悲しみの解放

先日は先生への不信感や絶望感、できないということについてワークしましたが、この日はその続きをやってみました。けれど、胸の奥に残っている違和感にフォーカスしていつものように掘り下げていこうとしたのですが、ありとあらゆることをしても、ガッチリと固まってしまい、どうにも身動きが取れなくなってしまいました。

どれだけ「受け止める」ことをコミットメントしても、カケラ君の中に入って気付きを得ようとしても、また対話しようとしてもダメでした。

気持ちの悪い体感覚を抱えたまま、困ったなぁと途方に暮れていると、ふと「聖者に祈ってみよう」と思いました。帰依しているわけではないのですが、毎晩礼拝している聖者がいるので、その方に助けていただこうと思ったのです。

心の中で呼びかけサポートを願うと、その瞬間から、胸の奥にしまわれていた深い悲しみが溢れてきました。本当に速効で変化が現れたので、自分でもびっくりしました。

何らかの信仰がある方は、ワークの中でこんな風にサポートしていただくと、思わぬ恩寵を受け取るかもしれません。

なぜこんなにも深い悲しみが湧き出てくるのか、ストーリーは相変わらずさっぱりわかりませんでしたが、今まで感じたことのない程、身体の奥深くから、はらわたや胸を引きちぎるかと思うくらいのエネルギーでした。

それはまるで、お腹の中で育ち過ぎた子供を出産するかの如く、私の中では大きすぎて、なかなか出てくることのできない悲しみの様でした。

このときも、大きな感情を受け止めるときによくやる方法で、少しずつ出てきてもらうように感情のカケラ君に呼び掛けるということもしたのですが、それでも思うようにいきませんでした。

けれど不思議だったのは、こんなにも大きなものが引っかかっているというのに、私のハートチャクラ周辺の感覚はこれまでにないくらいす~っと通った感じがしているのです。今までやってきた積み重ねで、大きな悲しみのエネルギーの手前までは、きれいになっているようです。

そんなことにも感心しながら、その奥で引っかかっている悲しみに手こずっていました。

ふと、「私はなぜこれほどの悲しみがなぜ起こったのか、思い出せないのだろう?」と思いました。そしてすぐに、「あぁ、忘れたかったのだ」と思い至りました。あまりに悲し過ぎたので、私が自分で神様にお願いしたのでした。「どうぞこの悲しみを忘れさせてください」と。

そこまで思い出したので、私は自分でかけた封印を解く手がかりを得ました。「神様、もう私はこの悲しみを生きても大丈夫です。どうぞ思い出させてください」と。

しばらくは、ただただ悲しい気持ちだけがじわじわと出てきていましたが、しばらくして、「夫」の感覚が浮上してきました。この感覚、私にとっては思いもかけないもので、頭ではできても、全くイメージすらできない感覚だったのです。

今世では、私は結婚したこともないのでもちろん「夫」と呼べるような人はいませんが、概念としては知っていても、どうやっても私の中には定着しない感覚と言ったらいいでしょうか。

それが突然出てきたので、自分でも驚くとともに、納得するののがありました。

感覚の中で浮上したその「夫」は、とても仲睦まじい夫婦だったようです。ある程度の年月を暮らし、多分50代位で亡くなっています。

これまで私が見てきた恋愛や夫婦の過去世は、あまりハッピーエンドではないものばかりで、結ばれない恋とか、結婚はしても政略結婚で家庭内別居とか、恋愛結婚で結ばれても結婚の数日後に相手が亡くなってしまうとかばかりでした。

なので、「夫婦」という感覚が、私の中にはまるでないのですね。

それも、この仲の良かった「夫」の死への悲しみが、そうした人生を重ねた一つの大きな要因だったのだと思うと、とても腑に落ちるものがありました。

ある程度悲しみを受け止めたところで、まだ残っているというのに解放が滞ってきました。なぜだろうと見てみると、私自身が全ての悲しみを解放してしまうことを拒絶していました。

なぜなら、この悲しみをすべて無くしてしまったら、楽しかった夫との思い出もすべて消えてしまう、自分の中から彼の存材がなくなってしまう、と思っていたようです。

解放のワークではよくあるパターンの一つです。悲しみを通して、大切な人とつながっていたかったのですね。

悲しみを解放しても、大切な人との思い出が消えるわけではなく、ただその関係性が変化するだけです。そこを確認し、そして自分でどうしたいのかを決めれば、解放をその先に進めることができます。

これまでは、「夫」の死自体を受け入れていませんでしたが、今では受け入れている感覚になっています。そして、悲しみは大分落ち着いてきました。すると今度は別の感情が微妙に浮上してきたようです。

置いて行かれてしまった淋しさや心細さなどが、悲しみほど激しいものではありませんが、やっと感じられるようになってきました。

この日はタイムオーバーになってしまったので、感情のカケラ君たちに「また迎えに来るね」と声をかけてワークを終了しました。

先生への不信感や絶望感から入っているのに、全く違ったものが出てきましたが、ワークは「差し出されたものを順番に受け取っていく」のが基本なので、やっていく内にどこかでつながって来るのでしょう。

また、ぼちぼちやっていきます。

 

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「できないでいる選択」の奥にある痛みの記憶

もう何年も前になりますが、あるリーディングセッションで色々なメッセージをお伝えしていた時に、何をお伝えしてもなかなかその方の心に伝わらない感じがしていました。そしてセッションの最後に、その方から「私、人から言われたことを聞かないたちなんですよね」と言われました。

その時はさすがに、「メッセージが欲しくていらしているのだろうに、一体この方は何をしに来たのだろう?」と思ったものです。何とも腑に落ちない経験でしたが、最近、まさしくあの方は自分だったのだなぁと腑に落ちることがありました。

去年の秋からある勉強を始めているのですが、どうも先生との相性が合わないようで、最近は戸惑いの気持ちが大きくなっています。

もちろん、最初はその方の言葉に「この方なら大丈夫」と思って申し込んだのですが、私のして欲しいようなサポートの仕方をしない方針の先生だったようで、受ける側のスタンスの方向転換を迫られています。

