を言わせぬプレッシャーです。(^^;

そちらがそのつもりなら、覚悟を決めるしかありません。というわけで、慌てて出産体勢を整えたというわけです。

最初に出てきたのは、気が狂いそうなほどの閉塞感で、「ここから出してくれ!」とパニック状態になっている混乱した感情が出てきました。

「ここに居たくない!」という心身ともに耐え難い苦痛をゆっくりと呼吸をしながら、肉体からズレそうになる意識をしっかり肉体に留めながら、そこで起こっていることを起こるがままに起こさせていきました。

感情解放をする時は大抵、背骨の辺りがバキバキいいながらエネルギーが動いていくのを感じるのですが、今回はその感覚と同時に、「ハートが引き裂かれて行くような感覚」を刻々と体感していました。

このまま気が狂わずに身体の中にいたら、ハートが壊れてしまうというような状況の中で、身体の中に居て起こるように起こさせていくことにしました。

すると、まるで筋繊維が一本一本、順番に引き裂かれて行くかのような感覚がハートで起こって行きました。そんな様子も「本当にハートというのは引き裂かれるのだな」とどこかで見ている自分がいたのですが、それはかつてある人生で死の瞬間を体験した時と同じ意識の感覚でした。

冷静に見ているけれど、同時に激しい感情のエネルギーからも離れてはいません。

「ハートがそんな状態になって、ヤバいんじゃないか?」という不安も起こることもなく、起こるように起こって行くことに対する、不思議なほどの信頼感がありました。

ハートが引き裂かれて行くこのプロセスが一段落すると、それまでずっと重苦しかった胸の辺りはすっきりと透った感じがして、より深い響きが感じられるようになっていました。

「ここに居たくない!」と叫んでいた男性も消えて、今この瞬間にストン!と居られる感じです。

それから、少し休憩を挟んで第2ラウンドに入って行きました。再び胸から下腹部にかけて重苦しい反応があって、フォーカスしていくと深い悲しみでした。私は白髪に豊かな髭を蓄えたレオナルドダヴィンチのような老人で、幼い孫娘を失った悲しみに打ちひしがれていました。

私にも孫がいた人生があったんだ、とどこかで感心する自分がいましたが、その老人の悲しみにフォーカスすると、身体の中心から混乱した悲しみが噴き上がってきました。

孫は3歳くらいの本当に可愛らしい女の子で、彼女はこのお祖父さんと大の仲良しでした。年老いたこの男性にとって、彼女は生きる希望のすべてのような、自身の愛を注ぐかけがえのない存在でした。その大切な孫が、はやり病であっけなく死んでしまったのでした。

世界が終わってしまったかのような深い悲しみの闇の中で、老人は激しく混乱し、自身の悲しみを持て余していました。

神はなぜこの老いさらばえた老体を召さずに、まだこれから花開いていこうとするまだ幼い命を召されたのかと、神を責めたり自分を責めてみても、耐え難い苦しみから逃れることもできず、老人は孫娘の死を受け入れることができていませんでした。

その内に、老人は孫娘がいたということ自体を消し去ろうとさえしましたが、それをすることは大切な彼女との思い出までをも手放すことになるという葛藤の中で、心身ともに疲弊しきっていました。

多分、この人生では悲しみの内に人生を終えているような気がします。

ゆっくり、深く呼吸をしながらその混乱と悲しみを受け止めていきましたが、そのボリュームはあまりに大きく、後から後から体の奥深くから新たな悲しみが湧き上がってきました。

しばらくただただ湧き上がって来るものを受け止めていたら、やがて、孫娘の死を否定することは、彼女の人生そのものを否定することだ。誰にそんな権利があるだろう。私は彼女が精一杯生きた人生のすべてを受け入れよう、と思うようになりました。

死を否定することでその事実によって浮上する悲しみから逃れていたものを、死を受容することでやってくる悲しみを受容する選択をしたのです。

孫娘のためにも、一人の立派な人間でいたいという思いが強くありました。臆病者の祖父ではなく、大切な存在に、勇敢な姿をみせてやろう。そう思ったのです。

どこまでも魂の奥深くまで続く悲しみのエネルギーを、身体でしっかりと受け止めていくと、やがてビジョンの中で老人は亡くなった孫娘のエネルギー体を、微笑んで見るようになっていました。

彼女は悲しみに暮れる自分の祖父を心配してずっとそこに居たのですが、悲しみの中にすっぽりと包まれていた老人には彼女が側に居ることが分からなかったのです。

こうしてこの悲しみが一段落すると、さらに深く、軸が透った感じがしました。

起こることを起こるように起こさせずにそれに抵抗すると、長く苦しみを引きずることになるのだなぁと改めて感じました。

ちゃんと今この瞬間に居て、その体験を生き切るのなら、ハートが引き裂かれても、「大丈夫」なんですね。

表現としてはちょっとエグイというか、できれば体験したくないことだと思いますが、存在の可能性として、記しておくことにします。

良かったらポチッとおしていただけると喜びます♡

↓ ↓ ↓


人気ブログランキング

【イベント情報】*********
●満月の瞑想会
2017年 5月11日(木)19:00~22:00
●感情解放ワークショップ
2017年
 4月29日(土祝)
 5月6日(土)、17日(水)、27日(土)
基礎 10:00~12:00 アドバンス 13:30~16:00
詳細はホームページをご覧ください
過去記事の目次へ

