「許せない気持ち」の構図と解放

私たちは誰しも、人生を生きていれば一人や二人は許せないと思う人がいるのではないかと思います。そんな思いを抱えながら生きていくのも辛いものですが、一方でそれを手放そうにも手放しきれずに、憎しみにしがみついてしまう自分に途方に暮れることもあるのではないでしょうか。

頭でいくら「許そう」「手放して自由になろう」と思っていても、心は理屈では納得しませんから、許したと思ってもまた同じ思いが浮上してきてしまうケースが多くあります。そんな思いに蓋をしてみても、それでは抑圧になってしまいますから、適切な対処とは言えないでしょう。

こんな状態をワークする時、抑えておくべきいくつかのポイントがあるので、今日はそれについて解説してみます。

まず、「許せない」というのは思考であり、感情ではありません。

この違いを押さえておくことが案外大事なのです。なぜなら、感情解放のワークでは感情をしかと受け止め、生き切ることによってそのエネルギーを解放するのに、思考と感情の区別がつかないと、感情を生きているつもりでも感情に触れられていない状態に気づかず、ワークが空回りしてしまうからです。

誰かの行為を「許せない」と思うとき、あなたは怒っているのです。そして、怒りの奥にはとても傷ついた気持ちがあります。これをしっかりと捉えましょう。

レナードによると、怒りは「して欲しいことをしてもらえなかった」あるいは「して欲しくないことをされた」時、私たちはひどく傷ついた気持ちになりますが、この反動として起こるのが怒りの感情です。

まず、自分が怒っていること、傷ついていることに気づきましょう。中には、自分が傷ついていることを認めたくないという防御意識が働いて、それを認めたがらない方もありますが、まずは事実を認めないと、痛みを癒すことはできません。

事実を否定したとき、それによって起こった結果、つまり浮上している感情は、無かったことにされてしまうからです。存在しないものに、対処はできません。

自分があまりにも傷ついていることを認めてしまったら、立っていられなくなってしまう、泣き崩れてしまうなどと恐れるので、それを避けるために事実を否定するわけですが、避けようとしているその状態は、既にあなたの中にあるのです。

ただその自分に、深く呼吸をすることで、命のエネルギーを送ってあげましょう。

そして、自身のその心の痛みを癒すには、誰のせいにもしないで自分で責任を取ることが絶対に必要です。「あなたのせいで私は傷ついた。こんな目に遭っている」と誰かを恨み、憎み続けることで、あなたの苦しみは延々と続きます。

「許せない」という思いがなかなか手放せないのは、この「自身で自分の心の内に起こった感情の責任が取れていない」からです。

誰かのせいにすれば、自分で責任を取らなくても済むので、一時的には楽になるように思えます。けれど、その代償は、無限に続く苦しみの延長と、自身のパワー喪失、そして幸福の放棄と、決して安くはないのです。

「許せない」と思ったら、自分は感情の責任転嫁をしている、とまず頭だけでも良いので気づいてください。そして、次に問うべきなのは、「その責任を私は自分で取ることを選ぶだろうか?」という問いです。

あくまでこの質問は、「できるかできないか」ではなく、「やるのかやらないのか」のレベルの選択です。もしここで「わからない」という答えしか出てこない場合、あなたは選択することを放棄しています。

なせそうするのかというと、「私はやらない」ということを言う自分をあなた自身が拒絶している一方、「やる」という選択もしたくないという葛藤の中で、どちらも選べないために第3の道を生み出したわけです。

なぜ「私はやらない」と言えないのか。そういう自分がいかにも卑怯に思えるのか、いけないことだと自分を裁いているのかもしれません。卑怯な自分を拒絶すれば、あなたはまさに拒絶したその「卑怯な自分」になってしまいます。

そういう自分を直視することは確かに辛いですが、直視する自分は既に「卑怯な自分」ではありません。

自身がどう在りたいのか、よくよく熟考してみてください。

ちなみに、「選択することから逃げる」という選択をした場合、あなたの現実にはおそらく鏡の法則を通して、自分と同じことをしてあなたの感情を乱すような人物が現れるでしょう。あなたはその人が卑怯でだいきらいかもしれませんが、それはあなた自身の姿を映しているだけなのです。

こうして自身の内に生じた感情をある程度受け止められたら、イメージワークで相手を目の前に呼んで来て、相手の意識の中に入って見ましょう。そして、相手からあなたを見て、どのように感じるかを確かめます。

相手はなぜあなたにそのような行為をしたのでしょうか。その人をその行為に駆り立てた気持ちを捉え、相手の中に入ったまま、その感情を受け止めます。完全に受け止め切れたなら、再び相手の視点からあなたを見たとき、もうその行為を使用とは思わなくなっているでしょう。

その行為は、その人が自身の苦しい感情の責任を取れなかったが故に、苦しみをあなたに押し付けた行為だったのです。故に、感情の責任が取れれば、もう誰かに苦しみを押し付ける必要がなくなります。

こうして、謝罪が必要であれば謝罪し、それを自分が受け入れられるかどうかを確認します。本当に相手が完全に責任を取っていれば、和解が成立するでしょう。

恨み、憎しみ、呪う気持ち、狂おしいまでの嫉妬や執着なども、みな同じ構図です。

押さえるべきところをしっかり押さえて、確実にワークして行きましょう。

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コミットメントと意識のポジション

最近は、以前よりずっと内なる神を意識するようになっています。レナードは「神はリアルだ」と言いますが、以前彼のセミナーで誘導瞑想を行ったとき、本当に自分の中の神に触れる体験をして以来、私にとって神は概念ではなくなりました。