先生に対する戸惑いや違和感、失望の気持ちなどをじっと感じて行くと、先生の言葉を受け入れることに対する強烈な抵抗と、先生への不信感が浮上してきました。かなりそのエネルギーが強かったので、こんなものを持っていたら、確かに先生の言葉は受け入れられないだろうと自分でも納得です。

感情に巻き込まれてしまうと、先生への批判の言葉やこんな勉強を始めてしまった後悔の思いなどがぐるぐると際限なく走ってしまうので、しっかりと感情の体感覚にフォーカスします。

先生はただのトリガー、きっかけであり、方針の違いはあれど、先生に問題があるわけではありません。この辺りを混同しないように注意深く意識します。

先生に対する不信感と失望を感じていたら、ふと、私はこのパターンを幾度も繰り返していることに思い至りました。人生最大の師と仰ぐレナードにしても、その教えの素晴らしさは疑うことは無いものの、どうしても彼に対する失望感が消えることがありません。

また、幼少期の習い事の先生や学校の先生もことごとく信頼できなかったので、結局あまり良い状態ではなく、先生のもとを離れています。

先生は一生懸命教えてくださったと思うのですが、今改めて振り返ってみれば、私の側が、とてもその教えを受け入れる状態に無かったのだと思います。

何かを学ぶとき、私の中でよく浮上するのが「できない」という思いと、それをサポートしてもらえない失望感、孤独感、絶望です。

実際、先生がどんなに教えても、私にはそれがどうやってもできませんでした。そして、あからさまにそれを批難したり、蔑んで切り捨てるような先生もいました。

レナードの教えを学んできた中でもこのパターンは再現されて、彼は実に強烈に私の中の絶望をトリガーしてくれました。

先生に私の状況を受け止めてもらえず、サポートもしてもらえないので、諦めて結局は自分で何とかするしかない、という方向に流れるわけなのですが、このことで私には先生への拭い難い恨みと不信感が育って行きました。

そんな気持ちがあるので、当然先生が何か言ってきても、「何言ってるのこの人、私がどれだけ困っていても、助けてくれないくせに、要求だけはしてくる」という風に受け取るようになってしまいます。

私がそんな状態なので、先生もますます私のことを疎ましく感じるという悪循環が、こうして進んでいきます。

それにしても、今回の先生は実にうまい具合に私の無意識に沈んでいた思いを浮上させてくれています。レナードの時はショックが強烈すぎて、絶望と悲しみが大部分でしたが、今回は微妙なニュアンスの感情も分かりやすく浮上しています。

人生は、本当に丁度いい感じに様々な出会いをセッティングしてくれるものですね。

まぁそういう分析はさておき、胸の奥でガッチリとへばりついてうんともすんとも言わない感情の封印を感じて行きました。すると、聞こえてくるのはひたすら「できないできないできない」と繰り返す言葉ばかりで、一体何ができないのか、さっぱりわかりませんでした。

できないでいるのは、ある意味「できないでいることを自分で選んでいる」わけなので、もしそれができるようになってしまったとしたら、どうなるだろうか?と問うてみました。そこで湧き上がってきたのが失望でした。できるようになったのに、失望とは一体どうしたことでしょう?

さらに掘り下げていくと、何かができるようになると、苦しみと悲しみの中でそれをし続けなければいけないという感覚がやってきました。どれだけ意識を凝らしてみても、ただただ辛さが感じられ、それが嫌だったのだという感覚がするだけで具体的なものはさっぱり見えてきませんでした。

ただ、できるようになるほどに、悲しみが増す何かしらの体験が、自分の中に在るのだということは分かりました。

これが解放できたら、今滞っている学びや師との関係など、あらゆる部分が大きく変化していきそうです。レナードのリトリートまであと1か月ほど。その前に、少しでも進めていければと思うので、ぼちぼちやっていくことにします。

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自分の気持ちのカケラとケンカしてしまうとき

感情解放ワークをされている方の中で、自分の気持ちのカケラ君とケンカしてしまうというケースを見かけることがあります。こじれてしまうと自身と和解していくはずのワークが、却って溝を深めることになってしまいますので、そうならないようにポイントを見ていくことにしましょう。

感情解放のワークでは、自身の内に湧き上がってきた感情に気づいたら、それが身体のどこに一番強く感じるかをまず特定します。これが第一ステップでしたね。

体感覚のあるところに、感情のエネルギー、つまり気持ちのカケラ君がいるというわけなのですが、これに命のエネルギーを送ってあげたり、対話したりしてカケラ君が本当にして欲しいことを満たしていくことで、解放と癒しに導いてあげます。

ですので、どれだけ誠実にカケラ君の声を聞き、それに応えられるかがワークの成否を握ることになります。

ところが、私たちは長いことこの感情のカケラ君を隔離し、封印してきたのでなかなか彼らと対話することが上手くできなかったりするんですね。

さっぱり声が聞こえないので、「こちらは誠実に聞こうとしているのに、カケラたちと来たら何も話そうとしない。黙りこくって、私を無視しているみたいだ」とか思ってしまうのです。

けれど、基本的に彼らが何も言ってこないはずはないのです。苦しいところに何十年、何百年も閉じ込められてきていて、一刻も早く助けてほしいと、声を上げ続けてきたのが彼らなのですから。

ではなぜ彼らの声が聞こえないのでしょう?それは、彼らの声を受け止めようとする私たちの側の準備ができていないからです。ほぼ100%、間違いなく私たちの側の問題です。

このように言うと、「どうして?こんなに聞こうとしているのに私が悪いの?」と不愉快な気持ちになる方もあるかもしれません。(ここで、自分の中にまた新たな感情が浮上してきているのに気づいているでしょうか?これについては後で解説します)

自分では聞く気マンマンのつもりでいても、チェックしてみると、実際には尻込みしていたり、あらぬ方に意識が飛んでいたりしているということがほとんどです。

そのチェックのやり方ですが、カケラ君の側に意識を移動させ、その視点から、カケラ君に向き合おうとしている自分を見る、ということをします。

すると、カケラ君から見て、自分はまるで声が届かないはるか遠くで恐る恐る様子を窺っているとか、目を合わせようとしていない、話しかけても聞いているのか居ないのか、親身に受け止めてもらえる感じがしないなど、自分の側から見たのでは気づかなかった自身の真実の姿が、実に良く見えるのです。