秘密の扉

先日の瞑想会の時に、話の流れの中で、同じ言葉を使っていても指している内容が全く違うことがある、というような話をしたのですが、これは具体的な対象物に限らず、抽象的な概念についても言えます。

たとえば、最近はあまり読まなくなっているのですが、以前は私もスピリチュアルな分野の本を色々と読んでいました。同じようなテーマを扱った本だと、使っている言葉も同じようなものがあちこちで出て来て、ぱっと見、同じことを言っているのかと錯覚することがあります。

けれど注意深く読んでいくと、ある人の書いた本はしっくり馴染んで、行間に表現されている宇宙観のようなものが垣間見えるようなときもある一方、別の人の書いた本は、同じ単語を使っていながら、そこに何の響きも感じられないということもしばしばあります。

あるいは、同じ単語を並べているのに、その言葉で表現しようとしているものがそもそも違うものだったり、領域の広さや深さが全く違うということもあります。

私たちは、意識・無意識の内にそうした「言葉という記号」で表された著者の見えない意識も読み取っているので、明確に「ここが違うのかな」と認識できなくても、何となく違和感を感じたりして、自分の在り方との相性などを見極めたりしているのかもしれません。

こうしたことは、言葉の表現だけに留まらず、音楽や芸術分野ではさらに如実に表れるものなのでしょう。同じ歌を歌っていても、どうしてこれほどまでに人によって心を揺さぶる歌になったり、単なるBGMになったりするのか、そこには技術以上のものがあるのは確かです。

特に日本には、「型」の奥に極限まで研ぎ澄まされた精神性を込めるという伝統的な文化があるような気がするのですが、たとえば俳句などはその良い例です。

5・7・5の文字の中に、その場の状況や人物の心情、過去や未来といった時空間の広がりまでをも繊細に表現しようとする文化は、世界にも例がないのではないでしょうか。

そうした技術が文化としてあるということは、翻って言えば、私たち日本人の共通意識として、それが認識できる能力があるという前提があります。

一部の人にしかそのわずかな言葉の奥に表現されたものが読み取れないのだとしたら、それが文化として長く定着するはずがないからです。

日本画が極めて二次元的な表現であったり、日本の伝統的な音楽が西洋の音楽とは全く違った理論の上に成り立っているのも、音や空間、時間の「間」に確かに表現されているものを私たちが読み取っているということなのだと思います。

だから、明らかに分かっていることについて敢えてさらに説明する必要はない、ということでそこを省く。省くけれど、それが分かりにくくなるかというとそうではなく、逆に表現する側、受け取る側双方が、三次元世界の表現の制限をはるかに超えたものを自在にやり取りできるという自由を獲得しているのです。

「日本人は非常にテレパシックな会話をする民族である」ということを、在る存在が言っていたのが印象に残っているのですが、主語を省略するとか察して動く、空気を読むなどはまさにそういうことなのでしょう。

近年では、そうした日本独特のコミュニケーション文化が「面倒臭い」とか言われて弊害の面が強調されることが多いのかもしれませんが、実はこうした繊細なレベルを認識する意識の特性が、自分たちが生きている世界に対して向けられたとき、そこには全く違った次元の世界が広がって見えるのではないかと思うのです。

昔の人は、確かに現代人のように行動範囲は広くはなかったかもしれませんが、今の私たちが認識するよりもずっと、「水平方向に深く」この世界を認識していたのではないだろうか、とそんなことを思うわけです。

そんな意識で改めてこの世界を見てみたとき、どうしてこれがこんなところにあるのかとか、なぜ昔の人はそんな行動をしたのかとかいったことの理由も、何かわかってくることがあるかもしれません。

今の私たちには見えないものが、彼らには明らかに見えていたのです。見る人だけが見ることのできる、秘密の扉のようなものが、今この瞬間、私たちが生きている世界には、たくさんあるのだろうと思います。

ただ、それを見るにはほんの少し意識の使い方を変えるだけで、その扉を開けるカギは、ただ私たちの意識の在り方のみであるというような。

もちろん、そうした仕掛けを作った人たちには、どんな人がその扉をくぐるのかも、明確に分かっていたでしょう。

何だかロマンですね!

取り留めないですが、今日はこんな感じで。

良かったらポチッとおしていただけると喜びます♡

↓ ↓ ↓


人気ブログランキング

【イベント情報】*********
●満月の瞑想会
2017年 5月11日(木)19:00~22:00
●感情解放ワークショップ
2017年
 4月29日(土祝)
 5月6日(土)、17日(水)、27日(土)
基礎 10:00~12:00 アドバンス 13:30~16:00
詳細はホームページをご覧ください
過去記事の目次へ

感情解放ワークと霊性の旅

感情解放のワークで、みなさんがしばしばつまづく場面があります。それは、感情に向き合ったときに、新たに別の感情が浮上したことに気づかず、それに飲み込まれてマインドに入ってしまっているケースと、どうしても受け入れられない選択を前に、ガッチリとはまってしまっているケースです。