それはほんの一瞬の出来事だったけれども、人生を大きく変えるには十分な体験でした。

彼は、神を信じる必要はない。あなたがそれを体験すれば、それは紛れもなく真実なのだから。と言います。信じるという行為は、まだそれを体験していない時や、真実かどうかわからない時にするものでしょうから、確かにそれはその通りです。

あの衝撃的な体験から何年も経ちますが、あの時ほどの鮮烈さはないものの、最近は日常の中でもそれに意識を向けることで、確かに神がそこに居ることが分かるし、そこを基準として自身のポジションを整えることができるようになってきました。

朝起きて一日を始めるとき、セッションやワークショップの前、散歩で歩いているとき、何か決断をする時、不安に駆られた時など、日常のあらゆる瞬間に神と自身とのポジションを確認しています。

まだまだ入り口なのでしょうが、これをすると、あちこちにずれていた自身の存在のレイヤーがピタッと一直線に合い、軸が定まる感じがするので、これが本当のセンタリングということなのだろうとやっと気づいた感じです。

今までやっていたのは、上下左右前後に肉体とエネルギーボディがズレていないかを確認する程度だったので、今のようにぴったりはまるような感じではありませんでした。けれど、概念として今分かっていることを理解していたとしても、以前の私にはできなかったでしょう。

存在のポジションとコミットメントはとても深い関係があると思うのですが、私たちは普段、意識、無意識の内に、自分の存在を微妙に歪めてバランスを取っているところがあります。

なぜそうするのかというと、ある種の苦痛回避のためです。つまり、あまりにも苦し過ぎる感覚や感情に耐えられないと思うと、それを和らげようとするために、ダイレクトにそれらを体験しなくても済むように、真正のポジションから少し歪めて、感覚を鈍くすることでその体験をやり過ごそうとするのです。

よく身体などに痛みがある時に、身をよじるようにすることがあると思いますが、イメージで言えばそんな感じです。

ワークでは、内面的にそのように歪めて回避している苦しみを、少しずつ感じ、生きていくことでそのエネルギーを解放するのですが、そうすると、歪みの原因となっていたものが抜けていくので、歪ませなくても居られるようになっていくのです。

その結果、ポジションの調整が起こります。

ワークの中ではたびたび自身の在り方を選択することを迫られます。とりわけ根源的で大きな選択をする時は、自分がどう在るのか、明確な宣言を持ってしかとコミットメントすることがあるのですが、そのときはギアが大きな音を立ててガチン!と入るような感じがします。

こういうときは、エネルギー的にも大きな変容が起こり、しばらくその余韻が続きます。

そのようにして大小の変容、コミットメントを繰り返していく内に、だんだんとあちこちにズレまくっていた存在のレイヤーが真正の位置に戻ってくるようになるのです。

そうなると、それまでどうやっても深まることのなかった意識が、存在の垂直方向へとストーン!と深まって行きます。私の場合は、この段階で一気にグラウンディングが強くなった気がします。

プレゼンスの深さも、多分数年前よりは格段に、今ここに在るものとともに居られていると思います。まだまだ細切れの意識とは言え、一瞬たりとも居られなかった時代に比べれば、大きな進歩です。

このことについて、実はレナードも正確な表現は思い出せないのですが言及していたことがありました。さらっと話していたので、注意深く聞いていないと聞き逃してしまいそうなくらいの表現だったのですが、私はなぜかそのことを覚えていて、後にそれはこういうことだったのだと腑に落ちたのでした。

いずれにせよ、深まったとは言え、まだまだ浅いレベルをウロウロしている程度なので、ことあるごとに「内なる神とともに在る」選択を繰り返しています。

その中で、どうしようもない程不完全な自分を神に委ねるということを繰り返ししていて、不安が湧き上がるたび、自分を裁きそうになるとき、踏みとどまってその苦しみも、不完全な自分も神にお返しするようにしています。

どれだけワークをしても、ある一線を越えたところは、恩寵にしかどうにもできないところがあるのだろうな、と思います。アジャシャンティも、自身の目覚めのプロセスを記した「あなたの世界の終わり―「目覚め」とその“あと”のプロセス―の中でそれについて書いていました。

けれど、だからと言って本人の努力が全く無駄であるとか必要がないとは、私は思いません。

内なる神に回帰しようとするとき、恩寵とともに在るのは確かですが、神とともに在ろうと志向し続けるのは、やはり努力なくしては無しえないことでしょう。

目覚めるために、山のような努力をしなければならないというのも真実だし、それは完全に神の手の内にあるので私たちにできることは無いという言葉も、どちらも真実なのだと思います。

今私は、ひたすら「神の手の内にある自分を深く思い出していく」プロセスにあるようなので、その両方の言葉を同時に実践しているような気がします。

いずれにせよ、このプロセスにおいても、自身の「内なる神とともに在る」というコミットメントをひたすら実行していくのみです。

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傷ついた勇者たちへ

ミッションに関する考察が続きます。昨日の遠隔ヒーリングは、個人的、かつかなりマニアックな私自身に起こった気づきがきっかけだったこともあり、当初の予想ではごく限られた方のお申込みになるかなと思っていたのですが、蓋を開けてみれば、いつもより多くの方々からのお申込みがありました。

それだけ、自身の魂の原点に返って願いを生きていきたいと真摯に思っていらっしゃる方があったということに、ある種の感動を覚えます。

ミッションという言葉に関して、おそらく少なくない方々の中に、それに対しての恐れや一通りでない感情があるのではないかと思います。

かつて、本当に使命感に燃えてそれを生きた人ほど、傷つくことも多かっただろうし、人知れずミッションの中で命を落として行ったり、あるいはその重さに潰れた人生もあったかもしれません。

