共感と信頼の対話

日々仕事や家事など、忙しく追われていると、自分自身の心身のケアがおろそかになりがちですね。目の前のやらなければいけないことを優先して、気が付いたら心も体も一杯一杯という方も多いですが、少しでも自分の心と体に優しくありたい!というとき、意識しておくと良いポイントを書いてみます。

先日、あまり体力的に丈夫ではない私にしては珍しく徹夜イベントに参加して、心身ともにへとへとになりました。肩や腰、脚もパンパンで体内時計も狂ってしまって気持ち悪くなるほどでしたが、睡眠時間が少ないのがダメな方なので、結構きつかったです。

で、そういう状態から体調を回復させていく時に意識したのは、「体の疲れや不調を感じることをブロックしないこと」でした。

普通、こういう状態になってしまうと、何とか持ちこたえなければいけない!と心身の辛さをガッチリブロックして固めてしまうことが多いと思います。

身体の苦痛や不快感を感じるのが恐いということもあるでしょう。感じてしまったら、そこからなし崩し的に体調が悪くなって、仕事ができなくなってしまう!とか思ってしまうのです。

こういう状態が続くと、芯までコチコチになってしまって、整体などに行ってもちょっとやそっとじゃ解れない!ということになりがちです。

弛めなければいけないことは分かっているし、弛めたいのですが、なかなか弛んでくれなのですよね。

このとき、心と体は分離していて、身体の声が聞こえないように、私たちは心の耳を塞いでいます。この状態から、聞く耳持たなかった身体の声を、心を開いてじっと聞くようにするのです。

ぐ~っと固くしている身体に意識を向け、深く呼吸をしながら、そうすることでブロックしているエネルギーをブロックしないで流していくようにするのです。

多分その流れは、普段の自分の意識では無意識にも流れてほしくないような、流れ方をすると思います。ゆっくりとでいいので、それが流れたいように流れることを許して呼吸とともに感じてあげると、ブロックしていた緊張はす~っと弛んでいきます。

エネルギーは重層的に固められていることが多いので、その下からどんどん別の層が出てくることもあるでしょうが、時間の許す限りこれをしてあげると、芯の方で固まっていた緊張まで弛んでいきます。

これをしてあげると、そこからなし崩し的に体調が悪くなっていくということは無く、回復力も上がって思ったよりも悪くならずに済むことが多いです。

疲れを認め、感じてしまったら動けなくなってしまう!と私たちは恐がっていることが多いのだろうと思うのですが、実際には逆なのですね。

自身の身体と心の声を聞かずにシャットアウトするから、余計に心身が固くなって辛くなるのです。

自分自身と対話する姿勢を常に持ち続けることは、心身の健康の上でも、充実した人生のためにも、とても大切なことです。状況がきつい時ほど私たちはこうしたことをおろそかにしがちですが、調子の出ない時ほどこの基本をしっかりと整えてあげると、自分を取り戻すきっかけになっていきます。

自分自身との対話というと、思考で「内なる自分は一体何を言ってくるだろうか?」と考えてしまう方がよくあるのですが、思考で答えを出そうとするのではなく、基本はじっと感じとるというイメージです。

こちらからあーでもない、こーでもないと考えを押し付けるのではなく、それとともに在って察し、汲み取ってあげるようにします。

私たちだって、思いを胸に一杯抱えているとき、何も言わなくても気持ちに寄り添ってくれる人があったら、重い心の蓋がスルッと開いて、気づいたら胸の内を打ち明けていたということがあるでしょう。

抱えているものを開いていけるのは、指図し、決めつける相手ではなく、黙って心を寄せ、開いていくスペースを提供してくれる人に対してなのです。

翻って、自分がその聞き役に回る場合、自分の利害と相反する相手に対してそれをするのはなかなかに葛藤があるでしょう。この葛藤がありつつニュートラルに相手に開いていくには、自分の中に湧き上がる様々な気持ちをしっかり受け止める段階が不可欠です。

自分が被るであろう不利益の痛みを引き受けた上で、相手の気持ちに意識を向けると、自分と同じように、相手もまた痛みがあることが理解できます。ここに、共感と慈愛の余地が生じるのです。

一方的に「それじゃ困る!」と自分の意見をぶつけるだけでは、永遠に平行線です。自分の痛みも、相手の痛みもちゃんと受け止めた上で、互いの痛みから離れずに対話することで、反発ではなく、どこか親しみと信頼が生まれます。

対話は、全く違ったレベルの質のものになっていくでしょう。

長い目で見て、一方を押さえつけて得た結論と、共感と信頼の対話から生まれた結論と、どちらが安定した調和を生むでしょうか。

信頼を生む対話には、自分自身の痛みと恐怖に対処できる意識の在り方を身につけることです。これは、どこに行っても通用する生涯の財産になるでしょう。

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プレゼンスでいられないドツボから抜け出す方法

プレゼンスって、ドツボにはまると私はなかなか入れなくなってしまうときがあるのですが、もがけばもがくほど訳が分からなくなって「私には無理なんだ~~~!」とかってなるんですよね。その状態からようやく戻って来られたので、戻れたきっかけを書いておこうと思います。

私の傾向として、何でも根詰めて考え、頑張りすぎるというのがあるのですが、これが良い方に働く時もあれば、その反対に働くときもあります。

多くの人はこういう状態になった時の自分のリセット方法を持ってたりするのですが、私はそういうのが下手で、今だにこれといった方法に出会っていませんでした。やっても、すぐに戻っちゃうんですよね。