前者は、ワークをしていると非常によくあるパターンで、たとえば、深い悲しみを受け止めようと向かっているときに、それに触れてしまうことを恐れる気持ちが出てくることがあります。

本当にあの悲しみを生きてしまったら、自分は泣き崩れてしまう、立っていられない、日常生活が送れなくなってしまう、それは困るし、そんなことになるのは恐ろし過ぎる、という具合です。

こういう場合、さらに掘り下げていきます。

泣き崩れ、立っていられなくなって日常生活が送れなくなってしまったとしたら、それから自分はどうなるだろうか?と問うて行くのです。すると、廃人のようになって、抜け殻のような人生を送るとか、悲しみのあまり死んでしまうなどといった答えが返ってくることがあります。

人によって様々なストーリーが出てくるのですが、実はこの「きっとこうなってしまうだろう」とイメージで出てきたストーリーというのは、過去世で体験していることだったりするのです。

つまり、その人は過去世でとても悲しい体験をして、それに耐えきれずに抜け殻のように生きた人生や、死んでしまった人生を既に体験しているということなのです。

実際にここまで掘り下げると、確かにそういうことがあったような気がする、という感覚を多かれ少なかれ身体と心で確信する方が多いです。

魂の記憶にそういうものがあるので、その人は深く悲しむことを恐れているのです。また廃人のようになったり、死んでしまってはいけないと、無意識にもブレーキをきつく踏んでいるわけですね。

なぜ自分がそこまで悲しむことを恐れているのかという理由が分かると、迎えに行くべき自分自身のカケラが明確になります。すると、大抵はその打ちひしがれている自分を迎えに行けるようになります。

原因を知るということは、そういう意味でも大切なことなのですね。

私たちは、過去世の記憶をしばしば今世に引き継いで、その課題を無意識の内に受け取ってもがいていることがよくあります。

無念さや悲しみ、怒りや恨み、惨めさや絶望の中で亡くなった場合、死の瞬間に抱いていた感情を種として魂の中に持って行きます。そして、その種を持った魂が、次の人生を始めるのです。

肉体は新しくなり、すっかり境遇の違った人生が始まりますが、魂の中に在る未完了の感情の種は、それを味わった人生の記憶とともに、時間を止めてそれが癒されるまで、ずっとそこにあります。

どれだけそれを否定し、拒絶しようとも、その未完了のエネルギーは完了を求めて私たちの人生に表れ続けるだろうと思います。

バーナテッド・ロバーツアジャシャンティジム・ドリーヴァーなど様々な目覚めを体験した人たちの本を読んでみると、目覚めた後もなお、離婚や病気、財産の喪失、裏切りなど様々な厳しい状況を経験している生々しい記述を目にすることがあるのですが、それはきっと、未完了のエネルギーが完了に至る動きの表れなのでしょう。

ワークの中で、どうしても受け入れられない選択を前にガッチリとブレーキを踏んでしまうときも、過去世での体験と無縁ではないと思います。

なぜなら、過去に何も痛みを伴う体験が無いのだとしたら、そこまで拒絶する理由はないからです。私たちは、全く未経験の、知らない体験をそこまで恐れることはあり得ません。ラマナ・マハルシが「恐れは過去の痛みの体験の記憶」という通りです。

そういう状態の時、ある程度はそれに対する恐れを和らげるテクニックを使ってより受け入れやすい状態にもっていくことはできますが、最終的なところは、その方自身の選択になります。

魂が何度も同じようなテーマを繰り返すのも、きっとその人生では未完了のエネルギーが完了に至る選択をすることができなかったのでしょう。

この「どうしても越えられない壁」を越えていくときに、人生や世界をより深いレベルで見ていく霊性が、深く成熟していることが大切なカギになっているような気がします。

どうしても表面的なレベルや人間目線の善悪のジャッジメントに縛られていては、見えてこないものがあり、私たちの魂は、そうした自身を縛る様々な制約を超えて自由になることを望んでいるような気がします。

その願いを実現していくプロセスで、私たちは必ず、自ら神に触れていく体験をするでしょう。それなくして、本当に人生を宇宙に委ねることはできないし、本当に自身の命を生き切ることはできないと思うからです。

私がお伝えする感情解放のワークは、まさにその流れのプロセスを意識しています。

だから、単に抑圧された感情を解放して終わりなのではなく、その先に始まる広大深遠な霊性の旅の準備でもあるのです。

良かったらポチッとおしていただけると喜びます♡

↓ ↓ ↓


人気ブログランキング

【イベント情報】*********
●満月の瞑想会
2017年 5月11日(木)19:00~22:00
●感情解放ワークショップ
2017年
 4月29日(土祝)
 5月6日(土)、17日(水)、27日(土)
基礎 10:00~12:00 アドバンス 13:30~16:00
詳細はホームページをご覧ください
過去記事の目次へ

今この瞬間を深く読む

明後日15日の感情解放ワークショップですが、まだお席はございますので、浮上しているものがあってきついな~という状態の方や、新年度とともに新たなスタートを切りたい!という方など、ご自身と深く対話していきたい!という方はぜひどうぞ。お申込みはこちらからどうぞ。