カケラ君たちは、私たちが気づきたくなかった言葉、知りたくなかった真実を私たちに受け取って欲しがっています。けれど私たちは、しばしばそれをとても恐れています。

そんなものを受け取ってしまったら気が狂ってしまう、とても耐えられない、潰れてしまうと信じているので、無意識の内にも蓋をして、逃げていたい、聞きたくないわけです。

聞きたくないから聞こえないというのが、この状況の真相です。

ワークでは、聞いてしまったら訪れるであろう状況の痛みを受け止めることで、恐れを解き、聞こえるスタンスに調整していきますが、ここが整えば、必ず聞こえるようになります。カケラ君の問題なのではなく、自分自身の問題なのですね。

それから、またこんなケースもあります。

カケラ君の声を聞き、応えなければならないというところで、「私だって辛いのに、どうして私を苦しめているこんなヤツの要望を聞かなければいけないのか」と、やりきれなさを感じて「絶対に嫌」となってしまうケースです。

これは、感情のカケラ君に向き合うことで、さらにトリガーされた感情に飲み込まれた状態になっています。

ちょっとわかりにくいかもしれませんが、感情がトリガーされるのは何も外側の出来事に限ったことではなく、自分に向き合っていること自体でトリガーされることもあるのです。

先に上げた例で、感情のカケラの声を聞く時に浮上する恐れなどはその代表的なものです。

カケラ君の声を聞き応えていく場面で、この人の心の中には「やりきれなさ」が浮上しています。このことに気づかずにどっぷりとそれに飲み込まれ、感情を受け止める主体のポジションを失って、対象であるはずの感情と一緒くたになってしまっています。

そしてそのまま外の人とケンカするように、統合していくはずのカケラ君とケンカし、溝を深めているのです。

このような状況では、やはり浮上している感情にいかに気づき、対象を見て主体の意識のポジションを維持できるかがカギになります。

つまり、苦しい状況の中でさらに自分に責任を負わされ、私は誰にも助けてもらえないというストーリーの中で生じる怒りや悲しみ、絶望、やりきれなさを受け止めていくわけです。

ワークでは、常に自身の内に浮上しているものに気づけるような意識の使い方を訓練していくと、どっぷりとストーリーに足元からすくわれるということがなくなっていきます。

パターンもありますから、頭に入れておくと、気付きが早くなるかもしれません。参考までに。

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どんなときでも幸せでいる決意

昨日は感情解放ワークショップでした。お集まりくださったみなさま、ありがとうございます。初めての方、継続してご参加の方、入り混じってのクラスでしたが、それぞれ、新たな気づきと発見、解放や癒しがあったことと思います。

ワークは深く自分に向き合うものなので、自身の想像を絶する様々な側面を見せられることが常です。その度に、私たちは自身の在り方を問われます。

都合のいい側面だけを愛し誇るけれど、惨めで醜い側面は徹底的に拒絶し抹殺するという在り方は、自分の首を絞めるようなものであり、却って拒絶している側面を繰り返し思い知らされるような出来事を引き寄せてしまいます。

そして何より、拒絶されたあなたの気持ちのカケラはとても淋しく、「見捨てられた」と絶望するでしょう。そのあなたのカケラに対する扱い方が、そっくりそのまま、他者があなたにする扱いになって返ってきます。

つまり、相手にとって都合のいい側面だけ愛してもらえるけれど、相手の気に食わない「私」は、徹底的に拒絶、否定されるという扱いです。

あなたはどこかで誰かから、このような扱いを受けたことが無かったでしょうか。そしてあなたはそのことにとても傷つき、悲しまなかったでしょうか。

その人がやったのと同じことを、あなたは自分に対してしているわけです。深くこのことを受け止め、自身の在り方を転換させていくことができたら、あなたは二度とこうした扱いを受けなくなっていきます。

人を憎んだり、嫉妬する自分、孤独で惨めな自分、怒り狂って何をしでかすか分からない自分、人を平気で騙し、陥れ、自分さえ良ければいいという傲慢で冷酷な自分、ひどく傷つき、絶望の淵で死んだように漂っているだけの自分。

或いは、生きる喜びを全身で表現している自分、深い愛を恐れなく表現し、周囲を慈愛で包み込む自分、勇者のような勇敢さを持った凛々しい自分、優れた能力で皆を導くリーダーの様な自分など。

多分私たちは、無数の人生を繰り返す中で、このどれもを体験しているのだろうと思います。珍しいことでも、特別なことでもなく、今の自分に表立って表れていないだけで、「私」という存在のどこか奥深くに仕舞われている自分が確かに居るのだと思います。

できることなら、後者の部類の自分でありたいと多くの人は願うでしょうが、実は前者を拒絶して後者の自分だけになることは、多分不可能だろうと思います。

後者は、多かれ少なかれ、前者の自分を受け入れ統合できたときに本物となって表れてくる資質です。

もちろん、それが完全にできていなくても、実現できるものもあるでしょうが、前者の受け入れ難い側面を受容するほどに、実は後者の資質は深みと広がりを増し、豊かなものになっていくのです。

自分を愛するのに、右腕は好きだけれど、左腕は嫌い、という愛し方をして、それが本当に愛だと言えるのかどうか。

条件付きの愛を卒業して無条件の愛を体現するのは、相応のプロセスのあることだと私は思っています。

私が尊敬する人の中で、インドの聖者のアンマがいます。ご存知の方もあるでしょうが、アンマは抱擁することで祝福(ダルシャン)を与える聖者です。毎年来日されて、数千人の人たちを休みなく抱擁され続けています。

私は特に帰依者というわけではないのですが、一昨年の来日のときに初めてダルシャンを受けて、そのエネルギーの素晴らしさと、休みなく多くの人を抱擁され続ける明らかに人間離れしたその姿を見て、とても感銘を受けました。

そのアンマの言葉に、こんなものがあります。2015年の元旦のメッセージから引用してみます。

自分の心に力を失わせてはいけません。実のところ、他の様々な決意と全く同じように、幸せでいることも、決意なのです。それは、「行く手に何が起ころうと幸せでいる。勇敢でいる」という硬い決意です。

人は、何が起ころうと幸せで、勇敢でいることができるものだろうか、と最初にこの言葉を聞いたときに、私はとても実現できることとは思えませんでした。だから自分とは無縁なもの、と切り離して見ていました。

今改めてこの言葉に向き合って見ると、いかにしたらこのような在り方が実現できるのだろう?と考えている自分がいました。

家や家族を失い、無一文になっても幸せでいることができるだろうか。自分を殺そうとしてきた千人の兵士たちを前に、勇敢でいることができるだろうか。信じていた人からのひどい裏切りを経験しても、幸せでいられるだろうか、とあらゆる場面を想像してみました。

絶望の淵に居て幸せでいることを決意するには、絶望を抑圧しては無理なような気がします。では一体どうすれば?