私自身の魂の中にも、ミッションの重さに耐えきれずに自殺した人生や、誰にも知られずにミッションの中で死んでいった人生の記憶もあり、深い絶望感や虚しさ、無力感などがあったりします。

正直なところ、私はまだこれらを克服したわけではありません。私の奥深いところには未だ、そうした無念さや深い悲しみが在ることに気づいています。

これまで、どうにかしてこれを癒そうとあらゆる手を尽くして格闘してきましたが、今はもうこのままでいいと思っています。すべてを持ったまま、この在りのままの私を神に委ねていけばいいと。

私のミッションが神との契約であるならば、これを癒せるのは神しかおられない。そう思うからです。

そして、誰にも知られていなくても、神は私のすべてをご存知であり、私自身が忘れてしまっている祈りの言葉の一言一句まで、神は覚えておられると、確かに知っています。私はそこに、限りない恩寵を感じます。

いつだったかリトリートのとき、レナードはこう言いました。

「そのままでいいから、こちら側に来なさい」と。

どんな文脈の中でこの言葉を言ったのかは全く覚えていないのですが、このフレーズだけは印象に残っていて、たびたび思い出されます。

私たちは、「完璧な存在」になってから神にまみえようとしますが、そんなことをする必要など全くないのです。今のこの自分のまま、「あちら側」に行けばいいだけです。

人間の契約は、裏切られたり忘れられたり、ということがしばしば起こりますが、神との契約は絶対です。そしてその神の計画はあまりにも深遠であり、私たち人間の意識でははかり知ることはできません。

故に、人間目線で見た善悪や常識などに縛られていると、確かに見えてこないものもあるし、同意できないこともあるでしょう。

そういうときほど、人間としての恐怖や常識の枠組みを超えて、意識をどこにチューニングしているか、ということが重要になってきます。

私自身、軽やかに自己実現をしている人を見ると、しばしば羨ましい思いが湧いてくることもあるのですが、他の人が難なくできていることが自分にはどうしてもできず、気の遠くなるような回り道をしているように感じることもあります。

けれど、人それぞれに背景があるので、私は自身の背景を背負っていくしかありません。

かつて光り輝くような勇敢な戦士だった人が、今世では見る影もないほどの臆病者になって、思うに任せない人生の中で悶々としているのを見ることが、しばしばあります。

ただ見えている部分だけを見て、そのことを言うことはできません。そうなるにはなるだけの、言葉に言い尽くせないようなプロセスがあったのであり、誰にそれを責めることができるでしょうか。

それを責める人の中のどれだけが、かつてのその人ほどの勇者たりえるでしょうか。

そう思うとき、イエスの「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」という言葉が思い出されます。

誰もが畏敬の念を抱かざるを得ないほどの勇者だった魂ほど、ボロボロに傷ついていることが多いのは、それだけの熾烈な戦いの歴史があったということの証しです。

傷ついた勇者よ。あなたは自分を恥じることは無い。

そんなメッセージがやってきます。

在るがままの自分であれ。

神はみなご存知である。

今、再び立ち上がろうとしている勇者たちへ。

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プレゼンスとミッション

今週の無料遠隔ヒーリングのテーマは自身のミッションに関するものですが、使命というと、人によってはそれによってとても気持ちが高揚し、自分が特別な存在になったかのような感覚になったりするのかもしれません。

そして、何か具体的な行動を生き生きとしているといったイメージもあるでしょうか。

自身のミッションに従った結果として、そのようになる場合もあるでしょうし、そういう目に見える形にはならないこともあるかもしれません。

人それぞれにミッションの形は違いますが、今回のヒーリングで意図しているのは、ただ使命という言葉で湧き起こる、表面的な高揚感によって駆り立てられるようなものではなく、本当に自身がこの世界に生まれてくるときに神と交わした契約を、今この時にスイッチを押すというイメージです。

だから、表面的に焚きつけられて燃え上ってはすぐに消えてしまうような、そういう使命感ではありません。自身の魂の奥深くにしっかりと持っているものが、今芽吹いていく。そういうタイミングに来ていて、そしてこのヒーリングにご縁を感じる方たちのためのものです。

私自身のミッションについて、先日自宅にある火鉢に火を入れながら、思うことがありました。

私の自宅とサロンでは、趣味と実用を兼ねて冬になると火鉢に炭を入れて暖を取っています。(もちろん、エアコンも併用ですが)その火鉢に入れる炭に火を熾すとき、よく火が熾ってから火鉢に移さないと、消えてしまうことがあります。

表面だけカッカと火がついたように見えて、その火が持続するまでりっかり中まで火が熾っていないので、少ししてから見るとせっかくの火が落ちているのです。

そうなる前に、ちょっと火が弱かったときは息を吹き込んで、消えそうになっている火がしっかりと定着するように、面倒を見ます。

その作業をしていて、私の中のミッションの火はしっかり熾っているだろうかと、ふとそんな思いがよぎりました。

火が消えてしまった炭も、もう一度火を入れれば全く新しい炭よりは火の付き方も早いのですが、きっと私はこれまでの魂の旅路の中で、何度も消し炭になったことがあったのだろうな、と思いました。

それでも、今回は何度目かは分からないですが、これまでよりはきっと深く火が熾っているのではないかと何となく感じます。

力みすぎて力尽きてしまうことが無いように、余分な力を抜いて、そして常に自身の内なる神に意識を向け、それと一体になって流れるように。

自分でないものになろうと必死になるのではなく、ただ今ここに在るということから生まれてくるものを、起こるように起こさせていくことに対して、クリアであるように。

突き詰めていけば、自身のミッションというのは、究極の「自分で在る」ということなのかもしれません。

レナードは、「何をするかよりも、どう在るかが重要だ」と言います。

まず「在ること」が先にあって、そこから行為が起こっていくのですが、私たちはしばしば「すること」「為すこと」の方が重要で、「在る」ことはおざなりにしたまま、質の伴わない空回りしたような行為をバタバタとしています。