さて。普段セッションなどで他の方のハイヤーセルフさんなどからメッセージをいただくこともやっているのですが、その割には自分自身のことについてはあまりメッセージをもらいに行ったりしないな~とふと思ったので、今の自分の方向性などを確認するために、久しぶりにメッセージをもらってみました。

こうしたメッセージの受け取り方は、人によって様々で、これが正解!という形はないと思うのですが、よくクライアントさんなどから、どんな風に見えたり聞こえたりしているのですか?と聞かれることも多いです。

私は元々勘は強い子供でしたが、いわゆる霊感というやつはほとんどなく、小学生の頃に自分のドッペルゲンガーを見た以外は幽霊とかも見たことがありませんでした。

けれど、母は普通に「見える」人だったり天然ヒーラーだったりするので、「お腹痛~い」とか言うと、まじないのようなものだったり手当だったりで治してもらうことが多かったです。

そんな家系的なものもあるのか、ヒーリングの勉強を始めてからは一緒に学んだ人たちに比べて、比較的よく見えたりエネルギーの感覚が掴めていたような気がします。

ビジョンなども最初からかなりはっきり見えていて内的視覚が優勢だったのですが、見えているものに引きずられる弊害に気づいたり、感情解放ワークに取り組み始めてからは、視覚よりも体感覚などその他の感覚の方が優勢になりました。

今はあまり「はっきりと形などを見る」ことにはこだわっていません。

よく、ヒーリングなどを学ぶ方の中で、「はっきり見えない、もっとクリアに見えるようになりたい」という方がいらっしゃいますが、見えることにこだわらなくても、もっと自分の得意な感覚を磨いていく方がいいのにな、と思うことがあります。

実際、そうアドバイスすることもあるのですが、やっぱり見える方がいい!という思いは、そう簡単には諦められない方が多いようです。

私がリーディングをするとき、はっきりとビジョンが示されることもありますし、文字として見えたり、温かさ、冷たさ、重さ、軽さ、淀み、クリアな感じ、光や暗さ、たまにですがにおいなどを感じることもあります。

形をはっきり見なくても、なぜかポイントとなる特徴などは示されて、語り掛けてくる存在の身に着けている衣装の糸の色や模様の形などがはっきりと見えることもあります。

そうした存在の言葉が聞こえることもありますが、多くは、その存在の思いや感情にフォーカスして読み取っています。

たとえば、はじめは何となく武士の存在が語りかけているようだと感じたり見えたりすると、さらにその武士が何を語りかけているのか、その心情などに意識をフォーカスさせます。

重苦しいバイブレーションなどが捉えられると、そこから深い悲しみ、無念さ、孤独などが出て来て、その感情の理由に意識を向けると、その方が体験された様々な人間模様が時代の背景を伴って見えてくると言った具合です。

そのように読んでいくと、その方が生きた時代の周辺の登場人物が何を感じてどんな行動をとったのかも、かなり詳細に明らかになってきます。

こうした感情を軸にした読み取り方は、視覚優勢だったころには多分あまりできなかったと思います。自分がドロドロした感情を受け止めることができなかったので、まず意識を向けることにブレーキがかかっただろうし、見えたとしても、深く読み込むことはしなかったでしょう。

感情解放のワークショップでは、よく「その人の表面的に見えている言動の奥にある、動機となった心情に意識を向けてください」と繰り返しお伝えしているのですが、まさにこのスタンスが私のリーディングにも活かされています。

人のあらゆる言動には、必ず理由があります。そうせざるを得なかったし、それを言わずにはいられなかったのです。それはなぜなのか。その人の中に入って、実際にその意識で感情や感覚を辿ると、明確な理由が見えてきます。

他にも可能性はあったはずなのに、と人はよく言いますが、その時その状況でのその人にとっては、他の可能性などはあり得ず、必然をもってそれが為されているわけです。

だから、自分の何かを変えたいと思うとき、今の自分を作っている必然性の積み重ねに取り組む必要があるのです。

私たちの魂には、無数の人生を生きた記憶が確かに眠っていると私は感じます。

その一つ一つの人生で、誰かを愛し、傷つけ、励まされ、見捨て、助けられという体験をしています。今この人生を振り返ってみても、私たちはどれだけの思いをしながら生きてきたでしょうか。

そして今世でも、時代や場所、登場人物や状況を変えながら、かつて生きた人生と全く同じ感情を味わっているのを見ることが多くあります。

なぜ繰り返しているのか、どうやったらその無限ループから脱出できるのか、そのカギが、今この瞬間い浮上する感情や感覚の中に在るのです。

知りたいことの答えはすべて、今この瞬間を深く読んでいく中で明らかにされます。

それは、リーディングなどができなくては分からないというものではなくて、その意志があるのなら、どんな人にも必ずその扉は開かれるでしょう。

あなたは、その扉を開けていくことを望むでしょうか?