今の私のビジョンでは、幸せでいる決意は、深い絶望も否定することなく、あるがままにそれを包み込むことができるというものです。

絶望に飲み込まれることなく、深く受け止めて幸せを決意できた時、絶望はその決意の中で喧嘩することなく共存し、癒されているような気がします。

聖者の決意は私たちの決意のように、容易く挫折してしまうということがありません。それは必ず実現すると言われます。

自分の決意が少しでも聖者のそれに近づくように、日々精進していきたいと思います。

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積み重ねたものの質

最近、昔は全然できなかったことが、ふと気づくといとも簡単にできるようになっている自分を発見することがよくあります。エネルギーや意識の使い方の分野で一番多いのですが、相変わらず昔のままできないこともたくさんある中で、そうした自分に出会うのはとても新鮮です。

以前の自分だったら、ブレブレの逃げ腰になって、当たり障りのないことを言って適当に誤魔化していただろうという場面でも、ブレることなくしっかり正面から受け止めてポイントを捉えられるようになっているのは、仕事の面でも大きなプラスになっています。

1つの変化は無数の領域に波及して、瞑想の質が変化したり、今まで捉えられなかった領域を読めるようになったり、扱うエネルギーの質が変化して、より深い次元まで届くようになっていったりなどなど。。。

2、3年前の自分だったらどんなに背伸びしても届かなかったことが、今は当たり前のようにできてしまっていることに自分で驚いています。

だからと言って、ここまで特別なことをして来たわけではなくて、ただただ日々差し出されるものをどうにか受け止めてコツコツ応答していくということを続けていただけなのですが、キャッチーなフレーズで飛びついた諸々のセミナーに参加するよりも、確実に自分が変容してきていることを実感しています。

やっぱり自分で積み重ねるからこそ分かること、身につくものがあるのですよね。

そういうプロセスを嫌って、手っ取り早く簡単にできる道に流れる人も多いですが、個人的には、それだけではどうしても体現できない領域のものがあると思っています。

たとえば、1000年の樹齢の大木があったとして、この樹に宿った宇宙の叡智や神々しさは、樹齢数十年の若木には到底表現できるものではないでしょう。

こう言うと、今の時代は時間自体がどんどん変質していっているから、固定的な時間の観念はもう古い、思ったら瞬時に実現していく時代なのだという向きもあるかもしれません。

けれど私は、ただ樹齢という「時間」のことを言っているのではありません。「積み重ねたものの質」について言っているのです。

漫然と同じ修行を無意識に何十年も積み重ねていればいいのかというと、そうではないでしょう。どれだけ密度濃く意識を使ってそれをしたのかで、内容は飛躍的に濃いものになります。

どんな状態にあっても、どう意識を使うかで、私たちはそこに自分が居る意味を変化させることができます。主体としての意識を挫かれそうになるときほど、実はそれを保つ集中力や技術が鍛えられる絶好の機会なのでしょう。

人生、誰しも良いときばかりを経験するわけではないですし、良ければ良いなりに、その中で学ぶものがあるわけです。人生の良い時期を有効に活かせる人は、試練の時期にしっかりと学ぶべきものを学んだ人でしょう。

学びを受け取る姿勢でいれば、腐っている暇など一秒たりとも無いのが人生なのだろうと思ったりもします。まぁ、腐る学びもあるかもしれませんけれど。

人によって、得意なこともあれば苦手なこともあります。

私は元々がネガティブ人間なので、ポジティブになろうとすると、どうもバランスを崩してしまうことが多くありました。とってもポジティブでキラキラしている方たちを見ると、どうやっても自分にはできないなぁと劣等感を抱いたものです。

けれど逆に、人間の負の側面を深く深く見ていくのはかなりしんどくてもどうにかできてしまい、私にとってはこちらの方がはるかに自然でした。そして醜悪さの極みの中から、ポジティブ思考では到底たどり着けなかった、信じられないくらいの愛に触れることもあったのです。

どんな道を行こうと、真摯に学ぶならば必ず想像を超えた素晴らしいものに出合っていくものだと思うので、自身のこの段階における学びが落ちるまで、自然に熟させていけば良いかな、と今では思っています。

無理に急ぐ必要もないし、リンゴの木をミカンの木にする必要もないのですから。

魚には魚の、鳥には鳥の、獣には獣なりの成長の仕方があります。隣を見ては、泳げることや飛べること、野を自在に駆け回れることを羨む気持ちも湧いてくることもあるでしょうが、自分だけが見つけられる宝が、この世界にはたくさんあって、発見されることを待っているのですよね。

大きく逞しいとか、息をのむほど美しいとか、誰もが感嘆する能力を持っているばかりが、そうした宝を発見するのに向いているというものでもありません。

小さくてひ弱だから、美しさとは程遠い容姿だから、どうあがいても有能にはなれなかったから、思いもかけず手に入れることになる宝もあるわけです。

これらのことをどれだけ頭で分かっていても、あるがままの自分を生きるという実践なくしては、宝には至れません。その自分を生きる生々しい感覚を、しっかり受け止めて在りましょう。