だからいつも張りつめてることが多いです。

自分でも気づいてはいるのですが、どうしてそうなってしまうのか、ちょっとだけ分かったことがありました。それは、私の行動の選択基準から来ているようでした。

それは、「これは自分のこれからに役に立つのかどうか?」という基準で行動しているということでした。ビジネスなんかではこういう考え方が普通だし必要なものかもしれませんが、人生のほとんどのことをこれで決めていくとなると、大切なものが抜け落ちていきます。

深いところから「これがやりたい!」と湧き出てくるような情熱も、様々な瞬間をただ楽しむという感覚もなくなっていくのです。

以前、ワークショップの参加者の方とお話をしていて、周囲から期待されている自分になるために必要なことが自分のやりたいことだと信じ込んでいる姿を拝見することがりました。

必要なことと、深いところからのニーズは違うということに気づいていくことも拒絶されているのかな、と感じたのですが、さまにそれは、私自身だったのだなとやっと気づきました。

何を学ぶにも、何をするにも「今後のためになるのか?自分に得か?」とどこかで計算しながら決めるパターンは、食べるものや洗剤や身につけるもの、瞑想などにも及んでいて、自分では無意識だったので、結構衝撃を受けました。

特に食べるものなどは身体の声を聞きながら決めていた「つもり」だったので、そうでない時もある、というか、そうでないことがかなりあるという気付きは、いかに自分が無意識に生きているかをまざまざと見せられました。

マインドで自分の人生をコントロールして改善して行こうとしていたわけですね。そこに気づいたので、「改善して行こう」とすることをまず止めました。

「改善しなくちゃいけない」という思考は焦りと不安をかき立て、「今ここ」から意識を追い立ててしまいます。だから、どんなに今この瞬間が気に入らなくても、「これでいいのだ」といったん受け入れてみる。

ザワザワする気持ちも湧き上がってくるでしょうが、それもそのまま感じています。必要だからと自分にやらせていたこと、やりたくないことをやめてこうしていると、ザワザワ感とは違った意識の層で、プレゼンスのあの懐かしいような感覚がジワジワと滲み出てきました。

後はゆっくりプレゼンスの層の方に意識をシフトさせていくと、混乱していた気持ちが落ち着いていきました。

以前は、感情を受け止めても根本的に「これでいいのだ」とは思っておらず、相変わらず自分にやりたくないことをさせ続けていたので、プレゼンスに戻って来られなかったのかも、と思いました。

赤塚不二夫先生の「天才バカボン」って、あまり好きなマンガじゃなかったのですが、人生の神髄を言い表したすごいフレーズだったんですね。(若い世代の方はご存じないかもしれませんね)

私には、プレゼンスの感覚は子供の頃に感じていた懐かしい感じがあって、それに触れるととても安心し、生き返ったような感じがします。本当に自分の中に息づく命を感じられて、正気に返ったとさえ思います。

人生は今この瞬間しかない、ということの、何と言う身軽さ。神聖さ。美しさ。

で、これが何になるの?ここからどうするの?と問うた途端にプレゼンスから外れてしまうのがいつものパターンで、プレゼンスすらも「どう役に立てるのか?」という枠組みの中でしか見られなかったから、これまでうまくいかなかったのですね。

プレゼンスは、利用することはできません。神を利用することができないように。

確かにプレゼンスに在れば、結果的に人生は導かれて行くでしょうけれど、それをツールやメソッドにすることはできないんですね。

この辺り、何度も聞いてきた言葉だけれど、やっと腑に落ちた気がしました。

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メタモルフォーゼ

なんだか大いに揺さぶられる日々を過ごしている今日この頃です。そういうときほど、バランスを取らなくっちゃ!とどこか踏ん張ってしまうもので、それが良いとか悪いとかではないのですが、そうすることで起ころうとしている変容を押さえてしまうこともあるのかな、という感覚がありました。

そのことに気づいた最初のきっかけは、ある方と話をしていたときのこと。その方は「やらなくちゃいけないのは分かっているけれど、どうしてもできない」ということをお話されていたので、その方が避けているポイントに意識を向けたときにどういう反応が起こるか、と質問をしてみました。

すると、微妙にあいまいにポイントをそらしていくような印象の応答が返ってきました。

その方も無意識だったとは思いますが、私たちは、「そこを突かれてはマズイ!」というところに意識の矛先が向かっていくのには、敏感に警戒して突かせないようにするのですよね。

もしそこを突かれてしまったら、これまで必死に保ってきた様々な自分の在り様のバランスが一気に崩れてしまうのが分かっているからです。そうなってしまっては、もはやこれまでの自分としてはいられません。それはアイデンティティの最大の危機と捉えられます。

けれど、本当はそのバランスこそが生きにくさの原因だったりするわけで、これを崩していくことが、新たな自分が再構築されて行く上では、不可欠のプロセスだったりするのです。

ここに対して本当に「Yes!」と言えないと、「分かってはいるけれど、でもできない」というところで延々と抵抗を続けていくことになります。

正気を保っていなければとか、ここで崩れ落ちてしまうわけにはいかない!と踏ん張らなければいけない状況も確かにあるでしょうが、かつてそうだったときの在り方のプログラミングが、解除されないまま何十年も稼働し続けているというのはよくあることです。