準備のできた方は、ぜひ扉の向こうを旅してみてください。

 

 

良かったらポチッとおしていただけると喜びます♡

↓ ↓ ↓


人気ブログランキング

【イベント情報】*********
●満月の瞑想会
2017年 5月11日(木)19:00~22:00
●感情解放ワークショップ
2017年
 4月29日(土祝)
 5月6日(土)、17日(水)、27日(土)
基礎 10:00~12:00 アドバンス 13:30~16:00
詳細はホームページをご覧ください
過去記事の目次へ

今ここに踏みとどまる力

感情解放ワークで自分自身に深く向き合うということを続けていくと、「内なる自分」は、そのように自身に意識を向けてもらうのを待っていたかのように、次々と様々な秘密を打ち明けてくれるようになります。

過去世のこともそうですし、自分でもとうの昔に忘れ去っていた古い記憶、そこに埋もれた感情、そして自分がどれだけ自身を偽って生きていたかという真実、さらには、自分の果たしたかった夢やミッション、それに対して今何をしたらいいのか、どうやってそれをするのかまで、自身と対話するほどに明らかになって来るのです。

ワークを続けてきていらっしゃる方にはお馴染みのことかと思いますが、どれだけやっても、そのステージステージで真実を知ることへの恐れや痛みを味わうことへの恐怖感などが繰り返しやって来るでしょう。

けれど、取り組みが深まるほどに、感情や感覚は当初感じていたものからどんどん変化していきます。恐怖や悲しみ、怒り、絶望など、最初の頃はとても手に負えないモンスターのように感じていたそれらは、ただ自分が迎えに来てくれることをひたすら待っている傷ついた存在なのだと、分かるようになるのです。

頭でこれらのことを知ったとしても、すぐに生々しい痛みの感情に触れていくことは難しいでしょう。それができるようになるまでに、段階的に身に着けていくべきテクニックや心の筋肉があります。

ちょっとしたハイキングで登れる山に登るのと、富士山に登ること、エベレストに登ることは、同じ山登りと言っても相当なレベルの違いがあります。

それぞれに準備すべき装備や体力、技術、知識などがあるので、今の自分がどのくらいまでならできるのか、注意深く毎回チェックしていく意識は持っていた方が良いでしょう。

自分にできることと、まだできないでいることの境目が明確に捉えられると、次に何をすべきなのかがはっきりと分かります。内面のことは、何となく曖昧に捉えてしまいがちですが、そこを明確に見られるようになることも、技術の一つです。

また、集中力や持続力を付けていきたいと思ったときは、自分が苦痛に感じることにフォーカスすると良いでしょう。

たとえば私が最近トライしたのは、ジャパをしているときにたまに出てくる身体のだるさについてです。疲れがたまっているときなど、この身体的苦痛が集中力を妨げ、意識が散漫になってしまいます。

そこで、このときは敢えて逃げたいようなその体の苦痛にしっかりと意識を向けて、命の呼吸を送ってみるなどをしばらくしていました。そうするほどに苦痛のエネルギーは刻々と変化していき、随分と楽になっていました。

そうしてその日は一日、朝に感じていた疲れも気にせずにすっきりと過ごすことができたのですが、苦しい感覚は感情だけでなく、身体的なレベルでも、無視して抑圧するのではなく、意識を向けてケアする方が良いようです。

このワークでは、抑圧されていた苦痛の感覚が解放できたというだけではなく、苦痛の中でも意識を向け続けることのできる心の筋力が鍛えられたわけです。

ワークではこのようにして、より深い苦しみの中でも意識を途切れさせずに向け続けていることのできる力が養われて行きます。

今週の無料ヒーリングのテーマにも通じることですので、意識なさってみてください。苦しい状況の中で自身の在り方を問うには、苦痛に耐えて意識をコントロールする力がどうしても必要です。

いきなり高度なものをイメージする必要はありませんが、「ちょっと嫌だな」と感じた時や「もう逃げ出したい」と思ったときこそがチャンスです。その嫌な感覚の中でしっかりと身体とともにいて、深く呼吸をしながら踏みとどまる練習をしてみましょう。

これができるのとできないのとでは、格段に胆力のようなものが違ってきます。

世界のより深いレベルを意識で捉えていこうとするとき、「それとともに在る」ということがとても大切です。これはいわゆるプレゼンスの状態なのですが、プレゼンスに在るには、今この瞬間に踏みとどまる力も必要なのです。

私たちはややもすると今この瞬間から飛び出して、過去や未来のマインドの世界を彷徨ってしまいがちです。それは、「今ここ」に居ると感じたくない様々なものを体験しなくてはいけなくなってしまうので、逃げ出したいわけです。

私たちは、プレゼンスに深く根付いて自然にその状態に居られるようになるまで、繰り返し「今ここに踏みとどまる力」を試されるでしょう。

焦らず、遊離することなく、今この瞬間の自分自身とともに在りましょう。

良かったらポチッとおしていただけると喜びます♡

↓ ↓ ↓


人気ブログランキング

【イベント情報】*********
●満月の瞑想会
2017年 5月11日(木)19:00~22:00
●感情解放ワークショップ
2017年
 4月29日(土祝)
 5月6日(土)、17日(水)、27日(土)
基礎 10:00~12:00 アドバンス 13:30~16:00
詳細はホームページをご覧ください
過去記事の目次へ