今のこの自分から逃げないで生きる中で、自身の内に何らかの力が練られて行きます。

それをするのかどうか。今、深く自身に向き合いつつ決断していきましょう。

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自身への健全な愛を育むプロセス

明日の感情解放ワークショップですが、午後のクラスは満席となりました。参加される方は、お会いできますことを楽しみにお待ちしております。次回のワークショップは3月25日(土)ですが、こちらはまだお席がございますので、興味のある方は是非どうぞ。お申込みはこちら

さて。感情解放のワークを継続して続けていらっしゃる方から、先日メールをいただいたのですが、最近は世間一般で言うマイナスの言葉に、だんだん反応しなくなってきたということでした。

これまで、ご自身の中にわだかまってきたたくさんの感情のチャージが解放されこられたので、以前はちょっとしたことでも敏感に心に痛みを感じていたものが、健康な皮膚に触れたときのように、気にならなくなっているのではないでしょうか。

私はよく、感情のチャージを「地雷」に例えてこんなお話をさせていただくことがあります。

感情のチャージがたくさんある人の心は、地雷がたくさん埋まった危険な地雷原のようなものです。一歩進んでは地雷を踏み大爆発を起こし、また一歩進んではまたあちらでも爆発を起こし、という状態です。

けれど、ワークはある種地雷の撤去作業をしているようなものなので、感情解放が進んでいくと、地雷原は安全にお散歩ができる豊かな土地に生まれ変わります。

荒れ果てた地雷原を歩く時の気持ちと、豊かな美しい土地を歩く時の気持ちは、それだけでも随分違うでしょう。

また、こんなたとえもあります。

感情のチャージがたくさんある心は、打撲や擦り傷などでボロボロになった皮膚のようなものです。ちょっとした刺激でも激痛を感じますが、健康な状態の身体であれば、多少はたかれても全然問題はないわけです。

同じ刺激でも人によって感じ方、受け取り方が違うのは、このような内面的な背景が違っているからです。

ただ在るだけでも苦しいと感じる状態の人が、長い人生を歩むのはどれほど辛いものでしょうか。苦しみに引きずられていたら、思考や感情がネガティブに傾くのも無理はないかもしれません。

けれど、だからと言ってネガティブに沈んでいくのが当たり前と決めることはありません。そのとき、自分はどう在りたいのかを、私たちは自分で決めることができます。

それをするのは、今まさにネガティブな感情が浮上してきて、耐え難い感覚に飲み込まれそうになっているそのタイミングです。

普段は意識しないでこのままずるっとネガティブな感情や感覚に飲み込まれて、あれこれ思考を走らせてグルグルとマインドを彷徨っているでしょう。

この状態を変えたいのであれば、このタイミングでぐっと踏みとどまって、マインドに巻き込まれるのではなく、浮上している、あまり心地よくない感情や感覚のエネルギーをしっかりと受け止めていくことです。

どんなことでも、取り組み始めが一番難しく感じるものですが、感情解放ワークにおいてもそれは例外ではありません。一番初めが一番辛く、難しく思えるのです。

ぐっと踏みとどまって感情を受け止めようとしても、人によってはまるで底なし沼に竿を指すように定まらず、足を取られるように感じる方もあるかもしれません。

荒れ狂う感情の嵐の中で踏みとどまるには、意識のポジションをしっかり取ることが大切なのですが、感情や感覚を「対象」として見られているかどうかがポイントになります。つまり、「観察する意識」ですね。

「観察する意識」には、ジャッジメントは一切ありません。つまり、こんな感情や感覚は早くなくなってしまえばいいのに、という思いもありませんし、これはいけない感情であり、こんなものを持っていたら自分はダメになってしまう!という思いも、「観察する意識」に属するものではありません。

こうした思いとそこに貼りついている感情は、すべて取り組みの「対象」として見るべきものになります。

この「観察する意識」(=主体)が、底なし沼のどこかに沈んでいる岩であり、そこに立てるべき竿になるわけです。

ワークの中で、「観察する意識」でいるつもりが微妙に「対象」である感情や感覚と混じり合ってしまうケースもよくあります。特にストーリーが強烈で、そこにどっぷり入っているときは、注意が必要です。

また、ワークでよくあるのが、人間目線の価値観でワークの収束までの流れにレールを敷こうと恣意的な操作をしてしまうケースなのですが、これをしてしまうと、すっきりと解放までは導かれないでしょう。

感情のチャージは、感情のカケラ君たちがして欲しいことをすべて満たしていく中で自然に解放され、癒されて行くものです。癒しは「行うもの」ではなく、それ自ら「起こっていくもの」だということを覚えていてください。

こちらが、「君はこう在るべきだよね。だからこうしてあげるよ」というのではなくて、私たちがどうすればいいのかを教えてくれるのは、カケラ君たちなのです。だからこそ、本当に彼らと対話し、コミュニケーションを取ることが不可欠です。

徹底的に対話する。このことで、自身との深い断絶の溝を埋めていくのです。だから、このプロセスは自身への健全な愛を育むプロセスと言えます。

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第333弾 無料遠隔ヒーリング

毎週月曜日は恒例の無料遠隔ヒーリングのテーマの設定日です。 第331弾のご感想と3月4日の感情解放ワークショップのご感想をホームページにアップしましたので、参考になさってみて下さい。

さて。この無料遠隔ヒーリングのナンバーも、333のゾロ目ですね。

ドランヴァロ・メルキゼデクによると、333は決断すべきことがあることを示す数字で、この決断は同じ学びを違う形で繰り返すという意味の666または学びを終えて完結したことを意味する999のいずれかに導かれるそうです。

しかも、3月20日の春分の直前にこの数字が来ていることに、とても意義深いものを感じます。この企画を始めたときは全く想像もしていませんでしたが、このタイミングになるように導いてきた何かがあるのかもしれません。

宇宙の元旦と言われるこの春分を迎える前に、私たちはそれをどのように迎えるのか、決断しなければいけないことがあるようです。

機能は満月の瞑想会だったのですが、この流れを迎える準備を促すかのように、感情体、潜在意識、カルマ、DNAのレベルまで、これまで以上にかなり深い癒しのエネルギーが流れてきました。これから私たちが迎える変革の大きさを、暗示しているかのようでもありました。