今この瞬間もそれがまだ必要かどうか、気づいて棚卸作業をするタイミングがあるだろうと思います。そのタイミングというのは、人生の生き辛さに息が詰まった時!です。

私自身もここ最近の揺さぶりで、鏡となってくださった方から気づきを得たりして、確かに自分を保とうとするあまりに脱皮できないカニかエビみたいに硬直してしまっているものを感じていました。

そこで、自分の内側から起ころうとしているエネルギーの視点に意識を移動させてみて、それを受け止めるべき自分がどんなスタンスでいるのかを確認してみました。

すると、ちっとも視線が合っていなかったり距離が遠かったりしたので、きちんと受け止めていく状態に調整していきました。

この状態でエネルギーが起こっていきたいように起こさせていくと、確かにこの感じはいつもの自分だったら絶対に止めてしまうだろうな、というようなエネルギーの動きがたくさん起こって行きました。

これは意識して受け止めていかないと無理だったなぁ。。。と思いながら観察していたのですが、だからと言って、決して今の自分のキャパを超えるような変化でもなく、起こさせてしまえばちゃんと受け止めて行けるものであるというのもまた面白いところです。

無意識でいると、もう既にブロックしておかなくても大丈夫になっているものも、いつまでもブロックしておかなければ!と頑張ってしまうのですね。

奥深いところから起こって来るものの視点から見ると、今の私はどうにか頭で体系立ててものごとを変えていきたいと思っているようですが、そのエネルギーはそういう枠組みにはまったくあてはまらない、全く違った原理で動いていくもののようです。

ということは、もしこの新たなエネルギーに人生を委ねていこうと思うのなら、全く理解の範疇を超えたものを生きていくことになります。このあたりで既に私の頭は混乱していて、「まぁそういうことらしいけれど、できるの?私に?」となっています。(^^;

とりあえず、このときは起こるがままに任せてエネルギーにしたいようにさせていたところ、胸や背中や頭などからエネルギーが伸びて行って、もはや人間の形をなしていない状態になっていきました。

一体自分が何になろうとしているのかさっぱりわかりませんが、これまで一生懸命人間になろうと努力してきたのに、みんな無駄だったわね~、という良く分からない感慨が湧いてきました。

メタモルフォーゼ(metamorphose)がどう落ち着いていくのか、ちょっと書いていることが支離滅裂になってきていますが、起こっていることをそのままに、記録しておきます。

やれやれ。。。

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恐れにより奪う在り方から惜しみなく与える愛へ

昨日は東京渋谷で行われているインドの聖者・アンマのダルシャンに行ってきました。一昨年、去年い続いて3回目です。私はアンマの信奉者ではありませんが、初めてアンマの抱擁を受けてから、この方は本当にすごい方だと感じて、以来友人知人を誘って毎回参加するようになっています。

25日まで開催されているので、興味のある方はぜひ行ってごらんになるといいと思います。

参加するたびに様々な気付きをいただくのですが、今回は自分自身の在り方を根本的に問われているタイミングでもあり、本当にこの人生で、魂の願いを体現するような愛からの選択をする勇気をいただけるようにとの願いの下、抱擁を受けました。

去年はただ前年の続きの感じで受けただけだったので、あまり深い感動は無かったのですが、今回は抱擁の時にアンマが耳元でささやいてくださる言葉が、意味は分からないものの、深いところに入っていくような感覚がありました。

そして抱擁が終わった後、アンマのお顔を見たら、とてもニコニコされていたので、何か選択の後押しをしてくださっているような気がしました。アンマはいつもにこやかにされているイメージはありますが、去年はそんなことは無かったので、余計にそう感じます。

レナードもそうですが、人生では霊性における特別な出会いというものがあります。グルに出会えることの幸運、聖者にまみえることの幸運がどれほどのものかを思うとき、その計り知れない恩寵に感謝せずにはいられません。

霊性を導く師に出会えなかった人生も無数にあったでしょうに、こうして本物の師の臨在に触れるところにまで導かれてきた裏には、私一人ではない膨大な積み重ねがあったことを感じます。

だから今回ダルシャンを受けたときには、私をここまで導いてくれたすべての存在と意識をつなげて、ともに抱擁を受けてきました。

今、根本的に自身の在り方を問われている中でのダルシャンは、私にとってはとても深い意味があります。

恐れから行動を起こしてしまう思考体型を根本的に転換し、本当に愛から行動する在り方をこの人生で体現していくのかどうか。

そのためには、片足だけ元の理論体系に重心を残したまま、新しい在り方に転換することはできないので、完全に逃げ道を断って進まなければなりません。

そのことに、今だに不安と恐れを抱えて逡巡しています。進むべき方向は分かっているけれど、まだ踏ん切りがつかない状態なのです。

そんな私には、スピリットの導きが必要でした。

恐れは他者から奪い、自分の取り分を主張し、また奪われることに気を揉みながら、際限なくもっともっとと求めて決して満たされることのない在り様に私たちを導きます。

一方で、愛は無条件に与え、批判なくひたすら受容し、与えるほどに豊かさを増していく在り様です。

口では無条件の愛を唱えながら、実際のところどれだけそれを体現できているのかが、今私が問われていることです。

私の魂は、何をしにここに居るのだろう?と問うたとき、今死んだとしたら、きっと何かしらやり残した感じがするだろうなと思います。

では一体何をやり残しているのか、今の自分は、本当に魂が全身全霊でやりたかったことをやっているだろうか?とさらに問うてみたとき、私が本当にやりたかったのは、愛そのものとして在ることの体現でした。