承認欲求と心の飢餓感

最近、たまに会うご近所のある方にイラッと来る感情があることに気づいて考察してみたところ、面白い気づきがあったので今日はこれについて書いてみます。

その方はちょくちょく私の実家の店に買い物に来る、私の親世代の男性です。

その方が買い物に来るとき、私が店の奥でウロウロしていることもあるので、顔を見れば「よう、○○ちゃん(私の本名の下の名前)、元気?」と声をかけてくださるのですが、なぜかそのことにイラッと来るのです。

普通だったら全然そういうことは無いと思うのですが、何かが癇に障るのですね。別にその方に悪意があるわけではありませんし、誹謗中傷の意図はありません。

さらに、あまり良くないことではありますが、その方を軽んじる思いなどがムクムクと湧いてきて、悪いことにその思いを助長するように、周囲の人がその人を軽んじる言動をするのです。

「あぁ、あの人はあんな感じだから、このくらいの扱いでちょうどいいんだよ」といった具合に。なぜかその人にはいい加減な扱いをしても、大抵の人は笑ってそれに同調してしまうような雰囲気があります。

最初にその人に対する「ウザさ」を感じたとき、それが、私が父に対して感じていた感覚とまったく一緒だと気づきました。世の中の父親というのはどうしてあんなにウザイものなんだろうかと、私の個人的な偏見であることを自覚しつつも、思ったものです。

亡き父も、よく私たち兄弟に対して大した用もないのにちょっかいを出してきてはウザがられていました。(父よ、ごめんなさいm(__)m)

なぜあんなにも不快な感覚が生じるのだろうと、不思議なくらいに「不快感のツボを突く達人」であったと今にしてみれば思うのですが、その理由が全く違ったあることを考察していた時に分かりました。

私はセッションやワークショップなどで、色々な方のお話を聞く機会も多いのですが、なぜかザワザワっとした不快な感覚が浮上するケースが稀にですがあるのです。

それは一体何なのだろうと振り返っていた時、相手の方と私自身の中のある構図が見えてきました。

私はセッションなどでは特に、相手の方のお話を、感情を中心に見ながらお聞きしています。

その方がどんな体験をされ、どのようにそれを捉えていらっしゃるのか、どこがこのセッションのフォーカスポイントなのか、受け止められなかった感情のエネルギーがどの辺りに埋もれているのかを見ているわけです。

ザワザワしたものがかき立てられる方は、とにかく息をつかせず一方的にストーリーをまくし立てるように話し、「対話」をしないという共通点があります。

私はじっとその方を感じながらお話を伺っていますが、その感覚が、その人にとっては「聞いてもらえている、自分に注意を向けてもらえている」という安心感や心地良さにつながるので、ますますまくしたてるような話し方に拍車がかかるようです。

そしてそういう方のもう一つのポイントは、そのように話している自分自身の体験と分離しているということです。つまり、自身の体験を感じ、受け止めないままにツラ~っと思考で表面をなぞっている感じなので、ギアがかみ合っておらず、空回りしている感覚があるのです。

私はその感覚を感じて、とても居心地が悪くなってしまうのでした。

そこまでわかったところで、そう言えば、と思い出したある人の顔がありました。その人も何回かお会いしたことがあるという程度の方でしたが、とても饒舌な方で、みんなを自分の話で楽しくさせたいという思いを強く持っている方でした。

気さくな方なので最初は興味を持ってお話を聞いているのですが、その方がご自身の体験を生きることからくる生き生きとした何かがすっぽりと欠けていることに気づくと、だんだんと聞いているのが辛くなってきます。

そうして少し退屈したような雰囲気になると、その方もそれを察し、注意を自分に引き戻そうとしてさらに饒舌さを増していきます。すると余計に白けていくという悪循環が展開されるのでした。

これら3人に対して私が感じた同じ感覚は、同じ心理的パターンから来ています。つまりそれは承認欲求ということなのですが、他者の注意をどうにかして自分に向けさせたいという行動パターンなのです。

なぜそれらの人がそうするのかというと、自分の内側に耐え難い孤独や無価値感、無力感などの感情・感覚を抱えているので、それを他者から注目されることで埋めたいわけです。

それは代償行為であり、他者のエネルギーを奪って自身の虚無を埋めようとする行為です。いくらこれをしても、自分でその虚無を満たせない限り、その心の飢餓感は止むことは無いでしょう。

言ってみれば、その人は「餓鬼」の世界でもがいているようなものです。

そして、その人の側にいて注意を向けさせられる人は、エネルギーをその人に奪われているので不快に感じるのです。

今ようやく、私が彼らに対して感じていた不快感の理由が判明しました。

彼らが私の現実に現れたということは、「鏡の法則」を通して私の中にも彼らと同じ心の飢餓感があるということなので、この不快感を辿ってしかとそれを満たしていきたいと思います。

思わぬところに貴重な気付きが転がっていました。

良かったらポチッとおしていただけると喜びます♡

↓ ↓ ↓


人気ブログランキング

【イベント情報】*********
●満月の瞑想会
2017年 5月11日(木)19:00~22:00
●感情解放ワークショップ
2017年
 4月29日(土祝)
 5月6日(土)、17日(水)、27日(土)
基礎 10:00~12:00 アドバンス 13:30~16:00
詳細はホームページをご覧ください
過去記事の目次へ