瞬間瞬間の行動を選択することで、私たちは常に自身の現実を創造し続けていますが、今回のヒーリングも、「どのように」受け取るかによってその意味合いは随分と違ってくるのだろうと思います。

みなさん各自で、今この時に、このヒーリングを受けることについて、深く思いを致してみていただけたらと思います。

で、今週はどんなテーマを設定しようかと改めて問うてみたところ、瞑想会のときにキーワードが出ていました。

このとき、参加者の1人が話の流れの中で「現実はやっぱり自分の心の持ち方次第」というようなことを、表現は大分違っていたかもしれませんが、おっしゃっていました。

実は瞑想会の直前に何となく見ていた新聞の記事で、同じ趣旨の言葉が書かれていたのに目が留まりました。

それは幕末の志士・高杉晋作の辞世の句と言われる「おもしろきこともなき世におもしろく」という上の句に、晋作を看病していた野村望東尼が「すみなすものは心なりけり」と継いだと言われるもので、記事には「心の持ち方次第である」ということが解説されていました。

参加者の方の言葉にこの記事のことが頭に浮かんだのですが、この日は一足早く、お彼岸前のお墓参りに行ってきたのですが、その道すがらに見かけたある選挙ポスターのキャッチフレーズが印象に残っていました。

あまり興味もなかったのでうろ覚えですが、暮らしているだけで楽しいと思えるような東京を作るというような文言だったような気がします。

これを見たとき、この議員さんは一体どうやってこれを実現させようとしているのか、さっぱり見えてこないな、耳触りの良い言葉を並べて、実際のところ何をしようとしているのだろう?と思いました。

人が何を楽しいと思うのか、その人の背景や感受性、抱えている感情のチャージなどによって、外的条件がどのようなものかに関わらず、大きく違ってくるのは明らかです。人に「楽しいと感じさせる」というのは、なかなかに至難の業なのではないか?と思ったのです。

「楽しいと感じさせる街」というなら、まだ「暮らしやすい、住み良い街」の方が分かりやすいような気がします。

「楽しいと感じる」ことを考えるならば、どうじても「自身の在り方をいかにするのか?」という命題を避けて通ることはできません。当然のことながら、これは人に決めてもらうものではないので、先のキャッチフレーズにどうしても違和感を感じてしまうのです。

今、自身が生きるこの現実は、まぎれもなくこれまで無数に繰り返してきた選択の結果です。これをいかに受け止めるのか。受け止めずに放り投げて、被害者を演じ続けるのか。毎瞬、自分で決めていかなければいけません。

この時期の決断は、個人的には、とても大きな分岐点になるような気がしています。満月の日に、3度やってきたメッセージですから、意識してみたいと思います。

では、具体的に何をどう決めたらいいのでしょうか。

まず、他者のせいにしている自身の感情の責任を、自ら引き受けるかどうかを見ていくことにしましょう。あなたのせいで、と思っているその気持ちの奥にある痛みの感情を、誰のせいにもしないで自分で受け止めていいかどうか。

特に怒り、憎しみ、恨み、嫉妬などなどについて、ひとつひとつ自身の気持ちを確かめて、どうしたいかを決めてみてください。

というわけで、今週のテーマはこちら。

自身の在り方について自分がどうしたいのか、明確に決めていくよう最高最善に働きかける

参加される方は、「無料遠隔ヒーリングの受け方」ご覧になり、 ご理解のうえ3月15日(水)17:00までにメールまたはメールフォームにてお申し込み下さい。 同日20:00より順次働きかけを行っていきます。

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生きることの苦しみ

よく、色々なことについて「まだダメだなぁ」と思うことがあるのですが、今の現実に「まだ」満足できないというこの感覚、誰しもが多かれ少なかれ持っているものではないかと思います。

「まだ」ということは、「今はダメだけれど『いつか』思ったようになるはずだ」という暗黙のニュアンスを含んでいて、自分を未来に駆り立てる原動力にもなっているような気がします。

ということは、「まだ」と思っているとき、人はなかなか「今この瞬間」には居られないのですね。

いつか未来にそうなるはずだけれど、「今はまだそうじゃない現実」に居るとき、私たちはとても落ち着かず、居心地の悪い感覚を味わいます。そして一刻も早く「そうじゃない現実」から脱出したくて、ありとあらゆることをしてもがきます。

けれど、そうするほどに理想とは違う現実を創造し続けていることに、私たちはなかなか気づきません。とにかく今ここから早く脱出しなくちゃ!と先を急ぐばかりで、その行動を軌道修正するのは容易ではないようです。

私自身にもこの行動パターンがあるなぁと思うのですが、「拒絶したものは受容されるまで繰り返し差し戻されるという」負の引き寄せが働いていることをついつい忘れて、回転する車を延々と回し続けるハムスターのようなことをしてしまっています。

無意識に繰り返してしまっている行動パターンを軌道修正するときは、行動を起こす瞬間に浮上している居心地の悪い感情のエネルギーを注意深く捉えるところが第一ステップになります。

大抵はこの質問でそれが浮上するでしょう。

「思い描いている未来が永遠にやって来なくて、今この現実がずっと続くとしたら?」と。

途端に閉塞感や絶望感、無力感等が浮上してくる方もあるかもしれません。これが「核心の感情」になるので、ここに呼吸でしっかりと命のエネルギーを送ってあげます。

私たちはこうした痛みの感情をどうにかして避けようと様々なことをするわけですが、どんなに避けようとしても、それは既に私たちの中に存在しています。存在しているのに、自分はまだそうなっていないと思い込んで必死でそこから逃れようとしているのです。

ワークでは、「それは既に自分の中に在る」という現実を受け止めていくことで、癒しのプロセスを促進させていきます。

事実を認めないということは、明らかにこのプロセスを止めてしまう要因になります。だから、認めることはある部分でとても勇気の要ることではありますが、厚い封印で閉ざされた心の奥の痛みをきれいに癒したいのであれば、とても大切なことです。

もしこれができれば、あなたはすでに「勇気ある自分」になっているわけで、「逃げ続けてきた自分」とは全く違う自分に変容していることになります。

小さな決断、行為と思うかもしれませんが、実はとても大きな変容だろうと私は思います。

「今この瞬間、私はこの世界で生きていることに苦しんでいないだろうか?」と改めて自身に問うています。というのは、生きることに苦しんでいる人をとても多く見せられるからです。