恐れから奪おうとする今の在り方ではなく、無限の愛から惜しみなく与える在り方です。

そんなものはとても自分の手の届くようなものではないと、夢物語のようにこれまでは考えていましたが、そうではないという感覚がどこか深いところで確信のようなものとして感じられたのです。

与えるのは、有り余るほど持っているから与えるのではなく、与えるから無限にあふれてくるのだという、既に頭では知っていることを、自分で体現して証明しなければ、愛について語ることはできないと思いました。

与えたら無くなってしまうというエゴの恐れを転換して行けるのか。ここに、人生の流れを大きく変えていくカギがあるような気がしているのです。

大それた願いを挫けずに持ち続ける勇気を祈り求めて行こうと思います。

そうでないと、こんな願いなど気が狂ったのかもしれない、魔が差したに違いない、勘違いもいい加減にしよう、等と言って、すぐに怯んで後戻りしてしまいそうです。

何が人生の真実なのか、今死んでも悔いはないのか、迷ったときはこの問いに戻ってくることにしましょう。

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失うことを恐れるとき

ふとしたきっかけから、色々と変容が起こっています。しがみついていた幻想への執着を手放すのかどうか。大分前から問われていたものの、費やしたエネルギーが大きければ大きい程、感嘆には手放すことができず、ずるずると先延ばしになってしまいました。

けれど、心の奥底では「それは違う」とはっきりと分かってはいたことです。なのにどうして進めてきたのかといえば、人間社会の中で長いこと教育され、信じ込まされてきた嘘の概念が骨の髄まで染み込んでいて、この社会にどうにかして適応しなければ生きていけない、と恐れていたからです。

その恐れが本当に「嘘」なのか、今たくさんの光とともに差し伸べられている可能性への招待を受け取るのかどうか、魂の深いところでじっと呼びかけの声を聞いています。

思考で納得して自分にねじ込もうとするのではなく、呼びかけの響きが自分の中に引き起こしている共鳴と変容を観察しながら、結論を焦らないで起こることとともに居ます。

思い返せばこれまで、スピリチュアルやそれ以外の分野でも、「こうすればこんな風になれる」という誰かが提唱するメッソッドを実践しては、「自分にはできなかった」という体験を無数に繰り返してきました。

それは頭で納得させて、魂の奥底から湧き上がってくる自分だけの導きを信頼しきれず、無視してきたからでしょう。

自分との対話をするようになってから、随分マシにはなってきたと思っていましたが、まだまだ導きを素直に受け取れずに、借り物の情報で自分の人生を進めようとゴリ押ししていたことを思い知らされています。

もっともっと自身の深いところからやって来る導きに自分を委ねてもいいのか。そしてその導きを生きることにコミットできるのか。今まさに問われているところです。

ここに至るまで、既に莫大なエネルギーを投資している中で、それらを捨てて方向転換するのは、なかなかに勇気が要ります。それでも、そのやり方ではどんなに頑張っても決してうまくいくことが無いのは、もう明らかになっています。

ダイナミックなエネルギーを感じるのは、光とともに差し出されている方向なのですが、今はその光を自分の中に取り込みつつ、一歩を踏み出すためのチューニングをしているような感じです。

決めた瞬間に物凄いシフトチェンジがぐんぐん起こっていくのを感じますが、自分がどうなっていくのか、全く想像もつきません。でも、まぁいいか、と起こるがままに起こっていることを見ています。

ものごとが起こるまでは、色々な伏線があって準備されるものがありますが、起こるときは一気に起こり、流れていくものですね。

一見良くないことと思われた出来事も、祝福されるべき大きな変容の重要なピースだったりして、後でその真意がはっきりと理解されるということもよくあります。

大切なものを失ったと見えたとき、きっとそれはもっと素晴らしいものがやって来るスペースを作るための喪失なのかもしれません。失うことを恐れるとき、光で満ちた広大なスペースに意識を合わせるように、自分を励ましています。

今回の変容で、今までになかった感覚が生まれています。それは、深いところでたくさんの仲間とつながっている感覚で、孤独の感覚が強く染みついたこの魂には、なかなかに新鮮な発見でした。

孤独でいることにあまりにも馴染み過ぎているのでそれ自体苦にはならないのですが、安心して仲間につながれる安堵感というのもこれまではあまり感じたことが無かったので、自分もこんな感覚を持てるのかと、感慨深くもあります。

そのポジションから自分のミッションというか、役割、在り様というものを見てみると、自分が認識していたものよりはるかに大きく、素晴らしい可能性が見えてきます。

しばらく、この流れに乗って行けるところまで行ってみようと思います。



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第343弾 無料遠隔ヒーリング

毎週月曜日は恒例の無料遠隔ヒーリングのテーマの設定日です。 第341弾のご感想と、5月11日満月の瞑想会、5月6日、17日の感情解放ワークショップのご感想をホームページにアップしましたので、参考になさってみて下さい。

さて。自分と向き合うという作業には、忍耐と寛容さがとても大切なのですが、それは小さな子供に向き合い、育てていくのときっと同じなんじゃないかと思います。

私は今世では子育ての経験はありませんが、子供は大人の理屈なんて全く通用しませんし、周囲の大人たちの対応がまずければ、正直にその結果が出てきます。口先だけの約束や嘘なんかも敏感に見抜きます。そういうところは、内なる気持ちのカケラ君たちもまったく一緒です。