第337弾 無料遠隔ヒーリング

毎週月曜日は恒例の無料遠隔ヒーリングのテーマの設定日です。 第335弾のご感想と、4月5日感情解放ワークショップのご感想、対面個人のリーディングセッションのご感想をホームページにアップしましたので、参考になさってみて下さい。

さて。前回は自身のミッションに関するテーマでしたが、ぽつぽついただいているご感想では、いつも以上に何か気づきや体感があったという方もいらっしゃったようです。

きっと、ご自身の中で強くコミットメントされたが故の反応だったのでしょう。

「光の柱」として在るというのは、何も目に見える形でヒーローのような活躍をするばかりではありません。人知れず、地道な内的な活動の中で切り開いていく境地が、結果として「光の柱」になるケースもあるでしょう。

人間の目にはそうした活動は見えませんが、それが見える存在には、何よりも、そうした光は眩く輝いて見えているものです。昔の人はこういうのを「陰徳」と呼んだのでしょう。

誰にも知られず、ただ一人道を行く孤独に耐えることでのみ、身につく力も確かにあります。自身の内にいます神にまみえるときは、間に何者も存在するものはありませんし、そのパーソナルな聖域に入れるものはありません。ただ独り、一対一で神にまみえるのです。

その聖なるスペースに至るには、誰しも必ず孤独の洗礼を受けるでしょう。故に、孤独への恐怖が強い方は、少しずつそれを受け止めていくことを意識すると良いかもしれません。

四季に春夏秋冬あり、温かく過ごしやすい時ばかりではないように、人生にも楽しい時期もあれば、過酷な時期を通過するときがあります。

それがどんなタイミングでどのように来るのかは人それぞれの魂のプログラムによるのでしょうが、過酷な冬の過ごし方はとりわけ大切であろうと思います。

先日、日本一の桜守という方がテレビに出ていて、桜にとって冬の寒い時期がとても大切であることを語っていらしたのが印象的でした。

近年、桜の花のつきが全国的に悪くなっていると言われていますが、実はそれが冬らしい冬が温暖化の影響からか、昔の様ではなくなってきていることが影響しているそうなのです。

冬、葉を落としてじっと寒さに耐え、枝に養分を蓄えることでそれが春に花芽を付ける力になるのだそうで、冬が短かったり安定して寒い時期を過ごせないと、桜も花を咲かせる力が十分に蓄えられないのだということです。

これを聞いてなるほど~と思ったのですが、私たちも、人生の過酷さをわざわざ好む人はいないでしょうが、冬の時期にしか蓄えられない力があると思うのですよね。

その苦しみを思うと恐れも小さくはないでしょうが、人生の四季をそれぞれに、注意深く自身の糧とする力を日頃から養っておきたいものです。

中には「自分の人生にはずっと冬しかなかった。これからも春はやってきそうにない」と思う方もあるでしょう。けれどそんな方も、実は長い長い魂の旅路を思ったとき、勢い盛んな春や夏、実りの秋を十分に謳歌した人生が必ずあったはずだと思います。

今世では、冬を経験して何かしらの魂の栄養を蓄えようといとされているのかもしれません。

その冬をいかに過ごすか。最も苦しいときの過ごし方、在り方が問われているのです。体調も気力も充実した状態であれば難なくクリアできるようなことも、状態が厳しいときに取り組むと、数段難しい課題になるでしょう。

あなたがチャレンジして身に着けようとしているのは、簡単にできることとなのではなく、もっと難しい高度なチャレンジなのだと思います。だから、できないでいるご自身を、どうぞ責めないでください。

自分を責めるのに使うエネルギーを、その苦しみの中で踏みとどまり、前を向くエネルギーに変えましょう。

そう意図するだけのことですら、実際にやってみると、なかなか意思の軸が立たなかったり、流されてしまったりして容易でないことに気づくでしょう。あなたのやろうとしていることは、それほどのことなのです。

だから、たったこれだけの「できて当たり前」とも思っていたことが、どれだけ己を鍛えるのか、そしてそれができた自分がどれだけ周囲を助けるようになるのか、その尊さが分かるでしょうか。

それこそが「光の柱」なのです。だからこそ、みなさんは勇者なのです。

何度失敗しても、挫折してもいいのです。ただ、戻って来てください。どれだけ長く時間がかかろうと、道はあなたの苦闘の歴史をすべて受け止めて、あなたを待っています。

「惨めな自分」を恥じることなく、前を向いて歩きましょう。その時あなたは既に、「光の柱」となっています。

というわけで今週も、そんな勇者のためのテーマとなりました。

最も苦しい状況の中で、自身の在り方を問い選択する意識を持つよう最高最善に働きかける

参加される方は、「無料遠隔ヒーリングの受け方」ご覧になり、 ご理解のうえ4月12日(水)17:00までにメールまたはメールフォームにてお申し込み下さい。 同日20:00より順次働きかけを行っていきます。

良かったらポチッとおしていただけると喜びます♡

↓ ↓ ↓


人気ブログランキング

【イベント情報】*********
●満月の瞑想会
2017年 5月11日(木)19:00~22:00
●感情解放ワークショップ
2017年
 4月29日(土祝)
 5月6日(土)、17日(水)、27日(土)
基礎 10:00~12:00 アドバンス 13:30~16:00
詳細はホームページをご覧ください
過去記事の目次へ