彼らはしばしば、生きることがあまりに辛すぎて、人生を諦めていたり、早くこんな人生が終わればいいと思っています。

彼らを見せられるたびに、自身の中に浮上するものを瞬間瞬間、受け止めています。「お前の中にも、同じ苦しみがまだあるのだぞ」と言われているようです。

私の人生で一番ひどかった時期に比べれば、本当に今は天国のようなものですが、心の奥のある部分で、絶望から人生に背を向けている自分のカケラがいるようです。

今そこに「気づいているよ」と声をかけながら、命を送っていきます。ハートの奥に、深い悲しみがありました。これが生まれたとき、こんなにも悲しいのに、悲しむことを許されなかったようです。だから、今まで身体の中に残ってしまったのですね。

受け止めていくと、心臓の周辺のフィールドのしこりがバキバキいいながらほどけていきます。いつも肩甲骨の左内側部分が凝っていて、整体に通ってもなかなかほぐれなかったのですが、そこが弛んでいくのが分かりました。

しばらくすると、左半身のエネルギーが随分と軽くなり、左鼻も特に詰まっていたわけではないのですが、さらにすっきりす~っと通ってきました。

そこで、もう一度ハートの奥の悲しみに意識を向けて確認してみたところ、まだショックや心細さの感覚が残っていたので、再度これらも受け止めていきます。

すると、前日にワークして残っていた左ひざの違和感がさらに薄くなっていました。色々とつながっているようです。

最後に出てきたのは、しきたりの中で自分の気持ちを押し殺していた人生のビジョンでしたが、その人生では、「自分の気持ちは我儘である」としてずっと切り捨ててきたのですね。

今、それを「自分の気持ちは、注目を傾けるべき魂からの大切なメッセージである」と設定し直しました。そうすると、最後まで胸の辺りで引っかかっていたエネルギーが頭頂まで抜けていきました。今まで無かった感覚です。

改めて、全身の感覚をチェックしてみると、視界が明るくなり、いつも重たかった体の一部がすっきりと軽くなっています。まだ動くエネルギーはありそうですが、取り敢えずはいい感じです。

「この現実を生きる辛さ」というテーマから入ったので、これも確認すると、薄皮が一枚、二枚分くらいは剥がれた感じでしょうか。このまま、少し様子を見ることにします。

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命の喜びを知った男性の過去世

先日、ヨガのクラスで足首回しをやった時、左ひざに違和感を感じました。左ひざは昔、ひどく打ったことがあって、以来あまりよくないのですが、このときは膝から下にこれまでにないほど力が入らなくて、妙な感じでした。

ガネーシャ・ギリ先生のヨガのクラスでは、この足首回しはとても重要なエクササイズとされていて、「ただの足首回し」ではないのですね。軸を取りながら繊細に意識を使ってこれを行います。

普段あまり自分では足首回しはやらないのですが、クラスで最大限に意識を使って足首を回すと、全身のエネルギーがうねるように連動して動いていくのが分かります。

毎回やっているはずなのに先日感じた違和感はとても大きく、左ひざから下、また太ももから腰に掛けてエネルギー的な不協和音を生んでいました。

それでも普通に歩くことはできるので、日常的に支障は全くないのですが、この日以来座っていても違和感を感じるようになったので、何かのサインかな、と思いワークをしてみることにしました。

じ~っと感じて行くと、左ひざから下を失った男性だった人生が重なって浮かび上がってきました。戦争か何かでそうなったようです。

なるほど、この男性からのメッセージだったのだな、と思いつつ、そう言えば過去世で負傷した部分に、今世でも怪我などをするケースを他の方でも見たことを思い出しました。

ずっとあった種だけれど、今になって浮上してきているというのも、タイミングなのかもしれません。

この男性に意識を合わせていくと、帽子をかぶり、パイプをくゆらせて杖を突いた小柄な姿が見えてきました。身体を感じて行くと、今私が感じているように、常に左ひざから下がないにもかかわらず、しびれたような疼く感覚があったようです。いつも左をかばっているので骨格が歪み、腰痛や肩凝りを感じています。

男性には夢があったようですが、それもあきらめざるを得なかったと、やりきれない思いを抱えていました。男性は怪我をする前、スポーツが大好きでした。仲間と一緒に駆け回り、全身で生きる喜びを表現しているようでさえありました。

今はそれもできず、思うようにならない身体が重く、辛く感じられ、自分が哀れで、惨めで、悲しく、どれほど口惜しがっても変わらない現実に、腐るしかありませんでした。

パブで自暴自棄になって酒におぼれ、酔いつぶれる姿が見えましたが、かつてみんなに慕われ、明るく快活だった青年を知る昔の仲間は、そんな男性を見て悲しげでした。

男性を感じていてふと、以前勤めていた会社に居たある男性を思い出しました。私はその男性のだらしなくて不潔で偏屈、意固地で平気で人を傷つける言動が大嫌いだったのですが、今見ているこの男性の心情ととその人の心情がピッタリと重なりました。

その人について、昔から知る社員の女性は「本当に純粋でいい人なのよね」と言っていたのですが、私が見ていたのは腐りに腐って人生を諦めたような状態のその人だったので、「噓でしょ。ありえない」と思ったものでした。

でも、ビジョンの中に見る足を失った男性を見ると、きっとそうだったのかもな、と思えました。そして、「そうか、あの人も私自身だったのだな」と改めて分かりました。

どちらの男性も、自身の現実を受け入れられていませんでした。このため、そのことによって起こった自身の感情を受け止められず、もがき苦しんで自分や他者を傷つけることしかできなかったのです。

ワークでは、まず自身の現実にしかと直面し、受け止めるとことから始めます。思うようにならない辛さを体感覚で捉え、しこりのように固くなった部分にエネルギーを送っていきます。すると、その部分がふわっと軽くなり、エネルギーが流れていきました。

男性には、以前付き合っていた女性がいたようです。彼女は男性が足を失った当初、献身的に彼を支えましたが、男性があまりに心を閉ざし、荒れてしまったので去ってしまっていたようです。最初に見えたビジョンでは、男性は独りぼっちでした。