自分が逃げ腰だったり上の空だったりしていれば、カケラ君たちにはしっかり見抜かれてしまいます。どうやっても誤魔化しようはありません。だからこそ、本当に真摯で誠実に直面しなければ信頼関係は築けません。

そういう存在に向き合うと、自分自身の実力のほどが嫌というほど突き付けられます。クリアな鏡を見るように、時に無様で理想とは程遠い自分の姿がはっきりと見えてしまい、それでショックを受けることもあるでしょう。

自分はもうちょっとマシだと思ってたのに、こんなに実力がなく不誠実で、ズルくて嫌な人間だったんだ、と幻滅しまうのですね。自分と向き合うことが辛いという理由の一つは、こうした在りのままの自分を見てしまう辛さなのです。

それでも、今の自分の在るがままを見ることができなければ、その先はありません。理想とは程遠い自分をしっかりと受け止めたところから、その先に進む道が開けてくるからです。

無様な自分を認め、受け止め、抱きしめることができるのかどうか。それをする意思があるのかどうかがその次に問われます。

徹底的に無様な自分の側面を拒絶し、排除することで成長しようとすると、人生は自身が拒絶したものをこれでもかというほど差し出してきます。成長は、至らない自分を拒絶するのではなく、抱きしめ愛することで達成されるのですが、多くの人はこれとは反対のことをやって、余計にもがき苦しい状態にはまっています。

受け止め難い側面と向き合い、それを自身の中に統合させていくプロセスには、逃げ出したいような苦しさの中で、忍耐強く自分自身の中心を捉え続ける意識操作が要求されます。

それだけでもかなりのスキルだと思いますが、それを実現するには「慈愛」が不可欠です。頭だけでこれをすれば解放されて楽になる、苦しい状況とはさっさとおさらばしたい、と思いながらするワークでは、癒しも統合も起こらないでしょう。

これまでにこの部分については何度も繰り返しお伝えしてきていますが、「消えてなくなれ」と思いながら、自身の様々な側面を愛することはできません。

自分自身に切り捨てられ、無いことにされ、存在を抹殺され続けてきたその側面に対して、再び「消えろ」と接することがそれを癒すでしょうか?

そのような接し方は、その感情のカケラ君たちをさらに深く傷つけ、絶望の淵に落とすことにならないでしょうか。もし自分が彼らの立場であったら、どれほど悲しみ、また怒りを抱くでしょうか。

ここが本当に分かっていないと、いかに自分や他者に向き合うかということの本質を理解し、それを実践することはできないでしょう。

そもそも、そうすることの必然性さえ、感じられないと思います。

なぜあまり好ましく思えない感情や自身の側面を否定せずに受け止めることが大切なのか。抑圧し続けることがどんな結果を生み続けるのか。

他者からされた辛い仕打ちを振り返ってみて、あれを自分が自身に対してやってるのだと気づけば、それ以上に説明の必要もないでしょう。

本気で自分や他者に向き合おうとしたら、自身の内に様々な感情が浮上するのは当然です。それらをじっと受け止めつつ、相手に対峙することになりますが、それはしばしば苦しい状態だったりします。そこに踏みとどまるだけの忍耐力は、養う必要があるでしょう。

ここでよく混同されるのが、忍耐とは自分を押し殺すことだと思っている方がしばしばあるのですが、これは私が言う忍耐ではありません。ただの抑圧でしょう。

そうではなく、在るがままにその感情のエネルギーを呼吸とともに自分の身体で感じながら生きて在る状態に踏みとどまることを指します。寛容さは、この状態でさらに相手と対峙し、相手の気持ち等の背景を汲み取って受け止めるときに表れる性質です。

忍耐も寛容さも、どちらも在り方を通して体現するものです。今週は、これらの質に意識を向けて過ごしてみましょう。

というわけで今週のテーマはこちら。

自身の受け入れ難い側面に忍耐と寛容さをもって接するよう最高最善に働きかける

参加される方は、「無料遠隔ヒーリングの受け方」ご覧になり、 ご理解のうえ5月24日(水)17:00までにメールまたはメールフォームにてお申し込み下さい。 同日20:00より順次働きかけを行っていきます。

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執着を手放すことへの考察

5月27日の感情解放ワークショップですが、満席となりましたので募集を締め切ります。次回のワークショップは6月3日となります。ご検討中の方はお早目のお申込みください。お申込みはこちらからどうぞ。

さて。ある方とのメールのやり取りの中で、「幸せへの執着を手放すこと」という話が出ました。よく、スピリチュアルの世界でも「執着を手放す」ってあちこちで言われますよね。

けれど、そう言われて「はいそうですか。手放しました」とはなかなかならないのが人間のさが。分かってはいるけれど、無理やりやろうとすると諦めになってしまったり抑圧だったり、どうしたら本当に執着を手放せるのか、途方に暮れるというのが私たちの常ではないでしょうか。

執着するという状態をよく見ていくと、そこには必ず「現状の否定」があるような気がします。「これは嫌だ。もっと別のが良い」と、目の前のものを拒絶して違うものを求めてやまない状態が、執着と言われるものでしょう。

たとえ自身の手の内に、既に執着する対象があったとしても、「執着」している限りは、それを在るがままには受け取っていません。

なぜなら、そのものはただ「今ここに在る」というだけですが、私たちがそれに執着するときは、「今」だけじゃなくて「これからもずっと私の手の内に在ってほしい」という願望が貼りついています。