手を差し伸べるために「厳密に見る」

明後日11日はサロンで満月の瞑想会を行います。深く自身の魂のルーツ、意図に意識を向けていきたいと思います。今回も、深いレベルでの働きかけが降りてくると思います。まだお席はございますので、興味のある方はぜひどうぞ。瞑想が初めての方ももちろん大歓迎です!お申込みはこちらから。

さて。感情解放のワークでしばしば見かける光景なのですが、「早く楽になりたいので、苦しいことはさっさと済ませて先に行こう」とするあまり、気づいて対処しなければならないところに気づけず、結果、身動きが取れなくなってワークが停滞しているというケースがあります。

たとえば、とても深い痛みの感情があることに気づいたけれど、本当はそれを受け止めることを恐がっているというようなとき、恐がっていてはワークが進まず、苦しみが長引くことになると思うので、「恐がっている自分」を抑圧することがあります。

すると、顕在意識レベルではアクセルをふかして何とか先に行こうとしますが、抑圧された怯える自分は潜在意識レベルできつくブレーキを踏んでいる状態になって、どうにもワークは膠着状態になってしまうのです。

怯えるが故に先に進めないというのは、確かに楽になりたい自分に取っては「都合が悪い」状態でしょう。けれど、逆説的ではありますが、その「都合が悪い要素」に丁寧に向き合っていくことでのみ、開く扉があるのです。

「怯える自分」の他にも、「できない自分」「分からない自分」などといった側面もしばしば拒絶される要素ですが、私たちには多かれ少なかれ、できなかったり分からなかったりしたことで、怒られたり責められたりと、嫌な体験をしてきていると思います。

これが故に、できないことや分からないことは「いけないこと」なのだという刷り込みが骨の髄までしっかりとしみ込んでいる、と言っても過言ではないでしょう。

こうしたジャッジメントを持ってワークをして、できなかったり分からないという状況になったとき、強烈にそれを拒絶、抑圧、封印するという行動パターンが発動してしまうことがよくあります。

頭ではそれでも問題ないことは知っていたとしても、無意識のところでは、しっかり「ダメだ!」とブロックしているのですね。そして、拒絶している自分にすら気づけなかったりします。

身体の中に「気持ちのカケラ」の感覚を捉えて、それと対話しようとするけれどちっとも分からないというような場合、どうぞ「分からない・できない自分」を許してあげてください。

中には、そういう自分にとてつもなく深い失望を感じる方もあるほどです。

けれど、できなくて混乱し、怯え切っている自分を切り捨てるのではなく、どうぞ寄り添ってあげてください。そして、そんな自分を責め裁くのではなく、この気持ちのカケラ君が動けるように、手を貸してあげてください。

ワークでは、ひとつひとつのプロセスを厳密にきちんとできているかを確かめながら進めます。それは、できていない自分を責め裁くためではなくて、できずにつまづいている自分に手を差し伸べるためにそうするのです。

できないでいるにはできないなりの事情があるのであり、それを責めたり切り捨てたところで、何の意味もありません。理想に程遠い自分を見て幻滅するから見ないというのでは、いつまでも理想に程遠い自分から卒業できないでしょう。

さっさと先に進めて楽になりたいから落ちこぼれは切り捨てる、ということを自分の内側でやっていたとしたら、あなたは誰かにそのように切り捨てられる状況を引き寄せてしまう可能性もあります。

ただでさえ心細い状況の上に見捨てられたと感じることは、さらに深い絶望を生むでしょう。その絶望感は、あなたに見捨てられた自身の気持ちのカケラが感じている絶望とイコールです。

自身のあらゆる側面に慈しみを持って、すくい上げて行ってください。

ワークは頭で分かっているだけではダメで、どれだけ自分を受け止めることを実践したかが全てだと繰り返しお伝えしてきていますが、頭で理解することと、実践することでは全く違ったスキルが必要です。

ところがこの部分がしばしば一緒くたにされていて、頭で分かっているのだからできるはず、できていると勘違いしてしまうことが多いのではないかと思います。

例えて言うなら、「頭で分かる」のは建物を建てるのに設計図を引く能力で、「実践」は現場で実際に作業をする時の能力と言えるでしょうか。

いくら机上で設計ができても、現場ではそれを形にしていくには様々な職人さんたちの能力が必要です。

設計士の人にコンクリを打ったり木材を精密に加工したりといった技術が必ずしもあるかというと、そうではないということを思っていただくと、分かりやすいかと思います。

この辺りを厳密にチェックしながら、今自分に何ができて何ができないのかを認識し、必要なところに必要な手を差し伸べられるように、自身に愛のある関心を向け続けましょう。

良かったらポチッとおしていただけると喜びます♡

↓ ↓ ↓


人気ブログランキング

【イベント情報】*********
●満月の瞑想会
2017年 5月11日(木)19:00~22:00
●感情解放ワークショップ
2017年
 4月29日(土祝)
 5月6日(土)、17日(水)、27日(土)
基礎 10:00~12:00 アドバンス 13:30~16:00
詳細はホームページをご覧ください
過去記事の目次へ