私たちが自身のミッションを果たそうとするとき、まず「今ここに在る」というこプレゼンスがベースになるでしょう。

私は魂のミッションというのは、神との契約だと思っているのですが、人によってそれをどうイメージするかは様々だと思います。

契約という言葉にネガティブなイメージを持っている人は、それを自分を縛る窮屈な制限だと感じるかもしれませんし、ポジティブなイメージを持っている方は、自身の存在のよりどころ、根っこのようなものに感じているかもしれません。

いずれにせよ、それは私たちの魂の中に組み込まれた、この人生を意味づける重要なカギです。自身のミッションが何か分からないという方は、よくよく自分と向き合い、自分を知ることが大切です。

自分自身の存在の響きに、じっと意識を傾けてみてください。

自身の響きの最もクリアなところに意識を合わせたときに、自分がいるべきときにいるべきところに居る安らぎと、パワーが湧き上がってきます。その時あなたは、光の柱となっているでしょう。

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コードの響きとともに在る

昨日の「虎嘯風生」の気づきに関して、今日たまたま目にしたある本の中で、「風は命である」という一節を目にしました。なるほど、松陰先生は呼ばれた者の中に、命を吹き込まれるのか、となんだか遠隔ヒーリングが楽しみになりました。(みなさんに働きかける前に、私自身にも働きかけるので)

以前、私自身のワークをしていた時に、「師の圧倒的な愛に触れたら、耐えられない」という言葉が浮上してきたのですが、今回、「虎の嘯き」に自分がどれだけ制限を外して行けるのか、じっくりと向き合って見たいと思います。

私はそれを恐れていますが、顕在意識の奥ではすでに始まっているようで、自分の奥から生まれ出ようとしている何かを感じています。ハートの奥で、地響きのような低い振動がしていて、熱くなっているのです。

自分が思うと思わざるにかかわらず、何かが進行していて、この流れは多分、自分でどうこうできるようなものではないのでしょう。せめて、生まれようとしているものを妨げないように、見守っていくとしましょう。

この日のために、太古の昔に準備されたコードが開かれようとしている。

ふとそんな言葉が浮かびました。

愛のコードを持つ私たちは、鍵です。鍵穴は、それぞれのコードを持つ私たちが、自身の内なるコードの響きを感じる中で、自ずとそれと分かるでしょう。私たちはただそこで、響けばいい。

ということのようです。分かる方には分かるでしょうか。

とても大切なことなので、今度の遠隔ヒーリングをお受けになる方は、どうぞご自身の内なる響きに注意深く在ってください。

私自身のコードの響きに深く意識を澄ませていくと、もう既に稼動しているそれが繋がっている先が見えてきました。それは、去年仲間とともに集っていた、そして今回の気づきをもらったきっかけとなったあの神社の地下につながるある領域でした。

去年のあの強烈な流れは、これから始まる流れの準備でもあったのだな、とはっきりと分かりました。

それは断続的に起こり、今も同じ流れの中にあるのでした。

不思議と、このコードを読んでいくともう一つ別の場所(領域)のエネルギーも強く感じて、それは去年の動きの時にも同時進行でかかわっていたのですが、今のところこれらがどうつながっているのか、私にはまだよくわかりません。

けれど、地面のプレートが動く時は、触れ合うプレート同士が同時に動くというのと同じようなことで、愛のコードとセットで、必要になって来るものなのかもしれません。

その別の領域に意識を向けると、とても鮮烈な光が身体の中に入ってきます。と同時に、重い波動の闇も感じて、それらが身体の中で様々な反応を起こしています。

その中で、かつてあちこちに見えていた光のポイントを巡っていた時に訪れた、いくつかの場所の記憶がよみがえってきました。

光のポイントは、とても気持ちのいい場所もある一方で、あまり心地よくない場だったときもあって、それでも確かにそこが光って見えるので、なぜだろうと当時も不思議に思っていました。

今回、記憶がよみがえってきた場所というのが、そうした重たい波動の場所で、先ほどの鮮烈な光と同時に感じた重たい闇によって、記憶が呼び覚まされたのです。

それらが関係あるのかないのか、興味のあるところではありますが、これ以上読み込むとストーリーに飲み込まれて行きそうなので、今はとりあえず一旦この辺りで収めておくことにします。

「複雑な流れをするので、気を付けるように」

ふと、8年前にうけたヒプノのセミナーで初めて見た侍の過去世で、最後に貰ったメッセージがよみがえりました。

取り敢えず、今はただコードの響きとともに在りましょう。

また気付きがやってきたら、その都度追記していきます。

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第336弾 無料遠隔ヒーリング

毎週月曜日は恒例の無料遠隔ヒーリングのテーマの設定日です。 第334弾のご感想をホームページにアップしましたので、参考になさってみて下さい。

さて。個人的に、先日の吉田松陰先生にまつわる気づきとサインがまだ続いていて、あまりにタイミングが良すぎるので、いかがなものかと思っているのですが、判断はさておき、何か意味があるかもしれないのでとりあえず書いておくことにします。

この気づきが起こった日、最初に行った都内のとある神社の裏手にあるカフェで友人とお茶をしたのですが、夢中で話をしていてふと目線を上げたところ、座っていた席の丁度真上に書が飾ってあるのに気づきました。そこにはこう書いてありました。