その願望が、私たちの意識を微妙に「今ここ」に居ることから遠ざけ、「ここではなくもっと別の何か」というマインドの幻想に飲み込んでしまうのです。この結果、私たちはただ目の前の「今ここ」に在るだけの「それ」すらも失っていることになります。

私たちが「これじゃ嫌だ」と言う時、私たちの心は現状と理想との間で引き裂かれます。とても苦しい状態ですね。だからこそ、執着を手放すことが大切だと言われるのでしょうが、そうしてもまた、別の質の辛さを味わうことにはなるでしょう。

失望したくなかったのに失望したり、悲しんだり、怒ったり憎んだりといった、あまり心地の良くない感情を避けずにいることや、愛情、慈しみの感覚といった甘美な感情が入れ替わり立ち替わり表れてくることにも、心を閉ざさずオープンでいることは、なかなかのことだと思います。

起こってくる出来事のすべてを在るがままに受け止められるほど、私はまだ摩擦抵抗0とは行きませんが、本当にそれができたなら、人生ははるかに深遠な神秘の世界に私を迎え入れてくれるだろうという感覚はあります。

それなのに、息を止めてぐっとそれに抵抗している自分が感じられます。抵抗することによって、どうにか今のバランスを保っているわけですね。

もしこのバランスを失ってしまったら、混乱し、荒れ狂う感情の中でとても消耗してしまう気がしました。これを避けるために抵抗しているのです。

そこでワークの定石を踏んで、荒れ狂う感情の中で消耗しきってしまう辛い感覚をしっかり捉え、これを受け止めてみました。

最初は少々しんどかったですが、自分の中に湧き起こるものを起こるように起こさせて通過させていくと、抵抗して踏ん張らなくてもちゃんと自身を支えられている自分がいました。別段、我を見失っているというようなこともなく、全く問題ありませんでした。

何度かこれを繰り返したところ、かなり抵抗は和らいでいきましたが、完全に抵抗が消えることはありませんでした。

多分、これは抵抗を完全に消すことが重要なのではなく、「抵抗をなくしたいという執着」に気づくことの方が大切なのではないかという気がしました。

無意識に抵抗している状態から、抵抗していることに意識的に気づいている。抵抗せずにはいられない在るがままの自分とともに居よう。そんな風に思いました。

そのことが、最近どう努力しても報われないあることについてもリンクして、もう少しこのことについて、考察してみたいと思いました。

人は様々に努力を重ねるものですが、実際のところ、全ての人の、全ての努力が報われるわけではありません。理想を言えば、必ず努力は何らかの形で報われるものだと言いたいのですが、厳密に見て、そうではないだろうというのが実感です。

才能のない人はどんなに頑張ってもウサイン・ボルトのように走れるわけではないし、ピカソや北斎のような絵が描けるようになるわけでもないでしょう。

努力をすれば報われるのであれば、世の中に夢を抱いて頑張っているすべての人は、必ず自らが望むようになっているはずです。

そうではない状況の中でそれぞれもがいている人の魂が何を得ているのか、私自身も含めて、じっと意識を澄ませて聞いていきたいと思います。

 

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受け入れ難いものを直視する勇気と愛

5月27日(土)のワークショップですが、残席1となりましたので、ご検討中の方はお早めにお申込みください。お申込みはこちらからどうぞ。

さて。日々自分に向かうことをしていると、ワークでとても深いものを解放できて「すっきりした~!」と実感を持てる時もあれば、何だかもやもやしたまま、ちっとも進んだ実感が持てない時もあると思います。けれどどんな状態であれ、どうぞ頑張っている自分を認め、労い、褒めてあげてください。

私自身、なかなかこういうことができなかったので、人に対しても自分に対するのと同じように、厳しく評価していた時もありました。まだ完全にその傾向が抜けたわけではないですが、それでも以前よりは大分マシになっているのではないかと思っています。

理想とは程遠い状態であったとしても、その中で私たちはもがきながら、必死で生きていると思います。そんなに頑張ってないし、と思う方も、ただ自身でその頑張りを認めていないから、頑張っていないと思っているだけなのかもしれません。

自分の努力を自分で受け止めてあげられないと、鏡の法則を通して、「私がどんなに頑張っても、決して認めてもらえない」という現実を引き寄せてくることになります。心当たりがありますか?

頑張っても認めてもらえないという経験をしたとき、あなたはどんな気持ちだったでしょうか?そして、本当はどんな風に接して欲しかったですか?

自分が接して欲しかったように、自身に対してそれをしてあげましょう。そうすることで、あなたがかつて味わった辛い気持ちが優しく癒えていきます。

周囲の人の厳しく冷たい態度は、あなた自身が自分への態度を改めることによって、本当に変わっていきます。なぜなら、周囲の人はただの「鏡」だからです。あなたが変われば、映った鏡の像も変わるのは道理です。

常に自分を「愛しい大切な存在」として接してあげることは、あなたの生きる世界をとても温かく、平和で愛に満ちたものにしていきます。

世の中を平和にしていきたいのなら、まずは隣人を愛する前に自分を愛することです。本当に自分を愛することができたら、他の人も自分と同じように深く愛せるでしょう。

誰かを愛せないと思うとき、その人の中に見ている嫌悪している要素がまさにあなたの中にあり、あなたはそれを拒絶しているということを意味します。

たとえば、誰かの中に「あさましさ」を感じていてそれが大嫌いだとすると、あなたの中にまったくそれと同じ「あさましさ」が存在していて、あなたはそれを分離・隔離して拒絶しているということになります。