けれど、エネルギーが流れ癒しが進んでいくにつれ、このストーリーが変化していきました。彼女は去っておらず、男性は義足を付けて彼女に支えられながら歩く練習をしています。そしてぎこちなくはあるけれど、少しずつ歩けるようになっていくのを、男性は彼女とともに喜んでいました。

彼女は女性らしい優しい視点で、野の小さな花の美しさや虫、小鳥たちの命に彼の意識を導き、足を失ってもなお世界の美はここにあり、自分たちを含めて、命は今ここに溢れていることを見せました。

今、彼の中には感謝の思いが満ち、魂の深いところが震えています。彼の頬を、涙が伝っていました。

彼は今、彼女とともにとても幸せそうです。2人は結婚したようで、仲良く素敵な老夫婦になっています。彼の心は足を失う前よりも深く繊細に、命の喜びを感じているようでした。

彼の臨終はとても穏やかで、妻と親しい友人たちに見守られながら、「ありがとう」と言って去っていきました。

左ひざの違和感から、何とも素敵なストーリーが出てきました。今、違和感は大分軽くなっています。まだ完全にクリアにはなっていないので、何か受け取るべきものが残っているということなのでしょうが、ぼちぼちやっていくことにします。

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失望と恨み・憎しみの感情解放

明後日12日(日)は満月の瞑想会を行います。瞑想が初めての方でも丁寧に誘導して行きますし、瞑想中にはヒーリングのエネルギーも導いていきます。お集まりくださったみなさんそれぞれに必要な働きかけが為されるでしょう。まだお席はございますので、興味のある方は是非ご連絡ください。お申込はこちらからどうぞ。

さて。日常のちょっとした願望について、ふとかすかに「失望」を抱いていることに気づいてしまいました。先のことなどまだ何も分からないのに、「どうせダメだよね」と先回りして期待しないようにしている自分がいました。

これに気づいたのは、前日の考察からその願望について「天・地・人」のポジション取りをしてみようと思って試していたときで、「天」を取り「地」を定めたときに「人」がとても居心地が悪くて決まらなかったのです。

胸から喉のあたりに固い異物のようなエネルギーががっちり固まっていて、「これじゃぁ叶わないよね」という状態でした。

それが何か確かめてみると、どうやら「失望」のエネルギーだったようで、これまでも繰り返し浮上してきたものの、苦しいので目を背け、うやむやにしてスルーして来たものが、今再び浮上したのです。

誰しもこうして、多かれ少なかれ居心地の悪い感情に背を向けている部分はあると思いますが、人様に「向き合うこと」のメッセージをお伝えさせていただいている手前、人一倍自身も向き合うことを実践していなければ、説得力がありませんよね。

というわけで、肚を決めて意識をフォーカスさせていきます。

過去に願望を抱いて、ひどく失望した時に味わった痛みの感情が当時は受け止め難く、残っていたのでしょう。それが何か願望を抱くたびにトリガーされて浮上し、まっさらな未来に「失望」の影を落として、その現実を実現し続けているわけです。

この幻影から抜け出すには、受け止めていない痛みの感情を迎えに行きます。

ワークでは、様々な過去の出来事のビジョンを見ることがありますが、基本的にそのエネルギーをしかと受け止められれば、必ずしもビジョンを見る必要はありません。

この時もビジョンは特に出てこなかったのですが、身体の中で最も受け止め難い失望のエネルギーを感じていました。しばらくするとそれは軽くなり、抜けていきましたが、まだ別のレイヤーで残っているような感覚がありました。

ワークをする時、ある程度エネルギーが抜けていったとしても、その後の感覚を確かめて残っているときは、必ずそれについても再度ワークをしてください。

体力や時間の関係でいったん区切るとしても、入り口となったテーマがどこまでクリアになったのか、残っているものはないのか、最初の場面に戻って確認することを忘れないでいましょう。

ここができていないと、ワークの詰めが甘くなってしまいます。

私のワークの場合も、さらに残っているエネルギーにフォーカスしていきましたが、「がっかり」の下から出てきたのは「口惜しさ」のエネルギーでした。

かなり強烈でしたがそれも受け止めていきました。そのときふと、叶わなかった願いに対して何かや誰かを恨み、憎んでいる気配が感じられました。それら恨み、憎しみのエネルギーを自分に引き戻して受け止めていきます。

というのは、恨みや憎しみのエネルギーは、自身の内に生じた痛みの感情を受け止められず、外側の何かに責任転嫁してそれに自身の痛みを投げつける行為だからです。それをしている限りは、癒しが訪れることはありません。

ですからそうした行為の一切をやめ、相手に投げた痛みのすべてを引き受けます。もともとそれは自分のものだったのですから、当然と言えば当然ですね。こうして自分自身の感情に責任を取るのです。

受け止めながら、まだどこかに飛ばしている憎しみや恨みがないか、エネルギーの感覚を探っていました。

そこで気づいたのが、そういえばこの感覚、母とのやり取りの中で良くトリガーされるな~ということでした。母のちょっとした言動がものすごく癇に障るときがあるのですが、振り返ってみれば、母は私のこの痛みをトリガーする名人のようです。アリガタヤ。(-人-)

親子なので些細なことでも遠慮なく噴き出してくる部分はあり、長年のパターン故に無意識に反応していることが多くありました。今後はもう少し注意深く拾っていこうと思います。

とにかくこのときは、受け止め難い痛みの感情をできる限り拾い、受け止めていくことをしていきましたが、胸から喉の当たりの感覚はかなりすっきりしました。

そしてワークの入り口であるある願望に対する「天・地・人」のポジションを再び取り直してみると、随分修正されていました。なかなかいい感じです。あともう少し微妙に調整が必要な気もしますが、これも同様に取り組んでいくことにします。

このように、ワークを繰り返して、自分の何がどの位どのように調整されたのかを確認しながら進めていくことで、自分がどこへ向かっているのか、次に何をすればいいのか道筋が見えてきます。

ある程度ワークに慣れたら、こうした視点も意識して見てください。

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