「虎嘯風生」(とらうそぶけば かぜしょうず)

調べてみると、これは「龍吟雲起虎嘯風生」(龍吟ずれば雲起こり、虎嘯けば風生ず)という『禅林句集』の一節のようです。

龍や虎は、古来より立派な人物のたとえに用いられる霊獣ですが、ひとたび龍が吟ずれば、自然界が呼応してたちまち雲が起こり、虎が吠えれば風が生じるという様を表した言葉です。

意味は、「立派な君主のもとにはすぐれた臣下が現れる。また、英雄が出現して天下に風雲の起こることのたとえ」とこちらのサイトでは解説されていました。

これを見たときは、なかなか勇ましい言葉だと思った程度だったのですが、友人との対話が進み、松陰先生の光の柱に話が及んで家に帰って改めて松陰先生のことを調べたときに、この「虎」にもサインがあったことを知りました。

ご存知の方も多いと思いますが、松陰先生の幼名は寅之助。通称は寅次郎と言います。

何とも出来過ぎた展開に、あまりストーリーに入り込み過ぎないようにしようとどこかでセーブする気持ちが働いていました。

勘違いしてはいけないと思いつつ、それでも鈍い私は、もしこれが何かの呼びかけだったとしたら、という思いがあったので、先生の意識にフォーカスしながら、もし本当にそうなら明確なサインが欲しいと呼び掛けて、あとはプレゼンスを意識して流れに任せてみることにしました。

するとつい昨日、松陰先生の短刀が140年ぶりにアメリカから里帰りしたというニュースが流れ、ちょっとびっくりしています。

刀というのはとても霊的なアイテムで、浅野和三郎の「小桜姫物語」の中でも、小桜姫が臨終の間際に自分の懐刀を棺に入れてくれるよう頼んだり、霊界に行ってからも指導神霊にそれを所望するなど、古来より男女問わず、日本人にとっては、魂そのものを象徴するような意味合いがあります。

虎は、嘯いたのだろうか。

そんなことを思いつつ、そういえばかれこれ1か月ほど前にも、不可解な前触れはあったかも、と思い至りました。

虎がお戻りになり、呼ばれたのなら、自身の魂の命に従って無心で為すべきことをしよう。そう思いつつ、プレゼンスが差し出す流れを受け取ることに、細心の注意を払っていくことにしました。

以上は私の個人的な気づきのストーリーですが、ここから何かしら感じるものがみなさんそれぞれの魂のミッションのスイッチを起動するきっかけになるかもしれない、という気もしたので、敢えてここに書くことにしました。

それにしてもタイミング的に、ちょうど遠隔ヒーリングの設定日にぶつかるようにサインがやってくると言うのも、なかなかに意味深です。

今回のテーマは、深く、ご自身の魂のミッションを呼び覚まして行こうとする方のために設定したいと思います。多分、このテーマに呼応する方は、ハートの奥深くに「愛の楔」を確かに持っている方でしょう。

お申込みになる方は、自身が「光の柱」となるというコミットメントをしっかりと確認なさってお申込みください。

不思議と、これを書いている間、私自身のハートがとても熱くなっているのを感じます。ご縁のある方のお申込みをお待ちしております。

というわけで、今週のテーマはこちら。

自身の魂のミッションを起動させ、光の柱として在るよう最高最善に働きかける

参加される方は、「無料遠隔ヒーリングの受け方」ご覧になり、 ご理解のうえ4月5日(水)17:00までにメールまたはメールフォームにてお申し込み下さい。 同日20:00より順次働きかけを行っていきます。

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コミットメント

4月に入り、ふと気が付けば、レナードの清里リトリートまであと3週間を切っていました。師に会える数少ない機会なので、十分に準備して臨みたいと思います。

そんなこんなで久しぶりにレナードの動画を見てみたのですが、一番シンプルなこの紹介動画を今改めて見てみると、彼の教えの本質が表現されていて、その深遠さに様々な思いがかき立てられます。

6年余り彼の教えに触れて来て、本当にシンプルなのだけれど、その神髄はどこまでも深遠で、難しい、といつも思ってしまいます。

「難しい」と思うのはエゴなのでしょうが、そう思いながら、同時にその言葉に貼りついた様々な感情が浮上してきます。

今回のリトリートで、私はどこまで彼のプレゼンスへの招待を受け取れるだろうかと、自身の内側のコミットメントがどのレベルまで響いているのか、確かめています。

すると、まだガッチリとブロックが入っていて、強烈な抵抗がありました。これまでも何度も彼に相対するときに常に浮上していた抵抗でした。一体これは何だろうと見ていくと、自身の無能さ、惨めさを受け入れることへの拒否感でした。

みんなが普通にできていることが一人だけできなくて、取り残されているような感じ、そしてそれを人に知られることへの恐怖があるようでした。けれど、そう気づいただけでふっと弛むものがありました。

そして改めてもう一度レナードに向き合って見ると、無能さから来る絶望感や惨めさは消えていましたが、プレゼンスへの招待をどうしても受け取れない自分がいました。

その招待を断っているというよりは、どちらかというと「私には道は開かれていない」という感覚で、ぐっとその場に根が生えたように動けなくなっている感じです。

それでも、今度こそは明確に招待を受け取ろうと強く意識すると、ふとまた別の感情が湧き起こってきました。

他の人は、優しく包み込まれるようにサポートされながら歓迎されるのに、私のときはそれはなくて、自分で必死でつかみ取らなくてはいけないのだな、という淋しさのようなものが浮上してきたのです。

なぜこんなにも違いがあるのか、と思ったときに、多分私はどこかの過去世で、師に背いて去って行った経緯があるので、自ら戻る意志を明確に示さなければならないのだろうと、そんな気がしました。