自分の中にあれがあるのかと思うとげんなりするという方もあるでしょうが、見せて気づきをもたらしてくれた相手に感謝しつつ、じっとその醜い要素を見つめてみてください。

気分が悪くなって辛いかもしれませんが、じ~~~~っとそれを見つめていくと、あるときパッと気づきがやってきます。「あれ、これって私のことだ」と、理屈でないところで「分かる」んですね。

その気づきがやって来ると、相手への嫌悪はその瞬間に全く消えてなくなります。

けれど、どうしてもあれが自分だと認めたくないというケースもあり、そうなるとどれだけ見つめていても、「あれはあの人のことで、私は絶対にそんなことはしない」という視点に固定されてしまって、気づきはやって来ません。

そして、嫌いな人を見るたびにイライラムカムカしながら、苦しみを引きずることになるのです。

嫌悪していたものがまさに自分だったと気づくことほど、私たちに大きな変容を与えることはありません。世界は大きくその意味合いを変え、あなたはより大きく深い認識の枠組みにシフトしていきます。

だから、受け入れ難いものが人生に現れてきたときは、大きな成長の前触れだと思っていてください。それは成長と変容のための、重要なカギなのです。決して「あっち行け~!」と放り投げてはいけませんよ。(^^)

しかとカギを拾い、次へとつながる扉の前に立つのです。真っ直ぐに、自身と深く対話しなければ、扉の前に立つことすらままならないでしょう。けれどもし立てたとしたら、それだけでもあなたはぐっと成長しています。

今現在、自分が弱虫だったとしても、何ら問題はありません。その弱虫の自分を在るがままに見て、寄り添って在ることができるなら、あなたはもう既に弱虫ではないのです。

本当に強いということは、ただ様々なものをねじ伏せる力が強いということではありません。受け入れ難いものを直視する勇気と、そのことで生じたあらゆる苦しみを受け止める深い愛こそが、真に強いということではないでしょうか。

真の強者は、愛と勇気の勇者なのです。

耳触りの良い概念で終わるのではなく、実践し、体現して在りましょう。

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喜びを抑圧した理由

感情解放のワークを続けて自身に向き合っていると、想像もしないようなものが出てくることがよくあります。先日もふとしたきっかけから、「ひょっとして、私は喜びの感情を抑圧してるかも?」ということに気づいてしまいました。

ネガティブな感情を抑圧するのはよく見かけますが、喜びなどのポジティブな感情を抑圧することも、理屈から言えばないわけではありません。

以前から私は喜びの感情がほとんどなく、穏やかな気持ちでいることはあるものの、それ以上にポジティブな気持ちになることがありませんでした。

これまで、かなりいろいろワークしたりヒーリングを受けてきてもこの状態なので、まぁそういうものかと落ち着いてしまっていたのですが、先日、とてもポジティブな感覚になっている友人たちに囲まれて、ある種の恐れを感じている自分に気づきました。

その時私は、確かに「恐い!」と思っていましたし、逃げ出したいような気持ちもどこかにあったと思います。それでようやく、私は喜びを抑圧しているのだと気づいたのです。

なぜそんなことをしているのか、世の中の人たちは喜びを感じたくて色々行動しているのに、と自分でも不思議でしたが、喜びを恐れる気持ちを辿って行くと、すぐにその理由が見えてきました。

魂の旅路のどこかで、私は喜びの絶頂で絶望の恐怖を味わったことがあったようで、私の中には「喜びは暴力だ」という思いがしっかり入ってしまっています。

だから深い喜びを感じるとき、いきなり絶望の淵に突き落とされた痛みの記憶がトリガーされ、恐れでガチッと固まってしまうのです。

身体の中には、喜びの絶頂で絶望を味わった衝撃がまだそのままそっくり残っていて、まるでドラキュラのように胸を杭で打ち抜かれたような感覚がありました。そしてそこから命が漏れ出すように、力が抜けていきます。

そうした感覚をしっかり身体で捉えながら、いつものごとく命のエネルギーを呼吸によって送って行きましたが、受け止めながら、こんなものがあったら素直に喜びを感じられないのも道理だ、と納得していました。

杭が突き刺さっているような喜びの感覚を辿ってみると、あるところまで行くとそこから先は進むのが辛いというか、思い出すのも辛いというような感覚になりました。

ただ、フォーカスをブラさないようにして命を送り続けていくと、少しずつ弛んでいく感覚はあったので、少しずつ丁寧に進めていきました。

これがあるが故に、私の中では「幸せ」というのは当然与えられる権利とはどうしても感じられず、逆に、当然私には無いものという前提で、自分で何とかしなければいけないというスタンスになっていました。

幸せがまさに実現するというその瞬間を、ひどく無残なやり方でつぶされてしまったので、「私には最初から幸せは与えられていないのだ」と思ってしまったのです。そこで、その思考の直前に生じていたはずの気持ちまで戻って、これを捉え、受け止めてみました。

ワークの大切なポイントとして、思考と感情の区別がつくということが重要なのですが、思考の直前には大抵、何らかの感情が浮上していることが多いです。なので思考が浮上した時は、その直前の感情を捉え、これを解放していくことで思い込みの思考自体が外れていきます。