どうして私だけこうなんだろう?差別されているのかと思うほどのことにも、人それぞれに背景があるのでしょう。

そう気づいたので、自分だけ冷たい待遇をされているような淋しさの中で、それでも師の招待を受け取る、という意志を表明したら、胸の辺りにガッチリとはまっていたブレーキの感覚がす~っと外れていきました。

この状態で改めてレナードに向き合って見ると、最初の時と比べて、距離感がぐっと近くなっていました。当初は、慕ってはいても、本当に冷たいというかよそよそしく感じていたレナードが、随分と温かく感じます。

彼は何も変わっていないのに、私の中が変化すると、これほど感じ方が変わるのですね。

リトリート前に少し解放できてよかったです。そうでなかったら、また砂を噛むような苦しみの中、悶々としていたでしょう。

とは言え、さらに彼の動画や画像を見つめていると、湧き出てくるものはあるので、どれだけコミットしてコミットして、覚悟を繰り返していても、深まっていくものの中でずれている部分、弱い部分、誰かや何かを批判して逃げているところがどんどんあぶり出されて行きます。

今まで、レナードを師と仰ぎながらも逃げ続けていたところ、一番嫌なところを、この機会にしっかりあぶりだして、向き合っていくことにします。

私たちは目覚めたい、解脱したい、悟りたい、ワンネスに至りたいと願いながら、自分でも気づかぬうちに、どれだけそれに抵抗しているのでしょうか。

自身の認識と実際とのずれにいかに注意深く気づき、それを軌道修正する不快さに耐えてコミットメントを深めていけるかが、究極の願いを実現させる道なのでしょう。

リトリートまであと18日。できる限りの準備をして臨みたいと思います。

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愛と使命について

ここのところ、先日の「愛のコード」に引き続き、パラパラと色々な気づきが来ていて、それについてどう消化・昇華させていくのか、考察を重ねています。

自分の中に埋め込まれている「愛のコード」に気づいてから、そのコードが活性化しているようで、もともと弱かったグラウンディングがぐっと深くなっているのを感じます。

様々な現実のストーリーの中で示されるサインは特に魅惑的で興味深く、ともすればそれに飲み込まれてマインドを彷徨ってしまうことになります。

だからマインドが興味を惹かれそうな流れになると、いつもどこかでプレゼンスとのバランスに気を揉む自分がいるのですが、ストーリーから出てくるサインの中にも、今この瞬間の自分を知る手がかりとなるものが確かにあるので、プレゼンスをベースにしながら、けれども注意深くストーリーも楽しむようにしています。

この「愛のコード」は色々と使い道があるようで、昨日もあれにもこれにも使える、と新しいおもちゃを手に入れた子供のようになっていましたが、ただの癒しのツールに留まらず、自分のルーツを知るカギでもあり個を超えたものの歴史であり、実はもっと深遠な領域を開くゲートでもあるような気がします。

まぁ、最善のタイミングでおいおい触れていくことになるだろうと思っています。

それとともに、「水のコード」というキーワードもやって来ていて、調べていくとなかなかに面白そうな流れがありました。

そう言えば、「愛のコード」を呼び覚ましたとある神社に去年、仲間とともに通っていた時期にも、「水に関する秘密」のメッセージやサインが降りてきていました。

「水」って、私たちが触れない日はないほど身近な存在ですが、実は私たちの多くはその存在のほんの上っ面しか認識しておらず、目の前にありながら、その秘密には触れられていません。

この「水のコード」にも、再び意識を向けていこうと思います。

ほんのちょっとした意識の向け方の違いで、水のエネルギーを励起させることも可能で、これを身体の中の水分に対しても行うことができたので、きっと様々な体調不良などにも有効なんじゃないかと、いま自分の身体で試しているところです。

これまで、水に対してエネルギーを転写したりチャージしたりということはやったことはありますが、水そのもののコードに触れるというのは初めてなので、なかなか興味深いです。

上手くいったら、今度の4月11日の瞑想会で誘導してみようと思います。

人の心にせよ物質にせよ、結局どのレベルからそれに向き合い、どんな領域を認識しているかで随分と捉え方も、それによって起こってくることも違ってきます。

今回、最初に示された「愛のコード」は、意識の領域を広げていく旅において、私にとってはアンカーのような役割も果たしているような気がします。

スピリチュアルの深遠で広大な領域を旅するとき、そのやり方は人によって様々ですが、一気に軽やかな光の領域まで広げてしまう人もあります。

けれど私はそういうやり方にはあまり興味が無くて、最も重く濃密なエネルギーのレベルから離れることなく、深遠な光の領域を同時に体現したいという願いが常にあります。

これは学校でどんな勉強がしてみたいのか、というほどの単なる志向と資質の問題だと思うのですが、私の興味はどうしても、深い闇の中で鮮烈な光を見ることに向いてしまいます。

そんな私にとって、「愛のコード」は、重く濃密なエネルギーの世界に打ち込まれた揺るぎなき楔であり柱なのです。

「楔」という字は「木」に「契」と書きますが、まさにそれは契約の柱です。それを認識する者にとっては、とてもとても深い意味があります。

これによって、広大深遠な領域の極と極を、自身を見失うことなく安定して旅することができると、私は感じています。

よく、「自分の使命は何か?」と問う人がありますが、使命に生きることで、自分自身の価値を見出そうとする人がいる一方、使命の重さの中で潰れていく人生も少なくありません。

本当に魂が決めてきた役目を全うしようとするとき、ただ使命という言葉によって湧き起こる高揚感だけでは、折れてしまうことがあるような気がします。

みなさんそれぞれに、自身の内にまごうことなく「愛の楔」を見出すことが不可欠とさえ言えるのではないかと、個人的には思います。

自身が揺るぎなく愛に溶け込んで、その愛の発露が使命なのであって、使命と自分が分離している状態では、役割の重さの中で疲弊し、潰れてしまうでしょう。

確かに、使命に生きれば自身の生き生きとした価値を感じることができるでしょう。けれどそれは、使命を生きるからそうなのではなく、自身が愛そのものの体現であるからこそ、そうなのです。

今生の使命を全うしたいと思うのなら、自身の内にあるこの「圧倒的な愛」を見出すことは、とても大切なことだと思います。

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愛の楔

4月5日の感情解放ワークショップは満員になりましたので、お申し込みを締め切ります。4月15日と29日はまだ空きがございますので、どうぞご検討くださいませ。

さて。今日は昨日の続きで、吉田松陰という方と、それにまつわる私の気づきを綴っていきます。

私はあまり幕末史は詳しくないですし、正直、吉田松陰という人のことも学校で習った歴史の中でそんな名前もあったかな、というほどの認識でした。

ところが20年近く前に、まったく思いもかけないご縁で松陰先生の生誕地・萩に旅行に行くことになりました。このとき、せっかく行くのだったら少し萩の歴史でも調べて置こうと何となくネットで色々調べていたところ、萩と言えばこの方を避けて通ることはできない土地柄、ある旅行者のブログにたどり着きました。

その方は、宿の女将さんに「松陰神社に行ってきます」と告げたところ、女将さんは「松陰先生のところにいかれるんですね」と言ってその方を送り出されたというくだりを読んで、今でもなお、松陰先生の魂がこの土地の人々の中に深く根付いていることを感じました。

普通だったらさらりと流すところなのですが、この女将さんの言葉になぜかものすごく反応して、自分でも良く分からないままに号泣していました。

あまりの反応の仕方に自分でもびっくりしたのですが、どうやら私の魂は松陰先生を知っているようだということは分かりました。

武士の過去世は何度もありますが、はっきりと幕末の頃の記憶が出てきたことはありません。けれど、「松陰先生!」と言って涙するということは、この方の魂が吉田松陰として生きた時代に、その薫陶を受けた一人だったのだろうと思いました。

そして実際に萩の松陰神社に行ったとき、境内にはかなりの観光客がいましたが、その中で神社の宮司さんがなぜか私たち3人のところに来て、「どこから来たの?これ、少ないけれど差し上げます」と言って神社のパンフレットを私たちだけに下さいました。

なぜ私たちだけに?と不思議に思いながらも、お心遣いに感謝して、さらに見学を続けました。

松陰神社には「明治維新胎動之地」と刻まれた大きな碑があるのですが、その前に立ったとき、周りに人がいなかったら私は多分、また号泣していただろうと思うくらい、胸がいっぱいになっていました。

そのときは、過去世の記憶から反応しているだけなのだろうと思っていましたが、実はこのことがもっと深い意味を持っていたことに、つい先日気づいたのでした。

友人との話の中で「人を光の柱とする」というキーワードが出てきたときに、これまでの人生でバラバラに示されていたパズルのピースがピッタリとはまっていったのです。

そうか。松陰先生は、この日本という国に門下生たちを通して光の杭を打ち込まれたのだ、とはっきりと理解できたのです。

その光の杭というのは、まさに先生の愛でした。それはとても一言では言い表すことはできないのですが、先生は、寝食を共にし、触れ合った数多くの人たちの魂の奥深くに、しっかりと揺るぎない愛の楔を打ち込まれていたのです。

あの明治維新という大業を為し遂げさせるほどのエネルギーがどれほどの愛なのか、想像できるでしょうか。

松陰先生はしばしば、その常人離れした過激な言動から「狂人」と評されますが、狂うほどの圧倒的な愛なのです。その愛に触れたら、狂わずにはいられないでしょう。

松下村塾を巣立った志士たちがその後辿った末期を思えば、その壮絶さが分かります。

彼らの魂には、深く先生の刻んだ愛のコードが生きています。だから彼らの軌跡を辿るとき、人は魂を震わせるのです。

現代日本において、このコードはなお生きて稼動しています。人の魂を柱として、深くこの日本という国を深いレベルから支えているのです。

歴史はそれを見る領域や視点から様々に評価されるものですが、ただのロマンではなく、今この瞬間に実際に生きている生々しいものであり、確かにそれは私たちに自覚の有無を問わず、影響を与えているのです。

そうした理解と同時に、また別の気付きもありました。

私は戦乱の世を武士として生きた人生の経験から、今でも何となく刀剣や茶道にわだかまりがあるのですが、特に茶道に関して、ある記憶が鮮明によみがえってきたことがありました。

その時私は友人たちとカフェでお茶をしていたのですが、話題がお茶や茶道などの話になった時、突然、私が茶室で3人ほどの男たちに茶をたてている場面が見えました。和やかな場ではなく、彼らとの今生の別れの儀式でした。

私の前に居る3人は、この茶を飲んだら彼ら自身の使命を全うするために、二度と帰らぬ死地へと向かうのでした。3人も、私も、深く覚悟を肚に、共に在る今この瞬間を味わっていました。

茶釜から湧きたつ松風が、ただこの空間を満たしています。

無言で茶を飲み干すと、別れの言葉を短く述べた後、彼らは影のように静かに去っていきました。

死地へ向かう者も、それをを送り出す側の心情も、なかなかに言葉では言い表すことのできないものがあります。

松陰先生は若干29歳で多くの門下生たちより早く、この革命の先陣を切って命を絶たれましたが、若い命を死地へ送り出すような場面をもし経験されたとしたら、どんなお気持ちになられただろうと思わずにはいられません。