「私に幸せは与えられていない」という思考の前には、身体の中心軸をズンと突き抜けるような衝撃と脱力感、失望と悲しみなどがありました。これをゆっくり受け止めていったわけですが、身体の中心軸から、様々なバイブレーションのエネルギーが段階的に抜けていくのを興味深く眺めていました。

長く人間をやっていると、色々なものを抱え込むものですね。そうして抱え込んだものをひとつひとつ手放して元の身軽な身になっていくのは、まさに祝福のプロセスのように感じます。

なぜそう感じるのか分からないのですが、お祝いの感じなのです。

ポジティブな感情の抑圧も、ネガティブな感情の抑圧と同じくらい深い学びをはらんでいます。今回取り組んだ喜びの感覚の抑圧は、絶望の感情とガッチリ絡み合ってしまっていたため、気づきにくかったり解放が複雑になってしまっていましたが、丁寧に読み解き、ほぐして行けばちゃんと道筋はついて行きます。

そこそこのボリュームがありそうな感じなので、少しずつ取り組んでいきたいと思います。

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恐れの感情を受け入れる

昨日は感情解放ワークショップでした。お集まりくださったみなさま、ありがとうございます。昨日は常連のメンバーでしたので、いつものように最近取り組み中の気になる出来事、テーマなどから、取り組みのポイントを解説していくことから始めました。

そして新たに、日頃ご自身がどんなスタンスでテーマに向き合っているかに気づいていただくために、一人一人が意識を向けているときの様子を皆さんに確認して見ていただきながら、解説しました。

テーマに意識を向けたとき、意識があらぬ方向を向いて「う~ん」と思考で考えながら、「向き合っているつもり」になっていないか。意識の方向は何とか正しく向いているけれど、フォーカスのピントが合っていないとか、テーマに向き合った途端に固まっているなどの様子を確認していきました。

自分でやっている最中はなかなか気づくことは無いかと思いますが、他の人の様子を見ていくと、明らかに固まっているとか、核心に踏み込んだ途端にフォーカスが飛んでしまっているとか、核心に触れていくことに対して、本当にコミットメントできているのかどうかなど、良く分かるものです。

表層意識では、そこに向き合うのだと思っていても、潜在意識レベルではそこに近づきたくない。恐い。そんなものに触れてしまったら気が狂ってしまう。自分が自分でなくなってしまうなどと思っていたりします。

表層意識の部分は認識できても、潜在意識に沈んれいるこうした思いはなかなか認識できないので、自分がどれだけ恐れているのかを表層意識レベルに引き上げて認識し、認め、受け止めていくというプロセスがとても大切です。

特にコミットメントの部分は、こうした作業がどれだけできているかによって、ワークの深さが全く違ってきます。表層意識だけだと口先の決意なので、その状態で痛みの核心に近づいて行くと、すぐにブレブレになって意識が散漫になり、ワークが頓挫してしまいます。

自分がどれだけ痛みに触れることを恐れているのか、本当にそれを知っている人ほど、痛みの核心に触れることができますし、ワークも進んでいきます。「恐れること」を恐れる必要が無いことや、自分がちゃんとそれに対処できることを、身をもって知っているからです。

自身の恐れを否定する人ほど、自分の中に恐れがあることを恐がっています。その人にとって、恐れは手に負えないものであり、自身の人生を狂わせる、制御不能なものになっているからです。

実際のところ、本当に恐れをしっかりと見たならば、決してそれは手に負えないものではありません。手に負えないのだとすれば、ちゃんと恐れの正体を見ることができていないのです。

だからこそ、「本当のところ、自分は何を恐れているのか」を見ることが大切なのです。

たとえば、よく「真実を認めてしまったら、自分が自分でなくなってしまう」とか「気が狂ってしまう」「崩れ落ちてしまう」などと恐れる人があります。

では、「自分が自分でなくなってしまう」とか「気が狂う」「崩れ落ちる」という状態は、身体で感じると、一体どんな感じがするものなのでしょうか。

ショックで固まっている感じとか、何かが自分の中で崩壊していくそうした「具体的な感覚」を捉えるようにします。あなたが恐れているものの正体は、実はこの感覚なのです。

それは決して居心地の良い感覚ではないでしょうか、実際それを捉えてみたときに、あなたは「自分でないもの」になっているでしょうか。気が狂ったり、崩れ落ちているでしょうか?

多分していないと思います。これらの感覚を捉えているあなたは依然としてあなた自身であり、あなた以外の何者にもなっていないでしょう。また、その状態を観察しているあなたの意識は決して狂っていませんし、崩壊もしていないでしょう。

ただ、そのような感覚を観察し続けている意識であり続けています。この意識に留まっていてください。

そして、そこから自分の中で浮上し、展開しているあらゆる感情や感覚が、自身を通過していくのを見届けるのです。起こることを起こるように起こさせる、というのは、この状態で在る時に可能になります。

ゆっくり、深く命の呼吸をしながら、自身の心の奥底に凍り付いた恐怖に命のエネルギーを送ってあげると、だんだんと恐怖は弛んでいきます。

こうして、痛みの感情に触れる恐怖が融けていくと、核心の痛みに向き合ったとき、よりそれに深く触れていくことができるようになっています。

恐れの感情は、消し去ろうとするのではなく、その存在を認め、受け入れることでそれ自らが癒えていきます。どうぞご自身に無理のないペースで、恐れの感情に向き合ってみてください。

 

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