私には迫害される教えの伝道師のような人生もあるのですが、どうもこの辺りが、私が感情解放のワークをみなさんにお伝えするときにしばしば浮上する躊躇に影響しているのは以前から気づいていました。

かつての時代のようにワークをしても死んでしまうことはありませんが、ワークをされる方が苦しいプロセスを通過するとき、側に居ればまだしも、物理的に離れているときは特に、このプロセスに耐えて通り抜けていかれるだろうかと心配する思いは今でもあります。

革命の中で、倒れていった無数の名もなき人々がいるように、魂のミッションの中で挫折したように思えるときもあるでしょう。それでもなお道は続いていて、再び立ち上がることもできるのだと知り、立ち上がろうとする人々の側に寄り添って在ることが、私の役割の一つかな、と改めて思いました。

私の中に生きる先生の愛の楔について、今後さらに意識していきたいと思います。

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ミッション

4月5日(水)の感情解放ワークショップですが、午後のクラスは残席1名となりました。ご検討中の方はお早めにお申込みくださいませ。お申込みはこちらからどうぞ。

さて。東京ではこの寒気で桜はまだまだ1分も咲いていない感じで、満開のお花見が待ち遠しい今日この頃。

様々な気付きがあって、これまで大切な何かであることは分かるけれど、一体それがパズルのどのピースなのかさっぱり分からなかったものが、次々にピッタリとはまっていく流れがやって来ています。

個人的な備忘録として、またこの流れに共鳴する存在たちのために、今日は今私に見えているものとその経緯を記しておきたいと思います。

一つ目のパズルのピースは、もう16,7年以上前になりますからヒーラーになるずっと前ですが、ある晩の眠りに落ちる直前に、突然日本地図がビジョンで現れたことがありました。

まったく突然だったしそんな不思議な体験はほぼ初めてだったので、一体何だろうと思ってそれを見ていると、ある3つの場所から巨大な光の柱が噴き上がっているのが見えました。あまりにも鮮明で不思議なビジョンだったので、翌朝起きてからそれがどこなのか、地図で確かめてみました。

すると、明確にこの場所である、というポイントが分かりました。一か所は都内の自宅から近い場所だったので、行ってみたことはあります。

それはある神社だったのですが、後にある方のリーディングセッションを受けたら、そこの祭神さまに「またおいで」とメッセージをいただきました。行ったから特に何があったわけではないのですが、今思えばこれからつながっていく流れの最初だったような気がします。

3つのポイントの内、もう一か所も遠い場所でしたが友人と訪れることができました。村でお祭りしている小さな、けれども平安時代からある古い神社でした。

他にも光の柱は見えるだろうかと思って日本地図に目を凝らしてみると、至る所にそれが見えました。けれど、神社だから必ず光ってみるかというとそうでもなく、逆に何もない山中に確かにその場所であると確信を持って分かる場所もありました。

それが何であるか、私にはわかりませんでしたが、何らかの「痕跡」を読み取っているのだろうということだけは分かりました。

しばらくはその光のポイント巡りをあちこちしていましたが、それもいつしかやめてしまい、意味を追うこともしなくなりました。それから10年近くたってから私はヒーリングの世界に入ったわけですが、去年の2月~5月にかけて、また別の都内のある神社に継続して通っていた時期がありました。

色々経緯があったのですが、毎週ある仲間たちとそこに集って祈りを奉納していたのです。その仲間たちも不思議なご縁で、強烈な流れの中で出会い、意味も分からず集っていたのですが、その時期の瞑想では、膨大なビジョンやメッセージが降りてきていました。

都合7回の会合が終わった後、そのご縁はきれいに解消されてしまい、元々私につながっていた方たちを除けば、他の方とはもう全くつながりはなくなってしまったので、まさにそのために集められたメンバーだったのでしょう。

それらのパズルのピースは、私と「土地」に封じられたコードに関するもので、どうやら私はこの人生以外でも、色々と土地のグリッドに関わる仕事をしていたことが多くあるようです。

様々なヒーリングを学ぶなかでヒプノのセミナーを受けたとき、自身で見た最初の過去世は武士として戦乱の世を生きた人生でした。

けれどそれはただの武士ではなく、人間の次元では城を攻めたりということも実際にしていましたが、同時進行で別の次元では、肉体を持たない存在たちとの熾烈な戦いや駆け引きの中で、様々な任務をこなしていました。

そうした次元の動きが人間世界の動きとなって表れ、歴史になって行っているので、この国の歴史の裏には、別次元の歴史が密接に関連しているわけです。

去年の会合は、イントロはあったもののしばらく何の音沙汰もなかったミッションが突然復活したようなものでしたが、またぱったりと止まっていました。

そしてつい昨日、ある方と話をしていて、ある言葉をきっかけにバラバラだったパズルのピースがピッタリとはまって行ったのです。

詳細部分の正確な表現は忘れてしまったのですが、私が人と関わる方法は、土地と関わる方法に近い部分があるようで、土地に光の柱を立てるように、人を通して光の柱を立てているようなのです。

もちろん、瞑想会などでは確かにその通りなのですが、そうした限定的な意味ではなく、人を光の柱そのものにして個を超えたレベルの道を切り拓いていくようなイメージでしょうか。多分、これはレナードが「イエスの解放」の中で語ったものに近いミッションであるような気がします。

それを言われた時にハッと気づいたのが、歴史上の人物の吉田松陰先生とのつながりと、私の中で繰り返し表れるある思いの理由でした。

長くなるので続きはまた明日。

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